HIGHFLYERS/#53 Vol.2 | May 19, 2022

目立ちたがりの少年期を経て、22歳にして数店舗経営。引退後は著名人をサウナにアテンドし、独自路線のインストラクターに

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

プロサウナーとして活躍中の“ととのえ親方”こと松尾大さんインタビュー。2回目は幼い頃のことから高校卒業後のお仕事など、プロサウナーになるまでのお話を中心に伺いました。今、複数の会社を経営する松尾さんですが、そのひとつは飲料の販売会社で、世界一辛いといわれるアメリカのジンジャエールを輸入しています。それを扱うようになったきっかけは、なんとクリエイターの藤原ヒロシさん。事業家として成功している松尾さんのお人柄やビジネス観を象徴していると思えるエピソードでした。また、水風呂の入り方についてもいろいろアドバイスをいただきましたので、是非参考にしてみてください。
PROFILE

プロサウナー ととのえ親方

札幌在住。福祉施設やフィットネスクラブを経営する実業家にしてプロサウナー。世界各地のサウナを渡り歩き、アリゾナの山奥で単身5日間断食断水後のサウナを経験。その後、海、川、湖、滝、なんと流氷まで水風呂がわりにしてしまうナチュラル派プロサウナーの道へ。 札幌を訪れる経営者や著名人をサウナに案内し、“ととのう”状態に導いてきたことから“ととのえ親方”と呼ばれるように。 2017年にはプロサウナーの専門ブランド「TTNE PRO SAUNNER」を立ち上げ、’19年2月には友人の医師らとサウナの最適な入り方を提唱する「日本サウナ学会」も設立した。 著書に『Saunner BOOK』(A-Works)、本田直之氏との共著『人生を変えるサウナ術』(KADOKAWA)がある。

藤原ヒロシに憧れて、世界一辛いジンジャエールの版権をアメリカから獲得。対等につきあえる関係になるまでは紹介してもらわなかった

親方は北海道札幌のご出身だそうですね。

札幌の外れ、東区の端っこの方で育ちました。子供の時は目立ちたがりな性格で、少年野球とか、空手道場とか、習い事をちょっとさせてもらってました。兄弟は妹と弟がいます。

子供の頃

ご両親にはどんな育てられ方をしましたか?

うちが呉服屋さんだったんですけど、親父が商売人で、地方の展示会で呉服を売る出張が多く、家にいないことが多かった。それで、親父がたまに家に帰ってくると、僕を車に乗せていろんなところにドライブするんですけど、今でも覚えてるのが、走っていてソニーとかトヨタとかホンダの看板を見つけると、その会社の生い立ちを話してくれたことです。トヨタ自動車は豊田佐吉さんが発明したミシンの会社として始まったんだとか、ソニーは井深大さんと盛田昭夫さんが作ったトランジスタのラジオから始めたとか、パナソニックは松下幸之助さんが開発した電灯用ソケットからスタートしたんだとか、そういう話を聞くのが好きでね。あとは「宮尾すすむと日本の社長」という番組があったんですけど、ああいうのを観るのがすごく好きだった。

その頃、将来の夢はありましたか?

いや、特になかった。「夢はなんですか?」って言われて何か言わなきゃいけないから野球選手とか、サッカー選手とかって言ってたけど、特に何にもなかったな。

目立ちたがりの幼少期を経て、小学校、中学校、高校の頃はどんなでしたか?

相変わらず目立ちたがり屋だから、中学生になった頃は、 田舎だからスボンを太くしたりブレザー短くしたりとか、そういう感じの変形学生服を着てました。昔はビーバップハイスクールとか湘南爆走族っていう漫画が好きでね。当時はそれが今のEXILE みたいなもんだから(笑)。

中学生の卒業式にて(後列の真ん中)

(笑)。それで高校卒業後はどうされたんですか?

僕はやんちゃ坊主だったし、高学歴層じゃないんですね。でも悪人じゃなくて、優しいただの目立ちたがり屋だった。それで、高校卒業後、土木作業員として働き始めて、クレーンとか杭を打つ仕事をやったりしたんだけど、やっぱり合わないんですよね、建築のことをやりたいわけでもないし。それでどうにもなんないなと思って東京に来ました。昼は劇場でお笑い芸人やって、夜は歌舞伎町で働いてる先輩がいて、すごく良くしてもらいました。そこからちょっと夜の仕事を始めて、22 歳の頃から独立し始めたんですよ。スナックとかクラブみたいな飲み屋を5、6店舗ぐらい立て続けに作って経営していました。

20代前半でそんなことを実現するなんて、その辺りが天才的ですね。

調子に乗ってたわけじゃないけど、お店をやりたいビルに行って、「ここのワンフロア立ち退きでもさせて僕に貸してください。オーナーいるから大丈夫です」みたいなことを言って。オーナーなんていないんだけど、最初は22歳の子供でもお金集まると思ってたのね。だけどやっぱりそれは甘い考えで。それで、「君、子供なのにお金持ってるの?」って言われて、「お金は大丈夫です、いくらでもあるんで」って嘘ついて、そこから2週間ぐらいかけていろんな人にどうにかお金を出資してくれないかって聞いたんだけど、貸してはくれないよね。これは参ったと思って。

それでどうしたんですか?

自分で収支計画みたいなのはつけてたから、それをビルのオーナーに持っていって、「オーナーがいなくなっちゃって仕事頓挫しちゃいそうです。もし良かったら出資しませんか?」ってハッタリを言って。ビルのオーナーってそこにどんなテナントが入ってるか分かってるし、 いくらぐらいの売上を出してるかも分かってるじゃないですか。「いくらだ?」って言われて、「1500万なんですけど」って言ったら、貸してくれて。それを借りて、22歳の時にオープンしました。1店舗目はオーナーと利益をシェアして、その後はばばばっと増やしていったので、いくらかのお金を持ってる子供だったんですよ(笑)。

とはいっても、そのお仕事は大変だったんじゃないでしょうか。

女性と一緒にする仕事って大変なんですよね、彼女たちをまとめていくのって。それに、その時から色んな面白い人達と付き合いができたから、彼らを見てるとやっぱりこういう業界にずっといてもなぁと思い始めて。やっぱりちょっとダーティーな世界だったし疲れてきちゃって。それで嫌になって、若い人たちにその時の店舗を渡して自分はその世界からは27歳で引退しました。

それからどうしたんですか?

当時から社会的に超面白いことをやってる人が周りに多かったんですよ。それで僕はお金はある程度持っていたから 、札幌に来る著名人とか経営者と一緒に割り勘で遊びに行ってました。 そこからフィットネスクラブを始めたり、インターネットで家電を販売したり、飲料の輸入とかの仕事を作っていきました。

飲料の輸入とは?

僕は藤原ヒロシさんのことがすごく好きで憧れていたので、ずっとヒロシさんと一回会ってみたいなって思っていたんです。周りのみんなが紹介してくれるって言うんだけど、ただ紹介してもらっても挨拶で終わるだけだから紹介はいらないって、どこかのタイミングで対等にヒロシさんと遊べるようになりたいからって言って断っていたんですね。ところがある日、ヒロシさんのインタビューを読んでた時に、「エリック・クラプトンがいつもプライベートジェットに入れてるジンジャーエールがあって、それがピザとめちゃくちゃ合うんだけど、どっかのメーカーが輸入してくれないかな」と書いてあったの。ブレナムジンジャーエールっていう、世界一辛いジンジャエールで、ビジュアルもすごいかっこ良くて。これ、俺行っちゃう?みたいな。それでアメリカのサウスカロライナに飛んで、版権を買いたいって言って、日本に持ってきました。30歳くらいの時かな。

写真左、中:ブレナムジンジャーエール本社にて 右: ブレナムジンジャーエールと松尾氏が大好きなゴローズのアクセサリー

うわぁ、さすがです!

それで Twitter で、「拝啓藤原ヒロシ様、どこかのメーカーが持ってきてくれないかなって書いてあったから持ってきました」って言って。

なんという行動力!

びっくりしたのが、ウイルスが入ったって思ったくらい、注文が入りまくって、ヒロシさんに報告した翌日に 2コンテナ分ぐらいのジンジャエールが全部なくなったんですよ。どうやらハニカムっていうサイトでヒロシさんが、「ここの会社が持ってきてくれたらしい」って2、3行なんだけどすぐ出してくれたみたいで。次の日にヒロシさんから「こんにちは、一回お会いしましょう」みたいな感じで連絡が来て。そこから一緒にスノーボードに行ったりする仲になって、今もヒロシさんが札幌に来ると連絡をくれて、ご飯食べに行こうよとかって言ってくれたりする。今でもヒロシさんに会うとその時のことを思い出すね。

そんなことをやりながら事業にしちゃう。それは商売人であるお父様のDNAもあるんでしょうね。

あるかもしれないですね。親父はその着物の会社が倒産しちゃって、その後家が競売にかかって。だからその家、25歳で僕が買い戻しました(笑)。面白いよね。

凄い!ところで、親方のサウナデビューはいつだったんですか?

札幌って大きいスーパー銭湯があって、両親に連れていかれたのがまず最初。でもそれは毎日というわけじゃないし、父親が月に何度か帰ってくる時に自分も一緒に行くっていう感じ。それからは、札幌のサウナは幼なじみと一緒に、ほとんどのサウナに行ってたんですよ。週末は温浴施設とかいろんな風呂に行きまくる。好きだったんです。札幌ってスーパー銭湯の宝庫だから、めっちゃいい所がいっぱいある。

サウナと今のお仕事が繋がっていくようなきっかけはあったんですか?

サウナに行かなきゃいけなくなっちゃった時があって。札幌って、昼にラーメン食べて、夜に寿司食いに行くみたいな人達がいっぱい来るから、僕はその人達を連れて札幌を案内するのが趣味だったんだけど、昼と夜の間に必ずサウナに連れて行ってたんですよ。それが一番のきっかけですね。昼と夜の間の空き時間に、観光はみんなすでに行ってるから興味ない。だからサウナに行ってグダグダ喋って、みんなは部屋に帰って多分昼寝とかして、夜になってまた寿司とかご飯に一緒に行くって感じ。

それが今のプロサウナーへの道へ繋がるんですか?

そう。結局そこでいろんな人たちをサウナに入れて、みんな水風呂が嫌いだったから、水風呂に入ってこのぐらいすると気持ち良くなるとか、吐く息が冷たくて気持ちいいよとか、1分とか30秒ぐらいは我慢した方がいいよとか、そういう感じでサウナに入れるのがすごく上手になって、勝手にサウナインストラクターみたいになりました。

水風呂の入り方を教えていただけるのは、すごくありがたいですね。

そう、何十年と続くメソッドで、手を水から出した方が、水温の体感が変わっていい。水中に手がある状態と、ない状態だと全然違うとか、水中から手を出すと2度ぐらい温かく感じるから、冷たい時に手を上げるといいみたいなことを教えて。だからみんなでガンジーみたいになってる時がある(笑)。僕は、30秒から1分ぐらいは入って欲しいなあと思ってる。なんでかと言うと、人間の血が全身を回っていって、元のところに戻ってくるのにだいたい30秒から1分かかるんです。

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昔、知人から教わりましたが、頭を水につけた方がいいって、本当ですか?

本当。頭は一番高い位置にあるから一番熱くなるのに、みんな頭を冷やさなすぎなんですよ。一番熱いところを冷やさないのはありえないでしょ。体だけ冷やして頭だけのぼせてる状態になっちゃうから。僕は潜れるところでは潜ったりもする。とにかく頭に水をかけて冷やします。

そうなんですね。ところで、最近流行りのサウナ言葉は何かありますか?

風呂に入ってからサウナに行くのを「下茹で」とか「 湯通し」とかって言うんだよね。「湯通ししてからサウナに行くから、先に行ってて」とか。水風呂から入るのを、「水通ししてから行く」とか言ったり。いろんな言葉ってどんどん出てくるよね。「さよなら」のことを「サウナら」って言ったり。あれは衝撃的だったな。「サ旅」とか「サフレ」とかもそうだし、そういう言葉がどんどん出始めたらカルチャー化していく流れなのかもしれないね。

次回へ続く

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