可能性の扉
次のステップではどんな可能性の扉を自身の手で開いたのでしょう?
次に開いたのは、海外でのリリースという可能性の扉。でも、私が在籍しているポリスターは、インターナショナルなレーベルではないのでそれができない。そんな状況を解った上で移籍を薦めてくれたのがEMI(現EMIミュージック・ジャパン)のディレクターでした。その方は、私のデモテープをずっと聴いて下さっていて、「君はデモの方がずっといいから、セルフプロデュースをしてほしい」と、プロデューサーとしてまったく未経験の私に、どの国でレコーディングしてもよいし、バジェット管理も人選もサウンドクリエイションも好きにやってよいという条件を提示されました。「ただし、それだけの自由を与える代わりに全責任を君に委ねるよ」と。足がすくむくらい大きなチャレンジでしたが、あまりにも素晴らしいオファーに、全力で賭けてみたい!、そう決心してEMIへ移籍しました。同時に、アーティスト名も柿原朱美から「AK」に変えました。
EMI移籍後の1stはロンドンで、2ndはLA、3rdはNYでレコーディング。迅速かつ着実に海外でのクリエイティブネットワークを築いていらっしゃいますよね。
いえいえ、もうね、トライ&エラーを繰り返しながら(笑)。自分が組んでみたいミュージシャンをCDのクレジットから探し、自分でコンタクトし、私の音源を送って音楽性をプレゼン。相手が私と一緒に仕事がしたいと言ってくれたら、そこから初めてスタートする……。そういう形だったのですが、1st『Yes』では、バジェットも期間もオーバーしちゃって、明らかに自分でジャッジする能力が甘かった。その時、一緒に組んだ現地のエンジニアの方がこんな言葉をくれたの。「僕に意見を求めるなら、僕にプロデューサーフィーを払って欲しい。この作品のプロデューサーは君自身。君が決めるべき。そんなに自信がないと、選ばれた僕らがリスペクトされていない気がする」。その言葉でプロデューサーとして開眼しました。

教訓を生かし、2nd『DREAMIN』では、だんだんと経験も活かされ、NYでレコーディングした3rd『LOVE』、この頃の私はずいぶんと逞しくなって(笑)、タフマインドで最善を尽くす喜びも知ることができました。一緒に組んだエンジニアのKevin”KD”Davis、彼はビヨンセやアッシャーからも絶大に信頼されている人ですが、そのKevinから「AKは全米からリリースした方がいい」という言葉をもらったことで、ずっと夢であった世界デビューの背中を押され、本当にNYに移住し、世界リリースをして、世界中の人に自分の音楽を聴いてもらいたいという意思が湧き上がるように。恩人でもあるEMIのディレクターから「君がNYで夢を実現することは、僕らの夢だから。あとは何とかするから夢を叶えて欲しい」とGOサインを頂いたことにも背中を押され、移住を決心しました。

東京→NY。人生の羅針盤がさらに大きく動き出します。移住されたのはいつ頃ですか?
2001年9月10日です。
2001年9月10日それはつまり・・・・・・、あの9・11の前日ですか?!
そう。NYに移住した翌日に9・11が起きました。住み始めたのがチェルシーだったのですが、ツインタワーに2機の飛行機が追突した時、私はアッパーウエストサイドにいて、交通がすべてストップ。街は大混乱で麻痺し、パニックと恐怖に包まれ、叫んでいる人、泣いている人を見ながらアップタウンからダウンタウンに歩いて戻る中、ツインタワー崩壊。ダウンタウンでは、多くの人が灰をかぶったまま歩いていて、煙の匂いがすごく濃く、苦しく、当然、電話もインターネットも繋がらず、日本の家族や友達に安否を知らせることができず、不安ともどかしい時間を過ごしました。知り合いのいないNY生活スタートだったのでとても心細かったのですが、NYの人達はまったく知らない他人の私を多くの方が励ましてくれました。そして一番感動したのは、これだけ世界中から集まっているまったく知らない他人同士なのに、大変な状況の中、NYに住む人達がひとつになっていると感じた瞬間でした。国籍、宗教、人種、すべてを超えて、これだけ大変な時に、助けあうNY。信じられないような一体感を感じ、“不安”から、“私もなにかしなくては”に変わりました。電話とインターネットが繋がり、日本の家族や友達、EMIのスタッフとも連絡が取れたことで、今度はNYの状況を伝えてほしいという依頼がいろいろなところからあり、実況中継のような形で刻々と変化する状況を伝えていきました。この体験でNYの驚くほどのパワーと、やさしや、そして、“人間があらゆる壁を越えてひとつになる”という、ものすごいインスピレーションをもらいました。大変なNY生活のスタートでしたが、NYを大好きになった大きな体験です。
混乱と衝撃の事態の中でも、自己を失わずに新しい音楽性を追求。NY移住から時間をおかず全米デビューを果たすAKさんのモチベーションの高さに感銘を受けます。
NYから全身にもらったインスピレーションと、そこからインスパイアされて自分の内側から自然と溢れてくる音楽と感情をカタチにできました。こんなもの聴いたことがない、感じたことがないという新しいことに、いかに自分がフレシキブルに五感を持っていけるかが重要だと思います。
Francois K&Eric Kupperのリミックスで創ったデビューシングル『Say That You Love Me』が、NYのレーベルKing Street Soundsからリリースされ、それがフランスやイタリア、UKでもトップチャート1位!インパクトのある全米デビューでした。
信じられないくらい嬉しかったですね。素晴らしい才能を持つアーティストと出逢え、作品を創れたことを心から感謝しています。以来、 USAと日本のEMIと両方でリリース続けるというスタイルですが、現在デビューしてから、トータル14枚のオリジナルアルバム、そしてUSAからは9枚のシングルがリリースされました。