中国と日本は何事もスケールが違う。未来の自然と 100年後の製硯師のために石の情報を集め、研究結果を蓄積中
青栁さんは今まで何度も中国に行かれていますが、中国から学んだ一番のことはなんでしょうか。
日本の良さ、そして日本文化の美しさですね。海外に行って日本の良さに気づくとよく言いますが、本当だなと思いました。逆に中国の良さも日本に帰ってくると感じます。
父と中国の端渓採石地に行った時。原石の上にて
中国と日本の特徴を比べられたとき、日本と日本人の特徴は何だと思われますか?
日本人は綺麗好きで、色んなことを気にしすぎていると思います。でもそれが逆に良いところでもあるんです。街は綺麗ですし、衛生的で素晴らしいのですが、ときにはそれが度を越して、窮屈さを感じてしまうこともあるのではないかと思います。
なるほど。ところで中国の渋滞は凄まじいと聞いたことがありますが、それは本当ですか?
中国ではそれぞれのドライバーが少しでも先に行こうとする傾向があるので、道が詰まりやすく、結果として渋滞が生まれやすいような気がしています。一本道の峠の上で進行方向が異なる車が出くわしたら、それぞれが前に行こうとする強い意志を持っているので、どんどん後ろから車が来て大渋滞になることがあります。それで、10時間とか20時間とか経ってようやく車の流れを仕切る人が出て来て解決します。これは僕が10年ほど前に経験した話なので、今とは状況が変わっているかと思いますが。
日本人とは異なる価値観を持っていますね。
中国人はいろんな意味で大らかです。日本人の素晴らしさももちろんあるけど、中国大陸から帰ってくると、やはり日本人って細かいことを気にしすぎなんだなぁって思います。
次に、製硯師としてのお祖父様とお父様について伺いたいと思います。まずお祖父様はどのような製硯師でしたでしょうか?
僕がお会いする先生方や著名な書家さんは皆、祖父のことを名工だったと言うんです。その一言が祖父の凄さを語っていると思う。名工とは技術だけで成り立つものではなくて、書き手を何らかの形で満足させたり感動させたりしているはずなんです。そこが多分祖父にはあったんですね。酔っ払って人の家の屋根の上で寝てしまうような一面もありましたが、几帳面で丁寧に物事に取り組む人で、腕や人柄も含めて、総合的に良い人だと言われる職人でした。
お父様はいかがですか?
父の凄さを一言で表すと、審美眼だと思うんです。父の時代は物が大量に流通した時代で、中国によく買い付けに行っていました。僕や弟子たちの時代ではもうできなくなってしまったけれど、当時は闇市でたくさんの古硯に出会うことができたんです。つまり父は、評価の下されていない硯を誰よりも数多く見てきた、時代と環境が作った目利きと言えると思います。中国に一緒に行った時には、向こうのプロ達が父に石のことを聞いてくるほどです。
製硯師の審美眼はどうやって培うのですか?
とにかく、数を見るしかないと思います。僕は石に対する自分の見立てが正しいかどうかを確かめる一つの方法として、修行時代に父の隣で石を見ていた頃のことを想像します。父が持って帰る硯は、形も姿も優れている本物の価値があるものです。一方で、父がいらないと置いて帰るものは、どこかが欠損していたり、姿が良くない硯です。何千回と見てきた父が硯を選ぶ光景を思い出して、置いて帰るかな、持って帰るかなと想像します。そして、本当に迷った時は今でも父に直接手に持ってもらいます。それまでは良くできていると思っていた硯でも、父の手の中におさまった瞬間にすごく稚拙に見えることがあるんですよ。そこで父が何も言わなくても一流じゃないんだなって気付くことができます。
一流とそうでないものは、どこが違うのでしょうか?
全ての一流における共通点は、硯に緊張感が漂っていることです。だからと言って緊張感がありすぎると愛玩しきれないし、使おうという気持ちになれません。一流のものは、そっと抱いてみたいという気持ちにさせられるんです。緊張感に加えて、優しさがあるかどうかですね。
どうしたらそういう硯を作れる製硯師になれるのですか?
そういう緊張感を持っている硯を自分の中でしっかり解釈することですね。それから、最近感じたのですが、本当に一流の硯だと感じるものは、誰かに向けて作られているものなんです。やはり人が人のために何かを作るというところが緊張感を漂わせるし、技術だけでは纏えないものがそこにあるというのがわかってきました。 例えば音楽で100万枚売れた曲があるとして、それは100万人に対して歌ったものではなく、誰か一人のために歌った歌だったりするのと同じではないかと思うんです。なので僕も、誰か一人のために情熱を注ぐという作り方で、最も古い硯式に取り組んでみようと思っています。たとえ現代の人にとっては使いにくい硯の形であっても、それを見た人に感動したというご意見をいただけたら、僕の中の硯の造形哲学を、大学で教えている学生たちにも説明してあげられるようになるんじゃないかなと思っています。
誰かのために丹精込めて作った、緊張感と優しさを持ち併せた硯が人に感動を与えるのですね。
「いい硯とは?」って聞かれた時に、硯のことを知れば知るほどその答えって難しくなっている気がするんです。でも、まるで長旅をしてたくさんの人生経験を積んだ魅力的な人と喋っているような、素敵な人だなっていう感触を受ける硯はいい硯なんじゃないかと思います。やっぱり大自然や世界を旅して、いろんなものを見て、リアルに自分の足でものを感じてきている人って話も凄く面白いじゃないですか。取り繕うこともなく、だらしないわけでもないし、威圧感があるわけでもなく、そういう懐の深さがある。経験からくる様々な豊かさを持っていると思うんですよ。そういう人を魅力的だなと感じるのと同じことだと思います。
いい硯を作り続けるのは大変なことなのですね。
僕は人間は天命があると考えるんですけど、人が生きている間にできる大きな取り組みってせいぜい二つくらいだと思うんです。僕がいい硯をあと何面作れるかなって考えると、きっと20、30面が限界だと思う。だから、それらの製作を続けながら、技術的な解読や石の調理法を示すこともしていきたいんです。石はこうすると割れるとか、ここの地層は掘っても仕方がないとか、こういう地形では採れないといったような石の調理法や採掘法を研究しているのは僕を含めて数少ないですが、この時代にそういった資料を作っておけば、将来誰かが無作為に石を乱獲して自然のバランスを崩すことを避けることができる。100年後、今よりもっと自然が少なくなった時代の製硯師たちに、自然への取り組み方を残したいと思っています。
「羅紋硯」の採石場、玉山
青栁さんが今していることは、石や自然の未来を考えることにも繋がるのですね。
日本の様々な山に足を運んで調査したり、隕石で硯を作ったりしている製硯師は他にいないじゃないですか。僕が「この隕石は硯にならないんだよ」っていうのを記しておけば、100年後の製硯師はその時代の隕石を無駄にせずに研究していくことができる。知識や技術は、次世代への継承とともに蓄積されていくのが正しいと思うんです。その一部を今僕が担っているだけだと思っています。
先ほど、学生さんのお話が出てきましたが、現在大東文化大学文学部書道学科非常勤講師も務める青栁さんが、製硯師として生徒たちやこれから書道の世界に身を置きたいと思っている若者に一番伝えたいことはなんですか?
硯のルーツを辿った話です。現在僕たちが話す日本語は話すことと、書くことで育ってきました。アジア圏の一部で発展を遂げた毛筆で書くという文化は、現在の僕たちのコミュニケーションツールの中でも最も古い用具の類です。そして、硯は文房四宝最古の王族にあたります。今の僕たちを作った「書く」という行為の本質を、王族の歩みは教えてくれるのではないでしょうか。
次回へ続く