HIGHFLYERS/#23 Vol.3 | Jun 8, 2017

UCC創業者上島忠雄の夢とロマンに共感し、コーヒー農園開発を担当。幻の「ブルボンポワントゥ」を復活させ、脱サラを決意するまで

Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Image Design: Kenzi Gong

コーヒー栽培技師で実業家のコーヒーハンター・川島良彰さんインタビュー第3回目は、UCC時代のお話です。UCC創業者の上島忠雄さんと疎開先のロサンゼルスで出逢ったことをきっかけに、川島さんの人生は次のステージへと進んでいきます。UCCの社員として農園開発に携わり、ジャマイカ・ブルーマウンテン農園やハワイ・コナコーヒー、インドネシア・マンデリンコーヒーを担当したほか、マダガスカルでのコーヒー絶滅危惧種マスカロコフェアの発見と保全、フランス海外県レユニオン島の幻のコーヒー「ブルボンポワントゥ(*)」の65年振りの復活プロジェクトを遂行し、成功させました。その後、UCCを退職し、2008年に株式会社ミカフェートを設立。会社員としての安定を求めず、自分の夢に向かって新しい一歩を踏み出した川島さんに、当時のお話や、今一歩を踏み出そうと迷っている人へのアドバイスをいただきました。
*ブルボンポワントゥは、18世紀フランス・ブルボン島(現レユニオン島)で発見され、 その類稀な香りの高さと甘みのある風味から文豪バルザックやルイ15世までも魅了したと言われる伝説のコーヒー。1942年に生産が途絶えてしまった幻のコーヒーを復活させるため、川島さんはUCC時代にレユニオン県庁や現地の研究機関と共同で再生プロジェクトを組み、7年の歳月を経て復活を成功させました。
PROFILE

株式会社ミカフェート代表/コーヒーハンター川島良彰

1956年静岡生まれ。1975年中米エル サルバドル国立コーヒー研究所に留学し、コーヒー栽培・精選を学ぶ。その後大手コーヒー会社に就職。ジャマイカ、ハワイ、インドネシアで農園開発を手掛け、マダガスカルで絶滅危惧種の発見と保全、レユニオン島では絶滅した品種を探し出し、同島のコーヒー産業復活を果たす。2008年独立し、株式会社ミカフェートを設立。 日本サステイナブルコーヒー協会理事長、JAL日本航空コーヒー・ディレクター、タイ王室メイファールアン財団コーヒーアドバイザー、カリフォルニア大学デイビス校コーヒーセンター アドバイザリー・ボードメンバー等を務める。

失敗は後悔せずに、良い経験をしたと捉える。大切なのは常に準備をすることと、「ストリート・スマート」という考え方を持つこと

UCCの創業者である上島忠雄さんとの出逢いについて教えて下さい。

上島さんは、世界一のコーヒー屋になるという夢を掲げ、奈良の田舎から神戸に出て、リヤカーでコーヒーの行商をしながら苦労して今のUCC を築いた人です。 彼にはかねてからいつかコーヒー農園を持ちたいという夢があり、会社も大きくなっていよいよジャマイカにブルーマウンテンの農園を持つことになったのですが、社内で栽培がわかる人間がいなかった。当時のコーヒー業界は今よりもっと狭かったので、静岡の「コーヒー乃川島」の息子が親に逆らって、中米でコーヒーの栽培を勉強して勘当されたという噂を知っていたようで、ロサンゼルスまで僕に会いに来たんです。後々わかったことですが、会長は僕に会いに来る前に僕の実家に行って、父に長男の僕を雇おうと思うけどいいか聞いたそうです。「もう別に息子じゃないから好きにしてくれ」という父親の言質をとって僕に会いに来ていたんです(笑)。

上島忠雄氏と

ロスでお会いした時の会長のことを憶えていますか?

はっきり憶えていますよ。凄く面白くて豪快な人で、人を魅了する何かを持っていましたね。お会いしたのは8月の後半だったのですが、僕は10月に一旦エル サルバドルに戻って、政情が安定していたらそのまま残ろうと思っていたので、その時はお断りしたんです。「だめだった時は日本に帰ります」と言ったら、「日本に帰ってきたら連絡してくれ」と連絡先をもらったんですよ。その後、僕はエル サルバドルに帰ったけれどまだ内政は不安定で、結局日本に帰ることになり、約束通り会長に電話したら、「すぐ神戸に来てくれ」と言われ、東京駅で待っていたUCCの東京支社の人に新幹線の往復チケットをもらって神戸に行きました。神戸で待っていた会長が僕に言った言葉は、「絶対お前は来ると思った。お前のポジションはあけて待っていた」でした(笑)。

ジャマイカでの経験はいかがでしたか?

81年10月の後半にUCCに入社して11月後半にジャマイカに行き、結果立ち上げから7年半ジャマイカにいましたが、エクアドルの研究所でやってきたことと実際の農園経営はまるで違いました。全体を俯瞰で見なきゃいけない中で初めて知ったのが、同じ農園でも畑の位置や山の斜面によって花が咲く時期も、実が赤くなる順番も違うということ。ブルーマウンテン山脈でも北斜面と南斜面ではでき方も味も違うことがわかりました。そこでの経験は我が社の最高品質ブランドのコーヒー豆「グランクリュカフェ」にも繋がっています。

ジャマイカ赴任時代

7年半に渡ったジャマイカでの滞在が終わるきっかけは何だったのですか?

88年9月に起きたハリケーン・ギルバートです。次はハワイでコナコーヒーを作ることが決まっていたので、ちょうどハワイで現地調査を行っている間にハリケーンがジャマイカを襲って、農園が全滅してしまったんです。結局家族だけ先にハワイに送って、僕と日本人スタッフ数人で農園を復活させてから89年の3月にハワイに転勤しました。

ジャマイカを復活させてから、またハワイで新しい畑を作ったとは、やはり川島さんは完全なる開拓者なんですね。

そうですね(笑)。93年に会長が亡くなってからは、2代目の上島達志さんにインドネシアの農園開発を任されました。ただ、僕はそれまで会長からの命令を直接受けて動いていたので、社内ではすごい浮いていたんですね(笑)。会長が亡くなった時、先輩社員達から「これでお前はもうおしまいだ」って目の前で言われたこともありました。2代目は僕を評価してくれたので、一緒に多くの新しいプロジェクトをやっていたのですが、やっぱり同年代や上の社員にとっては面白くなかったんだと思います。でもオーナーから言われたことは完遂しなきゃいけなかったし、僕自身もすごいプレッシャーを感じてましたね。

UCCを辞めるきっかけになったのは?

2003年に帰国してからは本社で執行役員として働いていましたが、辞めようと思ったきっかけは二つあって、一つはブルボンポワントゥの再生プロジェクトを成功させて世に出して、ある程度評価をいただいたという達成感が得られたこと。あともう一つは、今ミカフェートでやっていることをやりたくて社内でプレゼンしたけど全然わかってもらえなかったことでした。それでも2代目の社長は2人でやろうって言ってくれたんだけど、これ以上僕をかばってもらうのは申し訳ないんで、そろそろリスクを背負って自分でやろうと思ったんです。

2代目が川島さんを守ることは、初代からの遺言だったのでしょうか?

いや、僕と2代目は気も合ったんですよね。初代の上島さんは事業家としてコーヒーに夢とロマンを持っていた人で、当時、僕はまだ農園開発をやったことがなかったから期待されても困りますって言っても、「お前を信じるから好きなようにやってくれ」って言うような人でした。一方、2代目は文化人としての夢とロマンを持っている人だった。だからこそ、僕がマダガスカルにマスカロコフェアという絶滅危惧種を探しに行くことや、ブルボンポワントゥのプロジェクトを後押ししてくれたんだと思います。僕は本当に人に恵まれていると思いますが、あの二人には本当にお世話になりましたね。

退職されるのに迷いはなかったのですか?

新しいコーヒーの文化を作りたかったので、迷いは全然なかったです。ただ、僕は最年少の役員で給料が凄く良かったので、独立した時は周りの人達に「奥さんはよく辞めさせてくれたね」って言われましたよ。そのことを家内に言うと、「やるんだったら思いっきりやらせてあげたかったから」と言ってくれて嬉しかったです。でも、「どうせ止めても聞かなかっただろうし」とも言われましたけど(笑)。

自分で夢を抱きながら、現実的に踏み切れない40代、50代のサラリーマンはたくさんいると思うんですけど、そういうときはどうしたらいいと思いますか?

僕はポジティブな人間なので、失敗したときに後悔するよりも良い経験をしたと思うようにしているんです。「良い経験をさせてもらったし、次は同じような失敗を繰り返さないようにしよう」って思えば、別に落ち込むことはない。あとはやっぱり諦めないことだと思いますよ。

ではやりたいことを躊躇している人は、とりあえずやってみたらいいと思います?

やるにはまず準備が必要でしょうね。僕がエル サルバドルに行って大きな財産だったと思うのは、ベネケさんにスペイン語で「Siempre listo(シエンプレ・リスト)」といつも言われていたことです。「常に準備をしてなさい」っていう意味で、事前に先のことを考えてその準備をきちんとしなさい、準備ができているかいないかで成功するかどうかは決まっちゃうよということなのですが、僕もうちの社員にいつも言っています。それと、勉強ができるアカデミックなスマートじゃなくて、生きていくのに賢くなれという「ストリート・スマート」という言葉も教えられました。

やはり川島さんは常に先のことを考えていらっしゃるんですね。

家内と話していても僕は一週間くらい先の話をしているので、「また悪いくせがでてる。社員の人達は可哀想だね」ってよく怒られます(笑)。

ところで、コーヒーハンターと呼ばれるようになったきっかけは何だったのですか?

マダガスカル島にマスカロコフェア(絶滅危惧種)を探しに行った時、探検隊を組んで2週間くらいかけて島じゅうを探して、ようやくジャングルの中で見つけたんです。その時に一緒に回っていたマダガスカル人の通訳の人に、「You’re coffee hunter!」って言われたのがきっかけで、それからコーヒーハンターと呼ばれるようになったんですよ。

マダガスカル島にて、マスカロコフェアと

次回へ続く

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