HIGHFLYERS/#46 Vol.3 | Apr 1, 2021

国際社会では筋の通ったコミュニケーションが大切。顔が見えて、お互いに考えていることを理解できる関係を作り続ける

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

株式会社丸山珈琲の丸山健太郎社長インタビュー3回目は、アメリカで初めてスペシャルティコーヒー市場を体験したときのことから、丸山珈琲が徐々に成長していく経緯や人との出会いを中心に伺いました。2001年に渡米して、SCAA(全米スペシャルティコーヒー協会の展示会)に参加し、その後ピーツコーヒーの焙煎工場を見学したことが丸山さんのビジネスの意識を大きく変えるきっかけとなります。その後、会社は大きく成長していきますが、その過程で丸山さんにどのような思考の変化があったのでしょうか。また、世界のスペシャルティコーヒー業界の中心で、今も世界中の仲間達と対等な関係を築き続ける丸山さんは、どのような意識を持って国際社会で活躍しているのでしょう。これまでに影響を受けた人に学んだことや、最も嬉しかったこと、またスペシャルティコーヒーを通して得たものなども伺いました。
PROFILE

丸山珈琲 代表取締役社長 丸山健太郎

1968年埼玉県生まれ、神奈川県育ち。1991年に軽井沢にて丸山珈琲創業。2001年からは、バイヤーとして生産地訪問を開始し、現在は年間150日近くを海外で過ごす。また、数々のコーヒー豆品評会、審査会における、国際的カッパー(テイスター)としても活躍。「世界でもっとも多くの審査会に出席するカッパー」と言われている。また、カップ・オブ・エクセレンス国際審査員、ACE(エース)(Alliance for Coffee Excellence Inc.)名誉理事を務める。

家族ぐるみで付き合っている生産者と一緒にいろいろ悩み、決断しながら前に進んできた中に、数々の嬉しい瞬間があった

スペシャルティコーヒーを目的に、最初にアメリカに行かれたときのことを教えてください。

焙煎仲間10人くらいを引き連れて、2001年4月、スペシャルティコーヒー協会の展示会のためにマイアミに行ったのが最初です。当時すでにワールドバリスタチャンピオンシップも開催されていました。期間中、ブラジルスペシャルティコーヒー協会主催の船上パーティーに参加すると、会場にはイリーの社長、スターバックスのバイヤーや大きな農園の生産者など、コーヒー業界の有名人ばかりがいたのでびっくりしました。

2001年のSCAAの展示会にて

アメリカで高まりつつあった、スペシャルティコーヒー市場の現場をリアルに体験されたんですね。

中でもかの有名なイパネマ農園のオーナーに会った時は感動しましたね。当時僕もその農園の豆を問屋から月に1俵くらい買っていたので、彼に、「僕、買ってます!」って言ったら、「どのくらい買ってるんだ?」って聞かれて、「12(年間12俵、約720キロ)」って言ったら、12コンテナ(約3600俵/216トン)と勘違いして喜んじゃって、「いえ12俵です」って言ったら笑われちゃいました。僕が買っていた量なんて、コンテナ単位で取引しているアメリカの市場からしたら買っているうちに入らないんですね。世界のコーヒー業界の中心人物たちが紹介しあって繋がりながら、その場で次々とビジネスが生まれていく現場を目の当たりにして、「こういう人たちが扱う良い豆を手に入れるためには、自分も彼らと対等な関係にならなければ」と気づいて、仲間に入ろうって決めたんです。

仲間に入るとは、つまりどういうことでしょうか。

まずは、コーヒー豆をコンテナ単位で買わないといけない。つまり、急にその量を売らなきゃいけないミッションが出てきたんです。それと、もう1つ衝撃を受けた体験をしたんですが、展示会の後に、当時カリフォルニア州エメリービルにあったピーツコーヒーの焙煎工場を見学させてもらった時のことです。その工場には、100キロぐらいの焙煎機が3台あって、Tシャツにジーパン姿でキャップをかぶったお兄ちゃん達がまるでスポーツをしているかのようにその大きな機械を操作していました。焙煎と同時進行でテイスティングもしていて、品質について意見を言い合っている様子を見てとても感動しまして。その頃日本はまだ、焙煎機が大きいと品質は担保できない、ハンドピック(欠点豆を手でひとつひとつ取り除く作業)をしっかりして、小さく丁寧にやるのが良しとされていた時代。僕も、「うちのコーヒーが美味しいのは、小さな窯で焙煎して、ネルで丁寧に淹れているからなんですよ」ってお客さんに言ってたので、ギャップに驚きました。大量に焙煎しているのに素晴らしいクオリティだったんですよ。

そこから、量を多く買うためにどう行動に移していったのですか?

もう帰りの飛行機の中で事業計画ですよ。だってあの当時は、月200キロぐらいしか売ってなかったから、どう考えてもトンにいかないんです。ビジネスとして考えないと良い豆が入って来ないっていうことがわかったし、この流れはやがて日本でも起きるという直感があったので、早速高かった豆の販売価格を下げて、マーケティングをめちゃくちゃ勉強しました。最初にコーヒー豆を買い付けたのはアフリカのザンビアからでしたが、決済もよくわかっていなかったので、信用状取引について銀行に聞きにいった時に、 それは結局融資と同じであることを教えてもらいました。まだ事業をやっているという感覚は全然なかったんですが、融資を受けることになりそこから確実にゲームが変わっていきましたね。

そうして次第に丸山珈琲が大きくなっていくのですね。そこからずっと上昇気流に乗ってきたのですか?

そうですね。でも大変なこともいろいろありましたよ。当時、既存のコーヒー業界人たちは、スペシャルティコーヒーっていう胡散臭いものが出てきたと言っていましたし、結構権威と呼ばれる方たちでさえ、「コーヒーなんて、美味いかまずいかだろ」って主張していましたから。コーヒーの味までワールドスタンダードで判断されることへの抵抗がすごくありました。意外と同業者からの風当たりが強くて、かなり強烈なことをブログ等に書かれた時は辛かったですね。とにかく大人しくして、ネガティブなところを見せないように、反応しないようにしていました。あれから15年かかりましたが、今は国内コーヒーマーケットでのスペシャルティコーヒーのシェアが10パーセントを超え存在感も出てきましたので、やっと時代が変わって解放されましたね。

その時代を変えたのは丸山さんなんじゃないでしょうか。

そんな感覚はあまりないんです。というのは、本当のサードウェーブって、2006年から2009年ぐらいにアメリカで起きてるんです。僕はその直後すぐに日本に来ると思ってたんですよ。当時はTEDにコーヒー関係者が出て、イノベーションとかソーシャル活動に関してのコーヒーの持つ力や、フェアトレードを越えてダイレクトトレードの話なんかをして欧米ではすごく盛り上がっていましたから。いよいよサードウェーブが日本に来たら、僕はけっこう語れるぞ!なんて思っていたけど、待てど暮らせど来ない。2013、4年、忘れた頃急にサードウェーブって聞くようになりましたけど、背後にある思想、哲学は日本には入って来なくて、ただのスタイルの話になっていました。だから僕からしてみると、もう終わった話が来てるっていう感覚だったので、自分が変えた感じは実はないですね。

では、ご自身を変えた人生最大の出会いを教えてください。

仕事に関しては、テイスティングの師匠の存在が大きかったです。その方は、国際社会で自分がどう人と接して関係性を作り、世界を広げていくかを教えてくださいました。誰かに色々質問された時は、どんなに自分のお店が小さかろうと、怯まずに自分の知っていることはちゃんと返すこと。人と繋がったら、その後レスポンスをしてちゃんとやり取りする関係を作って付き合っていくこと。その人達にきちっとした対応をしていれば話は広がっていきますよ、と言われました。それから筋を通すことの大切さも教わりましたね。何も言わない日本人と違って、その方は反対意見であってもはっきり言うので、逆に欧米人にすごく信用されてるんですね。僕とはタイプが違いますが、国際社会でのありかたは、その方から多く学ばせていただきました。

以前インタビューした時に、井崎英典さん(2014年丸山珈琲時代に世界大会で優勝した第15代ワールドバリスタチャンピオン)が丸山社長からは礼儀・礼節を学んだとおっしゃっていたのを思い出しました。

結局、国際社会に出ると、背景もみんな違うし、お互いのことが分からないからそこはやっぱり大切ですよね。チャンピオンになるために高い豆を買うとか、いろんなことが重要だけど、まずはやっぱりきちんと人間として筋を通すことが一番です。だから今回コロナ禍で取引がいつもどおりにできなくなった時は、生産者とちゃんとミーティングをして、ごめんなさいって謝って、理由や今後の計画を全部話します。すると、向こうも「量は減るけど頑張れる。全部教えてくれてありがとう」ってなります。やっぱり顔が見えて、お互いに考えていることを理解できる関係を作り続けることが大切ですよね 。

本当ですね。では、今までの仕事で最も嬉しかったことを教えてください。

色々あります。丸山珈琲からバリスタの世界チャンピオンを輩出できたことも、うちの鈴木バリスタが2位になったことも嬉しかったし、表参道店が出来た時に生産者がたくさん集まってくれて、知らない生産者からも、「いつか自分のコーヒーをここに置いてもらえるように頑張るよ」と言ってもらった時も嬉しかったです。僕自身や会社が何かを成し遂げたことよりも、家族ぐるみで付き合っている生産者と一緒にいろいろ悩み、決断しながら前に進んできた一瞬一瞬のシーンに、僕にとっての嬉しさや喜びは多かった気がします。

では、スペシャルティコーヒーを通して丸山さんが得たものは?

友達ですかね。家族みたいな存在の友人が、世界中、それもアフリカや南米の結構な田舎の山の中にいて、一緒に飯を食ってくれる。僕のために鶏肉とかトルティーヤを焼いて作ってくれる人がいることは、スペシャルティコーヒーから得られた一番のご褒美かな。

ブラジルの生産者と。右がIP農園オーナーのルイス・パウロ・ジアス・ペレイラ氏、左が息子のルイス・パウロ・ジアス・ペレイラ・フィーリョ氏

次回へ続く

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