音楽との出逢い
“実行のアーティスト・AK”という人間はどうやって創られたのでしょう?ここからは、ご自身のヒストリーを一緒に紐解きたいです。今現在、I FOR DREAMを通し、子供たちのモチベーションや自信を高める活動を続けていらっしゃいますが、ご自身は子供の頃、何が好きでどんなことを考えていましたか?
広島県の山と川に囲まれた自然の中で子供らしく、当時からなかなかアドベンチャラスな(笑)毎日を送っていましたね。父が映画音楽やジャズ、ボサノヴァが好きで、いつも家に音楽が流れていて。音楽っていいなって、その頃から思っていました。小学1年生からはエレクトーンを習わせてもらったのですが、私ときたら、家では教本をスルーして『男と女』のテーマや『シェルプールの雨傘』とか弾く子供でした。
音楽に対する決定的な開眼はありましたか?
8歳の時に、「もっと世界の音楽を聴きたい、知りたい!」と思い立ち、お小遣いを握りしめ、生まれて初めてレコード屋さんに行って、お店の方に「世界の音楽はどこですか?」って尋ねたことを覚えています。ちなみにその時買ったのは、サンタナの『アミーゴ』。完璧なジャケ買いなんですが、インパクトのあるデザインワークは横尾忠則さんなのですよね。
8歳のAKちゃん、何て可愛らしい、何て渋い(笑)!
そんな私を見て父が聴かせてくれたエウミール・デオダートのアルバム『プレリュード』が、私にとって人生と運命を変える作品になるんです。彼はブラジル出身でNY在住のプロデューサーですが、本作に収録された〈カーリーとキャロル〉〈スピリット・オブ・サマー〉に心をぐっと持っていかれ、私も曲を書きたい!と生まれて初めて自分で曲を作り、エレクトーン教室で発表しました。それが私にとって初めての、音楽への開眼です。同じ頃から詩も書いていました。10歳の頃、シンガーソングライターの小椋佳さんがご自身の新作の詩を公募するコンテストがあったんですね。「これは絶対に応募しなきゃ!」と、当時書き溜めていた詩の中から「貝がら」という作品を送って。結果佳作だったのですが、後日小椋さんから「あなたが作る歌詞は素晴らしいから、将来も書き続けて下さい。いつかまた、他の詩も見せて下さい」という直筆の丁重なるお手紙とサイン入りレコードを頂いたことは本当に嬉しかったですね。
子供にとって自信をもらえる出来事ですね。
大きな励みになりましたね。中学生になった私の頭の中のターゲットは「シンガーソングライターになるにはどうしたらいいか?」に定まり、以来、こつこつと詩と曲を書き溜めていきました。
シンガーソングライターになるためのファーストステップとして、どんなアクションを起こしましたか?
シンガーソングライターとしてデビューするために東京に出ることを決心しました。そのためには、親を説得できる相当な口実がなければ。まず、オーケストラ部がある高校に入学しヴィオラを専攻するんです。歌手になりたいとは言わず、東京の音大に進み、将来はオーケストラの部員になりたい、なんて壮大に両親を説得して(笑)。音大を目指すにからには、ピアノや声楽、理論と総合的な研鑽が必要で、ましてや幼少期から英才教育が必要な世界。エレクトーンを小学校で習っていたものの、ピアノなんてやったことがない私に、ピアノ教師からは、高校から始めて音大に入れる甘い世界ではないと言い切られましたが、その一言で「絶対に入ってみせる」と逆に燃えましたね(笑)。
ネガティブをポジティブに変えるパワーと意思の強さがAKさんらしいです。
わかりやすいでしょ(笑)。とにかく猛勉強して、武蔵野音大を含む、3つの大学の音楽科に合格しました。私の目指すシンガーソングライターへの早道を自分なりに考えて、日大芸術学部の音楽科へ進学を決めました。上京する際、初めて両親に「実は、歌手になりたい」と告白したら、両親は私のビジョンも何もかもお見通しで。「後悔の無い人生を送るためにも、自分の好きなことを続けなさい」とものすごく応援してくれて、本当にありがたいですよね。