道を創る生き方
再び音楽業界に戻るきっかけとなったストーリーを教えて下さい。
音楽業界と距離を置いた後も、私が曲を書き溜めていることを知っている音楽・テレビ業界の方々から再デビューのお話を頂くことは度々ありました。でも、「音楽を愛しているからこそ、自分のスタイルを変えてまでやりたくない」という私の気持ちは変わらない。でもある時、「どうしても君の楽曲を聴かせたい、歌わせたい女性シンガーがいるのだけど聴かせていいかな?」というリクエストがあって。「その方が本心から歌いたいと思うなら、どうぞ。但し、その方のために書き換えるというのはやりません」という条件で承諾したことがありました。その女性シンガーは、私の曲の世界観に感動してくれて、私が作った曲をこれからも歌いたいと言ってくれた。そうして引き合わされたのが、まだデビューしたての今井美樹さん。美樹さんが大切に歌ってくれた私の曲がヒットすると、連鎖するように楽曲提供の依頼が続出し、これまでとは違う、新しい風が吹いてきたんです。
今井美樹さんはもとより、原田知世さんや南野陽子さん・・・・・・。多くのシンガーへの楽曲提供やプロデュースは200曲以上!自分のために書き溜めていた曲が、違うアーティストの存在を通し、世に出ていったのですね。
同時に、柿原朱美のスタイルを変えずに一緒に作品を作ってゆけるレコード会社をあたってくれるプロデューサーの方もいらして。
結果数社から契約依頼がありました。何とその中には、かつて私から契約を途中破棄したポリスターからのオファーも。私の創作スタンスを優先させるという条件で双方で歩み寄り、心機一転。ポリスターから再デビューすることになりました。そこから7年間在籍し、計9枚のアルバムをリリースしました。
再デビューまでの経緯で体得したことはありますか?
再デビュー契約をするにあたって、ある方から言われた言葉は、今も私の心の羅針盤になっています。それは「貴女のような才能を持った人はいっぱいいる。もっと才能がある人もいっぱいいる。でも、どうして貴女がこうしてアルバムを出せるのか?それは貴女が行動して、曲を書いて、人に聴かせる努力をしているから。たとえ才能があって、シンガーソングライターになりたいと言っていても、アルバムを出せていない人は、夢を語るだけで曲を書いてない、人に聴かせていない、道を作っていないから」という言葉。物事を達成しようとする時、私は、誰かがこれをやってくれるだろう、という思い込みをまず捨てるようにしているんです。誰かから誘ってもらうのを待つよりも、自分から呼び込む。能動的になればなるほど可能性の扉は開くんですよね。
撮影協力: GERMANO STUDIOS NEW YORK