HF/#11 Vol.2 | May 21, 2015

映像に目覚めた瞬間から、それを生業とするまで

関和亮

Text: Takeyasu Ando / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

独創性あふれるアイデアの源泉はどこでどう形成されてきたのか。今回はそれを探るべく関さんの生い立ちから成長について探る。感性を大切にする両親の方針により、関少年はピアノや野球に明け暮れながら育った。高校時代、MTVを観て海外のヒットチャートに触れ、この頃ミュージックビデオとも出会う。やがて運命は確かにつながれていき、関さんは若くして念願だった映像の現場で働くことに。
PROFILE
関和亮

映像ディレクター関和亮

1976年生まれ 長野県小布施町出身 98年にトリプル・オーに参加。00年より映像ディレクターとして活動。 04年頃よりアート・ディレクター、フォトグラファーとしても活動、現在に至る。PerfumeのMVおよびアートワーク全般のほか、サカナクション、OK Go、ASIAN KUNG-FU GENERATION、木村カエラなどのMV、近年はCM・ショートムービーなども手がける。

両親は「勉強しなさい」とは言わなかった

独自の作風はどのようにして見つけられるのでしょうか?

妥協せずにやりきる。これが一番な気がするんですけどね。妥協せずにというのは、苦しめというわけじゃなくて、むしろ逆。とことん好きになることです。ミュージックビデオを作るのだったら、その楽曲を好きになる。とことんその音楽を聴いて、好きになることです。ま、音楽は聴くだけでいいんで、ずっとリピートして聴いてればいろんなものが入ってくるから、絶対好きになれますよ(笑)。僕自身この仕事を続けてこれたのも、「好きこそものの上手なれ」。これに限ると思います。実際に僕、みなさんがはやし立ててくれるほど特別に絵とか描けないし、美術の才能、センスとか全くなくて、中学の頃の美術や小学校の時の図画工作なんて、成績はいつも1とか2でしたよ。決して特殊な能力があったわけではないんですよね。

逆に子どもの頃、秀でてたものは何ですか?

スポーツじゃないですか。両親に「スポーツと音楽を大事に」と子どもの頃から言われていて、野球やりながらピアノを習ったりしてました。もちろん音大に進むとかいうレベルではなくて、あくまで習い事でやってた程度なんですけど、周りにそういう人はいなかったですね。大体ピアノやる子は他に教養系の習い事もしてたりすると思うんですけど、スポーツやりながら、ピアノのバイエルンを弾いてるなんて、いませんでしたよ。なので、音楽に興味を持つのも自然な流れでしたね。小中高と、洋楽、邦楽ジャンルを問わず聞くようになっていました。

ご両親の話をもう少し詳しく。知育よりも感性に重きを置いてたのですか。

とにかく音楽とスポーツを好きになりなさいと。あまり勉強しろとは言われませんでしたね。勉強が分からない時は、母と父が家庭教師のように教えてくれることもありましたけど、勉強しなさいと口うるさく言われた記憶がないんです。僕のやりたいことや将来に干渉してくることもありませんでした。アドバイスをしてくれることはありましたけど。

今では関さんが一児の父ですね。お子さんへの教育で意識していることは?

まだ2歳半なので、妻と一緒に僕たちが親になる勉強をしているところです。やはり自分の両親は手本になってくるとは思います。良く育ててくれたのでね。でも妻と僕の家庭だし、そこに新しいものを作っていきたいですね。とにかく今は子どもの教育というより、自分たちがどういう親になるか思索している最中です。

好きなことを仕事にしたいと開眼したのは、いつ、どんな時でしたか?

高校の時だと思います。単純に音楽が好きで、当時の情報源としてMTVのようなチャート番組があって、映画もよく見ていました。その時期にミュージックビデオの存在を知ったんです。音楽とストーリーとビジュアルを結合させる。こんなに素晴らしい仕事があるんだって思いました。未来が拓けた瞬間でしたね。

高校生で映像制作という表現を見つけた時、最初にご自身が踏んだステップというのは?

そのあと大学に入ったんですけど、学校になじめず、3ヶ月くらいで辞めてしまいまったんです。3ヶ月で辞めたもんだから、とにかく暇だった。入学時に大学近くの居酒屋でアルバイトをしてたのですが、そこの店長さんの親しい友人で映像の監督をしている方がいるという。「お前、その世界に行きたいの?じゃあ紹介してあげようか」ってその方を紹介して頂いたんですよ。で、居酒屋のバイトも続けながら、たまにVシネマの撮影現場に呼んで頂いたりして、この仕事に足を踏み入れる機会を得ました。一応翌年の4月から映像の学校にも通い始めたんですけど、現場行ってる方が楽しいし、現場では若いから重宝されるし、ほとんど学校は行かないまま、2年を過ごしました。その間に現在所属しているトリプルオーの社長とも出会って、卒業と同時にお世話になることになりました。

3ヶ月で終わってしまった最初の大学生活が、その後の道を加速させることになったんですね。

そうですね。今思うと早く現場でいろんな経験を積めたから、本来新卒でたどり着いてたであろう、23、4歳の頃には、既にディレクションをやらせてもらえるようになっていました。結果、キャリアを加速させる形になってましたね。

次回へ続く

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