来日ウクライナ避難民が、画期的なファッションマスク「NASK」をローンチ。若手起業家が描く未来のビジョンとは
2024/03/06
来日ウクライナ避難民で若手起業家のニキータ・ショロム氏が開発を手がけたフェイシャルアクセサリー「NASK(ナスク)」が今年1月にローンチされた。NASKは「衛生用品としてのマスクを、身につけたくなるファッションアイテムに昇華させたい」というニキータ氏の思いから生まれた、機能性と美しさを併せ持つマスクだ。
NASKという名前には、「マスクの頭文字“M”を一文字先のアルファベット“N”に置き換え、従来のマスクのあり方を一歩進める新時代のプロダクトに」との意志が込められている。ニキータ氏が英国ケンブリッジ大学やウクライナ国立科学アカデミーなどの名門校出身で、材料工学や物質科学を学んだと聞けば、単なるオシャレマスクではなく画期的なプロダクトを開発したことが想像できる。
NASKの特徴は大きく二つある。まず一つはインパクトのあるデザイン。中央に挿入したワイヤフレームと内側のシリコンパッドで頬を支え、肌との接触を最低限に顔に優しくフィットし、つけた人の表情の一部となって洗練されたシルエットを形作る。そして二つ目はコーディネートを選ばないシンプルな設計であること。耳にかけずにワンタッチで着脱でき、眼鏡や帽子をつけたまま装着が可能。様々なシーンやコーディネートに馴染むデザインとなっている。
HIGHFLYERSはニキータ氏をインタビューし、「NASK」のコンセプトや開発の裏側、日本に住んで感じたこと、故郷ウクライナへの想いなどを聞いた。
軌道に乗っていたマスクの製造はロシアとの戦争で全てが消失。新たに夢を叶えるべく避難民として来日し、約2年かけて理想のマスクを形に
―ニキータさんはウクライナ北部のチェルニーヒウ出身でいらっしゃいますが、どのような環境のもと育ったのですか?
子供の頃は飛行機が好きで、学校のクラブで飛行機の模型やリモコンを作ったりしていました。それから科学に興味を持つようになり、科学者になるために一生懸命勉強して、9年生の時にウクライナ国立科学アカデミーに行こうと決めました。入学後の2016年には、僕の作った飛行機の模型が「F3J World Championship 」という大会で優勝し、物質科学における革新部門でも受賞したりしました。
―その後、イギリスやアメリカの名門校に進学されましたが、どのようなことを学ばれましたか?
ケンブリッジ大学ではグラファイト(黒鉛)の材質について学んでいたのですが、2年経った頃、科学者になるのは難しそうだと思って断念し、UCLAに移って分量心理学を学びました。そんな折、2020年にパンデミックが起きたんです。パンデミックがどのくらい続くか予想できなかったですし、家族のもとにいたかったので、ウクライナに戻ることにしました。
ロックダウン中は多くの人がそうだったように、僕も将来が不安になり、2、3ヶ月は落ち込んでいました。そうしたらある日、科学の雑誌を読んでいた時に、*コンプライアントメカニズムについて書かれた記事が目に留まって。当時パンデミックでみんなマスクを付ける日常を送っていたので、このメカニズムを応用して画期的なマスクを作れるのではないかと閃いたんです。
*コンプライアントメカニズムとは、物体に力が加わり広げられた時にエネルギーを発散し、可動部の動きを弾性変形で生み出すこと
―たまたま目にした記事がきっかけでマスクを作ることになったんですね。それで、どう着手されたんですか?
その後はどういう折り方をしてマスクを作るのがいいのかを考えて、しばらく紙を折り続ける日々でした。完成系に近いものが出来上がったタイミングで商工会議所に行き、マスクの商品化に協力してくれる支援者を探してほしいと相談しました。その後3つほどの会社とミーティングをし、ペットボトルの製造機械を作る会社が出資してくれることになりました。
ー初めてのマスク作りはどうでしたか?
折り紙はそもそも機械ではなく人の手で作られるものですよね。それをどうやって機械で作るかを考えるのは大変でしたけど、腕のいいエンジニアがいてくれたおかげで最初の年に機械を作ることに成功し、2年目からオンライン販売をメインにマスクを売ることが出来ました。ですが、順調に軌道に乗り始めたと思った頃、ウクライナとロシアの戦争が起きたんです。
―その時のことを教えていただけますか?
戦争が起きる前日、僕はある会社の人とオンラインミーティングをしていました。彼が途中で「国境ガードの仕事をしている友人から、ロシアの兵隊がウクライナの国境に侵入したと聞いた。悪いけど切るね」って言われて。まさかと思い、父にも相談しましたが、大したことにはならないだろうということで、あまり真剣に受け止めていなかったんです。そうしたら翌朝の5時頃、友達から戦争が始まったとの連絡を受け、実家の地下室に家族と避難しました。実家はロシアとベルーシアの国境の近くにあり、どこかに避難しようにも、その際に攻撃される危険があったので、2週間ほど身動きが取れない状況でした。会社を設立して自分の夢が叶い始めたところに戦争が起き、工場も破壊され全てをなくして、どうしたらいいかわからず放心状態でした。
―日本にウクライナ避難民としていらしたのは2022年だそうですね。日本に行こうと決めたのには何か理由があったんですか?
まだ学生だったことと、起業家としての実績などもあったことで、外国への避難が許されました。日本には大学時代の親友がいましたし、アジアの国、特に日本や中国、韓国の人たちは日頃からマスクをつける習慣があるので、元々マーケットとしては考えていたので、日本でマスクをプロデュースしようと決めたんです。家族と離れるのは辛かったですが、家族は「愛してるよ、頑張って」と応援してくれました。
―日本に来て、どんな生活を送られましたか?
2週間ほど友人の家に住まわせてもらい、その後は日本の政府が提供する避難民用の家に移りました。最初の1年間はマスクの実現を目指して、僕のアイデアを買ってくれるところを探すために、全国のあらゆる会社に相談に行ったり、展示会に行ったりしましたが、言葉や文化の壁も大きく、協力者を見つけることは困難でした。そんなある時、東京国際フォーラムで開催された展示会に行き、今日も成果がなかったと諦めて帰ろうと思ったところ、後ろの方から英語を流暢に話す会話が聞こえてきたので、思い切って話しかけてみました。その人は渡辺さんという通訳をしている方だったのですが、その後彼女と何度も会って僕のビジョンを話し合い、協力していただくことになりました。
―そして新たにイハヴィール株式会社を設立されたわけですね。
日本に来て最初の1年間、色々頑張ったけれど何の成果も出なかったので、事業プランを練り直し、会社を設立して資金を集めることに決めたんです。アメリカの投資会社で出資してくれるところを見つけ、ようやく今年の1月に「NASK」をローンチすることが出来ました。
―NASKの開発にあたって、大変だったことや苦労したことなどは?
僕は日本において外国人で難民なので、会社設立やビジネスの交渉はとても大変でしたね。日本は英語を話す人が少ないですし、コミュニケーションを取るのも一苦労です。そして僕はエンジニアなので、マーケティングの知識があまりなく、このプロダクトをどう広めていくかを考えるのも難しかったです。
―マスクのデザインはウクライナで作ったものと同じなのですか?
いいえ、デザイン的に言うと、前のマスクはもう少しエレガントでシンプルです。そして洗うことの出来ない使い捨ての布を使用していました。それに比べるとNASKは実用的と言えます。素材はナイロンで、洗えて1ヶ月以上使うことが出来ます。
―このマスクを通して、伝えたいメッセージはありますか?
日本は、イノベーションを起こしている人たちに若い人が少ないように感じます。もっと若い人たちもイノベーションや自分たちの夢に柔軟にトライしていけるような世の中になって欲しいと願います。
―今の若い人たちはSNS中心のライフスタイルになっているから、なかなか「何かを作って世の中を変えていこう」と希望を見出しにくい世の中なのかもしれないですね。ニキータさんもSNSはよくチェックしますか?
僕がSNSをチェックするのはトイレにいる時だけです(笑)。見出したら止まらなくなるのが分かっているので。音楽をたまに聴いたり、あとはタバコを吸ったりお酒を飲んだりすることはありますが、ほぼ仕事してますね。それから僕は人と直接会って話すのが好きです。メールは嫌いなのでいつも電話するんです。
―では、今後の目標や夢を教えてください。
ウクライナも日本もそれぞれ独自の文化があって、それを理解するのには時間がかかりますし、相手の言語が理解できないとなるとさらに難しくなります。そこで僕が両国の会社の間に入り、ビジネスを成立する上での架け橋になれたらと思っています。NASKをローンチするまでにいろんな会社の方と知り合うことが出来たので、そのコネクションを活かして多くの人の役に立てたら嬉しいです。
―素晴らしいです。では最後に、ニキータさんにとって成功とは?
小さい子供が僕の作ったプロダクトを見た時に、インスパイアされて、「何かをやってみよう」と思ったり行動に移してくれたら、それが僕にとっての成功です。
Text & Photo: Atsuko Tanaka
Nask 商品概要
価格:1,870円(税込)
カラー展開:全4色(BLACK・GRAY・GREEN・PINK)
販売:公式ECサイト https://nask.site
公式Instagram:@nask_official