ON COME UP
#64 | Feb 14, 2023

X GamesやSLSなど、国内外の大会で多くの優勝を勝ち取った女子プロスケートボーダー。海外へ拠点を移して感じたカルチャーの違いと、自分のミッション

Text & Photo: Atsuko Tanaka / Retouch: Koto Nagai / Photo Assistant: Shusei Sato

今回OCUに登場するのは、スケートボーダーの西村碧莉さん。小学1年生の時にスケートボードを始め、5年生で日本スケートボード協会主催の全国大会にて優勝を果たす。その後も、第1回日本スケートボード選手権(2017年)を皮切りに、国内のみならず海外でもX GamesやSLS スーパークラウンなどの多くの大会で優勝を飾った。また、スケートボードが初めて正式種目として採用された東京オリンピックでは、練習中に大怪我に見舞われるも棄権せず出場し、ストリート種目で決勝進出。現在はLAを拠点に活躍する西村選手に、スケートボードとの出会いや、これまでの活動を通して学んだこと、日本と海外におけるスケートボードカルチャーの違いや、今後の目標などを聞いた。
PROFILE

スケートボーダー西村碧莉

7歳からスケートボードを始め、5年生の時にはすでに日本スケートボード協会主催の全国大会にて優勝を果たす。2017年に行われた日本選手権の初代王者として輝く。また、日本国内のみならずスケートボードの本場であるアメリカでの大会にも出場しエクストリームスポーツの最高峰であるX-Gamesのストリート種目にて日本人初の優勝を成し遂げた。世界のトップの選手のみ参戦可能な完全招待制である「Street League Super Crown」では日本人初の4位入賞を果たす。初めてスケートボードが正式種目として採用された2021年の東京オリンピックではストリート種目で決勝進出。日本人女子スケーターの第一人者として拠点を米国に移し、スケートボードの聖地である米国にて今後もプロ戦での優勝や海外での活躍を目指す。

西村碧莉

―小さい頃は、どんな子供でしたか?

普通の女の子だったと思いますが、結構やんちゃな感じで外で遊ぶのが好きでした。スケートボードを始める前は、習い事で水泳をしてたこともあります。

 

―ご両親はどんな方で、どのような環境のもと育ちましたか?

両親にはこれをしなさいとか、ああしなさいとか言われることはなく、自由に育てられたと思います。五つ上と三つ上の姉がいて、家族みんなで出かけるのが好きだったので、週末になると公園に行ったり買い物に行ったりしてました。

 

―初めてスケボーをしたのは小1の頃だそうですね。その時のことは覚えていますか?そもそものきっかけは?

お父さんが高校生の時に遊んでいたスケートボードがたまたま家にあって、犬の散歩のついでに乗ってみないかと言われたのがきっかけです。最初はお腹で滑ったり、座りながら滑ったりっていう感じで家の周りで遊ぶ程度でした。そのうち幼馴染に、プロスケーターの人たちが教えてくれるスクールがあると聞いて、ここ(ムラサキパーク東京)でレッスンを受けるようになりました。

 

左:小4の頃。ムラサキパークにて、姉妹との練習風景。右:小6、山梨県にあるスケートショップ「モッシーズ」主催のモッシーズカップに出場した時

―レッスンを受けてみてどうでしたか?

すごい楽しかったのを覚えてます。もちろんすぐにはできなかったですけど、時間をかけてやりたかったことができるようになるのがすごく嬉しかったです。最初は月1程度でレッスンを受けていて、ミニランプの大会があることを知ってからは、それに出場するためにもっと頻繁に練習するようになりました。

 

―ランプは怖くはなかったですか?

怖かったですし、なかなか上手くできずですごく悔しかったです。でもだんだんとできるようになっていくのが楽しくて。そのうちストリートの大会にも出るようになって、最初は機会があるから出てみようって感じだったのが、色んな大会に出るごとに、もっと上を目指して行こうと思うようになりました。

 

―プロのスケーターになろうと思ったのはいつ頃ですか?

今、私はプロスケーターと言われてはいますが、海外のスケートボード界では自分の名前の入った板を出して初めてプロとされるので、そういう意味でまだプロとは言えないんです。でもそういうのを知らない頃、プロになりたいと意識し出したのは小学5、6年生ぐらいですね。

 

―当時、憧れの選手とかはいましたか?

特にいなかったです。でもX Gamesという大会を初めて知った時、そこで滑ってるガールズスケーターたちを見て、自分もこういう風になりたい、いつかこの舞台に立ちたいと思いました。

 

―その後、15歳で第1回日本スケートボード選手権に出場して優勝されます。勝てる自信はありましたか?

ちょうど下の世代の女の子達がどんどん出始めた頃でしたけど、優勝を狙えるんじゃないかっていう気持ちは多少なりともありました。実際優勝してホッとしました。

 

―それ以降も、様々な大会で素晴らしい結果を残されてきましたが、ご自身の中で特に印象に残っている試合を挙げるとしたら?

2019年にリオデジャネイロで行われた SLS スーパークラウンという大会です。まずその大会に出ること自体が中学の頃からの目標だったので、優勝できてとても嬉しかったですし、その年のシリーズ戦の最終戦だったこともあり、すごく印象に残ってます。

 

―世界の舞台で戦って、日本との違いなど、何か気づきはありましたか?

初めて出た世界大会はアメリカのテキサスで行われたX Gamesだったんですが、私が最年少だったことにはびっくりしました。日本では自分より若い選手が多いのに、海外では年上の人達がレベルの高い滑りをしてるんだって衝撃を受けて。同時に、自分にも勝てる可能性があることも実感しました。

 

―LAに拠点を移したのはいつ頃ですか?

18になるちょっと前だったので、約4年前ですね。特にこれというきっかけはなかったんですけど、中学生の時から海外に拠点を移してスケートボードするのが夢でしたし、いずれはそうしないと世界で名前が売れないと思っていたので。姉たちも一緒に来てくれることになったので、じゃあ行ってみようという感じで拠点を移しました。

 

―LAに住んで、価値観や考え方で変わったことはありました?

日本に住んでいた時は大会に出ることだけに集中していたんですけど、海外に出て、年齢の高い大人達がストリートとかで純粋に楽しんで滑ってる姿を見て、日本ではそういうのを見ないなと思ってすごく嬉しくなりました。ストリートにカルチャーの中心があることが分かったし、私も大会だけじゃなく、ストリートで滑ったり撮影をしようって思いましたね。

 

Photo: CARIUMA

―日本ではやはりストリートでは滑りにくいですか?

そうですね、前も今もあまり変わらないですけど、スケートボードのカルチャーを理解できる人がまだまだ少ないと思うので、海外の方が断然そういう動きはしやすいのかなと思います。

 

―これまで怪我をされたり、辛かった時期もあったと思いますが、そのような時はどのように乗り越えていきましたか?

今まで2回十字靭帯を断裂していて、最初に左膝をやってしまった時はこのまま復帰できなかったらどうしようとか、焦る気持ちも正直ありました。でも、とりあえず治すことに専念しようと、アメリカで手術をすると決めてからは結構前向きに動けたと思います。手術後も、ちょうど同じ怪我で同じタイミングで手術を受けた姉と一緒にリハビリを受けることができたので、すごく心強かったです。

 

―これまで人生の転機となった出会いや、誰かからもらった言葉などで大きく影響を受けたことはありますか?

人との出会いや言葉で変わったというのはないですね。自分でチャンスを掴みにいったと思ってます。人生が180度変わったとまでは言わなくても、自分の名前が広がったのはやはり16歳の時に出場した X Games で、それをきっかけに徐々に海外の人からも認めてもらえるようになったので、その試合は自分にとって大きな意味があります。

 

―日本人も若くて強い選手がたくさん出てきていますが、負けることに対して焦りや悔しい思いはありますか?そういう時はどう向き合いますか?

負けた時はもちろん悔しいですし、最近は下の世代の日本人の子達がどんどんレベルアップして、自分にできない技をやったりすることもたくさんあるので多少の焦りはあります。自分が練習する以外に選択肢はないので、本当に自分次第だなって思いますね。

 

―技はどうやって磨いていくんですか?

みんな同じだと思いますけど、最初はYouTubeとかで誰かがやってる映像を見たりして、やりたい技が見つかったらイメージトレーニングをして実際にやってみます。そしてそれを何十回、何百回と繰り返し続けていくことで、だんだんと自分の技にしていく感じです。

 

―最近はどのようなライフスタイルを送っていらっしゃいますか?

怪我をしにくい体を作るために、週に3回パーソナルトレーナーの方からトレーニングを受けてます。あとは毎日スケートしたりして過ごしてますね。

 

―LA でおすすめの場所や好きな場所はありますか?

ハンティントンビーチ。基本的に治安も良い場所で、アメリカらしい雰囲気が好きですね。

 

―心も身体もベストなコンディションを保つために、いつも気をつけていることはありますか?

右膝怪を怪我してからなかなか自信を取り戻せなくて、メンタルが弱いまま大会に出てたりしたんですけど、今は徐々に良くはなっている中一番気を付けてることは、なるべくポジティブに物事を捉えようと心がけることです。ネガティブになったり、気持ちが乗らないと、それが動きに出て怪我につながることもあるので。自分のやるべきことに集中して、その後にある楽しいこととかを考えるようにしてます。

 

―西村選手が思うスケボーの魅力とは?

超えても超えても新たな壁があって、限界も正解もないところです。技で言うと、一個の技をちょっと変形させたら新しい技になるのも楽しいです。他のスポーツをされている方はオリンピックを大きな目標に掲げている方も多いと思いますが、スケートボードはそれが全てではないので、そういうところは誰でも入りやすくて楽しみやすいスポーツというか、遊びなのかなと思いますね。

 

―西村選手のスケートのスタイルを一言で表すとしたら?

一言で表すのは難しいですけど、自由であるとは思います。これをしなきゃいけないっていうのは特にないし、自分が滑りたくなければ滑らないですし。食の制限とかも一切していないので。

 

―好きな音楽やアート、映画などで影響を受けたものは?

滑る時は基本的にいつも音楽を聴いているんですが、GENERATIONS from EXILE TRIBEが好きで、大会で滑ってる最中も聴いたりしてます。特に「AGEHA」「DREAMERS」「チカラノカギリ」という曲が好きです。「AGEHA」の「自分の手で 限界壊せばいい」とか、「チカラノカギリ」の「今前に進め チカラノカギリ」という歌詞には、自分ももっと頑張ろうっていつも背中を押されてますね。アートはあまり知らないのと、映画は特にこれという作品はないですが、息抜きみたいな感じで好きな時に好きなものを観てます。

 

―最近ハマっていることはありますか?

アニメを観ることです。最近は「僕のヒーローアカデミア」と、「HUNTER×HUNTER」を観てます。両作品とも、自分のなりたいものに向かって奮闘する姿に共通点があって、それに影響されて自分も頑張ろうって思います。

 

―理想の女性像は?

青山テルマさん。インスタをフォローさせていただいてますが、テルマさんは常にポジティブで、彼女がいることで周りが明るくなるような素晴らしい人なので、私もそういう風になりたいなと思います。

 

―社会で起こっていることで、気になることは何ですか?

ニュースとかは全く見ないので、何が起こってるとか分からなくて。例えば有名な方が亡くなったこととかも、家族の誰かから聞いて知るみたいな感じです。SNSでフォローしてる人達は海外のスケートボードに関する人たちが多いですし、それ以外のことは自分から知ろうとすることはあまりないです。

 

―ご自身のやられていることで、日本や世界が変えられるとしたら、どんなところだと思いますか?

出来るかわからないですけど、日本で一般の方々にもっとスケートボードカルチャーを知って、理解してもらいたいと思います。難しいとは思うけれど、街中で映像を撮ることをかっこいいと思ってもらえたら、もっとスケートボードがやりやすい環境になるのでそうなるといいなと。スケートパーク自体は徐々に増えてきているから、その点では今までと違って良い方向に向かっていると思うので、すごく嬉しいです。

 

―2024年のパリオリンピックに向けては、どのような気持ちですか?

東京オリンピック含め、これまで大会にずっと出続けて、本来自分がしたいと思っているスケートボーダーとしての動きを一切出来なかったので、今はオリンピックを目指すことよりも、アメリカとか他の国で色々な映像を撮りためて、やるべきことをやっていきたいと思ってます。

 

―本来の動きというのは、ストリートで滑ってその映像を残していくこと?

はい、ビデオパートと言うんですけど、3分〜5分にまとめてYouTube だったりSNS に出すのが一つのプロセスなんです。私は今までそれを出来てないですし、周りのみんなからも「いつ出すの?」って言われているので、今年か来年あたりにやらなかったらその後の人生がうまくいかないような気がしていて。

 

―大会方面で活躍するスケーターと、ストリートで活躍するスケーターと別れる感じなんですか?

そうですね、自分はスケートボードを始めてから自分の名前の入った板を出すことが目標で、オリンピックは後にスケートボードが正式種目となって目指しましたけど、今後は本来やりたかった方に行ってもいいのかなと思ってます。

 

―では、ご自身が思う自分はどんな人ですか?

まだ21ですけど、人としてまだまだだなと思いますね。子供の部分もありますし、これからやるべきこともたくさんあると思うので、メンタル的にも人としても、みんなに「ああいう人になりたい」って憧れてもらえるような人になりたいです。色々学んで、いい方向に成長していけたらいいなと思います。

 

―スケーターとして一番大切にしていることは?

純粋にスケートボードを楽しむことを忘れないようにしてます。大会に出て良い成績を残せるように頑張るとか、新しい技に挑戦して上を目指すことももちろんありますけど、それだけじゃなくて、スケートボードをスポーツと捉えず、遊びとして今後もずっと楽しめていけたらないいなと思ってます。

 

―これまでを振り返って、あれが一番掴んだチャンスだと思うのは?

X Gamesへの出場権を手にする大会があると聞いた時、行くしかないと思ったものの、やはり海外への渡航費や宿泊費などお金がかかるので難しくて。でもこのチャンスを逃したくないって親とちゃんと話して、何とかお金を工面してもらってその大会に出て、自分のやるべきことをやって出場権を手に入れたので、あれが今まで掴んだ大きなチャンスだったと思います。

 

―西村選手にとって、チャンスとは?

誰かにもらうものではなく、自分から掴みにいくもの。人生を生きていく中で、必ず一回は大きなチャンスが目の前に現れると思ってるので、その時は絶対にそれを逃さず、ちゃんと自分のものにしていきたいと思います。

 

―これまでを振り返って、あれが一番掴んだチャンスだと思うのは?

X Gamesへの出場権を手にする大会があると聞いた時、行くしかないと思ったものの、やはり海外への渡航費や宿泊費などお金がかかるので難しくて。でもこのチャンスを逃したくないって親とちゃんと話して、何とかお金を工面してもらってその大会に出て、自分のやるべきことをやって出場権を手に入れたので、あれが今まで掴んだ大きなチャンスだったと思います。

 

―西村選手にとって成功とは何ですか?

これから先何十年経っても、スケートボードに関わりながらお金を稼いで、アメリカで生活していくことが自分の中での成功かなと思いますね。

 

―成功してる人としてない人の違いがあるとしたらなんだと思いますか?

成功の概念ってその人によって違うし、周りから見て成功してないと思っても、自分が成功だと思えば成功だと思うので、はっきり決める物差しはないのかなと思います。

 

―西村選手から見て最も成功してると思う人は?

アメリカのプロスケーターの、ナイジャ・ヒューストンです。大会に出つつ、ストリートでの映像も撮ったりしていて、すごく大きな家に住んで、スケートボードでお金を稼いで生活しています。まさにアメリカンドリームですね。スケボーしてる人なら誰もが知ってるっていうくらいすごい人ですけど、まだ30歳にもなってないのに、レジェンドとしてずっと活躍し続けてるのは本当にすごいと思います。

 

―では、西村選手のようなスケーターを目指す人たちへアドバイスをするとしたら?

スケートボードって一度つまずくと、その壁を乗り越えるのが難しかったりするんですけど、そういう状況に陥っても諦めずにどんどん前に進んでいってほしいと思います。

 

―3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?

何とも言えないですね。海外に出る前は今こうなると思ってもいなかったですし、何がきっかけでどうなるかは本当に分からないので。私が思うようなプロになれているかもしれないし、なれてないかもしれないし。自分次第ではありますが、全く予想がつかないです。

 

―最後に、まだ実現していないことでこれから挑戦してみたいことは?

やはりストリートで映像を撮って自分のパートを出すことです。あまり長い時間をかけたくないですが、出すタイミングも大事だと思うので、様子を見つつ3年以内に出せたらいいなと思ってます。

 

西村碧莉 Information