32 Vol.2 | Nov 15, 2018

「筆で名前を書いてあげたら泣いて喜んでくれたことが衝撃だった」。衝動で会社を退職し、書道家という名前も知らないまま独立

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

武田双雲さんインタビュー2回目は、幼い頃のことから学生時代のこと、就職して会社を辞めて独立するまでのことを伺いました。生粋の九州人である両親のもと熊本で生まれ育った武田さんは、少し不思議な学生時代を過ごします。そして大学受験はルーレットで場所と志望校を決め、競輪予想のプロであったお父様が雇った家庭教師の先生と試験問題を予想したのが見事に当たって大学に合格。就職も、就職難の時代に関わらず大手企業にすんなり入社してしまいます。ご両親はどのような育て方をしてきたのか、学生時代に武田さんが何を思いながら毎日を過ごしていたのか、また、会社員時代に武田さんが日常的に行っていたことはどんなことだったのでしょう。大企業を3年で辞めたきっかけなどを伺うと、武田さんならではのユニークな視点や発想、行動力からご自身の人生が開かれていったのがわかりました。今、新しい道に一歩を踏み出そうとしている人へのアドバイスもいただいてます。
PROFILE

書道家武田双雲

1975年熊本生まれ。東京理科大学卒業後、NTTに就職。 約3年後に書道家として独立。NHK大河ドラマ「天地人」や世界遺産「平泉」 など数々の題字を手掛ける。 独自の世界観で、全国で個展や講演活動を行っている。メディア出演も多数。 文化庁から2013年度文化交流使に任命され、ベトナム~インドネシアにて活動、2015年にはカリフォルニア州オーハイにて個展を開催。『書を書く愉しみ』(光文社新書)『ポジティブの教科書』(主婦の友社)(30万部突破)『のびのび生きるヒント』(青春出版社)など、著書も多数出版。武田双雲オフィシャルウエブサイト

人と比較せず、勝ち負けという発想を持たない高校生が、試験問題を的中させ大学に見事合格。就職難の時代にはNTT東日本に就職

幼い頃、ご両親にはどのように育てられましたか?

両親は典型的な九州人で気性が激しくて、家で夫婦喧嘩すると皿が飛んで窓が割れたりすることもありましたけど、基本的に超明るい家庭でした。僕に怒りの矛先が来たことはなかったし、僕に関しては両親は手放しでリスペクトしてくれてましたね。何かあるたびに 「大智(双雲の本名)は凄い」ってただただ感動してくれるんです。

幼い頃

武田さんが何をしても感動するんですか?

そう。僕が「なんでそうなの?」って聞いても、「本当そうなんだもん」って言うだけ(笑)。美味しいと感じることに理由がないのと同じで、本当にそう思っていることって、理由がないじゃないですか。だから学校の成績を聞かれたこともないし、人と比べられたこともない。

でも、たとえ家庭の中ではそのように育てられても、外の世界では違いますよね。武田さんは外ではどういう感じの子供だったんですか?

不思議な感じでしたよね。ふわふわしてるっていうか、人と比較されたことがないのいで、劣等感とか優越感という感覚を持ったことがないし、自分と他人を比較する物差しを持っていないので、フワっとしてましたよね。

そんな感じで学生生活はうまくいきました?

学校についていけない感覚がずっとありました。特に中学校からは友達がファッションに目覚めたり、恋愛に目覚めたり、大人の階段を上るじゃないですか。僕はそれについていけなくて、みんなが離れていく感じがしていました。みんなが何やってるかわからないっていうか。中高時代は周りと調和できず、不協和音がずっと流れている感じでしたね。

部活はしていました?

運動神経が良くて身長が高いのでハンドボールとかやっていたんですけど、勝負に興味がないから、先生やチームメイトにどんどん失望されていくんですよ。

なるほど。勝負については誰からも教わらなかったんですね。だから、武田さんの中に勝ち負けという概念がない。

例えば試合中にボーッとしてて、「お前、なんで今試合中にボケーっと立ってた?」って聞かれたら、「雲を見てました」って言うタイプなんで、どんどんがっかりされるんですよ(笑)。たまに凄いシュートとか打つから期待されるんですけど、ムラがありすぎちゃって。後になってやっとわかったんですけど、いわゆる今の時代でいうADHD(注意欠陥/多動性障害) なんですよね。

そういうことなんですか?

プロの診断によると、生活はちゃんと送っているので治療をするほどではないそうなんですけど、まぁADHDの症状は全部あてハマりますよね。時間軸がないんですよ。僕の場合は、自分が好きなことしかやってないから、目標を持って何かに向かうっていう感覚や達成感がない。だから、自分に価値があるとかないとか、自信があるとかないとか言ってる人の気持ちがわからないんです。だって、人間って“ただの分子の塊”って思っちゃうんです。

なるほど。自分が何者かということの方に興味があるんですもんね。

だから授業に集中してないんですよ。ある日の国語の授業中、風が吹いた時に、「風の中の分子たちはどのような振る舞いをしてカーテンを揺らしているか、空気分子と風分子がどのような曲線を起こしてこのような動きになるか」っていうのがふと気になって、突然先生に質問したことがあります。そうしたら「とりあえず、国語の授業にそれは関係ない。お前は授業中、手をあげて質問するな」って言われましたね(笑)。だから、不思議でしょうがないんですよ。みんなが何をわかってそんなに色々必死でやっているのか。

大学受験はどうしたのですか?

両親が家庭教師をつけてくれました。それである時、友達と東京、熊本、福岡って書いてあるルーレットやったんですよ。それで僕がやったらなぜか東京を指しちゃって、「じゃあ東京がつく大学に行こう」ってなって、東京大学は絶対無理だから、東京理科大学だって受けたらたまたま受かっちゃったんです。その頃から僕の人生が開いていったんですよ、なんか自由になっちゃって。中高時代の不協和音が消えて、毎日が楽しくなっちゃって。

大学生活は自分の好きなように過ごせますもんね。就職はどうされたんですか?

就職活動も全くしなかった、というより就職活動自体を知らなかったんですよ。就活の時期が終わった頃に友達と麻雀してたら、「大智、就職活動どうしたの?」って言われて、「何それ」ってなって。それでゼミの先生に相談したら、「相変わらず君は面白いねぇ、推薦しとくよ」ってNTTを推薦してくれて。就職難の時代だったんですけどね。そんな感じでフワッフワしてるんですよ。

NTTでは何をやっていたんですか?

営業です。学生時代は東京理科大学ではプログラミング的なことを学ぶ情報学部にいたんですけど、全く興味が湧かなかったんですね。推薦で入社したのに、「コンピューターと関係ない部署でお願いします」って言ったら、人事もびっくりしちゃって。それで、営業だったら面白そうってなったんです。

それで営業をしたんですか?

でも営業もよくわかってないから、上司からすると訳のわからない部下だっただろうと思います。ある時、会議中に「この会議って何の意味があるんですか?」って言ってめちゃくちゃ怒られたことがありますからね。僕は批判ではなく、どういう目的で何の意思を持って会議をやってるのか、哲学的に会議そのものの意味を聞きたかったんですけど、そんな感じで何かを聞くと怒られることが多かったですね。

その質問が本質を突いていたから相手は怒ったのかもしれないですね。

本当はね。でも僕は本質を突くつもりもないし、否定もしてない。会議なんて人生で初めての経験だから、「会議って何なんですか?」っていうことを聞きたかっただけなんですけど、やっぱり怒られましたね。

他に、会社員時代で記憶に残っていることはありますか?

一時期色んな上司や社員の人たちをインタビューしたことがあって、喫煙ルームに行って、会社に入った理由とかをインタビューして聞いたことをノートに書き取ってました。色んな愚痴がよく出てくるので、“愚痴ノート”みたいなものも作って。愚痴って面白いじゃないですか。どういう時に人は愚痴るのか、何を持ってネガティブに取るのかがわからなかったから、人は何に怒っていて、何が嬉しくてやってるのかっていうのをものすごく研究してましたね。

会社員時代

当時のNTTの社員の方たちはどんなことに怒っていましたか。

「昔は良かった」っていう、変化に対しての愚痴が多かったです。僕が入った時ってちょうど電話会社からデジタルに移行する変革期だったので、“マルチメディアのNTT”なんて言われていたんですけど、昔からいる人にとってその変化は想像していたものと全然違ったみたいです。そこで僕は、「人って変化に弱いんだな」と思ったんですよね。

面白いですね。

僕はずっと変化している世界にいるから、むしろガチッと決められた中で進んでいく世界にいる方が苦しいんです。例えば学校で、国語と算数をどうして分けられるんだろうって思う。風が吹くことにしたって、文学、物理学、社会学にも歴史学にもなるし、全学問として捉えられると思うんです。だからジャンル分けしている理由がわからない。きっと分けた方が便利だったんでしょうね。

そうかもしれないですね。それでNTTは3年で退職されたそうですけど、やはり自然に終わりが来ましたか?

後から見ると組織に属していたように思うけど、僕の中では属していた感覚もなかったから、本当のところを言うと独立感もないんです。だから「あ、これを人は独立したって言うんだ」っていう感覚でしたね。

書道家として独立しようと思ったきっかけは何かあったんですか?

はい。狭い独身寮で読書ばっかりしていた時期があって、暇な時にふとお習字セットを出して書いてみたらハマっちゃったんですよ。暫く書道から離れていたので、筆の感覚とか懐かしいなって思って書いていました。それで会社でもメモ書きとかを筆で書き始めたら、周りの部署に噂が広まって、「武田くん書道やるんだ、今時珍しいわね」ってお姉さん達が来てくれて、名前を書いて欲しいって言われて書いたら、ある方が泣いて喜んでくれたんです。「自分の名前が嫌いだったけど、好きになった」みたいな。それで僕はそこで爆発しちゃって、それまでどっちかって言うと変わった人だねって言われていたから、人が喜んでくれることが衝撃だったんですよね。

それで会社を辞めることを決心したのですね。

書道と、人の名前を書くことと感動が一直線で結びついちゃったんで、その日に辞表を書きました。辞表を書くっていうことも知らなかったんですけど、「会社ってどうやって辞めればいいんですか?」って先輩に聞いたら、「辞表を書けばいいんだよ」って言われて、ヤフーで書き方を調べて(笑)。

その日に辞めるとは、行動が早いですね。

だって人の名前ってみんな違うのに、みんな名刺はパソコンのフォントを使って作ったものじゃないですか。その時、ネットで世界中の人口を調べたら、日本人は1億人以上いて、世界は60数億人いたんですよ。「このままだと、俺はもう間に合わねぇな」って思って(笑)、すぐ辞めたんです。でも、会社を辞める理由を考えるのも難しいんですよ。その時「書道家」っていう言葉の存在すら知らなかったから、「人の名前を書かなきゃいけないんで」って何故か義務感を退職の理由にして、「書くことになったんで、辞めます」みたいな。まだオファーもないのに(笑)。

なるほど(笑)。でもそこから今の武田さんがあるのですから、やはり行動することは大切ですね。もしも、今、その時の武田さんのような状況で、自分が組織から飛び立とうかどうするか悩んでいる人がいたら、なんとアドバイスしますか?

AかB 、どっちが正解かと考えちゃうと力んでしまって高く飛べないので、「チーズケーキかショートケーキ、どっちにしようかな。ワクワク」くらいの方が良いと思います。人生に正解はないので、自分がワクワクする方を気楽に選ぶようにしています。

次回へ続く

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12/13UP

SOUUN TAKEDA ART CALLIGRAPHY EXHIBITION
「武田双雲展『楽』」

  • 日時:2018年11月10日(土)~11月25日(日) ※初日は14:00開館
  • 開催時間: AM11:00~PM6:00 (月・火曜日定休)
  • 場所:アートサロン和錆(わさび) 名古屋店
  • 住所:〒461-0002 愛知県名古屋市東区代官町19-21
  • 電話番号:TEL:052-932-2125
  • 入館無料
  • 詳細はHPにて。
    http://www.wasabi-artsalon.jp/souuntakeda2018

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