HIGHFLYERS/#12 Vol.2 | Jul 16, 2015

祖母の本を書けずに亡くなった母。「私がやる」と決意した日

村岡恵理

Text: Takeyasu Ando / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Photo Design: Kenzi Gong

作家・村岡恵理さん。前回は祖母・村岡花子への思いと、自身の幼少期や東洋英和で過ごした中高時代について語ってくれた。実は村岡さんに祖母の記憶はない。それは両親と8つ年の離れた姉によってつながれてきた。今回はその家族のことを聞いてみた。さすがは作家であり、村岡さんの話を聞いてると、まるでホームドラマを観ているように情景が浮かんでくる。そこから、初めて明かされる祖母と父の関係、家庭の意味へと話題は続き。
PROFILE
村岡恵理

作家 村岡恵理

村岡 恵理(むらおかえり) 作家。1967年生まれ。翻訳家村岡花子の孫。東洋英和女学院高等部、成城大学文藝学部卒。著書「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」(新潮文庫)は、2014年前期NHK連続ドラマ「花子とアン」の原案となる。「アンを抱きしめて」(絵・わたせせいぞう/NHK出版)。編著に「村岡花子と赤毛のアンの世界」(河出書房新社)など。日経ビジネスアソシエ、WEB女性自身にエッセイを連載中。

Homeとは家庭という意味。では、家庭とはどんな意味?

お母さま(村岡みどり 翻訳家/歌人)は、どんな方だったのでしょうか?

私は母が祖母の評伝を書くと思ってたんです。言葉遣いがきれいで、本当に良い文章を書く人でした。母は小さい時にお母さんが仕事ばかりしてたので、実はとても寂しい思いをしていたんですね。自分が家庭を持つようになって振り戻しがきたのでしょう。母親として、姉と私を大切に育ててくれたし、好きなことをやらせてくれました。それでいながら知的で文学にも明るく、祖母の交友関係のことも詳しかった。だから、いつか母に祖母のことを書いて欲しいなと思ってました。私も記者の仕事をしてましたので、「ママが書くなら、私も手伝うからね」と期待を寄せてました。

おばあさまのこと、一番よくご存知だったのですね。

とにかくボタンを押すと、いろんな話が出てくるのですよ。私もますます発破をかけるようになって、母もその気になってきた。それが突然亡くなってしまったのです。残念でした。知識と教養と無数の記憶のファイルがあったのに、それを表に出さず、私たちを育てるために生きていたような気がして、無念で仕方ありませんでした。そして母が亡くなった瞬間、「じゃあ、母のかわりに私が書く」と宣言しました。母が結びつけてくれた祖母のことを、私が本にしようと決意したんです。母が生きてたら私は『アンのゆりかご』を書かなかったでしょうね。だから母には残念な思いと、ありがとうという気持ちと、まだいろいろなものが残ってます。私、マザコンなんですよ、女なのに。

共に活動されるお姉さま(村岡美枝 翻訳家/英文学者/赤毛のアン記念館・村岡花子文庫主宰)は、村岡さんにとってどんな存在ですか?

姉は、母の優しいところや女性らしいところを受け継いでると思います。私は男っぽいんですけど。普段は生活も一緒で、姉と姉の家族と犬と同じ家に暮らしています。翻訳の仕事もそうですし、妻としてもそうですし、子どもたちにとっても優しい母ですし、バランスの良い女性だなと思います。そんな姉に私も助けてもらってばかり。母が亡くなって膨大な祖母の遺品と立ち向かうのに、私一人ではどうにもできなかった。姉がいつもそばにいてくれて、一つひとつ資料をひも解くことができた。何か出てくると、「こんなの出て来たよ」と話にふけたり、取材に行く時も一緒に来てくれたり、女姉妹って本当にいいなと思う。私一人で書いたのではなく、姉の支えがあったから書けました。そういう意味で同志です。

『アンのゆりかご』ではあまり伺い知ることのできない、お父さま(佐野光男 後の村岡光男 物理学者)についてもお聞かせいただけますか?

ちょっと不思議な人でしてね。厳格で純粋な理系の純粋な学者でした。「原子核物理」という私には全く理解不能な研究をしてまして、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊先生と同じ分野でした。小柴先生は実験、うちの父は理論でしたけど、親しくさせていただいていました。とにかくかみ合ない父でしたが、一つだけ感謝してるのは、親子でなければ絶対に出会わなかった人だなということ。私は感情に左右されやすく、ずるずるだらだらするところがあるんですけど、そういったことが全くない人でした。けど、海外の学会にはよくくっついて行きました。一番好きな本はロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』と聞いて、私も読んでみて、ああ、父にも青春時代にはこんな熱い思いがあったのかなと、本を通して理解しようとしていました。お互い不思議がりながら一緒に生活してました。

しかし、そうなると村岡さんは文理のスーパー遺伝子を継承されてるはず。先ほどお母さまの素敵なところをお姉さまが受け継いだとおっしゃってましたが、ひょっとして、お父さまの物理の才能は村岡さんが……?

私が父から継承したのは、恵理の「理」が物理の「理」、それだけでした。母の劣性遺伝というか、結局私たち姉妹は、2人とも理系の才能はありませんでした。もう一人、たとえば弟がいたら、数学が得意な子になってたかもしれないですね。とにかく私は算数の時点で挫折してましたから。それで、分からないから父に聞くとね、「何でこんなものも分からないんだ!」って。やっぱり学者というのは教えるのが下手なんですよね。分からない人の気持ちが分からないから。たとえば高校生の時でした。明日はもう中間試験。コツだけ教えてくれればいいのに、「まず公式を導き出して…」みたいな説明をえんえんとしてくれると、もう二度と聞くまいと思うわけですよ。

(左→右)姉・美枝さん、父・光男さん、母・みどりさん

(左→右)母・みどりさん、義兄・三木隆二郎さん、姉・美枝さん、恵理さん

おばあさまも数学が好きになれなかったそうですね。そんな純文系のご家庭に生まれたお母さまと理系のお父さまは、どうやって結ばれたのでしょうか。

母が父と出会った当時、理系の人たちはスターだったんでしょうね。1949年に京都大学の湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル賞を受賞した時、父はまさに京大で湯川博士のもとで学んでたそうです。一方で母は村岡花子の娘ですから、周りの男性も文系の人が多かった。ウエットな感じでブツブツ、ああでもないこうでもないと言ってる文系の人たちと比べると、とにかく父が素敵に見えたそうです。何かスッキリして見えたんですって。「見えちゃったのよ~」なんて言ってましたね。

「見えちゃったのよ~」ですか!ところで、おばあさまとお父様のご関係はどうだったのですか。

父は生まれが静岡で、お父さんを早く亡くしてるのです。結構苦労してるんですよ。兄弟がたくさんいて、みんなで助け合い、お母さんを大切にしてたそうです。父は優秀でしたので、京大の物理学科に進み、論文で湯川博士の奨学金を得たり大学から賞をもらったりして勉強を続けてました。そして母と結婚した後、父の弟たちが進学などで東京に出て来るようになりました。当時、大森の家の裏には、ちょっとした離れみたいな家があったのですが、祖母はそこを父の兄弟たちに提供していました。お父さんを亡くし、お母さんを助けながら奨学金で懸命に勉強してきた父を、もしかしたら祖母は若いころの自分と重ねていたのかもしれません。

おばあさまも給費生(現在の奨学生)として東洋英和女学校に入学した。きょうだいの中で高等教育を受けられたのはおばあさまだけで、後に両親やきょうだいの面倒を見るようになります。

だから、祖母と父の関係はとても良かったと思いますよ。それでいながら、お互い依存しない関係でもあったようです。たとえば、父が阪大の教授に着任するため大阪に転勤することになったのですが、母が一緒に行くとなると高齢の祖母を東京に残すことになります。父は単身で行くことにしました。それを聞いた祖母は、「いや、夫婦が離れてはいけない。私のことはいいから一緒に行きなさい」と二人に言ったそうです。それで母は夫と大阪で新しい家庭を築くのですが、親せきたちからの「花子さんを置いていくのか」という声にも、むしろ当の花子さんが「私はお手伝いさんに来てもらうから」と二人を送り出したそうで、祖母は非常に自立した人だったと、父は話してました。

花子さんが日本に根ざそうとしてた「清心な家庭文学」。そもそも家庭文学の“家庭”とは何でしょうか?

江戸時代まで日本に存在してたのは“家”でした。長く続いた封建的な社会。その中心が“家”だったのですね。家父長制度によって、女性は耐えて内を守る。それが“家”でした。明治30年代後半にHomeという外来語が入ってきます。その訳語として“家庭”という新語ができたそうです。それは、「夫婦が人間として対等で、お互いを尊重し、そして、その中で子どもという新しい命を喜び、成長を見守って、成長させていく」という意味がありました。祖母が“家庭”をキーワードにしていくのも、新しい感覚だったはずです。新しい女性の在り方や新しい女性の存在感を示していたのだと思います。

家と家庭の違いには女性の存在に違いがあったのですね。

そうですね。そして“家庭”そのものがどういうものかというと、おそらくは“築いていくもの”なのだと思います。『赤毛のアン』もそう。家庭を築いていくことで、それが家族になっていく。血の繋がりだけが家族の理由ではない。『赤毛のアン』の主人公・アンは、きょうだいとその孤児からもらわれてきた3人で家族になっていきます。家族を形成し、家庭を築いていくという物語なのですね。

次回へ続く

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