HIGHFLYERS/#42 Vol.1 | Jul 2, 2020

地球上にもう逃げ場はない。誰一人取り残さないという発想でやっていかないと、“nowhere” の世界に未来はないことに、今、気づき始める時

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

今回HIGHFLYERSに登場するのは僧侶の松本紹圭さん。松本さんは、浄土宗本願寺派光明寺の僧侶でありながら、インターネット寺「彼岸寺」を設立したり、お寺カフェ「神谷町オープンテラス」をオープンしたり、また「未来の住職塾」を開講したりと、仏教界に常に新しい風を吹かせる存在として注目されています。北海道出身の松本さんは、大学進学を機に上京して東京大学哲学科を卒業後、光明寺の僧侶となります。そして、2010年にはロータリー財団国際親善奨学生としてインドに渡り、インド商科大学院(Indian School of Business)でMBAを取得。2012年には「お寺から日本を元気にする」という志のもと、若手住職向けにお寺の経営などについて学びを深める場、「未来の住職塾」を開講し、2013年には、世界経済フォーラム(ダボス会議)の ヤング・グローバル・リーダーズに選出されました。『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』『こころを磨くSOJIの習慣』(ともにディスカヴァー21社)、など、著書も多数あり、2020年4月からは、ポッドキャストでラジオ番組「テンプルモーニングラジオ」もスタート。常に精力的に活動の幅を広げ続ける松本さんに、幼い頃のことや学生時代のお話、仏教のことや、世界と日本のこと、これから思い描いていることなど様々なお話を伺いました。第1回目は、現在新型コロナによって大きな変革期を迎えている世界をどう見ているかを中心に、松本さんが数年前から言い続けている「Post-religion(ポストレリジョン)」、マインドフルネスについてなどを伺いました。
PROFILE

光明寺僧侶 / 未来の住職塾塾長 松本紹圭

1979年北海道生まれ。僧侶/ひじり。世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leader、Global Future Council Member。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講し、8年間で650名以上の宗派や地域を超えた若手僧侶の卒業生を輩出。著書多数、『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカバートゥエンティワン)は世界15ヶ国語以上で翻訳出版。「松本紹圭の方丈庵 」noteマガジン発行。「 Temple Morning Radio 」ポッドキャストは平日毎朝6時に配信中。

これからはお互いの違いにもリスペクトを持って関われるような、適度なサイズ感でのコミュニティが大事になっていく

新型コロナが世界に蔓延し、今世界は大変な状況になっていますが、松本さんはこの状況をどのように捉えていますか?

変わる機会と捉えてます。日本では毎年のようにたくさんの災害が起きるので、危機を経験する機会は沢山あるはずなんですけど、今回のコロナが特徴的なのは、世界同時に一斉に影響を受けていることだと思うんですね。 危機という言葉は「危険の危」だけでなく「機会の機」から成り立っています。あらゆる危機は「私たちの社会をこれからどうしたらいいか」とか、「何が変わるべきか」っていう風に、何かを転換していく機会として活かすこともできるはずなのに、これまでの日本で十分に活かせたかと言うと必ずしもそうではなかったと思います。でも世界が危機に直面した今、世界中の皆が変化の必要性に気づきつつある中で、日本だって島国とは言え、世界との関わり合いの中で存在しているわけですから、世界に引きずられるようにして変わっていく可能性はあるのかなって思いますね。

世界に引きずられるようにして変わっていく、、、なるほど。

地球規模の課題って、国境を隔てたから関係ないっていうことにはならないですよね。以前からSDGs、パリ協定など、みんなで取り組んでいかなければ、未来の世代にちゃんとした形で地球とか社会を受け継いでいくことができないんじゃないかっていう危機感が年々随分高まってきたとは思うんです。スウェーデン人環境活動家のグレタ・トゥンベリさんなどがシンボルとして話題にもなりました。とは言っても、産業構造や私たちの日々の生活がまだ変わりきれていなかった部分もたくさんあります。ただ、今回コロナのおかげで、それがいよいよ差し迫って実感できるようになったので、今を置いて変わる時はもうないんじゃないかっていう感覚が世界中に出てきたのは結構大きなタイミングだと思います。

地球規模の課題ももちろんですが、例えばSDGsなら、 「誰一人取り残さない(No one will be left behind)」というミッションがありますが、日常生活で私たちが気にしていけることはあると思いますか?

例えば、目の前で誰かが倒れていたら、「大丈夫ですか?」って声をかけると思うんです。でももしかしたら本当に困ってるがゆえに見えないところに隠されてしまっている人には、自分は声をかけることすらもできていないんじゃないか。「No one will be left behind(誰一人取り残さない)」の”left behind(取り残された)”の状態にある人って、結構目に見えないところにいらっしゃるはずで、なかなか前に出てこられないからこそleft behindなわけです。そういう意味で、僕自身も含めてどうしても目に見えている世界だけで全てを把握したような気になってしまいがちだけど、自分が全然気づきもしないところで、常にleft behindされている人がいるんだっていう、実感を伴った想像力が大事なのかなと思いますね。

想像力、とても大事ですね。

あと、これもよく思うんですけど、僕が少し前に読んで面白かった本、「遅いインターネット」(宇野常寛著)の中で、“somewhere(どこか)”と “anywhere(どこでも)”っていう議論が出てくるんです。例えばトランプさんの支持層はアメリカの内陸に住む人達で、ざっくり言うと、教育とか経済力がleft behindで、彼らは地元に紐づいて、なかなかそこから動けない“somewhere”な人達なんですね。一方で東海岸とか西海岸とかには、世界中どこでも移動できて、お金も人の繋がりもある“anywhere”感覚で生きている人がいる。そしてanywhere感覚の人は、 somewhereで生きている人たちの不満とか苦しさになかなか想像力が及ばないから、そこに大きな溝が生まれて、それがナショナリズムに結びついてるっていう話だったと思います。僕は、世界経済フォーラムの「ヤング・グローバル・リーダーズ」っていうコミュニティに選んでもらって入っているんですが、そこは完全にanywhere感覚の人たちの集まりで、その人たちはsomewhere感覚で生きている人のことが全然見えていないので、確かにsomewhereと anywhereの対立構造って自分の実感としてもあるんですね。

ヤング・グローバル・リーダーズのメンバーたちと

なるほど。とても興味深いです。

でも、気候変動もそうですけど、コロナが明らかにしてくれたのは、somewhere陣営であろうとanywhere側の人であろうと、本当は僕らは皆、 “nowhere(どこにもない)” なんだっていうこと。つまり、この地球の上でどこにも逃げ場所はないわけで、対岸の火事はもはや存在しない。お金持ちでもそうでなくても、保険に入っていてもいなくても、ウイルスにかかるのはみんな一緒だから、 誰一人取り残さない発想でやっていかないと、“nowhere” の世界に未来はないよね、って人々が気づき始めるタイミングなんじゃないかなって思いますね。

コロナを通して、お寺のあり方的には何か変化は感じましたか?

宗教全般そうだと思うんですけど、今までは集客動員数を競うように大勢の人が密集して、参拝したり盛大な法要を行ったりして、“密こそ善である”っていう発想でやってきちゃったと思うんですよ。でも今は誰もそんなことを求めてない。そこは実は凄く大きな転換だと思っています。それに、人間全般の営みに言えることなんですけど、同質性の高い人たちのグループを作ってムラ社会の規模を拡大しようってやっていくと、規模を拡大する弊害というのが出てくる。ムラ社会感を持つということは排他性を持つということでもあって、村の中の人は仲間であり、その外の人は敵であるという発想になるんです。けれど、もうそんなムラの論理が正しいという時代は終わって、全てが関係しあっている中で本当に大事なものを高め合い、助け合っていく方向にシフトとしていく必要があります。

宗教のあり方しかり、人間の営みにも変化が訪れているタイミングなのかもしれませんね。

すでにここ数年、僕は、“Post-religion(ポストレリジョン)”という言葉を使っています。宗教的なものがいらないわけでは決してなくて、むしろこれから宗教的なものを求める気持ちはより高まっていくとは思うんです。ただ、多くの人が“I’m spiritual but not religious”という風に、「Spirituality(スピリチュアリティ/精神性)は大事にするけれど、特定の宗教に属したいとは思いませんよ」っていう感覚なんですね。祈りの気持ちや、先人から受け継いだWisdom(ウィズダム/叡智)からいろんなことを学びたいって思っている人は多いけれども、神や仏の名において、自分たちのグループや村の論理で何かをやろうとすることからは距離を置きたい人が増えている。 つまり、村が目指していたのは結局その規模拡大みたいな話なんで、このコロナによって、その不毛さみたいなものがすごいはっきりしたんじゃないかなと思いますね。

規模拡大ではない経済の営み方や、人との距離感が大切になってくるのですね。

そうは言っても、人間はやっぱり「この人達は自分の仲間だ、あの人達はあんまり好きじゃない」とかっていうことを作り続けていくと思うんです。 完全にそういう村の論理から離れて、何にも縛られず、捉われずに生きていく道を説いたのが元々のオリジナルのブッダ、お釈迦様だと思うんですね。でもブッダになるなんてほぼできないっていう話で。僕がよくお言葉を引用させていただく東大の理学博士の熊谷晋一郎先生は、 脳性麻痺を持っていらっしゃって車椅子で生活されているんですが、「いろんな人の助けを日常的に借りながら生きていく中で気がついたことがある」と仰るんです。自分は今まで自立しようと思って自分一人の力で生きていこうと思ったけれど、なかなか上手くいかなかった。でも、その都度誰かしら自分を助けてくれる人がいた。結果、“自立とはたくさんの依存先を持つことである”ということに気付いたのだと。

たくさんの依存先ですか。

人間である以上、あらゆるムラから完全に切り離されて生きることは不可能です。だからこそ、一つのムラにどっぷり浸かって、洗脳に近い中で生きるんじゃなくて、ムラ的な論理から適度に距離を保つためにも、いろんなムラと適度に関わりながら、世の中には自分の知らない世界とか、全然違った価値観で生きている人がいるんだっていうことを知りながら生きることがより大事になっていくのかなと思うんです。顔が見えて、お互いの違いにもリスペクトを持って関われるような適度なサイズ感でのコミュニティが大事になっていくのかなと思いますね。

もう一つ伺いたいのですが、コロナの影響もあり、もともと注目されていた「マインドフルネス(Mindfulness)が最近はさらに浸透している気がします。松本さんは、「マインドフルネス」の重要性をずっとお話しされてきましたね。

マインドフルネス自体は、「気づいていること」、仏教用語で「サティ」ですよね。マインドフルネスを高めることは、日々を心豊かに、今時だと「ウェルビーイング(Well-being / 幸福感や充実感)」を高く保ちながら生きていく上で、すごく大事な要素だと思うんです。ただ、「マインドフルネス大事だよね、マインドフルネス高めたいよね」って言うと、それ自体を目的化してしまうようなところがありがちですよね。でも、マインドフルネスって何か掴むべきゴールがあるような話ではないはずで。つまり坐禅や瞑想、ヨガでもいいですけど、身体的なアプローチをとって自分の身体と繋がっている周囲の環境に対して気づきが高まるのは、ウェルビーイングを高めるためには すごくいいことだと思う。ただ、マインドフルではない瞬間は悪なのか、って言うと、その発想自体があまりウェルビーイングじゃないかというか。

それはつまりどういうことでしょうか?

人間って常に移り変わっているわけですよね。だから変化そのものを楽しんだらいいと思うんです。また、思考があちこちに飛んでいってしまわずに、日々の生活の中でより気づきをしっかり持てるような、心がちゃんとおさまっている方が生きやすいとは思います。だからより生きやすく生きたいと思ってる人はやったらいいと思うんですね。

「心がちゃんとおさまっている」ってとても良い言葉ですね。

いろんなお坊さんの先輩方から教えてもらったのは、よりマインドフルな生き方をしようと思ったら、瞬間的に「よし、今もっと気付こう、坐禅をしよう」ということ以上に、日々の習慣が大事だということです。例えば、鎌倉の円覚寺の横田南嶺老師が仰ったのは、仏教には「戒(かい)」、「定(じょう)」、「慧(え)」という三つのステップがある。木に例えると、「戒」が木の根っこで、「定」が木の幹で、「慧」が果実の部分。心が定まる、心が落ち着くというマインドフルネスはこの「定」の部分なので、この幹の部分ばかりフォーカスしがちだけど、実は根っこも大事だよねっていう話です。「戒」って戒めなので、ルールとかそういう話なのかなと思いがちですけど、戒とは“習慣”であると。坐禅をしてる時だけが禅なんじゃなくて、24時間全部が禅なんだと。

全ての根源は、習慣なんですね。

マインドフルネスで瞑想している時が悟りなんじゃなくて、日常生活のあらゆる瞬間に悟りはあるんだってことなんですよね。それは言い換えると、例え掃除してる時も、トイレに入ってる時も、どんなことをしていてもマインドフルであることはできるし、逆にマインドフルネスを高めようという目的で坐禅や瞑想をするところにだけマインドフルネスがあるわけじゃないんだ、ということですね。私たちの思考や気持ちって、食べ物や睡眠時間によっても左右されるだろうし、対人関係とかいろんなことにも影響されるので、実は生活そのものをちゃんと整えていくことが根っこなんだよっていうことなんです。最近は本当にそう思いますね。

次回へ続く

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