HF/#1 Vol.3 | Jul 9, 2013

決断の時

AK

Text: Miwa Tei / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

際立った能力と貪欲な野心で人生をクリエイトする人を追い続けるHIGHFLYERS。Vol.01は、日本からNY、そしてNYから世界に羽ばたいたジャパニーズディーバAKさんの登場です。ダイレクトに人の心を動かす音楽を表現し続ける彼女の存在感はワンアンドオンリー。アーティスト活動と並行して、現在は夢を持つ子供たちや個人、企業を支援する「I FOR DREAM」をNYで設立。高い視野と広い心にもとづく活動は、多くの共感と感動を呼んでいます。“行動の人”AKさんが歩んできた夢の軌跡と、自身で拓く未来とは?!モチベーションの高い、その生き方に迫ります。
PROFILE
AK

シンガー/ソングライター/プロデューサー AK

日本からNY、そしてNYから世界に羽ばたいたジャパニーズディーバAK。14枚のオリジナルアルバム、シンガーへの楽曲提供、プロデュースなど、200曲以上にもなるリリースを経て、現在NYで活動中。ジャズ、映画音楽、クロスオーバーなどを聴き育ち、8才から曲を書き始める。ポリスターから柿原朱美としてデビュー。同時に今井美樹など他のシンガーにも曲を提供。1998年EMI Japanに移籍。アーティスト名を”AK”とし、セルフプロデュースアルバム “YES”、 “DREAMIN” 、“LOVE”、 “AK TRILOGY”をリリース。“AK TRILOGY”は台湾でもアルバムチャート1位に輝く。2001年より活動の拠点をNYに移し、Francois K & Eric Kupperにより”Say That You Love Me”がリミックスされ、NYの King Street Soundsより全米デビューシングルとしてリリースされ、世界中のチャ-トで堂々の1位を数多く獲得。以来、全米と日本からリリースを続け、それぞれがトップチャートに昇る。2008年世界的レジェンドDJのDanny Krivitと結婚、コラボレーション作品も多数。2010年夏にEMI JapanからリリースされたAKの最新アルバム、初のダンスコレクションアルバム、”SAY THAT YOU LOVE ME - Best of NY Sweet Electro’が、iTunes Japanで見事、シングル、アルバム共に、ダンスチャート1位に輝く。2013年4月にスタートしたNHK の新番組“キッチンがゆく”の主題歌“奇跡はここにある”の作詞、作曲、プロデュースを手がける。東日本大震災後、NYで日本支援を様々な形で継続。 TOGETHER FOR 3.11代表。被災地を数度訪問し、15箇所以上の子供コンサートを行う。2013年春、子供達の夢を育てるI FOR DREAMを設立。

決断の時

 夢に向けてのスタートラインに。そこから先の、デビューまでの道のりを聞かせて下さい。

それは同時に、茨の道の始まりでもあるんですけどね(笑)。上京してすぐに、ちょっとだけシンガーソングライター養成所的な所に入りました。これまで書き溜めた膨大な曲たちを単純に聴いてもらうという作業のために、ですけど。そしたら知らない間にその養成所関係者がレコード会社に私の作品を持ち込んで「君と契約したいところがあるから」なんて、裏づけの無い話を突然持ってくるわけです。右も左もわからない私に。

 あまり良くない大人のかおりがします(笑)。

フフフ。同時に、軌道修正してくれる真っ当な大人も業界には沢山いるわけで。契約書の在り方を示唆してくれるマネージメント会社の方を紹介して頂きました。そこを通し、正攻法でレコード会社との交渉をした結果、7社からアルバムデビュー契約依頼のディテールを頂きました。それが大学2年の時。考え抜いて、ポリスター(株式会社ポリスター)と正式に契約をしました。

 ポリスターさんとの契約の決め手は?

私の作った曲たちを「ヨーロッパのニュアンスを感じるから、アルバムをフィンランドで録りたい」と具体的な提案をして下さったことです。大学3年には1stアルバム制作のためにフィンランドへと飛んでいました。

HIGHFLYERS

 実感として早い!その経験は、後に拠点を移す海外に開眼するフックになりましたか?

それが全然!パスポートを取って初海外がレコーディングだったし。何といっても英語がまったくわからなかったので、今では信じられないことに私、レコーディング中に自分の発言を一言もしていないの。現地のメンバーに夢中で付いていくという感じで。でも、フィンランドという神秘的な環境で行われたレコーディングは順調に進み、すごくいい形でデビューできました。

 となると、レコード会社的にもAKさんにとっても、2ndアルバムへの期待とモチベーションは俄然高まったのではないでしょうか?

それが2作目の製作過程で、両者の間に深い溝が生まれてしまったのです。私は自分の内側から自然と湧き上がる詩と曲を書いてきたし、これからもそのスタンスは変えたくない。でも、レコード会社には、ヒットチャートに乗せるための、彼らが求める“柿原朱美”像があるわけで……。大変申し訳ないことですが、契約を途中破棄させて下さいとお願いしました。二度とデビューはしないし、これからは音楽は自分のために、趣味でやっていこうとその時一度誓うんです。

 ブレずにやり続けてきた音楽の道を一度自ら断ち切った最大の理由とは?

私にとって音楽は命と同じくらい大事なことだから。音楽で傷つくぐらいなら、やらない方がいいと思ったからです。

 その頃は、どんな日々を過ごしていたのでしょう?

自分のために楽曲を書きながら、音楽以外に誘われたことも、柔軟にトライするように。モデル業や役者めいたこともやったり。そういえばその頃、モデルのお仕事の現場に、たまたまモデルエージェンシーの社長さんがアテンドされる日があったんですね。その方から「ちょっと手相を見せて!」と言われるままに掌を預けたら、「貴女は音楽の世界に戻る人」と断言されたことがありました。当時は、音楽業界への復帰は全くリアリティが無かったのですが、その後そのとおりになるのですから、人生は予測不能で面白いですよね。

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