BICULTURAL SOULS
# | Jan 11, 2024

Snoop Doggや、AIなど数多くの大物アーティストの演奏を務めるアメリカ人ベーシスト。4歳の時から移住を夢見た日本に拠点を移し、ロックバンド「SILVER KIDD」で全米デビューを果たす

Interview & Text: Minori Yoshikawa / Photo: Atsuko Tanaka

様々な分野で活躍する日本在住の外国人の方々をインタビューし、日本と祖国の文化の違いなどをお話し頂くコーナー“BICULTURAL SOULS”。第30回目のゲストは、アメリカ、ミシガン州フリント出身で、ベーシストのバビー・ルイス(Bubby Lewis)さん。日本に住みたいという夢を抱いたのはなんと4歳の時とBicultural Souls始まって以来の最年少。信仰深く、周りの人々に愛を注ぎ続けた両親の元に生まれ、14歳の時に教会でベースを弾き始める。19歳でベース界のレジェンド、アンドリュー・ゴーチ(Andre Gouchet)によって才能を発掘され、以後、チャカ・カーン(Chaka Khan)、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)などたくさんの伝説的ミュージシャンのベースを務めてきた。2012年にAIのツアーに参加してからは、毎年のように来日し、ツアーなどでベースを担当する。2022年5月、念願の日本移住を果たしたバビーさんに、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)から貰った大切なアドバイス、大好きな日本のアニメやゲームに纏わるこれからの夢、日本で始めたちょっと変わった趣味などについて聞いた。
PROFILE

ベーシスト バビー・ルイス / Bubby Lewis

14歳の時にベースを始め、最初のステージは父が牧師を務めるミシガン州フリント市の教会。ゲームデザイナーを目指しロスアンゼルスに引っ越すが、手違いにより入学できず音楽に専念することを決心。前向きな考え方と音楽に対する追求心に導かれ、厳しい業界の中でもトップクラスのミュージシャンとのステージを重ね世界最高級のベースプレイヤーとして認められる。これまでにスヌープ・ドッグ、ドクター・ドレー、ルーペ・フィアスコ、ジェネ・アイコ、AI、EXILE the Second、スティービー・ワンダーなど数々の大物アーティストとの経歴を持つ。

バビー・ルイス

ご出身はアメリカ、ミシガン州のフリントだそうですが、どんな場所、どのような環境で育ちましたか?

フリントはミシガンの大都市デトロイトから車で約1時間程離れた田舎街です。牧場が多く、映画館やショッピングモールなどの娯楽施設が一切ないような田舎で育ちました。


―小さい頃印象に残っている街の情景や、思い出を教えてください。

ミシガン州は全体的に、楠などの常緑樹の木々に覆われとても緑豊かで、フリントは草原が広がり、冬は純白の雪に覆われたとても美しい所です。思い出はたくさんありますが、両親とも旅立った今、家族で過ごした日々はとても大切な思い出ですね。

 

―当時はどんなことに興味を持っていましたか?

実はとても幼い頃から日本に興味を持っていたんです。4歳の時に「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」を観て、いつか日本に住みたいと強く思いました。登場人物たちが、「マツヨシ」とか「ニンジュツ」などの日本語を言うたびに興味を掻き立てられて。その後すぐ、日本のアニメも色々観るようになり、日本の色々な文化に興味を持つようになりました。

 

―どのようなアニメを観ていたんですか?

一番最初に観たのは「北斗の拳」で、その後は「ドラゴンボール」、「NARUTO」、「ONE PIECE」、「ガンダム」、「ポケモン」など、 観れるものは全て観ましたね。そこから、漫画とビデオゲームにもハマって、オタクの道を突き進みました(笑)。

 

―ご両親はどんな方で、どんな育てられ方をしましたか?

父が牧師だったので、生活の大部分を父の教会で過ごしました。両親ともに、とても優しく愛情あふれる人たちでした。信仰深く、関わる全ての人々に愛を注ぎ、助けていました。父は何をするにも、聖書とキリストの教えを軸として動いていました。

 

―では、バビーさんが中高生の頃のことを教えてください。どんな日々を過ごしましたか?

僕は5人兄弟の末っ子なのですが、兄が幼い頃から病気がちでよく入院していたので、学校を休んで家族で病院で過ごすことがとても多かったです。病院にいても父は全ての人に対して牧師として接していて、母も人々を助けることに尽力していたので、僕も二人についてお手伝いしていました。僕の両親は、誰しも明日があることは約束されていないのだから、目の前の人を助けることが最も大切な事だと信じていたんです。学校の勉強は遅れ気味でしたが、その生活はとても楽しかったし、宿題で補って単位はちゃんと取っていました。

 

―ところで14歳の時にお父さんの教会でベースを弾き始め、すぐに地元では神童として知られるようになったそうですね。世間にバビーさんの名が知られるようになるまでどのような活動をされたのですか?

19歳の時にLAに行くまではほとんど教会でしか弾いていなかったです。ベースはゴスペル音楽においては重大な要素ですし、教会で弾くのが僕の大きな喜びでした。

 

ちなみにLAに行ったのは、もともとはビデオゲーム・デザインを学ぶためだったそうですね。

大好きなビデオゲームのデザインをしたくてLAのカレッジに出願したんです。申請が通って入学金も納め、LAに引っ越したのですが、いざ学校に行くとなったらそんな申請は受理されていないと言われて。それまで電話で応対してくれていたスタッフも実際には存在しないということがわかりました。詐欺だったんです。期待を膨らませて大陸を横断する引っ越しをしたのに、入る学校はないし入学金も戻ってきませんでした。

 

―当時アメリカでそのニュースを聞いた覚えがあります。すごく大きな事件として取り上げられましたよね。大変でしたね。そんな状態から、どのように気持ちを切り替えて音楽のキャリアを積んでいかれたのですか?

まずは生活していくためのお金を稼ぐために働いてお金を貯めました。一年半ほど経った2007年に、やっとプロとして音楽の仕事ができるようになったんです。というのも、レジェンド的ベースプレーヤーのアンドリュー・ゴーチ(Andre Gouchet)が僕の才能を認めてくれて、色々な面でサポートしてくれたんです。

 

―その方とはどこで出会ったんですか?

LAに引っ越す2年ほど前に、毎年LAで行われる世界最大の楽器のトレード・ショー「The NAMM Show」に行った時です。僕は、とあるブースに置いてあったベースを目を閉じて弾いていて、弾き終わって目を開けたら、なんと2000人くらいの観客が集まって僕の演奏を聴いてくれていて。その一番前で聴いていた人がアンドリューだったんです。彼は、世界最高峰のベース・ビルダー、マイケル・トビアス(Micheal Tobias)を紹介してくれたり、当時まだ10代だった僕に、「LAに来ることがあったら連絡しなさい」と連絡先をくれました。

 

―伝説のベースプレーヤーの目にとまる演奏をされたバビーさんも素晴らしいですし、たまたまそこに居合わせたというのもご縁ですね。それからアンドリューさんとはどのような関係を築かれていかれたのですか?

その日からアンドリューは僕にとってお兄ちゃんのような存在になり、LAに引っ越してからもよくジャムセッションに呼んでくれたりしました。彼はマイケル・ジャクソンやチャカ・カーンなど、数えきれない伝説的なミュージシャンのベースプレーヤーとして活躍してきたけれど、才能を認めた若手のミュージシャンを応援して育てることにもとても熱心だったので「ゴッドファーザー」と呼ばれているんですよ。僕はその頃自由になるお金がなかったので、いろんな所を思うように行き来することはできなかったのですが、一年くらい経った頃にアンドリューから電話があって、音楽の仕事はできているかと聞かれたので、まだ一つもオファーが来ていないことを伝えると、彼は少し怒った様子で後でかけ直すと言って電話を切りました。45分後に本当に電話がかかってきた時には、もう来年のスヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)のヨーロッパツアーで僕がベースを弾くことが決まっていたんです。

 

―きっとこんな才能のある方が日の目を浴びていないことに腹立たしかったのでしょうね。そこからスヌープを始め、ドクター・ドレ(Dr.Dre)やスティービー・ワンダー(Stevie Wonderなどたくさんのトップミュージシャンのベースプレーヤーとして活躍されてきましたが、彼らから学んだことや思い出など印象に残っていることはありますか?

彼らからは、音楽業界の仕組や真実についてたくさん学ばせてもらいました。そういったことを教えてもらってなかったら、きっと痛い目に合うことで学ぶことになってたはずです。中でも一番役に立ったアドバイスは、スヌープの、「周りに合わせて自分を変えるな。自分を大切に守れ」という言葉。田舎の教会で信仰者として育ってきた僕には、薬物使用など闇の多いLAの音楽業界は未知の世界でした。周りに合わせようとは思っていなかったけど、彼のような人が直接「変わるなよ」と言ってくれたことは、誘惑の多い業界で生きていく上でとても励みになりました。お陰で未だに僕は、薬物もお酒も摂らず、飲むのは水と麦茶だけの真面目人間です(笑)。

 

Snoop Doggのライブで演奏するバビー

―そこからLAを拠点にプロミュージシャンとしてご活躍され、2012年に初来日されて。どういう経緯で来日が決まったのですか?

2012年の12月に行われたAIちゃんの「INDEPENDENT TOUR」にベースで参加したのが初来日のきっかけでした。その後少し空いて2016年の「THE BEST TOUR」の為にまた来日し、そこからExile the Secondのツアーにも参加しました。それからは毎年の様にツアーか、「Base Clinic」というベースプレーヤー向けのレッスンの開催で日本に来ていました。

 

―そのような日本のギグにはどのようにして参加が決まったのですか?

友達でスティービー・ワンダーやチャカ・カーンなどのミュージシャンのギターを担当したミュージシャン、Yohei Nakamuraから声がかかったんです。彼はアンドリューとバンドをやっていたこともあって友達になった人で。2012年の9月のある日、Yoheiから着信があったのに気づいたんですけど、留守電メッセージを聞く前から、これは何か日本に行ける仕事についてなんじゃないかと思いました。すぐに折り返したところ、「AIのツアーに参加しないか?」という話でした。僕は日本オタクなので彼女のことも知っていたし、即決で参加すると返事をしました。Yoheiは「でもスヌープとのツアーとかはどうするの?」とびっくりしてましたけど、僕はとにかく日本に行きたくて。

 

―来日前に持っていた日本の印象はどのようなものでしたか?

街が安全できれいということと、控えめで物静かな日本人というイメージを持っていました。

 

 

―実際来てみてどうでしたか?

人生が変わりました。僕だけでなく、妻の人生も変わりましたね。妻はそれまで飛行機に乗るのが怖くてパスポートさえ持ってなかったのですが、一大決心をして一緒に来たんです。僕が4歳の時から夢見ていた日本の地に実際立って、歩いて、二人一緒にこの地の虜になりました。安全で、夜遅くても外を歩けることや、日本食の美味しさにとても感動しました。しゃぶしゃぶや焼き肉、串カツなどの日本食が大好きになりました。

 

―それから10年、日本に移住することになったきっかけは?

僕にとっては、小さい頃日本の武道やアニメなどの文化に魅了されてからずっと夢見てきたことがやっと叶った感じです。移住に向けて3年間の公的準備期間を経て、遂に去年の5月に移住できました。新幹線に乗ったり、相撲観戦したり、富士山を眺めることができて夢のようです。

 

―そこまで日本への移住を夢見ていらしたんですね!移住してみて興味深く感じたことやカルチャーショックなことなどはありましたか?

いい印象しかないですね。日本は次の世代のことをとてもよく考えていて、子供をとても大切にしていると感じました。医療制度がしっかりしているところも素晴らしいですし、お年寄りのケアも充実しています。アメリカとは全然違いますね。妻が出産した時も本当に良くしてもらいました。

 

ー日本に来て始めた趣味はありますか?

東京周辺を散歩するのが大好きで、この1年で色々なところを歩きました。14時間程かけて山手線を一周したり、横浜のガンダムベースからお台場のユニコーンガンダムまで歩いた時は9時間かかりましたね。その他にも、市川から東京ディズニーランド、両国から豊島、荒川から品川、羽田空港から世田谷などたくさん歩いてきました。今度は東宝スタジオから東京ディズニーランドを歩いてみようと思ってます。疲れるとコンビニに寄っては大好きな麦茶を飲んで休憩できるので最高です。

 

東京の街を歩くのが趣味。山手線の外回りを一周したことも

―では、日本とアメリカ両方の音楽界でキャリアを積まれて、違いを感じることはありましたか?

日本の、アーティストに対する尊敬と認知の低さですね。ビジネスにおいて、アメリカやヨーロッパではミュージシャンへの報酬はとても高額なのに比べると、日本の報酬は少ないです。そして海外では報酬と別に交通費や食費などはもちろん、ツアー中の日々の手当ても出ますが、日本ではそういう支給もないです。また、日本の音楽業界はヒエアルキーに対する意識がとても高いと感じます。海外とは真逆で、伝説的アーティストはとても大切に扱われ、駆け出しのフレッシュなアーティストは軽くあしらわれることが多いです。でも、海外の音楽ビジネスでも変化が必要なこともありますし、どちらがいいとは言えませんが、日本には素晴らしいアーティスト達がたくさんいるのでもっと敬意を持ってもらえるといいですね。

 

―日本でのお仕事でよく覚えている思い出はありますか?

AIちゃんとのパフォーマンスですね。彼女と演奏する時は、毎回バンドメンバー全員がたくさん泣きます。AIちゃんの曲とパフォーマンスは人の感情を揺さぶることばかりで、歌詞がわからなくても全身から伝わってきて毎回泣かされています。他の人と演奏してこんなに泣いたことは一度もないですね。彼女は本当に特別な存在です。

 

AIのステージにて。娘たちと

―ところで、最近はロックバンド「SILVER KIDD」のメンバーとしてもご活躍されていますが、こちらはどのようなきっかけでバンド結成に至ったのですか?

SILVER KIDDは、日米両方で活躍を続けている世界的ドラマーFuyuからの提案で実現したバンドです。Fuyuと僕はなかなか会う機会がなかったのですが、共通の友達がたくさんいたため、お互いのことを知ってはいました。2021年に僕が日本移住の申請をしに来日した時に、Fuyuから「会わないか?」と連絡があって食事をして。彼も僕も同じようなフィールドで長年に渡って音楽活動をしてきたけれど、実はずっとロックバンドをやりたかったみたいで、僕が日本に移住すると聞いて、一緒にバンドをやらないかと持ちかけてくれたんです。僕もロックバンドにはずっと興味があったから一致団結しました。ただ、その後すぐパンデミックが起こって僕はアメリカに帰らなくてはいけなくなったので、1枚目のEPは、僕はアメリカ、後の3人は日本で録音したものを合わせて作りました。やっとコロナが落ち着いて、去年日本に移住してからはさらに活動を進め、Virgin Recordの傘下にあるAlpha Pup Recordsとの契約が決まって。去年の11月にファーストシングル「Die Pretty」がリリースされ、全米デビューしたところです。

 

 

―そちらの活動も楽しみです。それではここからは、アメリカと日本のカルチャーについてお聞きしたいです。まず、アメリカ人の国民性を教えてください。

いい人たちと、たくさんの悪い人たちとで構成された国ですね。それを変えることは難しいけれど、一人一人がいい人でいようと日々努力することが大切です。それは全世界でも言えることだと思います。

 

―一人一人の意思の持ち方がとても大事ですね。では、アメリカに行ったら是非行って欲しい、バビーさんが大好きな場所はどこですか?

ミシガン州ヒューロン湖に浮かぶ島の一つ、マキノー島(Mackinac Island)は空気が綺麗でお勧めです。植民地時代に建てられたコロニースタイルの街並みを見ることもできますよ。

 

―日本で大好きな場所はどこですか?

宮崎牛、松坂牛に仙台牛、美味しいものがあるところはどこも大好きです。「さわやかハンバーグ」に「世界の山ちゃん」、「風来坊」に「温野菜」、みんな最高です(笑)。

 

―英語で好きな言葉はありますか?

イエスの御名「Jesus」ですね。私たちは皆、イエスの御名によって救われました。

 

―日本語で好きな言葉は?

「やった!」と「オタク」です(笑)。あと、AIちゃんがよく使うので好きになったんですけど、鹿児島弁で「どうしたの?」とか「なにごと?」という意味の「ないごてけ?」も好き。他にもいろいろな地方の方言を学ぶのが好きです。

 

―バビーさんが好きな日本の文化や特性はどういうところですか?

各地方ごとに全く違う食べ物があることです。長崎のカステラやニンニクラーメン、北海道のカレーラーメンなど、こんなに小さな国なのに、行く先々でそこでしか食べられないご当地グルメを楽しめるのがすごいですね。

 

―逆に変化が必要だと思うところを教えてください。

あまりないですが、一つだけ挙げるとしたら、過労で精神的に追い詰められている人がたくさんいることです。もっと色々な事を経験してオープンに世界を見ることができたら楽になるんではないかなと思います。イエス・キリストは全ての存在の中心に宿ります。それを感じることができれば、問題は解決へと運ばれます。信じる心を少しでも持てたら、気持ちも楽になり、より幸せな生き方を見つけられると信じています。

 

―日本に住みながらも大事にしているアメリカの文化、習慣はありますか?

感謝祭やクリスマスなどがあるホリデーシーズンですね。僕は今でこそ減量に成功したのですが、以前は体重が180kgあったんです。日本に来てからは肉などの炭水化物と野菜、フルーツ、水と麦茶だけの食事制限で体重と健康を維持しています。でもホリデーシーズンだけは特別。伝統的な食事を楽しんでいいことにしています(笑)。

 

―日本以外に住んでみたい国はありますか?

デンマークやスイス、スウェーデン、ノルウェーのような北欧に住んでみたいですね。

 

―社会で起こっていることで気になることはありますか?

戦争や紛争が世界で起こっていることを思うと、とても心苦しいです。世界には必ず、善と悪が混在しています。残念ながら私たちは善よりも悪のほうに簡単に流されてしまうので、注意が必要ですね。

 

―これからやっていきたいことや夢はありますか?

実は長年抱き続けてきた夢があるんです。それは、日本のアニメかビデオゲームの楽曲を作ること。「ポケットモンスター」、「仮面ライダー」、「ゴジラ」などの楽曲を作ることができたら最高ですね。一生それだけやっていきたいほどです。

 

―これからの活躍が楽しみですね!ではバビーさんにとって音楽とはどういう存在ですか?

大好きなものです。僕は「共感覚」という、通常得ることのできる感覚以外に、他の感覚も感じる知覚現象を持っていて、音楽を聴くだけでなく、同時に観ることができるんです。共感覚は過敏症の一つで、多かれ少なかれ誰もが持っているものなんですが、僕の場合は常に音楽と一体化している感覚があります。寝てても起きてても、常に音楽と共にある感覚です。

 

—それでは最後に、バビーさんにとって成功とは何ですか?

家族といつの時も共にいることができて、彼らの安全と幸せを守ることができたら、それが僕にとっての成功です。若い頃は、高級車を乗り回したり、海岸沿いの豪邸に住むといったことが成功だと思ってましたが、今はそんなことはひとつも欲しいと思わないです。たまに娘をディズニーランドに連れて行ったり、妻とディナーに出かけたり、一緒に映画を観に行ったりすることができれば大満足です。

 

 

バビー・ルイス Information

Visible Sound×Tomo, Jino, Bubby, Ken(ライブペインティング)

1月12日(金) 19:00開場/20:00開演

会場:楽屋

住所:東京都目黒区上目黒 2 – 15 – 6 Tel:03 – 3714 – 2607

https://www.rakuya.asia/access

メンバー詳細

Tom Reyes(ペインター)  https://www.facebook.com/tomreyesTHESUSH

長谷部智之 (ドラム) http://www.tomohasebemusic.net

Jino (ベース)  https://www.jinobass.com/

Bubby Lewis (ベース) https://www.bubbylewis.com/

相原憲 (キーボード)  https://ken-aihara.com/