HF/#2 Vol.2 | Sep 8, 2013

カルチャーへの愛とアイデンティティ

VERBAL

Text: Miwa Tei / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

HIGHFLYERSとは、際立った能力と貪欲な野心で人生をクリエイトする人達のこと。発信する言葉が、その存在感自体が引きの強いアーティスト・VERBALさんは、まさにHIGHFLYERSの象徴に映ります。m-floのフロントアクターとしての音楽表現と平行して、経営者として“人の生活を向上させる”クリエイションを世に届け、日本と海外の文化を繋ぐ媒介者として行動し続ける姿勢は軽快でポジティブ。また、クリスチャンとしてブレない基軸を持っているからこその心の在り方には、生き方のヒントも。多くの共感を創出し続ける原動力とは?人生の羅針盤とは?カルチャーの発信基地にいるようなご自身のオフィスで語って頂きました。
PROFILE
Verbal

ArtistVERBAL

m-floでの活動の他、独自のコネクションを活かして数多くのアーティストとコラボレーション。超豪華ラップグループTERIYAKI BOYZ®のメンバーとしても活躍しており、Pharrell、Kanye West、will.i.am (BLACK EYED PEAS)など、海外のアーティストとも交流が深い。近年はDJとしても飛躍を遂げ、そのスタイルはファッション界からの注目も熱く、ジュエリーブランド "ANTONIO MURPHY & ASTRO®"、そして "AMBUSH®"のデザインも手掛ける。また、初の映画監督にも挑戦しており、今後もミックスな感性を武器にあらゆるフィールドでの活躍に期待が集まる。新たに立ち上げた KOZM AGENCY の代表として、MADEMOISELLE YULIA を筆頭に様々なアーティスト/プロデューサーのマネージメントも始める。
www.m-flo.com
www.teriyakiboyz.com
www.ambushdesign.com
www.twitter.com/ambushdesign
www.kozm-agency.tv

カルチャーへの愛とアイデンティティ

 音楽産業とファッションビジネス、変化が急速なフィールドで活動を進化し続けられる、その原動力はどこから?

カルチャーに対する尊敬の念が自分のアイデンティティでもあり、原動力になっていると思います。僕は在日コリアン三世なんですが、日本育ちで韓国語はできない。たまたま親の教育方針のおかげでインターナショナルスクールに通ったり米国へ留学もして英語は話せるようになったけれど、どの国で生活してもホームが無い感覚だった訳です。それが、HIPHOPというカルチャーに出逢えて「これはオレのものだ!」と自己を確信できるものができた。当時HIPHOPの延長でスケボーにもはまっていくわけですが、これは今のファッションの仕事に通じているわけで。HIPHOPカルチャーに出逢った時に感じた“ファースト・ラブ”のような特有の衝撃がずっと根底にあって、そこはずっとブレないですね。でも、いくら好きとはいえ、まさか38歳の今もラップを続けてるとは思ってなかったんですけど(笑)。

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 こちら側からするとVERBALさんの存在は“幅広いシーンのエポックメイカー”と映るわけですが、ご自身の中でギャップを感じることはありますか?

僕自身は、エポックメイキングしようと考えて行動したことは無いんです。音楽のビジネスにおいても、この業界がまさかここまで入り組んでいて奥が深い世界であるとは思ってもなかったし。今更な話ですがCDが売れないとか、予測不能でビジネスモデルがものすごいスピードで激変する業界レースに自分も加わり、次のステップや仕掛けを考える側に回るとは思ってもなかったですね。子供の頃から僕は、音楽でも流行でも、みんなが夢中になるメジャーなものより、マイナーなものが気になるタイプだったんです。HIPHOPにはまったのもそんな理由からだったんですが、そんな間違った解釈からの入り方だった故に(笑)、逆に今になって、アーリーアダプター向けのコンテンツを作ったりとメジャーな方向へ転換してる、みたいな(笑)。でも、やはりマスに向けていかないといいものを長続きさせることができないですから。好きなことにのめり込む子供のようにい続けるためには、大人にならないとね、という感覚はあります。

 HIPHOPに開眼した具体的な経緯とは?

小学5年の頃、米国NYでYMCA主催のサマーキャンプに参加したのですが、スクールバスの中で向こうの子供たちがRUN DMCの『You Be Illin'』をいきなりみんなで歌いだして。僕は日本でも小学校からインターに通っていたので英語は理解できていましたが、この喋ってるみたいな、唱えてるみたいな音楽は、一体何なんだ?!って。あの体験は大きな開眼でしたね。

 ☆Takuさんとの出逢いも確かインターナショナルスクールで?

そう、☆Takuと逢ったのも小5の時です。僕が通ってたインターに彼が転校してきて。転校当初からビデオカメラ回しながら「俺は映画撮るからキャスティングしたい!」とクラス全員に声をかけしたりと、衝撃的なヤツでした(笑)。まだ覚えてるんですが、映画のタイトルは『東京サミット』。何がなんだかわからないし(笑)、結局完成しなかったんですが、その年齢でその発想が凄いなと。そんな変わり者で面白い☆Takuと(笑)、今も音楽を続けているわけです。

 小学生で海外の異文化に触れたり、 ユニークな環境で子供時代を過ごしたのですね。

環境というより、親がユニーク、つまり変わった人たちだと思います(笑)。両親は、「これからの時代、英語ができないとだめだ」という考えでインターに通わせてくれたんですが、そのうち母自身も英語を学びたいと短期留学し、それに僕も同行させられて。母が勉強している間は、先ほど言ったNYの、それもなぜか、かなり治安が良くない地区のサマーキャンプに送り込まれたという。

 自由で大胆な教育方針!

母は、“感受性が豊かな女性”という言い方が一番ポジティブな形容にあたるでしょうか(笑)。米国留学や、その前は戦時下の情勢不安定なベトナムへボランティアしに行ったりと、かなりの行動派。「女性は家を守り三歩下がって」的な古い慣習は一切無視!みたいな。父も、これまたアグレッシブな人で、強気で新しいビジネスをどんどん広げてきたタイプ。両親ともに、世の中的な規範には順応してないスケール観ですが(笑)、僕や妹に色んなカルチャーを体験できる教育に関しては、出し惜しみなく投資してくれました。

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 日本と米国、双方の国で生活したことは、VERBALさんの人間性にどんな影響をもたらしましたか?

根本の僕は、実は“やりたいことしかやりたくないなまけもの”なんです。そこをたたき直してくれる異文化だったり、自分の価値観が通用しない環境に、早い内から放り込まれたことで、“自分の極限を超えた先にある楽しみ”を知ることができた。簡単に言うと“M”になってしまった(笑)。仕事でも、極限まで考え抜いて、終わるまで永遠に作業するのが好きですから。それと“自分のフレイヴァー”を持つことの大切さ、これも向こうで体得したことですね。日本はパッケージ化が好きで、出た杭や我の強さがあだになることも多い。でも海外、特にアメリカ人は自分のフレイヴァーが無いとなかなか認めてくれない民衆。臭覚が鋭い人が多いから、主体性が無いと“フェイク”と認識されてしまう。どちらが良い悪いではなく文化の違いの話として実感していることです。

HIGHFLYERS

 両方の文化の違いを体得してきたVERBALさんの頭の中で練られている、最新のプランをとても知りたいです。

今、あるハリウッド映画の共同Co-プロデューサーに抜擢され、動き出しているところなんです。日本と海外を繋ぐプラットフォームをもっと創りたいと僕はずっと思っていて。そこって実はポッカリ抜けてるグレーゾーンで、両方の文化を体得してきた僕自身や自分の会社に求められているところでもあるなと。“ワールドワイドであることがスタンダード”という考え方が一般的ですが、そうじゃないと僕は考えているんです。日本には、可能性を秘めた原石が、人でもアイディアでもクリエイティブでも沢山あるんですよ。なのに、例えば日本的ビジネスの主流は「この事務所を通して契約書無いとNG」とか「その売り出し方は前例が無いから無理」とか、ね。もちろん契約や前例、システマライズされていることも美徳ですが、“作られた環境の中で済ます”より“自力の人間力で可能性を拡げる”方が、お金以前にハッピーが拡がると思うんです。そこを変えていくための基盤の構築は、ここ数年の間に可能にしたいと動いています。

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