34 Vol.3 | Apr 4, 2019

決勝戦のライバル達が僕を世界チャンピオンにしてくれたことは最高の宝物。さらに経験を重ね、5年後バーテンダー・オブ・ザ・イヤーに

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

バーテンダー、後閑信吾さんインタビュー3回目は、2012年に「バカルディ レガシー グローバル カクテル コンペティション」で世界チャンピオンに輝いた当時のことから、2017年に「テイルズ・オブ・ザ・カクテル」で「インターナショナル・バーテンダー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた時のお話を伺いました。世界大会の決勝戦で起きた、あまりにドラマティックな出来事は、聞いていて鳥肌が立つほどの奇跡的エピソードでした。その後、チャンピオンという立場に満足することなく次の目標を定めた後閑さんは、世界チャンピオンとして世界中を訪れ、新しい経験を重ねてバーテンダーとしてさらに成長し、見事インターナショナル・バーテンダー・オブ・ザ・イヤーを獲得します。バーテンダーとして最も大切なことや、美味しいカクテルについて、また世界で勝負できる人とできない人の違い、そしてバーテンダーの魅力についてなどをお聞きしました。
PROFILE

The SG Group ファウンダー/バーテンダー後閑信吾

2001年より地元川崎でバーテンダーとしてのキャリアをスタート。 シェリーや茶道を学び、2006年に渡米。ニューヨークの名門バーAngel's Shareでヘッドバーテンダー兼バーマネージャーとして10年間務める。2012年にバカルディ社が主催する世界最大規模のカクテルコンペティション「Bacardi Legacy Cocktail Competition」に出場し、ニューヨーク、全米で優勝、アメリカ代表として世界大会に出場し、総合優勝を果たす。その後、世界40カ国以上でゲストバーテンダーやセミナー講師として活躍。その中でも120年の歴史を持つイギリスのサヴォイホテルで唯一のゲストバーテンダーとしてカウンターに入った事でも知られている。2014年には自身のバーSpeak Lowを上海にオープンし、オープン直後から国内外数々の賞を受賞し、2016年から3年連続Asia's 50 Best Barsトップ3、2017年World's 50 Best Barsトップ10 に輝く。2017年にはカフェ、レストラン、バーの複合業態Sober Companyをオープン。こちらもオープン直後にAsia's 50 Best Bars 2017年19位, 2018年14位を獲得。自身もTales of the Cocktailにて、現役バーテンダーとして最高の賞「International Bartender of the Year 2017」に輝き、名実共に世界最高のバーテンダーとしての地位を確立させる。スタッフ育成にも力を入れ、世界大会優勝バーテンダー3人、国内大会優勝バーテンダー6人を育て上げ、指導者としての実力も発揮している。その一方で世界的に有名なプロダクトデザイナーTom Dixon氏やアイアンシェフ森本正治氏、有名ファッションブランドやスポーツメーカー等ともコラボ企画を実現し、多くの業界から注目から集めている。現在はニューヨークと東京に拠点を置きながら、バーコンサルティング、カクテルコンペの審査員等をしながら世界中を飛び回っている。 2018年6月、渋谷にThe SG Clubをオープン、さらに同年11月上海にスティーブ・シュナイダーとのコラボレーションThe Odd Coupleをオープン。

バーテンダーとして一番大切なのはホスピタリティ。自分の仕事を好きでい続けることが探究心や向上心に繋がる

今まで一番嬉しかった時はいつですか?

勝ち方がドラマチックでしたし、偶然と運が味方して獲れたものなので、やっぱりバカルディ レガシー グローバル カクテル コンペティションで優勝した時ですね。その大会は、バカルディ150周年の記念大会で、26カ国の代表が集まってプエルトリコで開催されました。セミナーを受けたりパーティーをしたりして出場者全員で1週間を過ごして、最終日の前日に準決勝があり、勝ち残った8人でその翌日の決勝で一番を決める流れなんです。それぞれが違う国籍やバックグラウンドを持った者同士でも、一週間も一緒にいると刺激しあっていい関係性を築けて仲間意識も生まれる。やっぱりあの時のあの瞬間っていうのは一番ですかね。

2012年のバカルディ レガシー グローバル カクテル コンペティションで優勝した時

決勝戦で優勝した時のことを教えてください。

決勝進出が決まり、準決勝のジャッジからフィードバックをもらった時に「君のカクテルは美味しいしスキルも高いけど、プレゼンがつまらないからもっと自分らしくいったほうがいい」って言われて、苦手意識があった英語を丸暗記して話すのではなく、自分自身のことを話そうと思って決勝に挑んだんです。本番のステージでは、東日本大震災のことや、力になりたいと思っても日本に帰れなかったことをつたない英語で話しました。ところが、決勝では制限時間10分の間に、準備してカクテルを作って、提供して、最後に片付けまでしないといけないんですけど、スピーチをしている間に持ち時間の半分以上を使っちゃったんです。

そこでもう時間が半分しか残っていなかったのですか。それは焦りますね。

それからカクテルを作って審査員に配って、ステージに戻って片付けないといけないのに、明らかに時間が足りなくなっちゃった。でもそんな話をしたもんだから、会場全体が凄くエモーショナルな雰囲気になっていて、周りからも「シンゴ、時間がない、急げ!」って言ってるのが聞こえてくるんですよ。その中でなんとか作って、シェイクしている時点で残り1分半って聞こえて。でも、もう完全に間に合わないんです。

その状況からなぜ優勝できたんですか?

急いで作って配り終えたくらいのタイミングで、突然500人ほどいた観客がどっと湧いて大きな歓声が聞こえてきたんです。それでパッとステージ上を見たら、決勝で戦ったドイツ、オランダ、イギリス代表がステージに上がって僕のステージを片付けてくれていたんですよ。そこでタイムアップとなって。他の競技者がステージに上がって手伝うなんてルール違反じゃないですか。だからその後1時間くらい協議審査があったんですけど、結果、僕の優勝が決まったんです。

感動的なドラマのようですね。

彼らが手伝ってなかったら、その中の誰か一人が絶対に優勝してたんです。優勝が決まってからお礼を言いに行ったら「お前も逆だったら同じことをしてたと思うよ」って言ってくれて。その3人とはその後も一緒に仕事をしたりイベントをやったり、お互いの店を行き来したりして今でも本当に仲が良いですし、皆それぞれ違う大きなタイトルを獲ったり、ワールドベストバーに選ばれる店を作ったりして活躍しています。

素晴らしいです。その後、後閑さんは世界チャンピオンとして、ロンドンにあるサヴォイホテルの「アメリカンバー」のカウンターにも立たれましたね。

彼らは決勝で僕に勝たせてくれたわけだから、それに恥じないことをしないといけないという責任感もあって、僕も世界チャンピオンでいられる1年間はできることをとことんやろうって決めたんです。バカルディの大会で優勝すると、副賞として色んな国に行けるので、サヴォイホテルで初めてのゲストバーテンダーとして招いてもらったり、メキシコに行って初めてセミナーをやったり、イタリアやベルギーにも行ったりして色んなグローバルなシーンを見させてもらって、本当に勉強になりましたね。

優勝後、日本に帰国された時はいかがでしたか?

日本に帰って来たのは7年ぶりでした。飛行機の中でもうすぐ日本というアナウンスが聞こえてきた時は震えましたね。緊張と嬉しさと色んな感情が入り混じって、成田空港で“おかえりなさい”って書いてある壁のポスターを見た時に心の中で「ただいま」って叫んでました(笑)。親や会ったことのなかった姪っ子や、ニューヨークに行く前に働いていたバーのオーナーさんも迎えに来てくれて、みんなの元気な姿を見て安心しました。

当時、世界大会で一番になるという目標は達成されたと思うのですが、次の目標はどこに設定したのですか?

毎年7月にニューオリンズで、バーテンダーが世界中から2万人くらい集まる「テイルズ・オブ・ザ・カクテル」っていう祭典があるんです。その最終日にその年一番のバーテンダーを決める「ザ・スピリテッド・アワード」という授賞式があるのですが、バカルディの大会で優勝した年に初めて参加してみて、僕が世界チャンピオンになったことは、ただスタート地点に立っただけなんだって思いました。そこで「いつかメインのインターナショナル・バーテンダー・オブ・ザ・イヤーを獲りたい、この表彰台にいつか絶対に上ろう」って決めたんです。

バーテンダーがもらえる賞で一番凄いとされるのが、インターナショナル・バーテンダー・オブ・ザ・イヤーなのですか?

テイルズ・オブ・ザ・カクテルは大会ではないんですね。バカルディの大会のようなものはあくまでもメーカーが主催して、出場者がステージでカクテルを作って競うんですけど、テイルズ・オブ・ザ・カクテルは世界中のバーテンダー全員が対象で、1年間の活動やそれまでの功績を全て引っくるめて、投票でその年の一番を決めるんです。僕はそれまでこんな世界があったことも知らなかったし、いつか獲りたいと思いました。それから5年後の2017年にインターナショナル・バーテンダー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのですが、そういう意味では世界チャンピオンになったからといって、あぐらをかいてはなかったですね。

インターナショナル・バーテンダー・オブ・ザ・イヤーを受賞した時

5年の間にどういったところに努力されたんですか?その間、中国にバーをオープンされたことも評価されたのでしょうか。

選ばれるためのこれと言った基準はないんですけど、美味しいものを作るだけでなく、ムーブメントを起こしたり、お店のオーナーとしてもちゃんと結果を出していたり、スピーカーとしても講演のレベルが高かったり、あとはプロダクトを作る人もいるし、何かセルフプロモーションがすごく上手いとか、若手のバーテンダー達をちゃんと育てるとか、トレーナーやマネージャーとしての資質も、クリエイター、アーティストとしての能力も問われるし、全てですよね。

ところで、カクテルには国際的な美味しさの基準はありますか?

クリエイティビティや細かいところでの気の遣い方っていうのはあるんですけど、美味しいものって誰が飲んでも美味しいし、飲み物って質感はあまり変わらないから、実は具体的な基準はないと思ってます。その代わり、意外と視覚とか音とか、味覚以外のものに影響されやすいんですよ。もちろん美味しいものを作ることも大事なんですけど、美味しいと感じさせることも大事なんです。

では、バーテンダーとして一番大事なものはなんですか?

やっぱり一番はホスピタリティじゃないですかね。どれだけ完璧に作られた美味しいカクテルでも、無愛想で感じの悪いバーテンダーが作るものってもう一回飲みたいって思わないし、逆にすごくナイスなバーテンダーに適当なハイボールを作られても、凄く楽しかったら美味しいものになる。バーテンダーになるのに特に資格はないし、特にアメリカだったら履歴書出した次の日からバーテンダーになることもある。焼酎、ジン、ウォッカ、ウイスキーでもなんでもいいんですけど、僕たちは、大変な修行を積んだプロフェッショナルな作り手が作ったお酒を使ってカクテルを作るので、よっぽどのことをしない限りめちゃくちゃ不味いものはできないんですよ。

世界で勝負できるバーテンダーとできない人はどこが違います?

どの分野もそうですけど、世界で勝負できるのは、探究心や向上心がある人だと思います。そのリミットがある人はダメだと思いますね。止まった時点でそれ以上はないですから。日々、周りは成長しているわけで、僕だって今ここで止まったらすぐに置いていかれると思うし、この仕事を好きであり続けることが向上心にも繋がると思うんです。それはすべての業界に通じることだと思いますね。

後閑さんにとって、バーテンダーの一番の魅力はなんですか?

目の前で作ったものに対してその場で評価をもらえるのって楽しいですよね。なかなかそういう職業ってないんじゃないかなって思います。

次回へ続く

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