HIGHFLYERS/#47 Vol.2 | May 20, 2021

映画や演劇にのめり込んだ学生時代。幼少期から真面目に歩んだレールを大きく外れ、卒業後はイラストレーターの道へ

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

イラストレーター、五月女ケイ子さんのインタビュー2回目は、幼い頃のことからイラストレーターとしてブレイクするまでのことを伺いました。NHK以外はテレビも見せてもらえないほど、しつけの厳しい両親に育てられた五月女さんは、真面目にレールの上を歩む生き方をしてきましたが、中学、高校と進むうちに、出会った人やカルチャーによって、そのレールから外れたりまた戻ったりを繰り返しながら、次々と好きなことにとことんのめり込んでいきます。中学では卓球、高校ではダンス、そして大学では映画に夢中になり、就職活動の時期になると、幼い頃から好きだった絵を描く仕事に就くことを決意します。いったい五月女さんをイラストレーターにしたきっかけはなんだったのでしょうか。そして、今のスタイルに辿り着くまでにはどのような経験をされたのでしょう。イラストレーターとしての活動を始めて、「新しい単位」のお仕事に出会うまでのこともじっくり伺いました。
PROFILE

イラストレーター 五月女ケイ子

山口県生まれ。横浜育ち。中学の部活は卓球部。高校はダンス部。 大学では映画学を専攻し映画研究部に在籍。卒業後、独学でイラストレーターになる。最初の仕事は雑誌 『Hanako』。 「徹子の部屋」のほかの部屋はどうなっているのかを図解したイラストをきっかけに現在のスタイルを手に入れる。 2000年、BSフジの番組『宝島の地図』のコーナー『新しい単位』 のイラストを手がけ、これがのちに30万部を超えるベストセラー単行本となりアジア各国でも発売される。 『淑女のエチケット』(扶桑社)『愛・バカ博』(扶桑社)『レッツ!!古事記』(講談社)『親バカ本』(マガジンハウス)など独自の目線の著作も多数。 細川徹+佐伯新によるコントユニット『男子はだまってなさいよ!』 の舞台に出演したり 「タモリ倶楽部」 に出演したりテレビ・ラジオ・舞台など幅広くマルチに活躍中。 2018年には台湾で展覧会「五月女桂子的逆襲」を開催。 国内のみならず海外でも人気のLINEスタンプ「五月女ケイ子のごあいさつ」や「淑女のご挨拶」スタンプは大好評発売中!

一度覚悟を決めたらとことん極める性格。結婚して「奥さん」と呼ばれるようになったら、それで終わる気がして嫌になった

山口県出身だそうですが、小さい頃はどのような子供で、ご両親にはどのように育てられましたか?

ゲームはもちろん、テレビもNHKしか見ちゃダメとか、普通の家よりかなり厳格で真面目な家で育ちました。なので、ふざけられないんです、私(笑)。今でもなるべく見た目は普通の人として振る舞ってしまうんです。小さい頃からもしかしたらおかしな素養はあったんだろうけど、その部分は隠して、というか自分でも気づかずに生きてきました。

おかしな素養は隠していたのですね。

それから、両親は合唱を通じて出会った夫婦なので、家族でよく歌っていました。それで、必ずハモる(笑)。今でもハモれちゃうし、 腹式呼吸なので家だとボリュームが大きいです。その影響で私も合唱団に入ってました。合唱団の発表会で歌っている自分の姿を後からビデオで見ると、歌ってる時も、人一倍私だけ大きく揺れてるんですよ。多分そういうところに、普段は隠している素養がちょっとはみ出してしまったのかもしれません(笑)。

笑。やはり小さい時からちょっと飛び出ていたところがあったのですね。

そうなのかもしれません。でも、自分自身は家のレールに乗ることに必死で、はみ出てたことには気付かずにいました。

それで中学は卓球部に入ったそうですね。振り幅がすごいですね。

ピアノをやってたから、突き指するからバレーとかバスケはダメと言われて、突き指しない卓球にしたんです。やはり、レールに乗ろうとしてたのかもしれないです。

他に夢中になったことはありますか?

家ではロック禁止だったのですが、ちょうど中3という微妙な時期、卒業間近の頃に横浜に転校して、なかなか馴染めなくて、やっとできた友達が X のコピーバンドやろうって誘ってくれて、私はピアノができたから、「じゃあYOSHIKIね」ってなって。だからドラムやらなきゃって思ったけど、ドラムセットもないので、とりあえず村上ポンタさんの通信講座を受けて、枕を叩いてみたりしてました。

ピアノが弾けたところにドラムが加わって、Xのコピーバンドを始めたんですか?

バンドは、そのまま高校に上がって自然消滅しちゃったのですが、Xのライブには行きました。友達はTOSHIさんみたいに髪を固めてたんですが、私は紫のシャツを着るのが精一杯で(笑)。でも、自分なりに敷かれたレールから、はみ出ようと試みていたんだと思います。ライブの最後にYOSHIKIさんが何本か投げたステッィクが、ちょうどポーンって私の足元に落ちてきて。「YOSHIKI 」ってサインが書いてありました。そのスティックは、今でも大切に持っています。

高校では何かに夢中になったのですか?

部活をどうするか考えていた時に、私に足りないのはリズム感だと思って、ダンス部に入りました。その頃はジャネット・ジャクソンやMCハマーが流行っていたから、「リズム・ネイション」とかをコピーしたり、あとはミュージカル「コーラス・ライン」を踊ったりとか、 「鏡の中のもう一人の私」みたいなテーマで創作して創作ダンスの大会に出たりしてました。

その頃はまだ、イラストレーターになるきっかけみたいなものには出会っていないのですか?

そうですね、でも小さい頃から絵を描くのは好きで、チラシの裏にずっと絵を描いたり、小学校で友達に絵を描いてあげたりしていました。中学までは少女漫画家になりたいと思っていたのですが、夢破れました。

絵を描くことに関しては、厳しいご両親は何も言ってこなかったんですね。

厳しかったですが、芸術には寛容だったんです。クラシックやウィーン合唱団などコンサートや展覧会にはよく連れて行ってくれました。

その後、大学では映画を学ばれたそうですね。

芸術学科で映画を専攻しました。実技はないんですけど、学術的に映画学とか美学、美術史などを学びました。サークルは映画研究部に入って、そこでいろんな映画オタクの人と出会って影響を受けて、映画や演劇を観に行くようになりました。

映画研究部時代の撮影風景

一番影響を受けた映画は?

色々貪り観てたんですけど、学校の図書館に大量の映画のレーザーディスクがあったので、「戦艦ポチョムキン」の時代からハリウッド映画までいろんな映画をなんでもかんでも観てました。ウディ・アレンや小津安二郎、ゴダールとか、ヴィジュアルで語る作品が好きで、卒論はイランの映画監督のアッバス・キアロスタミをテーマにしました。

大学の時は絵は描いていたんですか?

その映画研究部の上映会の看板を描いたり、自分たちで出す雑誌の絵を描いたりしてましたけど、本当に趣味程度で。当時はすごく就職難だったんで、すぐ職になりそうなのがイラストだったという理由から、イラストのほうに進もうと思いました。その頃は絵を描いてお金をもらえればそれだけで嬉しかったので、歴史の出版社にいた友達が紹介してくれて、出土された木簡の写真をトレースする仕事などもやってました。

就職活動はしなかったんですね。

そうですね。真面目にレールの上を歩いていたつもりが、映研に入ったことで、個性的なレールに乗り換えちゃって、一般の社会に行くのはもう無理だなと思ってました(笑)。就職せずにイラストレーターになろうと決めてから、就職活動の代わりに毎日絵を描いていました。毎日一枚以上自由に描きためて、それをファイルにして人に見せていたら、たまたまマガジンハウスの「Hanako」の連載の仕事が決まりました。

やっぱりキラリと光るものが絶対あったんでしょうね。Hanakoのお仕事は結構続いたんですか?

健康ページのイラストだったんですが、当時は、今のスタイルとは全然違う、もっとガーリーな感じのイラストを描いていました。例えばガーリーな子宮とか(笑)。1年ぐらいやりましたが、どうもしっくり来なくて。イラストレーターってイラストを描いていればいいのかと思ったら、当たり前なんですけど編集者と喋らなきゃいけないし、人と話すのが苦手なのでやり取りするのが辛くなってきちゃったんです。

それで1年で終わりになったんですか?

はい。その後もちょこちょこ仕事はあったんですけど、あまりピンと来るものがないまま、24歳くらいで結婚したんで、本当に腰かけのパート気分でした。ところが、結婚してから、いろんな場所に行って「奥さん」って呼ばれるようになったら、「あ、このまま私は誰かの奥さんで終わるんだ」って思ったんですよね(笑)。夫は才能はあったんですが、なかなか上手くいかなかったのが重なったのもあって、「私がやらなきゃダメじゃん」て、思ったんですよ。一度覚悟を決めると、敷かれたレールを飛び出して思い切ってやっちゃうタイプなんです。そんな時に、ちょうど「新しい単位」というテレビの番組のお仕事が来たので、そこで初めて今のスタイルを描き始めました。

新しいお仕事が来た時に、それまでとは違うスタイルはすぐに生まれてくるものなんですか?

以前、昔の昭和っぽい少年マガジンのグラビアとかをパロディにして、夫がネタを作って、私が絵みたいなのを描いて一緒にやっていたんです。例えば、「徹子の部屋の別の部屋はどうなってるの?」っていうネタとか。その時に、初めてやりがいを感じて。そのスタイルを見た「新しい単位」という番組の担当の方から仕事をいただきました。「新しい単位」は、「悲しみ」とか「怖い」とか感情を単位にして絵に表したのですが、感情を描くことで自分が抑えてた部分がようやく出せた感じがあって。はみだしていいんだって。この時、初めて自分がレールに敷かれたことや物語を作りたくて少女漫画家になりたかったこと、いろんなことを感じやすい性格とか、観まくった映画とか、自分が今までインプットしてきたものをここでアウトプットできるんだと思ったら、自分の人生全部入れ込んじゃっていいんだってそこで初めて感じて。それが20年前くらいです。

新しい単位で生まれた五月女さんのスタイルが、今に自然な感じで繋がってるんですね。

そうですね、描き方やキャラクターは違っても、入れ込んでいる精神のスタイルができたのは多分その時ですね。

では、今からイラストレーターになりたいという若者がいたら、なんとアドバイスをしますか?

先日もイラストレーターになりたいという中学生から手紙をいただいたんですが、その時も言ったのは、色んな経験をしたらいいよっていうことです。悲しいことも嫌なことも、表現にとっては、全部肥やしになると思うんです。きっと中学、高校とか若い時っていろいろ大変な思いをすると思うけど、表現のためには絶対に役立つことがあるから、とにかく沢山経験して、自分という引き出しをたくさん作って欲しいなと思います。

撮影協力:WOODBERRY COFFEE 荻窪店
住所:東京都杉並区桃井1-2-2
TEL : 03-6454-7785
https://woodberrycoffee.com/

次回へ続く

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