YouTuberやサブスクなど、新しい時代に根本的に社会のルールが変わったら、今までの価値観や繋がりはどうなっていくのだろうか
コーヒーの魅力は?と聞かれたらなんと答えますか。
最近ワインをまた真剣に飲み始めたのですが、素晴らしいコーヒーって、一本5万円とか10万円以上するワインに匹敵する品の良さがあるんですよね。僕は仕事柄そういうコーヒーを世界でたくさん飲んできましたが、この魅力はまだ多くの人になかなか伝わっていないのが現状です。ようやく飲食に携わるプロ達からは、「これってワインと同じですね」っていう言葉が少しずつ聞こえ始めているんですけど、それをもっと分かってもらいたいし、伝えていかなきゃいけないなと思ってます。
今までの人生で一番美味しかったコーヒーは?
やはりそのコーヒーを作った生産者と、その農園で飲むのが最高にうまい。そういう時のコーヒーの状態って意外とどうでも良くて。だって作り手と一緒に飲むコーヒーって、ワインで言えばドメーヌの当主と一緒に飲んでいるようなものじゃないですか。最高の贅沢であり、最高の独占感がありますよ。あとは、僕はケニアのコーヒーが好きなんで、現地の買い付けテーブルでカッピングしている時が一番興奮しますね。
普段から心がけている習慣があれば3つ教えてください。
今は機械的に動かないように心掛けているかな。経営者のせいか、朝起きた瞬間からどうしてもすぐ頭がぐるぐる動いて、勝手に妄想が始まるので、マインドフルネスみたいな言葉になっちゃうんですけど、とにかく機械的に動くのはやめようと。あとは、メディアに出る機会を多くいただく立場なので、やっぱりチヤホヤされることが多いから、そういう時に奢りみたいなことはないか、調子に乗ってないかというのはいつも気をつけてますね。それと結構意気地がなくウジウジするタイプなので、あまり深刻に考えすぎない。コーヒーって真面目にやりすぎると、生きるか死ぬかになっちゃうんですよね。それでちょっとノイローゼみたいになったことも以前に何回かあったので、“Take it easy”に考えるようにはしてます。
なぜコーヒーって、多くの人にとって生きるか死ぬかみたいな極端なことになっていくんだと思いますか?
自己投入しやすい要素がいろんなところにあるからでしょうね。何か作るにしても、例えばワインだったら、こちら側が考えなくていいプロセスってあるけど、コーヒーは細かく考えちゃうっていうか。サイフォンにしてもなんでも、コーヒーはけっこう人の手が関わる要素が多くて、変数が多すぎる。その変数によって美味しくなるって信じ始めちゃうと、いろんな要素がありすぎて宗教みたいな世界になっちゃうんですよ。まあだから楽しくもあるんだけど、迷宮にハマっちゃうっていうね。 A地点からB地点にすんなり行けばいいのに、その間のことを細かく見すぎちゃう。
そういうことですね。では、今世界で起きていることで興味あることは?
今、欧米も日本もそうですけど、ちょっと分断化してますよね。そんな中で何か新しい価値観が生まれて、それが当たり前になっていくのかどうかということには興味があります。例えば 筋を通すとか、信頼関係とか友情とかっていう今までの価値観は、僕にとってずっと重要なことだったんですけど、それがこの先もそのまま大切なことなのかどうか。どんどん利己的になっていく世の中で、そこがどう変化していくのかは興味がありますね。
そこは私もとても興味があります。その点に関して、コーヒーの世界ではどういうことが起こり得ると思いますか?
例えばコーヒーって、ある意味人情の商売だと思っていて、「この人のために買う、この人が好きだから買う」っていう人の心がまずあって、それが生涯顧客になるっていうことに繋がっていくんだけど、今はサブスク(サブスクリプション:月会費などを払うと、その期間製品やサービスを利用できるビジネスモデル。コーヒーの場合は、自動的に豆が毎月送られてくるなど)が広がってますよね。サブスクって僕の体験上、最初はいいんだけど、そう上手くいかないと思ってるんです。それ以外のいろんな新しいビジネスモデルにしても、人との繋がりが希薄のままずっと生き延びるのだろうか、って思ってしまうんです。例えば僕からしてみると、YouTuber なんかもふわふわしてるようにしか見えないんだけど、本当に上手くいくってことがあるんだろうか、たまたま今だけの話なのか、もし定着した動きになるならどういう努力の仕方があるのか、根本的に社会のルールが変わってくるのか、っていうことには興味がありますね。
例えルールが変わっても、丸山社長はそこにすぐ順応しそうですけどね。
実は僕は、すごく原理原則にこだわる人間で、例えばコーヒーの味でもいろんな新しい味が出てきてはいるけれど、世の中の人たちのコンセンサスを得てないものを、「これが美味しいんです」とはプロとして言えないと思っていて。だからやってないこともいっぱいあるんです。だけど、例えば東京のレストランなんて定説が決まってないものでも先にやった人の勝ちじゃないですか。よりキャッチーな名前をつければ、以前だったらネガティブだったものも肯定的に認められる。もしそれが正しくて、古いことがいけないことで、常に変えていくことが黄金ルールになるのだったら、それをやらなきゃいけないですもんね。そのあたりは、この先どうなるかをよく考えています。
それでは、丸山さんにとってチャンスとはなんですか?
気がついたら掴んでるもの。チャンスの機会はあっという間に通り過ぎてしまう。 僕は、普段はどちらかというと待つタイプ。イジイジしてる人間なんですけど、チャンスと思ったらすぐ掴みます。つまり、僕が節操もなく何かに飛びついている時は、もう遠慮や世間体すらも忘れて動いてるんで、絶対にチャンスなんです。
今までで節操もなく飛びついた一番大きなことはなんですか?
2001年にアメリカに行った時もそうだし、初めてカップ・オブ・エクセレンスの審査員に推薦された時も、先輩方を差し置いて、「行きます!」って自分から言いました。
良いですね。次に、丸山社長にとって成功とは何かをお聞きしたいです。
僕自身の本当の成功は、今の成功に捉われないこと。ビジネスでの成功は、製品だったりサービスだったり、自分の意図していることがお客様に伝わって、心の底から「ありがとう」って言っていただいて実感できた時ですかね。
丸山さんから見て、成功者ってイメージする人はいますか?
成功している人なんているのでしょうか?だって最後はみんな死ぬんだもん。約1年半前に自分の父が亡くなりましたけど、最期の3時間は母と妹と僕と父親の4人だけで過ごしたんです。少しずつ父の呼吸がゆっくりになっていって、 長い坂を上まで登りきったみたいに一度息が止まったんですね。そうしたら最後にもう一息だけ吸って、本当に全てが止まりました。彼の脳みそにあった80数年間のメモリーは、酸素が行かなくなるにつれてどんどん死滅していき、彼しか知り得ない質感とか喜びとか体験がその瞬間に静かに消えていく。最後は皆一人の人間として土に還っていくわけだから、生きてる間に起きてることはイベントの集合体であって、その中で成功と思われるようなことはあるかもしれないけど、結局最後にはっと息を吐いて死ねればそれでいいんじゃないかなって。成功っていう文脈で人生を考えすぎたらおかしくなりますよね。だってそんなものは死んだ後まで持っていけないんだし。
そういう考え方は昔からお持ちですか?
昔から頭ではわかってたんです。ところが23歳からコーヒー始めちゃって、ある意味成功して勘違いしたんですね。今、コロナ禍になったこともそうだし、父が亡くなってその瞬間に消えていく人間の儚さを肌で感じたこともそうだし、最近いろいろ考えさせられています。もちろん真剣にこの仕事をやっているし、今を一生懸命生きていますけど、成功って、手にしたと思った瞬間にスルスルと抜け落ちていくものだと思うから、周りのみんながある程度幸せで、苦しいことがあっても乗り越えられるだけの力を蓄えながらずっと良い状態で動いていくことが大事なんじゃないですかね。
とても考えさせられます。では、丸山さんが世界を変えられるとしたら、それはどんなことだと思いますか?
自覚していることですが、自分にはまだまだ奢っている部分や、人を怒らせちゃう不遜なところがあるんですよ。そんなのはとっくの昔に卒業したと思ってたのに、違うんですよね。本当の意味で僕自身がもっと関わる人たちに穏やかに接していけるようになれたら、多分僕の周りから変わっていくんじゃないかと思っています。 少なくともその部屋が変わり、部屋が変われば部署が変わり、部署が変われば会社も変わるし、関係各社も変わるってことなんじゃないかなって。それが世界が変わるってことなんじゃないかなと思ってます。
では、まだ叶っていない夢があったら教えてください
1ヶ月ぐらい のんびりインドに行くか、ゆっくり南米の遺跡を巡るとかしてみたいですね。もう一つは、歳をとって経営の最前線から引退したら、マンハッタンのアッパーサイドの、美術館があるあたりの路地でちょっとしたコーヒー屋というか、日本料理屋みたいなものをマイペースでやれたら楽しいのかなって思うこともあります。
なんと、ニューヨークでコーヒー店と和食屋を経営する丸山さん!
なぜかと言うと、妻が昔通っていたバレエカンパニーがマンハッタンにあるんです。彼女は午前中レッスンに行き、僕は丸山珈琲から豆を仕入れさせてもらって(笑)、適当に昼くらいから営業して、妻がおばんざいを作って、僕はドリップでもフレンチプレスでもいいから細かいことは一切言わず、「昔コーヒーやってたんですよ」ってニコニコ笑いながら、ただのコーヒー屋のオヤジになる。いいじゃないですか、そういうの。最初に軽井沢の追分で23歳でオープンした時、カウンターメインのお店が大人気だったんですよ。別荘の人たちが、「旦那がケンちゃんと話しするってうるさいのよ」なんて言いながら1日2回来ましたもん。
まるで映画のワンシーンのような素敵な光景ですね。では、3、5、10年後のご自分はどうなっていると思いますか?
3年後は間違いなく、このコロナが終わった後の仕切り直しで動き回ってると思いますね。ただ、歳をとるごとに体がしんどくなっていくので、10年後には海外の出張も徐々に減るでしょう。そうすると直接的情報はかなりなくなるし、もっと若い厚みのある年齢層が出てくるので、最前線からは少しずつ離れていくと思います。ただ今までの体験や知見から、良いアドバイスはできると思うんですね。それから、おかげさまで全世界に友達ができたから、プライベートで行って、みんなと一緒に、マヤとかインカのいろんな遺跡や世界遺産や、アフリカのいろんな文化を見て回るような時間も増えるのかな、とか。でも、まだまだ先の話だとは思います。