IMPRESARIO KEYS
#14 | Jul 30, 2022

暗黒から這い上がった、WBO世界ミニマム級王者。目標を達成した瞬間の自分をリアルに描き、そのために必要な行動の細分化と実行を続ける

Interview & Photo: Atsuko Tanaka / Text: Atsuko Tanaka & Yukie Hashimoto

「IMPRRESARIO KEYS(インプレサリオ・キーズ)」第14回目のゲストは、プロボクサー の谷口将隆選手。中学時代にボクシングに出会い、高校生の頃から本格的に選手としての活動を始め、インターハイではベスト8を記録。その後龍谷大学に進学し、ボクシング部のキャプテンを務め、岐阜国体と長崎国体で準優勝、全日本選手権で2度のベスト4入りを果たした。大学卒業後はワタナベボクシングジムに入り、1年目は7試合全勝するも、翌年の日本ミニマム級王座決定戦で敗退してしまう。そこからボクサーの転落人生が始まったと言う谷口選手。その後、コーチングを活用してどのような変化を遂げ復活していったのか、3つの事例を用いて解説していく。
PROFILE

プロボクサー 谷口将隆

1994年1月19日 兵庫県神戸市で生まれる。 小学6年生で 極真空手を始め、基礎を築き、 中学1年生で垂水フィットネスボクシングに入会し、ボクシングと出会う。 高校時代は神戸第一高等学校でボクシング部に所属し、インターハイでベスト8になる 大学時代は龍谷大学でボクシング部主将を務め、岐阜国体、長崎国体で準優勝し、全日本選手権で3位の成績を2度収め、大学卒業後、ワタナベボクシングジムでプロデビュー WBO世界ミニマム級チャンピオン 現在の戦績は19戦16勝3敗(11KO)

スポーツメンタルコーチ柘植晴永

一般社団法人フィールド・フロー共同代表 メンタルコーチ。常識に捉われず、人の可能性は無限大だということを軸に一人ひとりの個性を大切にしながら人生全体を応援。思考・感情・身体の繋がりを探求するワークや 視覚、聴覚、体感覚等、感覚に働きかけるセッションでサポート。自分を深く探求するワークショップ等も開催。子どもからトップアスリート、選手や指導者、保護者含め幅広く関わりながら、保護者や指導者がもっと楽しく子どもたちと関われるコミュニケーションツールとしてコーチングを広く知ってもらう為の活動なども行なっている。

【未来へのタイムラインを歩いてみる】~目標を達成する瞬間の自分をリアルに描いてみる~

『なりたい自分の姿をリアルにイメージして、そうなるために今何が一番必要なのか、大事なのかを考える』

谷口選手が初めてコーチングを受けたのは、2020年の12月、日本ミニマム級王座決定戦の約2週間前だった。合宿中にマネージャーからメンタルコーチングを勧められ、勝つために出来ることはなんでもしようという想いのもと、受けてみることにした。

まずは、子供の頃をお伺いしたいですが、どんな子供だったか、好きだったことや夢中になったことなど教えてください。

結構活発で外で遊ぶのが好きな子でした。でも、人見知りでビビリだったし、体が小さかったんで周りによくいじられてました。

子供の頃

スポーツは何をされてましたか?

小学3年生の時に野球を始めたんですけど、センスがなくて3年間ずっとベンチでした。その後6年生で極真空手に興味を持ってやってみたけど、これも全然センスがなくて、練習に行くのがめっちゃ嫌でした。すごい弱くて、年下の女の子に蹴られて鼻血が出たりしたこともあって、向いてないと思って結局1年半くらいで辞めました。

ボクシングに出会ったのはいつ頃ですか?きっかけは?

中学に入ってからですね。最寄駅にあるボクシングジムに友達が通い始めて、その頃僕は「ろくでなしBLUES」っていう漫画が好きで感化されてた時期だったんで、俺もやるってなって。

やってみてどうでしたか?

最初はフィットネス感覚で楽しかったです。でも初めてスパーリングをした時にやられちゃって、楽しくないって思い出して。ずっとサンドバックを打っていればいいかなって思ってたけど、続けていくうちに良くなっていきました。

それで高校時代も続けて?

高校を選ぶ時に男子校の私立か、共学の私立に行くか迷って、結局共学を選んだんですけど、その学校にたまたまボクシング部があったんです。そこから本格的にボクサーとしての活動を始めました。でもそのボクシング部は過去に2回インターハイに行った人が一人いたくらいで、全然強くなかったんで、教室のワンフロアを使ってリングもないところで練習してました。

自分の中で実力がついてきたと感じるようになったのはいつ頃から?

高2でインターハイに出た時ですかね。僕の階級は他の階級より人数が少なくて30人くらいだったんで、ベスト8になれました。世間を知らない田舎の高校生だったし、みんなの強さを目の当たりにして、それからさらに真面目に打ち込むようになって。その後高3のインターハイでは1回戦負けだったんですけど、たまたま龍谷大学から誘いを受けて、大学に行ってプロになりたいと思うようになりました。

当時の龍谷大学はボクシングが強かったんですか?

僕が入った時は強かったですね。1年生の時に関西のリーグ戦で優勝して、全日本決定戦では2位になりました。その後はだんだんと部員も少なくなっていって、4年の時は同期が誰もいない状態で、自分がキャプテンを務めました。部員をまとめつつ、自分も勝つ練習もしないといけなかったんで、しんどかったですね。学業との両立も大変でしたけど、この頃にボクシングの底上げが出来たんじゃないかなと思います。優勝は出来なかったものの、準優勝が2回(岐阜国体と長崎国体)と全日本選手権でベスト4が2回取れたんで、トータル的にすごい強くなったと。一人で後輩たちをまとめ上げるのに精神力がついたのも大きかったでしょうね。

大学生の頃

そして卒業後にこのジムに入られて。

大学4年の時に出たリーグ戦で、今同じジムに所属している京口選手と試合をして、ジムの人は京口選手をスカウトしに来ていたんですけど、対戦相手の僕も両方欲しいってなって。話を聞いて入ることを決めて、卒業して2日後には上京しました。

それが2016年3月。それからいろんな試合に出るように。

1年目は7試合。7試合という数は異常ですね。大体今だと年に2、3回です。トレーナーが1年目は経験を積ませるためにたくさん試合に出るっていう考えで、フィリピンやタイに行ったりして。慣れてないんでそれが当たり前だと思っていたし、すごい充実してましたけど、今思い返すとよくやったなって思います。でも全勝することが出来ました。2年目は5試合出たんですけど、日本タイトルマッチ(日本ミニマム級王座決定戦)で1敗しちゃって、そこからボクサー人生が転落していきました。

プロ選手として活躍し出した頃

全勝し続けてきた後の1敗は、やはりダメージが大きかったですか?

大きかったですね。同期の京口選手はとんとん拍子にアジアのチャンピオンになって、そのまま世界チャンピオンになったんで、すごい焦りと嫉妬がありました。そして3年目の2018年4月に怪我をしてしまって、9ヶ月間試合が出来なくなって、めっちゃ落ち込みましたね。その後怪我が治って、11月にタイトルマッチ(WBOアジアパシフィックミニマム級王座決定戦)を組んでもらって、そこでようやく勝てて初めてタイトルを取得出来ました。それでその勢いのまま、2019年の2月に世界挑戦(WBO世界ミニマム級タイトルマッチ)したんですけど、何も出来ずにやられちゃって。だけど、そこからいい方向に変わっていきました。

左:アジアチャンピオン時代 右:世界挑戦した時

ご自身の中で何か気づきがあったんですか?

それまでの2敗はどっちが勝ってもおかしくない試合だったんで、負けた原因を自分のせいにせずに、運とか審判の好みだとかって他のせいにしてたんですね。だけど3敗目の時は何も出来ずに負けたんで、自分に問題があると気づいて。そこから基礎からやり直したり試行錯誤して、9月に再起戦をした時にいい結果を出せたんで、自信がついて暗黒人生から戻ることが出来ました。

コーチングに出会ったきっかけは?

2020年の12月に日本タイトル(日本ミニマム級王座決定戦)に向けて合宿で練習していた時に、マネージャーが僕の動きを見て、身体能力はすごい高いのになんで勝てないのかって考えてくれて、メンタルの力をつけていくのはどうかって提案してくれて。世界チャンピオンになりたかったから、出来ることはなんでもしようと思ってやってみることにしました。

抱えていた問題

■厳しい練習はしていたが、根性論だけだった

厳しい練習メニューを思いっきりやり続けていれば、試合で成果が勝手に出ると思っていた谷口選手。当時は、「今日の出来は良かった」「今日の出来は悪かった」と、その日の調子に一喜一憂しているだけだった。

谷口選手:そもそも考えるレベルがすごく浅かったんです。どこがダメとか、良かったとかは考えていなかったので、自分でもよくわかってなくて。練習の取り組み方以前の問題でしたね。ただ身体を動かして勝つという根性論でした。

解決方法

■世界チャンピオンになった瞬間の自分をリアルにイメージする

そこでまず取り組んだのが、目標の世界チャンピオンになるまでの道のり、そしてチャンピオンになっている自分をリアルにイメージしてみることだった。

谷口選手:それまでは、「世界チャンピオンになる」とは考えていましたが、「なった自分」というのはイメージ出来ていませんでした。そこで未来へのタイムラインを、「これ位までにこうなる」「ここでクリアする」などと歩いて行き、世界チャンピオンになった瞬間の自分の状態を具体的にリアルに描いてみました。すると、「なんかキラキラしてるな」というすごくエネルギッシュなイメージが湧いてきて。そしてタイムラインを振り返り、世界チャンピオンになった自分から今の自分を見て、何が一番必要なのか、大事なのかを考え、さらにそうなるにはどうすべきか、何をした方がいいのかを考えました。この時、自分には物事を深く考えること、そしてずっと考え続けることが大事だと気づいたので、それからは考えることを止めないようにしましたね。

未来へのタイムラインを書き、視覚化した

世界チャンピオンになるために必要な要素を書き出した

得られた結果

■思考のリスト化を活用し、練習の質が格段に上がった

今ある漠然とした考えを深く洞察し、細かくまとめていく「思考のリスト化」の必要性に気づけたことで、練習の質が格段に上がった。

谷口選手:それまでは、練習の課題や目標を持たず、練習する理由も求めていなかったんです。今思えば、ただ厳しい練習をし、時間を浪費していただけでした。それからは、毎日の練習に目標・目的を持ち、「このメニューはなぜやるのか?」「どこに効果があるのか、どう強くなるのか」などと明確にしていける様になり、練習の質が大きく変わりました。例えばスパーリングは、その日の調子で練習の質の良し悪しが決まっていたのですが、今はその日の課題を決め、調子がどうであろうとその課題をクリアできればOK、という風に出来ていますね。

コーチ補足

■目標を達成した瞬間の自分を、いろいろな側面からリアルに描く

柘植コーチ:目標である世界チャンピオンになった瞬間の自分を、いろいろな側面からリアルに描いてもらいました。「チャンピオンになった瞬間の自分はどんな自分なのか?」「どんな表情・姿勢をしているのか?」「周りにはどんな人たちがいるのか?」「それが実現していたら何が起きているか?」など、谷口選手が自身に問いかけてみると、「すごくはつらつとして、キラキラで、周りがニコニコしていて」というイメージが湧いたようです。今回の様な目標が達成する瞬間の自分のイメージや、練習の目標・目的の必要性などを普段は考えていないという方でも、感覚の鋭い方は、見つけられた時、それを落とし込む感覚がとても早いと思います。きっと元々自然と無意識でやっていたことを、意識的に把握していく感じなのでしょう。意識的に自分のことを知っていくことで、自身をよりコントロールしやすくなるのだと思います。

次は、今まで一番印象に残っているコーチングについて

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