HIGHFLYERS/#27 Vol.2 | Jan 25, 2018

セレッソ大阪のジュニアユースからの挫折。音楽にサッカーと同じ感動を見出した瞬間から独学でギターを習得。上京してソロになるまで

Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Photo Retouch: Koto Nagai / Cover Image Design: Kenzi Gong

MIYAVIさんインタビュー第2回目は、幼い頃のことから、ソロデビューまでを伺いました。7歳から始めたサッカーで才能を開花させ、中学生の時にはセレッソ大阪のジュニアユースのメンバーに選ばれましたが、努力の甲斐も虚しく怪我で離脱。人生初めての挫折を味わったMIYAVIさんが次に運命的な出会いをしたのがギターでした。慕っていた先輩を突然亡くしたことがきっかけで上京、ライブハウスで出会ったバンド「Dué le Quartz」に誘われ、バンドのギタリストとして2年間活動を続けましたが、価値観の違いから解散。ついにソロデビューへと至ります。ギターとの出会いから、バンド活動を経てソロデビューする過程の出来事や、当時の思いを語ってくださいました。
PROFILE

アーティスト/ギタリストMIYAVI

エレクトリックギターをピックを使わずに全て指で弾くという独自の“スラップ奏法”でギタリストとして世界中から注目を集め、これまでに約30カ国300公演以上のライブと共に、6度のワールド・ツアーを成功させている。2015年にグラミー受賞チーム“ドリュー&シャノン”をプロデューサーに迎え全編ナッシュビルとL.A.でレコーディングされたアルバム『The Others』をリリース。2016年に8月にはLenny Skolnikをプロデューサーに迎え『Fire Bird』をリリース。また、アンジェリーナ・ジョリー監督映画「Unbroken」(2016年2⽉ 日本公開)では俳優としてハリウッドデビューも果たした他、映画『Mission: Impossible ‒Rogue Nation』日本版テーマソングのアレンジ制作、SMAPへの楽曲提供をはじめ様々なアーティスト作品へ参加するなど、国内外のアーティスト/クリエイターから高い評価を受けている。2017年11月には日本人として初となるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の親善大使に就任し、難民支援活動をおこなっている。

先輩の死に直面し、上京。バンド解散後に渋谷公会堂で初ソロライブを成功させるも、不安と共に走り続けた日々

大阪出身だそうですが、幼い頃はどういう子どもでしたか?

7歳からサッカーをやっていました。朝起きて学校行く前からずっと、昼休みや放課後も暗くなるまでボールを蹴ってましたね。両親は自由にさせてくれましたし、俗に言う反抗期みたいなものは正直あまりなかったです。 勉強にしても、新しいことを学ぶのが好きな子どもだったと思います。あとは、普通の男の子と一緒で、女の子に興味がありましたね。

小学生の頃

その頃は、サッカーがブームになった時期でしたよね?

そうですね。ちょうどJリーグが開幕したあたりで、父親が元々サッカーをやっていたこともあって、自分も成り行きで始めたんですけど、チームのキャプテンに選ばれてからのめりこんでいきました。ボールを無我夢中で追っかけて、自分が蹴ったボールがゴールネットを揺らした瞬間っていうのは、本当に頭の中が真っ白になるんですけど、ライブで歓声を浴びたときと凄く似ている気がします。当時もその快感に魅せられてやってましたね。

Jリーグのセレッソ大阪のユースチームに所属していたそうで、かなり本格的ですね。

グラウンドが尼崎にあって、自分の住んでいたところからは1時間半かかったので、学校が終わったら走って駅まで行って、電車の中で着替えて、それでも遅刻しながら通っていました。あと、プロチームのグラウンドなのでライトがあるから夜遅くまで練習できるんですよね。なので、終わると今度は満員電車に揺られて帰って、また次の日の朝、学校に行く、その繰り返しで。そうなると、やっぱり休み時間は疲れているから寝るじゃないですか。それまでは学校でチームの輪の中心に自分がいたのに、友達が離れていってしまいました。正直、辛かったですね。

Jリーグのチームに入られたのは、プロになりたいというご自分の意志からだったんですか?

はい。プロになることを踏まえての決断だったんですけど、だんだんサッカーボールを蹴ることが楽しくなくなってきちゃったんです。足を怪我をして休んでいる間に監督が変わって全部が変わってしまって、その流れに自分がついていけなくなった。精神的にもドロップアウトしました。それまでボールを蹴ることしかしてなかったので、サッカーを辞めた時に、凄く大きな穴が自分の心に空いたのを覚えてます。

それはMIYAVIさんが初めて味わった挫折感みたいなものですか?

そうですね、初めての挫折でした。それから、仲間たちとたまたま「バンドやろうぜ」っていう流れになって、そこで初めてギターを手にしました。今でも鮮明に覚えていますけど、ギターを手にして、つたない手でドレミファソラシドと弾いた時に、子供ながらに、自分が本当にでかいスタジアムで、たくさんの人の前で演奏している絵が見えたんですよね。「これだ!」って思ったんです。それからは毎日ひたすらギターを弾いて、漠然と、「ギターが自分を変えてくれるんじゃないか、ギターが自分をどこかに連れて行ってくれるんじゃないか」というような、ワクワクする気持ちと根拠のない自信を感じていました。

ギターの技術はそれからどう磨いていったのですか?

常に弾いてましたけど、基本は独学でした。だから今でもメチャクチャな部分はあるし、ぶっちゃけ、ちゃんと基礎からやられている方の方が僕よりも何千倍も上手ですよ。ただ、そもそも僕は上手になりたかったわけではなくて、最初はただ自分の心の穴を埋めたかったんです。あいた穴は本当に大きかったですし、それくらいサッカーにのめりこんでいたので。元々人を驚かせたりとか、ドッキリさせたりすることが好きだったので、それから徐々に、願わくばギターという楽器を通じて世界中の人たちをワクワク、ドキドキさせたい、そしてそれをライブで共有したいと思うようになっていったんです。

ギターにのめりこんだら、時間も忘れてずっと弾いている感じでしたか?

はい。性格だと思いますね。基本は衣服も、食も趣味も、決めたらずっとやりこむタイプだと思います。語学にしても、何事においても学びに終わりはないと思います。

ギターを手にして夢中になってから、趣味で終わらずに生業となっていった第一ステップは何だったのですか?

ギターを始めたのは15歳の頃でしたが、17の時に自分に音楽のいろはを教えてくれた先輩が亡くなったんです。眉毛はないしモヒカンで、近寄りづらい雰囲気のハードコアな人でしたが、僕にとってはいろんな音楽を聴かせてくれたお兄ちゃん的な存在でした。それまで身近な人が死ぬという経験がなかったので、同じ景色や場所が全く違って見えたことが衝撃的で。そこにいたくなくて、東京に行きました。

上京は先輩の死がきっかけだったんですね。

もうその日に思い立って、夜行バスに乗って、東京駅に朝の8時くらいに着いたのかな。そこから野宿生活をしたこともありましたね。当時からこういうナリをしていたので、ライブハウスには結構入れてもらえて、そこで色んな仲間ができて、以前所属していたバンド「Dué le Quartz」に加入することになりました。最初は入るつもりはなかったんですけど、3~5歳上のメンバー達が凄く温かくて。自分も慕っていた先輩を亡くした直後だったから一緒にいて安心できたんだと思います。

そのバンドの一員になってずっと東京にいることになったのですね。

そのバンドでは2年くらい活動しました。元々、やるからには世界でという思いがあったんですけど、バンドのメンバーとはそこの意識の共有がなかなか難しくて。バンドに限らず、集団や企業も共存していく上でそこが一番大事だと思うんですけど、人それぞれの価値観は違う上で、目の前にいる人たちをしっかり幸せにしたいというのも正解だと思うんですが、やはり共通の目的意識を持つことはすごく重要な気がします。そのバンドでは、最終的にそういった根本的な意識の違いが出てきたので、解散して、結果、ソロになりました。

バンドとソロと経験されて、ご自身はソロが良いなとか、バンドは良かったなとか色々と思うことはありますか?

一長一短ですね。ソロは全て背負わないといけないからもちろん大変ですけれども、やったらやった分だけ戻ってくるという意味ではやりがいもあります。バンドは1人よりも2人、2人よりも3人の方が面白い化学反応が起きるので、そういう意味では楽しいですよね。自分もソロですけど、1人で全てやっているというよりは、スタッフやプロデューサーも含めて沢山の人と一緒にやっているという気持ちの方が大きいですね。

Dué le Quartzをやめられてソロ活動を始めた当初から、既に環境は整っていたのですか?

幸いなことに応援してくれるファンの方たちがいたので、バンド解散が決まってからすぐにソロ作品を作って、1発目にバンドでもやったことがなかった渋谷公会堂でライブをやらせてもらいました。2発目は野音(日比谷野外音楽堂)でしたね。決してクオリティは高くなかったけど、何よりも待っていてくれた人たちがいたので、「一人であっても、転がり続けよう。どういう形であっても何かしら作っていこう」という志で続けていました。今思えば、よくやっていましたね。

ソロになった時、不安はありませんでしたか?

ありましたよ。それまではステージ上でセンターではなかったし、例えばバンドなら責任も分担できるので、誰かが調子悪くても他が調子良かったら成り立つわけじゃないですか。でもソロだと、たとえバックメンバーがいても、やっぱりほとんどの比重は全部自分にかかってきますよね。あと、歌うことに対して、本当に不安でしたね。でも自分のケツは自分で拭くというか、ステージに立つために自分で色んなものを背負ってやっていくっていう意味では、大変だったけど、本当にたくさんのものを得られました。

次回へ続く

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 ジャケ写真があればここに配置。掲載不可の場合は、トルツメになります。

MIYAVI「SAMURAI SESSIONS vol.2」
2017年11月8日発売/配信開始

ジャンル/キャリア/国境さえも超えたアーティストと真剣勝負を繰り広げる対戦型コラボレーション・アルバム第2弾!

  1. 1. Dancing With My Fingers / MIYAVI vs 三浦大知
  2. Gemstone / MIYAVI vs SKY-HI 
  3. Fight Club / MIYAVI vs EXILE SHOKICHI
  4. Banzai Song / MIYAVI vs VERBAL(m-flo/PKCZ®)
  5. Bumps In The Night / MIYAVI vs Masato(coldrain)
  6. No Thanks Ya / MIYAVI vs ちゃんみな
  7. Flashback / MIYAVI vs KenKen(LIFE IS GROOVE, RIZE, Dragon Ash)
  8. All My Life / MIYAVI vs HYDE
  9. Forget You / MIYAVI vs シェネル
  10. Slap It / MIYAVI vs 雅-MIYAVI-
  11. Long Nights feat. Sonita / MIYAVI (デジタル配信限定商品)
  12. The Making Of “Dancing With My Fingers” Music Video [Music Video] / MIYAVI vs 三浦大知

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◆初回限定盤(CD+DVD/5,000(税別) TYCT-69120
【CD】全10曲収録
【DVD収録内容】

  • 「Dancing With My Fingers」MIYAVI vs 三浦大知 Music Video
  • 「MIYAVI 15th Anniversary Live“NEO TOKYO 15”」ライブ映像5曲
  • 「MIYAVI 15th Anniversary Live“NEO TOKYO 15”」ドキュメント映像

◆通常盤(CD/3,000(税別) TYCT-60108
【CD】全10曲収録

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