少年少女合唱団で基礎を学び、中学の吹奏楽部ではユーフォニアムを演奏。デパートの催事場で、見た目の可愛さに惹かれてタブラを購入
埼玉県川越市で生まれ育ったそうですが、小さい頃はどのような子どもでしたか?
小学生の頃は、とにかく持ち物を持って帰ってこない子だったと聞きました。最近になって姉から「学校から渡されたプリントや給食袋、濡れたままのプール道具などすべて置きっ放しのまま下校するから、私がときどきあんたの教室まで行って回収してきたんだ」と言われ、今更ながら謝罪しました。逆に、登校時に持参すべき物もしょっちゅう忘れていましたね。特に宿題の類に関しては提出したことがほとんどなかったです。宿題の回収があると、毎回びっくりするんですよ。宿題があったことすら忘れているので。もちろん出さないと怒られるし、執拗に催促もされるんですが、それでも頑なに提出せずにいると先生もそのうち諦めるということを学びました。
ご両親はどのような方なのですか?
取り立てて特別なことはないと思いますけど、強いていえば母親は器用ですね。ちょっとした大工仕事的とか、何でも一人でやっちゃいます。壁を塗り替えたり、網戸や襖を張り替えたりとか。張り替えといえば、以前は僕のタブラの皮もすべて張り替えてくれてました。以前インドのタブラ職人が音大でタブラの作り方を披露する講義みたいので来日して僕の実家に何泊かしたことがあったんですけど、その時に母は彼からなぜかタブラの張り替え方法を伝授されたらしくて。すごくバランスよく綺麗に張り替えるんですよね。多分、日本では彼女が一番うまいんじゃないかな。
素晴らしいお母様ですね。ところで、小さい頃に夢中になっていたことは?
ファミコンばっかりやってました。あんなに際限なくゲームをやっていたのに両親はどうして怒らなかったんだろう、と今になって思うほどです。あと、本はよく読んでましたね。
その頃になりたかった職業は?
小説家です。
影響された作家さんはいますか?
小説家ではないのですが、一番好きだったのは東海林さだおさん。東海林さんのエッセイが大好きでした。そういえば何年か前に阿川佐和子さんと食事に行く機会があったのですが、そのとき阿川さんから「ユザーンは誰か会ってみたい人っている?」って聞かれたんですよね。「会えるわけないけど、東海林さだおさんかな」と答えたら、なんと阿川さんが東海林さんを連れてきてくださって。あれは本当に嬉しかったな。実際の東海林さんは飄々とした雰囲気で、とても素敵な方でした。
幼い頃、楽器は習っていましたか?習い事は?
楽器はやってないですね。習い事は近所のスイミングスクールや書道教室ぐらいかな。ちょっとだけ公文式学習塾にも通っていました。でも公文はクビになりましたね。ある夏の暑い日に母親と2人で教室に呼び出されたんですよ。「湯沢さんの息子さんはうちに来ても、1枚もプリントをやらずにノストラダムスの大予言の本を読んでいるだけなので、もうやめた方がいいです」って言われて。あとは、僕の地元の川越には少年少女合唱団があるんですけど、それにも通っていました。
え、そうなんですか? 私も川越少年少女合唱団に入っていたんですよ。
マジですか。そんな偶然ってあるんですね。
そうですね(笑)。合唱団に入るには、まず各小学校で校内選抜があり、そのあと選出された全小学校の生徒たちが集まって試験があり、合格するのはほんのわずかですよね。もともと音楽は得意だったのですか?
音楽も歌も、得意だという認識はありませんでした。たまたまその校内選抜試験みたいなやつをみんなで面白がって受けてみたら、クラスメイトの子と僕の二人だけがなぜか合格しちゃって。仕方がないから本試験も受けに行ったら、それも受かったので成り行きで入団した感じです。
合唱団では聴音やソルフェージュなど、とても難しい授業がありましたよね。
ありましたね。聴音もソルフェージュも大嫌いでした。五線譜なんか一度も書いたことない子どもに「今から弾くピアノ演奏を聴き取って楽譜にしなさい」なんて無茶ですよね。こんなのできるわけないじゃん、と思いながら嫌々やってました。まさかあの訓練が、大人になって非常に役に立つとは思いませんでした。あれがなかったらステージ上で楽曲のキーを即座に判断して演奏することとか、簡単にはできなかったかもしれません。
中学・高校ではどのような生徒でした? 学校で目立つような、お笑い系の男子だったのですか? 部活動は何をやっていました?
取り立てて目立つようなこともなく、ごく普通に生活してたと思います。まあ、運動はそんなに得意じゃなかったですしね。僕らの世代の小中学校って、スポーツマンだけが評価される社会だったんですよ。部活は吹奏楽部でした。ユーフォニアムという金管楽器を吹いてましたね。高校は地元の男子校に行ったんですが、とにかく学業の成績がすごく悪かったです。学年に400人以上いる中で、下から数えて一桁に入れるレベルでした。
高校でも吹奏楽部だったのですか?
何を血迷ったか、ラグビー部に入りました。ラグビーって中学校ではほとんど誰もやっていないですよね。みんなと同じタイミングでスタートができるから、もしかすると僕でもなんとかなるかもしれないと思って入部したのですが、根本的に運動神経が悪い人間はどんなスポーツにも対応できないということに早めに気づき、一年生でやめました。
ラグビー部を辞めてからは他の部活に入ったんですか?
その年になぜか合唱部が創設されて、それに強く勧誘されたので入りました。練習時間は水曜日の昼休みだけ、という全くやる気のない部活でしたね。部長が素行不良で退学になってしまってから、しょうがなく僕が部長代理をやってました。発表会みたいなのも一切なかったし、なんのためにやっていたのか未だにわからない部活です。
「斉藤牛蒡店」など川越の街がユザーンさんの作品に登場しますが、タブラとの出会いも川越のデパートだそうですね。
大学1年生の夏休みに、丸広百貨店5階の催事場で民芸品展みたいなのをやっていたのですが、そこにタブラがありました。購入の決め手は、見た目の可愛らしさだったと思います。
それで買って、初めて叩いてみたのですね。
ちょっと触ってはみましたが、何しろ演奏方法がさっぱりわからなかったので、しばらくは部屋のインテリアになってました。でもまあ、どんな音がするのかぐらいは聴いてみたいなと思い、また丸広百貨店に行きタブラのCDを購入して帰って。それを聴いて衝撃を受け、叩けるようになってみたいと思ったのがタブラとの馴れ初めみたいなものです。その後しばらくして、タブラを演奏している映像を見る機会があって。それを見たら想像していた叩き方と全く違ったんですよ。これは独学でやろうとしても絶対にムリだなと感じて、教えてくれる人がどこかにいないかインターネットで検索し、荻窪にタブラ教室を見つけて通い始めました。そしてその先生が用事でインドに行くというのを聞き、同行させてもらうことにして。
初めて行ったインドはどうでした?
とにかく「すげえな」って印象でした。海外はそれまでハワイしか行ったことがなかったので、とてもエキサイティングな経験でしたね。視覚・嗅覚・聴覚など全てにおいて圧倒されました。その時は2週間の観光旅行というか、新しいタブラを買って帰っただけなんですけど、翌年に今度はひとりでインドへ行き、コルカタに住むことにしました。様々なカルチャーショックを受け続けた1年でした。
インドにて
タブラを習うために1年間住んだのですよね。最初にレッスンを受けた日のことは覚えていますか?
よく覚えてます。オニンド・チャタルジー先生の教室を初訪問した日、僕以外にも初めてのレッスンを受けに来た生徒が一人いたんですよ。まだ14歳のあどけない少年でしたが、その彼の演奏がものすごくて。痙攣してるんじゃないかってくらいのスピードで指が動くんですよね。彼はサンディップ・ゴーシュといい、今や世界中で活躍しているタブラ奏者ですが、当時から天才少年として注目されていたそうです。でもその頃の僕はもちろんそんなことを知らないので「初めてレッスンにきた14歳の子がこんなに叩けるなんて、こりゃとんでもない場所に来ちゃったな」とショックを受けました。でもその“とんでもない場所”という第一印象はあながち間違ってなくて、才能あふれるタブラ奏者たちが北インド中から集まって先生の指導を受けながら、お互い切磋琢磨している道場のような教室だということも後々わかりました。
その日、ユザーンさんはどんなことを習いましたか。
最初に先生が教えてくれたのが、7連符だけでできている曲で。1拍の中に7個とか14個とか、あるいは3.5個とかずつ音を入れていくという、西洋の音楽ではあまり登場しない特殊な符割のフレーズ。もちろんそんなの生まれてはじめて習ったので、拍の感覚がうまくつかめませんでした。それをなんとか通して叩けるようになったあと、もうひとつ教えてもらったのが10拍子の複雑な曲。それも難しかったですね…。叩いたことがないような音までフレーズの中に出てくるし。
初めからそんなことをやられたら衝撃ですよね。
そうですね。「こんなに難しいのが初歩って、僕はこれからのレッスンについていけるのだろうか」という不安な気持ちになりました。これは後になってわかったのですが、先生はビギナーを丁寧に教えるような立場の人ではなかったんですよね。インドの初心者はまず初心者用教室みたいな場所で基礎を学ぶものなのだけれど、僕は外国人だから特別に入門を許されたようなところがあって。なんていうのかな、例えば野球を始めて1年ちょっとでイチローに弟子入りしたりとかありえないじゃないですか。でもだからこそ、最初からトッププレイヤーの演奏を間近で見られる環境に身を置くことができたのは非常に幸運なことだったんだと今は思います。
取材協力
Vender Woh!
住所:東京都台東区蔵前4-20-8 東京貴金属会館3階
電話番号:03-6874-6643
営業時間:12:00~18:00(不定期に時間が変更されることが御座いますのでホームページを御確認ください)
休業日:日、月、火
http://venderwoh.jp/
ユザーン衣装
プルオーバーストライプシャツ¥49,000 (税別)タブラモチーフ•デニムパンツ(価格未定)/ Vender Woh!
次回へ続く
『Tabla Rock Mountain』
2014年に発表された、ユザーン初のソロ名義作品が待望のアナログ化。ジャケットもCG加工なしのアナログ仕様になっている。坂本龍一、Cornelius、ハナレグミらが参加。
2018年4月21日発売
¥3,800+税
HRLP111
- Getting Ready
- Chicken Masala Bomb / U-zhaan × HIFANA
- Tabla'n'Rap / U-zhaan × KAKATO
- Welcome Rain / U-zhaan × Ametsub
- 俺の小宇宙 / U-zhaan × ハナレグミ
- Flying Nimbus / U-zhaan × DÉ DÉ MOUSE
- Technopolis / U-zhaan × 坂本龍一
- Homesick in Calcutta / U-zhaan × Cornelius
- Raga Mishra Kafi / U-zhaan × Babui × agraph
新井孝弘×U-zhaan 北インド古典音楽ライブツアー 2018
- 3/25 取手 hako cafe
- 3/29 東中野 aptp
- 4/02 浜松 キルヒヘア
- 4/03 名古屋 TOKUZO
- 4/04 神戸 旧グッゲンハイム邸
- 4/05 広島 ヲルガン座
- 4/07 佐賀 戒円寺
- 4/08 福岡 西林寺
- 4/09 熊本 Sazae
- 4/10 宮崎 西導寺
- 4/11 大分 AT HALL
- 4/13 小倉 Tanga Table
- 4/14 山口 喫茶ぼなーる
- 4/15 尾道 浄泉寺
- 4/16 米子 PRADE
- 4/17 岡山 パダンパダン
- 4/18 高松 デザインラボトリー蒼
- 4/19 神戸 クラブ月世界
- 4/20 京都 トコ会館
- 4/21 金沢 葡萄夜
- 4/22 岐阜 Cafe&Bar aLFFo
- 4/28 代官山 晴れたら空に豆まいて
5月以降のスケジュール、詳細は http://u-zhaan.com/schedule/ にてご確認ください