19歳でアメリカ・サンフランシスコへ。帰国後、イベントスタッフの一員としてキャリアをスタート。多くの現場で実務経験を積んで起業
幼い頃はどんな子供でしたか?
東京の練馬区出身で、高校までサッカーをやっていました。小さい頃から我が道を行くタイプである一方で、学級委員や生徒会長もやってましたね。いたずらが好きで、小学校の時は当時流行っていたもので、例えばドリフとかひょうきん族のマネを誰よりも一番大げさにやって、怒られて悪目立ちして(笑)。みんなを楽しませたいっていう一心でやってるだけなんですけど、やりすぎだったみたいです。
何か夢中になっていたことは?
サッカーと吹奏楽。楽器はトランペットを吹いていました。
小学生の頃
その頃の夢は?
多分サッカー選手とか小学生らしい夢もあったと思うんですけど、実際は何か面白いことをみんなでやりたいと思っていました。サッカーも吹奏楽も、要はチームワークなので、そういう醍醐味というか楽しさみたいなのは、感覚的にあったのかなと思います。
その後、どういう経緯を辿るのですか?
高校卒業後、大学受験を現役で失敗して浪人をしていたのですが、いずれアメリカに行きたいという気持ちが小学生の頃からあったので、それならいっそ今すぐ行こうと思い、19歳で留学しました。サンフランシスコで地元の大学に通って、5年ぐらい住み、その後は同じカリフォルニア州のオレンジカウンティに移って、アメリカで起業した日本人カーレーサーの友達の仕事の手伝いをし始めて。アメリカではF1よりも人気のあるNASCAR というレースに参戦し、僕はチームではスポッターというレース中にドライバーへ状況や指示を出す役割をしていました。レースでアメリカをツアーし、またそのレースに参戦する為の費用を稼ぐためにアメ車や、ヴィンテージインテリアなどの輸出業などもやっていました。
NASCARで、スポッターとして働いていた頃
今のお仕事を始めたのはいつ頃ですか?
当時、一度帰国する機会があって、そこで今の仕事に出会いました。またアメリカに戻るつもりで、日雇いのバイトで幕張メッセやビッグサイトでイベントのスタッフをしたんです。そのバイトをしている時に、演出などを手がけているイベント会社に出会って誘われて。そこでは音楽ライブや、パフォーマンスのショーなどの制作をしていました。その後は、 イベントの運営的な部分をメインにやる会社で3年ぐらい働きました。
それまでの経歴をお聞きすると、演出する仕事はしていないですよね。それなのにやりたかったというのは、どういう思いがあったんですか?
イベントって一言で言っても、色んなジャンルがあるじゃないですか。モーターショーみたいなものもあれば、アーティストライブもあったり、当時は末端ではあるんですけど、いろんなイベントの運営を担当している時、自分だったらこうしたいなとか、こうするなとか、いろんなものをお客さんに近い感覚で俯瞰して見ているので、そういう思いが常にあったのかもしれないですね。この仕事をもっと突き進んでいくのであれば、根本から関われるようになりたいと思っていたんだと思います。
それでどういうアクションを起こしたのですか?
最初の演出事務所は1年で辞め、今度はイベント会社に入ったんですが、その会社は運営をメインにしていて、演出に関しては社内で教えてもらえる人が全然いない状況でした。仕事は率先してやり、 当時の社長が喜ぶ売上げはキープしながら、それとは別に外の制作会社とかプランニング会社で働いている知り合いに、何でもやるんでって言って、無理矢理色々教わってました。全部の良いとこ取りをして学べたし、その間にいろんなコネクションもできましたね。それを2年くらい続けて、30歳で独立をしました。
その頃はどういうイベントを作っていたんですか?
独立した初年度に、富士スピードウェイで開催された F 1に関わっていました。たしか1年目に運営に問題があって、2年目にそれを大きく変えなければ開催ができないような状況になって。僕は出向という形で初期から携わらせてもらい、どういう風にしたらお客さんにストレスなく来場頂いて1日を過ごしてもらえるかという運営計画的な事とかを1年以上かけてやっていました。お客さんが来場して観る時に、ネガティブな気持ちになっていたらステージも楽しんで観られないでしょうから、ホスピタリティやどういう連携が必要なのかっていう制作側の座組みみたいなことや、広告のブランディングから発生するようなイベントを軸にずっとやっていた感じです。
30歳で会社を立ち上げて、その後も同じ会社でずっとやられているのですか?
30歳から始めた会社は前職の同僚と一緒に立ち上げたもので、そこで4年ぐらい続けて、35歳から完全に一人で独立しました。その4年間で僕が学んだのは、日本を代表するイベントを手がけるようなプロデューサー、プランナーの考え方や技術です。僕には、この業界で様々な分野において、師匠と勝手に思っている人が外部の会社に沢山いて、今でもとても感謝しています。その頃には、自分がプロデューサーとして演出の企画を立て、コンペで仕事を勝ち取り、ステージ演出もし始めました。
今、数々の大きなイベントを手がけていますけど、一番の転機になった仕事というのは?
一番は「STAR ISLAND」だと思いますが、そこに至るには、スケール感や、エンターテイメント性、オリジナリティのある演出が得意な人だという認知や実績が作れていたからだと思っています。他にも、2014年にソニービルで実施した「Precious SKY FASHION SHOW feat. GUCCI」は、3 日間開催する予定でしたが、人が集まりすぎて1回で中止になって話題を呼び、新聞全紙の表1面を飾ったり、多くのメディアにも取り上げられました。第1 回JACE イベントアワード 広告インパクト賞も受賞して、ちょっとした伝説になりました。
STAR ISLANDの現場にて。出演者たちに指示をする潤間氏
モデルが宙に浮いて、ビルの側面を歩く姿が衝撃的でした。
これはプロデューサーが考えたアイデアでしたが、それを実現するために、僕が自費でラスベガスに行って、シルク・ド・ソレイユに関わる技術者に相談して作り上げ、ブランドに合わせた演出をしたんです。35歳で独立してからは、より演出に特化しようと思っていたので、このイベントは名刺代わりになりましたね。僕を信用してくれたプロデューサーにはとても感謝しています。
そこからまた仕事の幅がガラッと変わった感じですか?
そうですね、僕個人的にもそうですけど、今まで見たことのないようなものを作りたいとか、そういうことにチャレンジしたいと思っている熱い感じのプロデューサーが相談に来てくれるようになった感じです。
潤間さんは自分のやりたいことを実現するために、行動に移したり、自分から発信したりしていますか?
仕事は、スポンサーとかクライアントがあって初めて生まれるものですが、こういうことをやりたいとか、こういうことって面白いんじゃないかとか、そういう話は常に意識的に言ってると思います。それを聞いてくれた人が、「あの時言ってたことって出来るのかな?」とかってなるかなと思って。
実際になってます?
なってると思います。こういうことをやりたいなと思ってたら、実現してる気はするので。本当に口に出すことは重要だってよく言いますけど、それは実感としてありますね。
最近で、本当に実現したことって何かありました?
昨年末のTOKYO LIGHTSもその一つです。世界に発信出来るような日本発のイベントを作ることに携わりたいと思っていたら、 STAR ISLANDチームで実現できました。また、コロナ前、バスケのB.LEAGUEやラグビーのTOP LEAGUEなど、スポーツにおけるエンタメ的な演出が盛り上がってきている中で、「日本のエンタメを極めるなら、スポーツも経験したい分野だなぁ」と思っていたら、依頼が来て、結果としてオリ・パラの競技演出やセレモニー演出の仕事にも繋がりました。 これからもやりたいことは常に発信していきたいと思っています。
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次回へ続く
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