HIGHFLYERS/#14 Vol.2 | Nov 19, 2015

植物に関して、「俺は天才」だと感じる理由

Text: Kaya Takatsuna/ Photo: Atsuko Tanaka/ Cover Image Design: Kenzi Gong

甲子園を目指す高校球児だった頃の清順さんは、植物に全く興味がありませんでしたが、留学後、家業の修行に入り、程なくして職人としての才能が他の人よりもずば抜けていることを悟ります。Vol.2では、野球部時代を経て、職人として天才的能力を発揮し始めた頃のエピソードや、海外の尊敬するプラントハンターについて伺いました。
PROFILE

プラントハンター 西畠清順

1980年 生まれ。幕末より150年続く花と植木の卸問屋、花宇の五代目。 日本全国・世界数十カ国を旅し、収集している植物は数千種類。 日々集める植物素材で、国内はもとより海外からの依頼も含め年間2000件もの案件に応えている。 2012年、ひとの心に植物を植える活動"そら植物園" をスタートさせ、 植物を用いたいろいろなプロジェクトを多数の企業・団体などと各地で展開、反響を呼んでいる。
著書
“教えてくれたのは、植物でした 人生を花やかにするヒント”(徳間書店)
“プラントハンター 命を懸けて花を追う”(徳間書店)
“そらみみ植物園”(東京書籍)

野球では突き抜けなかった才能が、家業で開花

小さい頃は野球少年だったそうですが、植物よりスポーツに興味があったのですか?

興味があったのは野球、拳法、格闘技ですね。昔の盟友、相棒はプロボクサーですし、オーストラリアに留学中はオーストラリアで一番強いと言われたリック・ディディオという格闘家に弟子入りもしました。

その頃はスポーツや格闘技の選手になるなどの夢はありましたか?

夢を一瞬見た時期はあります。高校球児の頃は、甲子園に出たいと思っていましたし、大学の野球部からスカウトされたこともありました。でも要はまあまあなレベルなんですよ。スカウトに声をかけられた時に、一瞬で「絶対成功せえへん」って思ったんです。副将もしていたし、筋力、体力がぶち抜けていて、成績も一番良くて、野球の才能じゃないところで何となく優等生なんですけど、常人の中のまあまあいい方っていうだけで、世界を動かすような超一流のレベルと自分は雲泥の差があることは分かっていたんです。同じ世代では、プロになった松坂さんとか色々いましたけど、圧倒的な差なんですよ。高校一年生の時に、ZETTというメーカーが全国の野球部を回って行っていた体力測定で、俺は背筋力が200くらいあって、うちの部の中ではダントツなんですけど、「横浜高校の松坂くんていう子は、君より1.3倍くらい強いよ」って言われて。その時彼はまだ無名だったから誰も知らなかったけど、すげえヤツおるなって、上には上がいることがよく分かったんです。自分は上昇志向が強いし、好きなことには努力出来るタイプだから野球やっても格闘技やっても頑張るんですけど、突き抜けたクラスっていうのは別次元。自分がそれで生きて行くんだって1ミリも思えなくて。ギターやってもサーフィンやっても同じで、どうせまあまあのところから抜け出せないっていうのがあったから、その後も夢はほとんど見てないです。そんな感じで来たけど、植物に出会った時に「俺は天才」って思ったんですよ。

「俺は天才」と感じたのはいつ頃ですか?

実は、留学終わって、仕事し始めた一年目くらいからすでに分かっていました。木登りが異常に上手かったり、枝選びの目利きが凄かったりして、「俺、天才」って思ったんですよね。他の人達がものすごいスローモーションに見えて、俺はさらに上のレベルだっていうのを感じました。

それは ご先祖から受け継いだDNAということですか?

そうかもしれないですね。親父の動き見たら、やっぱり他の20年、30年経験ある人達より全然ぶち抜けてるなって思ったけど、俺はその親父にさえも余裕で勝てるって思ったんですよね。思った時点ではまだ勝ってなかったかもしれないですけど、もうすぐにイメージ出来たっていうか。

お父様は清順さんの才能を小さい頃から分かっていたと思います?

いや、分かってなかったと思います。親父も全然レベル違うなって思ったけど、俺はまた違う次元にいると思って。まあでもこんなこと言ったら、調子に乗っていると思われますけど、事実なんですよ。

留学はお父様から好きなことをやってこいと言われて行かれたんですよね。いつかは自分の跡を継ぐということが前提だったのですか?

はい、そうです、継ぐ気はもちろん昔からありました。オーストラリアの後、ポリネシアや東南アジアの色んな国を回って、ボルネオ島に行ったのですが、その時に出会った世界一大きな植物に衝撃を受けたんです。今までで一番ぞくっとしたというか、どかーんと弾けたように、“植物すげ〜っ!”って問答無用に思ったんです。シチュエーションが手伝っていたこともあるかもしれないけど、ずば抜けて違いましたね。

それで、もう自分は絶対この道だって決めたのですか?

そこまでまだ冷静に考えてられてなくて、ただすごいって思ったまま帰ってきたのは覚えています。こうして自然の中で植物を探して見つけるのが俺の仕事やって思ったら、もの凄く面白いかもって思って。帰国後は毎日山に行って、こういう枝は売れるとか、こういう場所にある木を探さなあかんとか、毎日入って来た注文を見て、「じゃあこれだったらこの山やな」とかいう仕事をし始めたら、それが自分の気性とはまったんでしょうね。ほんまに夢中になって、木を追いかける毎日をずーっと続けました。

そこから10年以上仕事をしている間、どういう時に自分は天才だと感じましたか?

例えばお稽古で先生が活ける琵琶の枝を3000本用意する場合、市場に出ているのは一本60円くらいで売買されていますが、オーダーでうちが受けるのはいい枝ばかりなので、105円とか150円で仕入れてもらえるんです。でも俺が切った木はもっと良いから、どんどん値段が高くなって、一本400円で売れるようになる。清順の切ったやつが欲しいと言われるようになってきて、生け花流派の一つが琵琶を仕入れるのに500円出してもいいなんて。俺のは異常にいいのが分かったし、お金として評価に表れた時に、何か違うな〜っていうのを思い始めました。

ご自身では何が違うと思いますか?視点が違うのですか?脳の回路でしょうか?

脳の回路が違うと思います。こういうところに行ったらこういう枝が取れるとか、こういう木のてっぺんはきっとこうなってるだろうとか、何十年も繰り返して分かってくるものが、俺は一回経験しただけで予測出来るんです。それがDNAというものなのかもしれないけど。

今まで目標にしてきたプラントハンターはいますか?

ほとんどいないですけど、1人だけすごく尊敬していて、こういう風になりたいって思った人がいます。タイの王族が経営するノン・ヌッ・トロピカル・ボタニカル・ガーデンという植物園で働いていたオーストラリア人のマイケル・フェルロです。

マイケル・フェルロ氏と

彼はどういうところが違ったんですか?

まず植物への造詣が半端ないんですよ。どの国のどの植物を見ても大体分かるし、膨大な知識と記憶力、そして植物に対する愛情も半端なくて。英語の通じないニューギニアにプラントハンティングしに行くことになった時は、ニューギニアの言葉を冗談も含めて一週間で丸暗記して覚えるんですよ。マイケルの周りにはいつも現地の人が手助けしてくれる空気が流れていて、そうやって入手困難な植物とかも手に入れてくる。マイケルの人柄に皆がとりこになって、植物が集まるのがすごいなーって思って尊敬してます。プラントハンターは、熱帯植物に強い人、中国に強い人、温帯系の植物に強い人など、それぞれ専門分野がありますが、マイケルは幅広く全世界の植物を知っているところも凄く好きです。

清順さんに専門はありますか?それともマイケルさんのように全般ですか?

全般を目指してます。俺はマルチでいたいと思うし、砂漠の植物も熱帯植物も、日本の四季があるような温帯系の植物も好きだし、どれが一番とかないから。

次回へ続く

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