新しいものが生まれるからこそ、古いものがクラシックになる。バーテンダーはいつの時代もカッコよくいなければならない
昨年「The SG Club」を開業されましたが、日本初出店のロケーションを渋谷にしたのは、何か理由があったのですか?
渋谷は10代の頃から遊び場だったのでよく知っていたし、外国人ゲストも来やすい場所だからです。それに、あまり洗練されていない街の雰囲気が 、僕がずっと働いていたバー「Angel’s Share(エンジェルズ・シェア)」のあるニューヨークのイーストビレッジにもどこか似てるんですよね。僕、雑多な感じが好きなんです。
ニューヨークで活躍された後、日本の前に中国・上海に「Speak Low」と「Sober Company」をオープンされていますね。
上海は、いつかやってみたいって思っていたんです。ニューヨークの時も、よくわからないけど、なんか良さそうだから行ってみようっていう感じだったんですが、その時と同じ気持ちで上海に行きました。もともとニューヨークで暮らして、いろんな国に行き、いろんなものを見てきたのでインプットはいっぱいできたんですけど、アウトプットする場所を探していました。そして、外国のバー文化をしっかり伝えている人がまだあまりいないアジアが良いなと思っていました。それで一度中国でイベントをやったらすごく反響があったので、上海でやることになりました。上海は、まだバー文化が全然成熟してないし、これから経済が発展していくこともわかっていたから面白いと思ったんです。
上段:Speak Low 下段:Sober Company
後閑さんのお店は上海にもう1軒、全部で3軒あるんですよね。それぞれ手応えはどうですか?
1軒目の「Speak Low」では、バー業界の走りみたいな立ち位置が築けたと思っています。2軒目の「Sober Company」はバーだけでなくレストランにもなっていて、初めてのこともたくさんあって大変だったんですけど、やっと落ち着いてきましたね。昨年オープンした3軒目の「The Odd Couple」は、新しい試みとしてアメリカ人のバーテンダーで友人のスティーブ・シュナイダー(Steve Schneider)がパートナーです。二人のバーテンダーが一緒にやるっていうのも珍しいですよね。
The Odd Couple
それぞれの店の特徴を教えていただけますか?
Speak Lowは、1920年代のニューヨーク禁酒法時代のスピークイージーバー(もぐり酒場)をイメージしていて、1階のバーツールショップの隠し扉を開けると上の階にあるバーへの階段が現れる仕掛けになっています。Sober Companyは、いろいろな要素が入り混じったニューヨーク・マンハッタンをテーマにしていて、まずカフェでアペリティフのカクテルを、次にレストランで食事とともに、そして最後にバーで食後に美味しいカクテルというように、店内を回りながら様々なカクテル体験ができるようになっています。The Odd Coupleは、1984年生まれ同士のスティーブと共同プロデュースした、“1980年代に想像した2018年のバー”です。日本人とアメリカ人、僕たち二人の対照的なバーテンディングスタイルを楽しめると思います。The Odd Coupleという店名もそこからきていて、日本語でいうと「おかしな二人」。同名の昔の映画からとったんです。
こちらの「The SG Club」も独特でクリエイティビティ溢れる空間ですね。
The SG Clubの“SG”とは、“Sip(少しずつ味わって飲む)”と“Guzzle( ごくごく飲む)”という単語の頭文字を取っています。その言葉の意味の通り、地下は複雑なニュアンスのカクテルをじっくり堪能してもらう「Sip」、1階は、気楽に飲んで楽しんでもらう「Guzzle」で、お店全体で、「バーをみんなのものに」というテーマがあります。誰もが自分なりの楽しみ方ができるような、自由で開放的なバーにしたいので、開店時間は14時にしていますし、テーブルチャージも取りません。また、お酒に詳しくない方のために、メニューを作ってそこからオススメを選べるようにするなど、敷居が高いバーにならないような工夫をしています。
The SG Club店内。地下のSip(左)と1階のGuzzle(右)
コンセプトはどういったものなのですか?
1860年に徳川幕府が初めて侍達をアメリカのニューヨークに送ったんですけど、もしも彼らが帰国してからバーを開いたとしたら…というストーリーが基になっています。ニューヨークで彼らが得たインスピレーションを江戸時代の東京の文化と融合させたら、こんな雰囲気のバーになったんじゃないかと想像を膨らませました。 ちなみに、今年1月に会員専用のシガーバー「Savor」としてオープンした2階は、侍達がカリブに渡ってシガーを覚えて日本に持ち帰ってきたことを想定して作っています。シガーは吸い始め、中、終わりと風味が変わるので、その変化に合わせたカクテルメニューを用意してます。それから、地下の「Sip」には靴磨きの部屋があって、靴磨き職人のバーテンダーがいます。彼はカクテルを提供するだけでなく、お客様の靴も磨きます。
いいですね。オープンして7ヶ月経ちますけど(取材時)、いかがですか?
バーは必ず目的地になる場所なので、まぁどこでやってもあまり変わらなかったかなとは思います。渋谷っていうよりも東京は、上海やニューヨークと比べて若者にバー文化が浸透していないので、もう少し時間がかかるだろうと思っています。
日本は他の国と比べてどのように違います?
バー文化が違うから自然と変わってくるんですけど、日本はお客さんはバーテンダーにつくっていう感覚が強くて、アメリカはお店につく感じです。それは良い悪いではなく、そういうものなんですよね。アメリカは、お客さんがバーを楽しく使いたがるけど、日本はバーは特別な場所で、バーテンダーやお酒と向き合って飲むっていうイメージが強いし、バーを利用する人数もアメリカに比べて圧倒的に少ないですね。中国はもともと日本からバー文化が伝わっているので日本的なところもあるんですけど、欧米のバー文化が入ってからは国民性とも相まって大きく変わりつつありますね。
後閑さんは、中国や日本でお店を手がけるだけでなく、和食料理人の森本正治さんともコラボしていますし、ロンドンのサヴォイホテルでも初のゲストバーテンダーとしてカウンターに立ちました。なぜ他のバーテンダーがしてこなかった新しい試みをたくさんされているんですか?
2012年に「バカルディ レガシー グローバル カクテル コンペティション」にアメリカ代表として出場して優勝できましたけど、その1年後にはまた新しいチャンピオンが生まれるわけですから、それまでが賞味期限だと思ってどれだけ自分をプロモーションできるかが勝負だと思ったんです。だから何かオファーがあったら受けられるものは受けようと思っていました。
1年間、どうご自身をアピールしていったのですか?
もともとものづくりに対する評価が高い日本人だったことと、ニューヨークという人気の街にいたのも自分の強みだと思ったので、“ニューヨークが拠点の日本人が世界大会で優勝した”ということをフルに活かしていこうと思いました。いわゆる日本人のバーテンダーってきちっと完璧に良いものを作るし、クリエイティビティは高いけど英語が苦手。一方で、アメリカ人のバーテンダーはコミュニケーション能力が高くてスピード重視。だから、その両方がうまいこと噛み合わさったらいい表現ができるんじゃないかなって思って、その1年間は活動していたんですよね。
1年間頑張ってみていかがでしたか?
ワールドツアーが終わって感じたのは、世界中の文化に触れられて凄く勉強になったし、セミナーでみんなの前で喋ることで英語力も伸びたし、結果自分自身が成長できたことを感じましたね。
ところで、後閑さんに憧れている若いバーテンダーがたくさんいると思いますが、アドバイスを送るとしたら?
アドバイスって難しいですよね。僕らはアスリートではないので、明確な差っていうのはないわけですよ。例えば、今僕が何かお題をもらってカクテルを作って、うちの若いバーテンダーと勝負しても、僕が100戦100勝ではないから。やはりバーテンダーという仕事により興味を持って、好きになることでしょうか。
では、どうしたらそのカッコ良さが身につきますかと聞かれたら、なんて答えます?
カッコいいって薄っぺらい言葉に聞こえるけど、それは絶対やらないといけないことだと思っていて、このお店でも凄く意識しています。今、バーに通う人もバーテンダーになる人も減っていて、このままだと無くなってしまうんじゃないかと危惧していているんです。僕が二十歳くらいの時に見ていたバーテンダーと今の若い人達が思うバーテンダーのイメージって全然違うし、多分バーテンダーをカッコいいって思う若い人って今は少ないと思うんです。だって、なりたい職業ランキングの上位にユーチューバーが入ってくる時代ですからね。だから若い人がカッコいいって思うようなものを作らないといけない。音楽もファッションもどんどん新しいものが生まれるからこそ、古いものがクラシックになっていくじゃないですか。古いものを守り続けるのも大事なことなんだけど、同時に新しいものもやっていかないとと思っています。
次回へ続く