BICULTURAL SOULS
#28 | Jul 27, 2022

伝統をしっかり学んだポーランド人着付け師が見せる、真の着物の美しさ。着物体験スタジオ「InKimono」にて、抜群なセンスと技術で妖艶な世界を織りなす

Interview & Text: Minori Yoshikawa / Photo: Atsuko Tanaka

様々な分野で活躍する日本在住の外国人の方々をインタビューし、日本と祖国の文化の違いなどをお話し頂くコーナー“BICULTURAL SOULS”。第27回目のゲストは、ポーランド出身で、写真家・着付け師の松本スターシャさん。幼い頃から勉学に励み、絵を描いたりエッセイを書いたりするなど、クリエイティブなことが大好きだったという。また、図書館にある本は殆ど全て読んだという程、本を読むのが好きな少女だった。高校生の時に、日本のビジュアル系バンドのミュージックビデオを見て衝撃を受け、日本に行きたいという夢を持ち始める。そしてポーランド一の名門校、ヤギェウォ大学と、イギリスのリーズ大学でアジア文化を学び、卒業後の2012年に来日。好きなものを見つけるとその世界に完全にのめり込み、熱心に取り込む性格故に、独学で学んだ写真の腕は、大手企業から仕事の依頼が来るほどに上達した。ある日、知人に古く質の良い着物を着せてもらったことをきっかけに、着物の美に魅了され、青山着物学院に5年通い高等師範科を修了。2019年、得意の写真と着付けのサービスを提供する「InKimono」をオープン。厳選された良質な着物だけを扱い、抜群なセンスと卓越した技術を用いて、妖艶な世界を織りなすスターシャさんに、学ぶことの重要性、生きている上で大切にしていること、スタイリングの拘りについてなどお話しいただいた。
PROFILE

着物スタイリスト・フォトグラファー 松本スターシャ

ポーランド出身の着付け師、スタイリスト、プロフォトグラファー。2016年に本格的な振袖を着せてもらったきっかけで着物に関心を持ち、着物学院にパーソナライズスタイリングと撮影を通じて、本格的な着物の魅力を拡大するため2018年INKIMONOを開業。一人一人の個性や要望に合わせ、着付けから着物文化・背景・歴史の説明、写真撮影/編集までを含んだサービスで、他では味わえないような、本物で最高の着物体験を提供している。また、伝統と本物を直接肌で感じて欲しいとの思いから、高品質なヴィンテージの着物のみを取り揃えている。

松本スターシャ / Stasia Matsumoto

―ご出身はポーランドだそうですが、どんな場所で、どのような環境で育ちましたか?

森とトウモロコシ畑しかないような名の知れぬ小さな村で育ちました。16歳になるまではネット環境もなく育ったので、勉強する以外は本ばかり読んでいました。「ハリー・ポッター」は特に気に入って何度も繰り返し読みましたし、図書館にある本は殆ど全て読みました。

 

小さい頃

―小さい頃印象に残っている故郷の情景や、子供の頃の思い出を教えてください。

私が育った村は、多分皆さんがあまり行ったこともないようなど田舎なんです。やることもなかったので、友達とサッカーしたり、森に野生の苺を穫りに行ったりしていましたね。

 

―どんなことに興味を持っていましたか?

そんな田舎でインターネットもないとなると、勉強するにはとてもいい環境でした。特に国語(文学)、歴史、英語が好きでした。逆に理系は苦手でしたね。クリエイティブなことが好きなので、エッセイを書いたり、言語を学んだりすることが好きだったんです。歴史は、知ることによって現状が見えてくるのでとても興味深かったです。例えば、現代のポーランド人の考え方や、国の在り方の理由などは、歴史を見れば何故そうあるかを理解することができます。

 

―ご両親はどんな方で、どんな育てられ方をしましたか?

父は勉強することの大切さを常に教えてくれました。ポーランドの通信簿は6段階のシステムで、5であれば上等、6はそれ以上なのですが、父は4でさえ認めてくれませんでした。私は父を喜ばせたいという気持ちがとても強かったので、必死で勉強していましたね。特に語学の勉強は将来の為に欠かせないと教えられて、幼い頃から英語は熱心に勉強しました。父は出張が多くほとんど家にいなかったのですが、お土産はいつも英語の本でした。お菓子やおもちゃだったことはなかったけれど、他の子供たちが持っていないような珍しい本をたくさんもらえてすごく嬉しかったです。

 

―中学校はどんな学校で、どんなことを学びましたか?また当時はどういうことに興味がありましたか?

中学は自宅から4キロほど離れた人口5000人程の小さな街、ジャブノ(Żabno)まで通っていました。とにかく田舎で、学校も数えるほどしかなく、一番近くの学校に行くことが余儀なくされていて、いたって普通な学校でした。部活動はなかったのですが、隣にある文化センターの絵画クラスに週一で通いました。ポートレートデッサンが一番好きでしたね。勉強熱心で生徒会長もやって、コンテストにもよく応募していました。特に国語は得意でよく入賞していましたよ。

 

中学生の頃

―高校はどうでしたか?

高校はタルヌフ(Tarnów)という隣町にある学校に通いました。中学生までは父に褒められたい一心で、苦手な理系も勉強していい成績を取っていましたが、高校に入ると自我が芽生えてか、好きな科目しかやらなくなりました。その頃両親はイギリスで生活していたのですが、私は転校したくなかったので、残って一人暮らしをしていました。身の回りのことも全部自分でしていましたが、全然苦ではなかったですね。むしろ早くに自立心が芽生えて、一人で行動、生活することが好きでした。

 

―大学ではクラクフにあるヤギェウォ(Jagielloński)大学に行かれたんですよね。当時はどんなことに興味を持っていましたか?

高校生の時にテレビで音楽番組を見るのが好きだったのですが、ある日知らないバンドのミュージックビデオが流れて、見た目も曲も私好みですごく興味を持ちました。それは日本のMUCC(ムック)というビジュアル系バンドでした。言葉はわからなかったのですが、すごい衝撃を受けてすぐに検索したんです。そこから日本のビジュアル系文化、原宿カルチャーなどを知って興味が膨らみました。当時は今ほどネット上の情報が多くなかったので、「日本」と検索すると、原宿、ビジュアル系、ロリータファッションぐらいしか出てこなかったので、日本という国は全部原宿のようなところで、音楽はビジュアル系しかないんだと思ってました(笑)。大学では極東の文化学科を専攻しました。

 

―その後3年生の時にイギリスのリーズ大学に編入して、アジア文化研究科を専攻されたそうですね。どうして編入を選択されたのですか?

ヤギェウォ大学は、日本で言う東大のような名門校なんですけど、それでも世界的にはあまり知られていないので、卒業して日本へ行くという夢を実現できる可能性は低いと思ったんです。ポーランド一の名門を卒業しないということに父には反対しましたし、編入はあまり例がなく簡単ではなかったのですが、やろうと思ったら絶対やるという気質なので、夢を叶えるべく実現させました。

 

リーズ大学に通っていた頃

―大学時代はどのような学校生活を送りましたか?

ヤギェウォ大学では勉強一筋でしたね。勉強が大好きだったので、楽しくてしょうがなかったです。リーズ大学では勉強だけでなく、色々な活動ができてとにかく楽しかったです。

 

―どんなことが楽しかったんですか?

リーズ大学はヤギェウォ大学と違って、図書館のレベルが桁違いでどんな本でもあるし、サークルはなんでもあって、私は日本サークルに入りました。日本に興味がある生徒と日本人留学生が集まってパーティーしたり、飲みに行ったり、ランゲージエクスチェンジなどをするサークルなんですけど、今の旦那さんにはそこで会ったんですよ。本当にいい思い出です。

 

―私生活ではどのようなことに興味を持っていましたか?

日本に行く為にバイトして、貯金したりしてましたね。

 

―2012年に初来日されてますが、卒業してすぐ来たのですか?

5月に卒業後、バイトしていた時に、日本の英会話学校のジョブフェアの様なものを見つけたんです。その仕事自体には興味はなかったんですけど、日本に住めるなら!と応募しました。二次面接の頃には私はすでに日本に行くことが決まっていたので連絡したら、日本で行うことになって。来日し、無事に面接を受けて採用されました。

 

―素晴らしい行動力ですね!日本語はその時もう話せていたんですか?

なんとなくは話せましたが、ビジネスで通用するレベルではなかったですね。その英会話スクールでは日本語のクラスが用意されていたので、週一で4年通って勉強しました。

 

―日本に初めて来た時、どんな印象を受けましたか?

なにしろ日本全国原宿で、ファッションはみんなビジュアル系だと思っていたので、ユニクロや無印の服を着ている人ばかりで、思わぬ普通さにびっくりしましたね。

 

日本に来たばかりの頃

―そうでしたか(笑)。それはある意味残念だったでしょうね。何か興味深かったことやカルチャーショックなことはありましたか?

日本人は優しくて、礼儀正しく親切で、外国人を見つけたら無条件に助けてくれるというようなことばかりを聞いていたのですが、実際に来てみたらそうではなかったですね。最初の3ヵ月は毎日ショックを受けていました。まあ、イメージが膨らみ過ぎてちょっと期待しすぎていたのかもしれないです。つたない日本語で何をするのも一苦労でした。でも娯楽は何でも揃っていて楽しかったですね。

 

―写真にはいつからどうして興味を持つようになったのですか?独学だそうですが、どのように学ばれたのですか?

18歳の時にカメラを買ってもらって、好きだった絵を描く感覚で始めました。2012年頃からインスタにたくさんの写真を投稿して、その後2014年にブログを始めたのをきっかけに、少しいいカメラに買い替えました。当時英会話の仕事はもう辞めて違う仕事をして、仕事帰りに夕方から東京の街を歩いては写真を撮っていました。ストレス発散のためにも、カメラを持って出歩くのがとても楽しかったんです。そんな趣味が高じて、2017年にはKIRINビールからお仕事の依頼を受けました。6人のフォトグラファーが、フィルムカメラで日本の風景を撮るというキャンペーンに私も選ばれて、それがCMになりました。それで自信がつきましたね。

 

―その後知人と着物体験をしたことをきっかけに着物に興味を持ち、趣味で着付けを習うようになったそうですが、どんなところに興味を持ちましたか?

実はその時は着物に全く興味が湧かなかったんです。着物体験をした方ならわかると思うんですけど、大抵の場合、派手なポリエステル製の安っぽい着物を着せられるんですよね。それがある日、その知人が40年前に成人式で来た着物を着せて下さったんです。とても質の良い、珍しい黒の紅型の着物で、着付け、ヘアメイク、写真撮影をしてもらって、本当にいい思い出になりました。その時に初めて本物の着物に触れて、あんなポリエステルの着物じゃ、着物の魅力が現代の人に伝わらず、もったいないと感じたんです。その日家に帰ってすぐ着付けの教室を探しました。

 

―さすが行動が早いですね!どんな教室に通ったんですか?

思い立ったら即行動です!青山着物学院に週一で通いました。その時は自分に着付けの仕方を学ぶ本科だけ取るつもりでしたが、学んでみると奥が深く、もっと学びたい、たくさんの人にこの魅力を伝えたいと思うようになり、研究科で色々な種類の着物の着付けや座学を学び、師範科、高等師範科と通算5年通いました。

 

―スターシャさんの情熱と勉強熱心な素性が現れてますね。好きな写真と着物を合わせて今のビジネスを立ち上げようというアイデアはいつどんな風に思いついたんですか?

2018年ごろ、確かインスタで、海外で着物体験のサービスをしている日本人のアカウントを見つけたんですが、その人はどう見ても質の悪い着物でいい加減な着付けをして、本格的な着物体験として宣伝していたんです。私はもうその頃着付けもできましたし、写真ももっといいものが撮れる自信があったので、私だったらもっとその人にとって記念になる様な素敵な作品が作れると思いました。当時働いていた仕事も、自分が本当にやりたいことではなかったですし、試しに働きながら週末を使って始めてみたんです。だから当時は休みなしでしたけど、自分がやりたいこと、目標の為なら頑張れました。

 

―それを形にするために、まずは何から始めましたか?

着物が無くては話にならないので、ジモティなどのサイトで質の良い着物を安く購入して、友達を被写体にテスト撮影から始めました。当初は30枚ほどの着物しかなかったですし、写真もポートレートはあまり経験がなかったのですが、「できる」という確かな自信があったんですね。インスタで集客して、安い値段でサービスを提供しながら経験を積みました。

 

―そこからどうやって拡大していったんですか?

そうしているうちに色々なリクエストが入って来るようになったんです。カップルで撮って欲しいと依頼が来たら男性用の着物を揃えたり、七五三を頼まれれば子供用の着物、ブライダルやお宮参りなど依頼ごとに、振袖、浴衣、袴とだんだん種類を増やしていきました。最初はヘアメイクのサービスはなかったんですけど、要望に応える形で、ヘアセットの学校に行って技術を習得したりとどんどん大きくしていきました。インスタや口コミである程度依頼が入るようになってきた2019年3月に仕事を辞めて、フルタイムでInKimonoを始めました。

 

©︎InKimono

―本当に努力家で勉強熱心ですね。

それは本当に父のお陰ですね。小さい頃から父の教えに従って勉強してきたお陰で、リーズ大学に入れて、日本に来れて、ビジネスもできている。勉強って本当に大事です。努力ってしている最中は本当に辛いですけど、その後が本当に楽だから、そのことを思うと頑張れるんですよ。

 

―日本で外国人としてビジネスを立ち上げるに当たって、大変だったことはどんなことですか?

私は日々の練習や、リサーチなど様々な努力を重ねてInKimonoを作り上げてきました。それなのに、ビジネスの話をする場に夫を連れて行くと、なぜかこのビジネスにはなんの関与もしていない夫にばかり質問する人がいるんです。中には私のことを見もしない人もいます。他にも、例えば一人で役所に行く時なども、私が外国人だからとか、背が低く若い女性というだけで、相手にしてもらえないようなことが多々あって、悔しい思いはよくしますね。

 

―それは辛いですね。ところで、スターシャさんは着物をいわゆる着物用ではない小物と合わせたり、とても斬新なスタイルを提案されていますが、拘っているスタイリング法などはありますか?

私がそういった洋小物を混ぜる時には必ず何か意味があるんです。例えば身長が高い人に着付けをする時に、伝統ではない着付けを破ってお端折り無しには絶対したくないので、丈が短くなってしまう分、ブーツを履いてカジュアルでモダンなスタイリングにしたりといった具合にバランスを取っています。まずお客様の要望を聞いて、そこからスタイリングの提案をしていきます。着物が持つ美しさは絶対に崩したくないので、新しいことは何もしていないつもりです。

 

―でもやっぱりスターシャさんのスタイリングには、日本人にはないセンスを感じるんですよね。スタイリングや、構成をする際に一番大切にしていることは何ですか?

撮影の時は、着物の写真を撮るのではなく、着物を着たお客様の写真を撮ることを心がけています。例えば後ろの結びや袖のクロースアップではなく、あくまでもお客様が主体の写真ですね。背が高い人やプラスサイズの人は着物は似合わないと思っている方が多いですが、私はそういう声を聞くたびに、美しく撮ってみせる!と奮起します。誰もが持つそれぞれの美しさがあって、それを最大限に引き出すコーディネートを提案しています。みんな違っていい、それを表現したいんです。

 

―着付けや写真の撮り方などで、影響を受けた人はいますか?

自信過剰に思われちゃうかもしれないですが、いません(笑)。影響されたり真似したくないので、自分のスタイルは自分で作り出しています。逆に真似しようと思ったとしても、どうしても自分が出ちゃうのでできないですね。でも映画監督のウォン・カーワイが作り出す世界は幻想的で無駄がなく、尊敬しますね。

 

—それでは話は変わりますが、ポーランド人の国民性を教えてください。

悲観的でいつも文句を言っています。でも文句を言うことは私たちにとっては挨拶みたいなものなので、あまり意味はなく、ただ言いたいだけなんです。メンタルが強いところは歴史的背景が関係していると思います。我慢強くなかったら、今のポーランドはなかったと思いますから。

 

—日本語とポーランド語で好きな言葉は?

「開運」が好きですね。ただの「運」“Luck”ではなく、自分で運を切り開いていくというような意味があって好きです。ポーランド語の好きな言葉はなかなか浮かばないですが、ロシア語ならあります。お父さんとお母さんによく言われていた「молодец(マラジェッツ)」です。意味は「良い子、お利口さん」で、何かを良くできた時の褒め言葉です。

 

―ポーランドに行ったら是非行って欲しい、大好きな場所はどこですか?

私が行った大学があるクラクフですね。戦争の影響もあまり受けなかったので、日本で言う京都の様な、古い町並みや文化が残った美しいところで、アーティストが多くいる街です。

 

クラクフにて

―日本で大好きな場所はどこですか。

伊東ですね。どこに行っても絵になる美しい場所ですし、人も優しいし大好きです。その周辺の伊豆、河津、下田、熱海なども好きです。

 

―好きな日本の文化や特性はどういうところですか?

私は作法があるものが好きなんです。着物も、順番を守らないときれいに仕上がらないところに魅力を感じます。あとは、安全で平和なところです。

 

―逆に変化が必要だと思うところを教えてください。

良くない我慢をする人が多い気がします。例えば、今やってる仕事が嫌だと毎日文句を言って過ごしている割に、辞めるわけにはいかないと我慢している人が多いですよね。個人的には、そこから抜け出すため、夢を叶える為に良い我慢をするほうがいいんじゃないかと思いますね。あとは、こうあるべきという固定観念が強くあるところですね。何故そうでなければいけないのかと聞くと、「昔からそうだから」と言われるのはあまり好きじゃないです。

 

―他に住んでみたい国はありますか?

日本以外で住むとしたらイギリスしかないですね。楽しむことに関しては何でも用意されてますし、街を歩けば絵になる情景ばかりだし大好きです。

 

―社会で起こっていることで、気になることはありますか?

文化の盗用ですね。以前ボストン美術館で起きた*「キモノ・ウェンズデー」の中止事件は本当にびっくりしました。私も外国人で日本の伝統である着物を用いてビジネスをしているので、その事件後は「バッシングを受けないか?」と聞かれることがありました。前述した、日本人がポリエステル製の着物で、間違った着付けをするのは良くて、伝統的な打掛けを多文化圏の人が着て写真を撮るのは文化の盗用だというのはおかしいと思います。私もポーランドの伝統衣装がセクシーなコスプレ衣装として作り直されたものとかは好きじゃないので、だからこそ伝統はしっかり守って、正式な着付けをしています。

*打掛を着た見返り美人を描いたモネの名画「ラ・ジャポネーズ」の前で、NHKが提供した打掛けを着て写真を撮れるという、日本とアメリカが共同で企画したイベントに、アジア系アメリカ人(主に中国系)が、アジアの文化を軽蔑した文化の盗用であるとしてデモをし、企画が中止になった事件

 

―これからやっていきたいことや夢はありますか?

 私の写真を見た人が、一目で「松本スターシャが撮った写真だ」とわかるような、自分のブランドを確立したいです。

 

―それを実現するためにどのようなことをしていきたいですか?

いい写真を撮り続けて発信していくことですね。

 

―生きていくうえで一番大切にしていることはなんでしょう?

「やりたくないことはやらない」です。今までも自分の直感だけを信じてやってきましたし、これからもそうしていくつもりです。

 

―大事なことですね!それでは最後に、スターシャさんにとって成功とは何ですか?

自分の好きなことで生きていく。その意味では私はもう成功しています。

 

松本スターシャ Information