HIGHFLYERS/#13 Vol.1 | Sep 3, 2015

30周年記念最新アルバム「Sunaga T Experience」と須永流DIY精神

須永辰緒

Text: Kayako Takatsuna/ Photo: Atsuko Tanaka/ Cover Design: ess

日本のDJ界の進行形レジェンドとも言える、須永辰緒さん。80年代から、東京のクラブシーンを、ヒップホップ、パンク、ジャズ、ハウスなどジャンルを超えて音楽を紡ぎだし、そのセンスと感性は、今なお、国内に留まらず、海外からも注目を集め続けている。DJ生活30周年を記念し、今年5月にはニューアルバム「Sunaga t experience」を発表。DJとしての活動やアルバム制作に精力的に取り組む一方、商品プロデュースやブランディングなど幅広く活躍の場を広げる須永さんにお話を伺いました。
PROFILE

DJ 須永辰緒

須永辰緒によるソロ・ユニット含むDJ/プロデューサー。 DJとして東京、大阪でレギュラー・パーティーを主宰 。 DJプレイでは国内47都道府県を全て踏破。欧州からアジアまで海外公演も多数。MIX CDシリーズ『World Standard』は10作を数え、ライフ・ワークとも言うべきジャズ・コンピレーションアルバム 『須永辰緒の夜ジャズ』は15作以上を継続中。国内から海外レーベルのコンパイルCDも多数制作。多数のリミックス・ワークに加え自身のソロ・ユニット ”Sunaga t experience”としてアルバム4作を発表。多種コンピレーションの 監修やプロデュース・ワークス、海外リミックス作品含め関連する作品は延べ200作を超えた。また、大使館と連携し、北欧と日本をジャズで繋ぐ運動にも心血を注ぐ。さらには趣味のラーメン本の出版も手がける等、マルチで日本一忙しい”レコード番長”の動向を各業界が注目している。

http://sunaga-t.com

まわりの後押しで、いつもよりポップな仕上がりに

まずは、最新アルバム「Sunaga t experience」に関してお尋ねします。今回、DJ生活30周年記念アルバムということで、豪華アーティストが多く参加していますが、このアルバム制作はどのように決まったのですか?

自分のアルバムを作るよりも、プロデュースしたり、ミックスしたり、若い才能を世に出したり、人の世話をしている方が好きな裏方体質なので、もともと作る気はなかったんです。ところが周りの30代くらいの若いDJ達に、「そういえば30周年で何もやってないですよね。アルバム出さなきゃまずいんじゃないですか」って気付かれちゃって。具体的に周りが動き始めちゃったんで、またそこで止めるのもエネルギーいるじゃないですか。で、じゃあやるか、と。

制作が決定してからは、どのように進めていきましたか?記念アルバムということで何か特別に試みたものはありますか?

今までは、エレクトロだったり、ジャズだったり、サンバだったり、ディープハウスだったりと、自分がその時に好きな音楽をそのまま反映してアルバムに落とし込んでいました。でも、DJ生活30周年というコンセプトがあった今回は、選曲も30年間でヘヴィープレイした思い出に残る曲を中心にしました。他には、「色彩のブルースをカヴァーしませんか?」とか、「たまにはフィーチャリングでスチャダラパーとかどうですか?」って周りから固められたんですよね。スチャダラパーは彼らがデモテープ渡す場面も目撃してるくらいデビュー前からずっと付き合いがあるので、僕の中では“フィーチャリング、スチャダラパー”ってあり得なかったんですけど、やってみたら案外面白いかもって思いだして。それで、せっかくならこの際、ECDだったり、YOU THE ROCK☆だったり、MUROくんだったり、今までの僕のDJ人生の中で出逢った古い仲間皆でやろうかってことになったんです。

人選がとても面白かったです。

わりと付き合いが古いアーティストが多いです。あとZeebra君とは、アーティストのユニオンがあるのですが、そこで風営法改善に向けて、今一緒に色んなロビー活動してます。彼らは国会議事堂にしょっちゅう行ってますからね。議員連と話し合ったり、警察にヒアリングに行ったり。また、フィンランドのミュージシャン達とは行き来しながらの深い交流があります。コープロ(Co-Producer)達からもあれこれアイディアや意見をもらいました。自分本位で作ってないアルバムって今回が初めてかもしれないですね。

自分本位で作ってきたものと、周りからの意見を取り入れて作ったものと、完成したものを自分で感じてみて、違いや新しい発見はありましたか?

ないですね(笑)。結果一緒になったんですけど。でもポップにはなっていますね。今までアンダーグラウンドに寄り過ぎていた部分があったのですが、オープンマインドで皆の意見を反映したら、すごいポップになった。アレンジや編成によって全体のトーンはポップではなくなっているのですが、内容はかなりポップですよね。

DJやライブなど現場をやるのと、制作側にいる時って何か違いがありますか?

制作したものに関しては、自分でDJしている時にかけたいアレンジにしちゃうんで、それを必ず現場に反映している感じはありますね。

須永さんの音楽は、ジャズやボサノヴァ、ヒップホップやパンクなど、まったく違うジャンルがボーダレスに混在している印象を受けるのですが、それはどのように生まれるのですか?

僕は、長い音楽遍歴があるので。元々パンクがかけたくてDJになったのですが、色んなものをかけているうちに、パンクだけが音楽じゃないって分かって、ヒップホップに新しいロックの可能性を見いだしたんです。ヒップホップに傾倒した後は、今度はヒップホップは元々の成り立ちがブラックミュージックで、加えてサンプリングという手法も使って昔の音源を再構築してビートを組み立てている、というところに辿り着いて。そうすると元々のビートって何だろうって興味が涌くじゃないですか、それ調べているうちにソウル、ファンク、そしてジャズとなって。ブルーノートは今ではジャズの総本山みたいなイメージですけど、僕らが探していたブルーノートは、メインストリームから外れているジャズファンクというものだったんです。で、ジャズファンクとヒップホップを混ぜてかけてるうちに、段々ジャズの度合いが増えていって、そこからジャズだけじゃなくて、ブラジル音楽、ソウル、AORと、全てを偏りなく並べられるようになりました。確か95年くらいを境にヒップホップを一切買わなくなって、60年代、70年代の生音にフィードバックしていきました。そういうことを繰り返すうち、また自分のDJの種類が変わってきちゃって。

それだけ遍歴があると、昔の仲間には変わったと言われますか?

先輩方も友達も、横の繋がりは今もずっとあるので、わりと普通に“だよね〜”になっちゃう(笑)。段々自分のスタイルを追求しているうちに変わってきたし、未だに変わり続けてます。10年ぶりに来ましたっていうお客さんからは「DJ変わりましたね〜」って言われるんですけど、10年かけて徐々に少しずつ変化してるから、10年前と同じ曲かけてるわけないじゃないですか。

今までの音楽遍歴は、その時の新しい音楽を常に見て意図して変えてきたのですか?それとも 音楽以外のことも含めた自分のライフスタイルの中で自然に影響されてきたのですか?

“Do It Yourself”自分のことは自分でするというパンクスピリッツが好きで、いつも誰もいない所に行きたがるんですよね。もちろん曲も好きだし、みんなでモッシュするのも好きだったけど、元々パンク好きだったのは、DIY精神に引かれたから。僕がヒップホップのDJ専業になった時、ヒップホップのDJなんてほとんどいなかったんですよ。その後、ヒップホップが袋小路に入りかけた時に、突破していった若い連中もいるんですけど、僕はどっちかっていうとそこにもうすでにDIYは感じなくなっていたんです。代わりに、AORやソフィスティケートされたディスコの方向に行って、そこからブラジルのボサノヴァとかサンバとか、ブラジリアン・フュージョンだったり、ジャズだったりそういう生音で切りこんでいくのが面白いなって。で、そこには前任者があまりいなくて。常に望まれてもいないのに、獣道に行っちゃうんですよね。

まさにパイオニアですね。

パイオニアとか、そんなかっこいいことじゃないんですよ。獣道好きなんですよね(笑)。どういうわけかそうなっちゃう。

次回へ続く

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