タブラ奏者に一番必要なのは、いいサウンド。北インド古典音楽への飽くなき挑戦を続けつつ、自分だけの音楽も追求
学生時代にインドに滞在した一年間にあった出来事で、未だに覚えている印象的なことはありますか?
その頃はまだEメールが浸透していなかったので、日本の友人や家族と郵便でやり取りをしていました。中でも一番多く手紙をくれたのは父親ですね。200通以上もらったんじゃないかな。手紙と言っても、便箋に文章が書いてあるわけではないんですよ。新聞や雑誌の記事を切り抜いたものをB4ぐらいのサイズにまとめ、それをコピーしたものを送ってくれていました。「川越通信 vol.○○」みたいなタイトルが付いてたな。父親の興味の範囲の中だけでニュースを選ぶので、「松井 猛打賞」とか「グラスワンダー 有馬記念制覇」みたいな、これをインドで知ってどうするんだというような内容ばかりがてんこ盛りだったんですけど、日本の情報を少しでも伝えてくれようとしていたんでしょうね。届くのをいつも楽しみにしていました。
とても感動するお話ですね。そんな1年間を終えてインドから帰ってきたら、日本ではまだ大学生ですよね? 大学はちゃんと卒業したんですか?
卒業はしましたよ。インドに行っていた1年の休学に加え、半年の留年もしたんですが。履修登録をした時点で既に計算を間違えてたみたいで、卒業に2単位だけ足らなかったんですよね。とても残念でした。両親もさぞ残念だっただろうと思います。
大学卒業後は、どのようにプロのタブラ奏者という道を進んだんですか?
卒業後にプロを目指したわけではなくて、大学在学中から演奏活動はしていました。クラブやライブハウスで演奏したり、インド料理屋でBGM的にライブをしたり。演奏できる機会は意外と順調に増えていきました。僕はバイトも就職もしたことがないんですよ。音楽以外のアルバイトをしてお金を稼ぐよりも、その時間をタブラの練習に充てた方がいいなと思ったので。インドに長期で行くときなど、どうしてもまとまったお金が必要になったときには親から借りていました。その他にも、保険料や国民年金なども立て替えてもらっていましたね。気づいたときには両親からの借金は膨れ上がっていたのですが、何年か前になんとか返し終えました。
バイトは本当に人生で一度もしたことないんですか?
そういえば、西荻窪の「音や金時」という店で4回だけやりましたね。自分でもよく出演していたライブハウスだったので、ライブもいろいろ見られるしPAの勉強にもなるしいいかなと思って。音の調整をしたり、ドリンクやフードをお客さんへ出したりしていて楽しかったのですが、5回目のバイトの時に自分のツアーが被ってしまって。代わりに友人のシタール奏者を紹介したら、彼の方がユザーンよりいいな、となったみたいで以降は声がかからなくなりました。
そこから本格的な音楽活動が始まっていくのですね。ユザーンさんは錚々たるメンバーとコラボレーションしたり、アルバムを作っていたりするイメージがありますが、その頃から結構目立ったご活躍をされていた感じですか?
目立った活躍なんて未だにできていない気がしますけどね。キャリアの最初はインド音楽を演奏することと、ASA-CHANG&巡礼というバンドでの活動の2つが中心でした。
96年からタブラを演奏し始めてから、初のソロアルバムを出す2014年まではかなりの時間がありますよね。それまで構想を温めてきたのですか?
いや、そういうのは全然ないですね。ソロ名義のアルバムを出すなんて考えたこともなかった。とても信頼して尊敬している人から「絶対にソロ作品を出した方がいいよ」というアドバイスを受けて、「じゃあやってみようか」となった感じです。ソロと言っても収録されている楽曲のほとんどは他のミュージシャンとのコラボレーションなので、それまでの活動の延長線上にある作品です。
タブラ奏者として自分の到達点のような場所はあるんですか?
それもあんまり考えたことはないですね。日々、演奏家として成長を続けられたらいいなあと思っているぐらいです。まあ練習ができない日もあるし、1日単位で成長するのは難しいかもしれないけど、今月より来月の自分の方がうまかったらいいな、そしてそれをずっと積み重ねていけたらいいなと。到達点をもっと具体的なものと考えるなら、やってみたかったことは意外ともう叶っちゃってるんですよね。「大好きなレイ・ハラカミさんと作品を作ってみたい」という夢も実現できたし、同じように「いつか同じ舞台に立って一緒に音を出せたら」とずっと憧れていた矢野顕子さんとも、いろいろな形でコラボレーションできているし。
演奏したい人には自分からお願いするのですか?
レイ・ハラカミさんには、緊張しながら電話をかけて「土下座でもなんでもするんで、一緒に何か作ってください」ってお願いしました。矢野顕子さんについては、ハラカミさんからの紹介ですね。矢野さんとハラカミさんが2人でやっているyanokamiというユニットのライブに、ゲストで僕を入れることを矢野さんに提案してくださって。
レイ・ハラカミさんと実際一緒にやっていかがでしたか?
ハラカミさんと最初に作ったのは「川越ランデヴー」という曲で、僕は主に朗読を担当していたんですが、曲の終盤からタブラが入るんですよ。京都にあったハラカミさんの小さなスタジオでタブラを録音し、それをハラカミさん愛用の機材で加工していくんですけど、その作業を見るのは感動的でした。ハラカミさんがあの独特のディレイをかけたり歪ませたりすることにより、タブラの音がハラカミさんのトラックに溶け込んでいって。忘れられない思い出です。
矢野顕子さんはいかがでしたか?
矢野さんは、もうミュージシャンとしてのスキルがすごすぎて。ライブも録音も、とにかく圧倒的なレベルの違いにびっくりしてます。最近も一緒にレコーディングをさせてもらう機会があったのですが、こちらが漠然と「こんな感じの音を入れてもらえたらいいな」と思っているようなイメージを、矢野さんの音は一瞬で大きく超えていっちゃうんですよね。
矢野顕子氏と、ステージにて
映画『マンガをはみ出した男 赤塚不二夫』のサウンドトラック(ユザーンが音楽を担当)にタモリさんがボーカルで参加されていましたが、タモリさんとはどういうきっかけで?
2014~15年に放送されていた「ヨルタモリ」というテレビ番組に出演させていただいたのがきっかけですね。実は、僕が初めてタブラを知ったのはテレビ東京で放送されていた「タモリの音楽は世界だ」という番組なんですよ。詳しい内容は忘れましたが、タブラはベビーパウダーを付けて演奏する、というのがクイズの回答になっていた気がします。そんな縁もあるし、タモリさんにその映画の主題歌を歌っていただけたのはとても嬉しかったです。
ユザーンさんはタブラ奏者の第一人者と言われていますが、先に道を示してくれる人がいない分野を切り拓くというのはどういう感覚ですか?
様々なジャンルのミュージシャンとセッションすることでタブラの楽しさを伝えていった先駆者は、吉見征樹さんというタブラ奏者です。最初に道を切り拓いたのは彼なんですよ。ただ、もちろん僕と吉見さんが全く同じ方向に向かっているわけではなくて、吉見さんが主にワールド・フュージョン的な活動をしているのに対し、僕はどちらかというとクラブミュージックの影響が強い音楽を作っていると思います。音楽性は一人ひとり違うから、吉見さんの道は吉見さんにしか行けないし、僕は僕の道を進むしかない。ザキール・フセイン先生も事あるごとに「ザキール・フセインみたいになろうとしてはだめだよ。私になることができるのは私だけだし、コピーになったって仕方ない。君にしかできないことを探し、常にオリジナルな存在でいなさい」と言っていますし、みんな自分だけの道を切り拓く必要があるのでしょうね。
師匠のひとりであるザキール・フセイン氏と
では、ユザーンさんの道とはどういうものですか?
どういう道なんですかね…。僕は普段、北インド古典音楽の練習ばかりしています。ですが、正直なところ僕が自信を持って人に聴かせせられるものはインド音楽ではないんですよ。インド音楽は素晴らしい音楽ですけれど、それを演奏することに関して僕よりも優れているタブラ奏者はインドにいくらでもいるし。「僕はこんな風にインド音楽を演奏したいんだ」という理想はすごくありますが、能力不足でそれがまだできないんです。でも、例えば自分のアルバムでハナレグミに歌ってもらった曲だったり、ラッパーの環ROYや鎮座DOPENESSと一緒に作っている曲だったりというのは、自分だけのやり方でタブラの音を鳴らせていると思います。
タブラ奏者としてのこれからは、自分のオリジナルの好きなことも演奏しつつ、インド音楽の理想のレベルにも辿り着きたいと思われているのですか?
それが最も理想的ですけど、この先どうなるのかはちょっと自分でもわかりません。インド音楽を演奏するのは好きだけれど、なかなかうまくならないのがもどかしい。もっと粒が揃った音が出せたらいいのに、あんな風に指が動いたらいいのに、って思っているレベルに全然到達できないんですよね。そうはいっても、やっぱりインド古典音楽は僕の原点のひとつでもあるので、楽しく続けられたらとは思うのですが。
ユザーンさんが思ういいタブラ奏者というのは?
うーん、いろいろな要素があるとは思いますが、かなり大事なのは音質じゃないですかね。いい音が出せるというのは、何にも代え難いですよ。
いい音の人は、なぜその音を出せるんですかね?
自分の理想の音に近づけていけるような、良い耳を持っているんじゃないでしょうか。あとは、生まれ持った指の質もあるかもしれません。タブラ奏者って、一人ひとりみんな違った音を出すんですよ。どの楽器でもそうでしょうけど。
取材協力
Vender Woh!
住所:東京都台東区蔵前4-20-8 東京貴金属会館3階
電話番号:03-6874-6643
営業時間:12:00~18:00(不定期に時間が変更されることが御座いますのでホームページを御確認ください)
休業日:日、月、火
http://venderwoh.jp/
ユザーン衣装
プルオーバーストライプシャツ¥49,000 (税別)タブラモチーフ•デニムパンツ(価格未定)/ Vender Woh!
次回へ続く
『2 Tone』蓮沼執太&U-zhaan
蓮沼執太とのコラボで2017年に発売されたアルバムをアナログ化。ゲストにアート・リンゼイ、デヴェンドラ・バンハート、坂本龍一らが参加。アートワークは長嶋りかこ。
2018年2月14日発売
¥3,800+税
HRLP112
- Tone Tone Tone & Tone Tone Two
- Green Gold Grey feat. Arto Lindsay
- Mixed Bathing World
- A Kind of Love Song feat. Devendra Banhart
- Music for Five Tablas
- Sporty
- Lal feat. Ryuichi Sakamoto
- Radio S
- Dryer
- ISO
『KOUTA LP』フルカワミキ÷ユザーン
元スーパーカーのフルカワミキとのコラボ作品。2017年にカセットテープのみでリリースされた2曲に新録を追加し、アナログ盤としてリリース。ギターとMIXでナカコーも参加。
2018年4月6日発売 ※HMV record shop 3店舗のみ3月30日より先行発売
¥3,000+税
HRLP115
- B & G
- 苔のうた
- B & G Remixed By 食品まつりa.k.a foodman
- 八戸小唄
- 通りゃんせ
- 八戸小唄+通りゃんせ Remixed By Oval
『Tabla Rock Mountain』
2014年に発表された、ユザーン初のソロ名義作品が待望のアナログ化。ジャケットもCG加工なしのアナログ仕様になっている。坂本龍一、Cornelius、ハナレグミらが参加。
2018年4月21日発売
¥3,800+税
HRLP111
- Getting Ready
- Chicken Masala Bomb / U-zhaan × HIFANA
- Tabla'n'Rap / U-zhaan × KAKATO
- Welcome Rain / U-zhaan × Ametsub
- 俺の小宇宙 / U-zhaan × ハナレグミ
- Flying Nimbus / U-zhaan × DÉ DÉ MOUSE
- Technopolis / U-zhaan × 坂本龍一
- Homesick in Calcutta / U-zhaan × Cornelius
- Raga Mishra Kafi / U-zhaan × Babui × agraph
新井孝弘×U-zhaan 北インド古典音楽ライブツアー 2018
- 3/25 取手 hako cafe
- 3/29 東中野 aptp
- 4/02 浜松 キルヒヘア
- 4/03 名古屋 TOKUZO
- 4/04 神戸 旧グッゲンハイム邸
- 4/05 広島 ヲルガン座
- 4/07 佐賀 戒円寺
- 4/08 福岡 西林寺
- 4/09 熊本 Sazae
- 4/10 宮崎 西導寺
- 4/11 大分 AT HALL
- 4/13 小倉 Tanga Table
- 4/14 山口 喫茶ぼなーる
- 4/15 尾道 浄泉寺
- 4/16 米子 PRADE
- 4/17 岡山 パダンパダン
- 4/18 高松 デザインラボトリー蒼
- 4/19 神戸 クラブ月世界
- 4/20 京都 トコ会館
- 4/21 金沢 葡萄夜
- 4/22 岐阜 Cafe&Bar aLFFo
- 4/28 代官山 晴れたら空に豆まいて
5月以降のスケジュール、詳細は http://u-zhaan.com/schedule/ にてご確認ください