BICULTURAL SOULS
# | May 17, 2025

トップアーティスト達との共演を続ける、オーストラリア出身のベーシスト。演奏中に強く意識する「時間」という概念と、日本について今感じること

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

様々な分野で活躍する日本在住の外国人の方々をインタビューし、日本と祖国の文化の違いなどをお話し頂くコーナー“BICULTURAL SOULS”。第31回目のゲストは、オーストラリアのアデレード出身で、ベーシストのマーティ・ホロベック(Marty Holoubeck)さん。音楽に造詣の深い両親の元に生まれ、13歳の時に中学校でバンドのオーディションを受けたことからベースを弾き始めたマーティさんは、2015年にラガーフォンズというバンドのメンバーとして初来日。2018年に日本に移住してからは、ジャズやポップスを中心に、ジャズ界のレジェンドをはじめ、数多くのトップアーティスト達との共演を続けています。そんなマーティさんに、幼少期のことから来日するまでの経緯、日本での暮らしや仕事について、また演奏する上でとても大切にしていることなどを伺いました。
PROFILE

ベーシスト マーティ・ホロベック / Marty Holoubek

東京を拠点に活動するミュージシャン/作曲家、マーティ・ホルベックは、南オーストラリア州アデレード出身。幼少期から音楽への情熱を抱き、10代でベースを始めた彼は、すぐに地元で注目されるミュージシャンとして名を知られるようになった。 21歳のとき、マーティは音楽の道をさらに追求するため、活気あふれる都市メルボルンへと移住。そこで彼の音楽性は一層磨かれ、ベーシスト/作曲家として、ますます多くの聴衆を魅了していった。 2018年8月、マーティは新たな音楽的挑戦を求めて東京へ移住。多様な文化とエネルギッシュな音楽シーンが交差するこの都市は、彼にとって創造性を存分に発揮できる理想的な場所となった。以来、彼は日本の音楽シーンで瞬く間に存在感を高め、日野皓正、ジム・オルーク、石橋英子、山本達久、ermhoi、石若駿、崎山蒼志、HIMI、Black Boboi、角銅真実、Answer to Rememberなど、数々の実力派アーティストたちと共演・共作を重ねてきた。これらのコラボレーションを通じて、多様な音楽的影響を融合させた、唯一無二のサウンドを生み出している。 また、マーティの音楽活動はテレビにも広がり、2019年と2020年にはNHKの子ども向け音楽番組「ムジカ・ピッコリーノ」にレギュラー出演。幅広い世代のリスナーとつながる力を発揮し、多くの子どもたちに喜びとインスピレーションを届けた。 アデレードに生まれ、メルボルンの音楽シーンで育まれ、そして現在は東京の創造的な鼓動の中で活動するマーティ・ホルベック。その心を揺さぶる音楽は、国境を越えて人々を魅了し続けている。常に新たな高みを目指しながら、音を通じて人と人を結び、聴く者に深い印象を残す彼の音楽的旅は、今もなお進化を続けている。

 

—オーストラリア出身とお聞きしましたが、どのような環境で生まれ育ちましたか?

出身は南オーストラリアのアデレードです。 日本人の友達に言わせると、アデレードは日本で言うところの名古屋みたいな場所で、東京ほどの規模はないけれど、地方のちゃんとした都市。ワインが有名で、美味しいシラーやピノノワールなどが作られています。それに、ビーチと丘は20分ほどの距離で行き来できるし、景色も最高。そんなところで生まれ育ちました。

 

—子供の頃から音楽を?

私の父が作曲家でブルースとロックのギタリストで、母も大の音楽好きだったので、幼い頃から音楽に触れていました。それに父は、私にクラシックやポップミュージックの世界を紹介してくれました。でも、子供の頃は、オーストラリアンフットボール、サッカー、クリケットなど、スポーツが大好きで、小学校の友達はみんなスポーツをしていたから、音楽を好きになるまで時間がかかりました。しかし中学校は、音楽のプログラムに力を入れている学校だったので、すぐに夢中になりました。とてもラッキーでした。

 

 

—最初に触れた楽器は何ですか?

最初の楽器はサックス。でも学校にはすでに素晴らしいサックス奏者がたくさんいて、みんなのレベルには程遠かった。それで、校内であるバンドのオーディションを受けたときに、ディレクターに「サックスの他にできる楽器はある?」って聞かれて、そういえば母と一緒に近所の教会で一度だけベースを弾いたことがあったなぁって思い出して、「ああ、ベースは弾けるよ」って嘘を言いました(笑)。そしたら「2年生のバンドがベース奏者を探しているんだ。明日オーディションがあるけど来られる?」って言われて。僕は「もちろん行けます」って答えた。それで家に帰ってベースを手に取り、必死に練習して音符をいくつか覚えました(笑)。

 

—(笑)。オーディションはどうでしたか?

ラッキーなことに、オーディションの曲は本当に簡単で、合格しました。それをきっかけに家に帰ってベースを練習するようになったとたんに、サックスへの興味が冷めてしまいました。ベースは私の性格にも合っているんだと思います。

 

—ベースが合っているとは、マーティさんはどんな性格ですか?

前に友人と話したことがあるんですけど、ベースはサッカーのゴールキーパーみたいな存在で、チーム全体の基礎を支えるキーパーソン。だけど、スターじゃない 。ベースがしっかりした土台を築くことで、他のプレイヤーもすごくいい演奏ができ、そうすることで僕自身も活躍できるところがキーパーと似ていると思うし、僕の性格にすごく合っていると思います。

 

—マーティさんのライブを拝見したときに、家族でいうパパのような包容力を感じました。みんなを後ろから見守っている安心感があって。

わあ、ありがとう。そういう存在を目指しているし、ベースからバンドをリードするのは本当に楽しいです。ベース奏者は、すべてがうまくいっているかを確認しながら、ハーモニー、リズム、サウンド、密度、開放感をコントロールできる本当に興味深いポジションだし、非常に大きな力があると思っています。

 

—ところでプロを志したのはいつ頃からですか?

15歳くらいのときにはすでに、父のバンドや学校外のプロのミュージシャンと一緒にショーで演奏していたので、プロになることを決意していたと思います。普通は18歳か19歳で、自分が何をするか考え始めていろいろ試すから、15歳で自分のやろうとしていることがわかっていたのはとてもラッキーでした。その後、アデレード音楽院という音楽大学に進学するのですが、大学に行く前から教授たちと演奏していろんなこと勉強していたので、一年目をスキップして、2年生から入学しました。学校では主にクラシックとジャズを学びました。そして卒業後、オーストラリア最大の音楽の都市、メルボルンに引っ越しました。

 

—オーストラリアの音楽シーンについても少しお話してくださいますか?

音楽が盛んな都市といえば、メルボルンとシドニー。シドニーは少し商業的だけど、素晴らしいクリエイティブなミュージシャンもいます。一方、メルボルンはアートな世界だと思います。僕はメルボルンを選びましたが、本当に楽しい時間を過ごしました。

 

父親(右)のバンドで演奏している様子

—ミュージシャンとして生きていくのに、日本とオーストラリアではどちらが難しいと思いますか。

どの国も同じだと思うけど、オーストラリアでプロのミュージシャンとしてのキャリアを歩むのは簡単なことではないです。プロのミュージシャンであれば、昼間は高校や大学で教え、夜はライブで演奏します。そして、週末はイベントとか結婚式で演奏する。僕は今、日本で音楽を演奏するだけで生活していて、教えていませんが、オーストラリアでは有名なポップスターでもない限り、そんなことは不可能。国も芸術家を支援してはくれないです。でも、だからこそオーストラリアの音楽シーンは本当に素晴らしく、強いと思う。だって、それでもみんな音楽をやっているわけだから。ライブもどれもレベルが高いから、自分も高い水準でないといけない。オーストラリアのミュージシャンのレベルは本当に高いと思うけど、プロのミュージシャンの仕事は悲しいほど少ないと思う。

 

—もしもオーストラリアに行くとしたら、おすすめの場所はありますか?
メルボルンがおすすめ。ジャズラボというクリエイティブな場所など、メルボルンには素晴らしい音楽コミュニティと音楽シーンがあります。あとは、先日帰国するまで気づかなかったけど、アデレードにも面白い場所があって、クールな音楽文化も生まれています。私が通っていた大学ではハウズホールというライブが半定期的に開催され、面白い音楽が演奏されています。アデレードに行くなら、ぜひチェックしてみてください。

 

メルボルンでのライブ

—ところで、今は主にジャズを演奏しています?

みんなが思う僕のイメージはたぶんジャズ。でも実際は50/50 かな。ポップス、Jポップ、オルタナティブとか、そういう感じだと思います。

 

—初来日はいつだったんですか?

2015年7月、ラガーフォンズというバンドで来日しました。10日間で、14回のコンサート、4回のインタビュー、10回の写真撮影などがありました。そのとき、音楽家のアーロン・チューライと親しくなって、ドラムスの石若駿とサックスの吉本章紘にも出会って、日本のジャズシーンのプレイヤーと繋がることができて世界が広がりました。ライブの反響も最高で、初来日で日本が大好きになったんです。その後は、オーストラリアのメルボルンに戻って、週2回くらいベースを教えて、自分でも練習して、ライブに出て友人と曲を作ってという生活をして、毎日ミュージシャンとして仕事して最高に充実していましたが、その間も何度か日本に来て演奏するうちに、オーストラリア以外の場所に移住したくなりました。もともと英語圏でなく、クリエイティブなシーンがしっかりあるベルリンと迷ったんですけど、日本の街も歴史もすごく好きだったので、2018年27歳のときに日本に移住を決めました。

 

バンド「ラガーフォンズ」で初めて来日した時

—日本に移住したあとのキャリアはどうやって作られていったのですか?

日本に着いたその日にライブの予定が決まっていました。成田から新しいアパートまで行って荷物をおろして、駿(石若駿)とのライブに向かったんだけど、8月だったからすごく暑かったのを憶えてます。それからは大きな出来事があったというよりは、色んな人が繋いでくれて、少しづつ広がっていった感じです。

 

—来日して6年で日本のトップミュージシャン達と多くの仕事をしているのは、本当に素晴らしいことだと思うんですが、ご自身は自覚ありますか?

正直、日本のミュージシャンは全然知らなかった。 ここに引っ越してきたときはワーキングホリデービザだったから、1年半やってみて、どうなるか様子を見てみようと思っていたけど、 一緒に仕事してすごいプレイヤーだなって思う人にたくさん出会いました。

 

—例えば誰がいます?

素晴らしいギタリスト兼シンガーの長岡亮介は、最初は俳優かなと思っていました。ちょうど一緒にテレビ番組をやっていて、初めて彼がギターを弾くのを聞いたとき、これは凄いなって。OKAMOTO’Sの オカモトショウも同じで、バンドやってるって言うから、「カバーとオリジナル、どちらをやるの?」と聞いたら、彼は「今ツアーが終わったところ。Spotifyに音源があるよ」っていうから、家に帰って確認したら「ワオ、、、」という感じだった。他にも石橋英子さんやジム・ルークなど、素晴らしいミュージシャンがたくさんいます。もちろん石若駿も。

 

マーティと石若駿

—日本で暮らしてみて、カルチャーショックみたいなものはありますか?

たくさんあります。まず、日本の食べ物は素晴らしいし、お酒の文化も本当に好きです。それに日本の交通機関も素晴らしくて、オーストラリアでは信じられないことですが、空港でベースを運ぶとき、航空会社はハードケースのようなベースケースに入れてくれます。音楽や楽器を尊重してくれているのは本当に感謝しています。でも、振り返ってみると、引っ越してきた頃、出演料が支払われるまでの期間がとても長いことはカルチャーショックでした。オーストラリアはだいたい翌週には支払われるんですけど、日本は翌月末とか、たまに3ヶ月後とかなので、来日してすぐは本当にお金がなかったから、それを知った時は本当に困りました。あとは、リハーサルが比較的に長いなと思うことがあります。オーストラリアでは最長でも2~3時間集中してやる感じで、日本では5、6時間が当たり前のような気がします。これは仕事のスタイルの違いかもしれません。

 

—オーストラリアの人は集中して短時間でやるのですね。

オーストラリアの人たちは本当に一生懸命働くと思いますが、リラックスすることも大切にしています。オフィスワーカーでも、9時から5時まで一生懸命働いて、5時からは自分の好きなことをする。音楽も同じで、2、3時間リハーサルに集中しますが、その後は自分の時間になって、やりたいことをする。一方、日本の労働文化は非常に厳しいと思います。9時から5時まで働きますが、たいていは6時か7時か、それくらいまでオフィスにいるのです。その違いは興味深いですね。

 

 

—日本語はどうやって学びましたか?

ただ生活して働きながら覚えていったのと、あとは居酒屋で。以前は新中野に住んでいて、駅からアパートまでの間に「しょういち」という5席くらいの小さな飲み屋がありました。日本語ほとんど話せなかったけど、地元の常連のお客さん達と会話をするようになって、それからずっと通い続けました。だから、私の日本語の多くは、この店のおかげです。そこにあったバイスサワーというピンク色のお酒が大好きだった。

 

—日本に暮らすようになって、性格も変わりました?

ジャパニズムが入ったとは思います。でも、オーストラリア人も日本人もとても謙虚なところは似ていると思います。例えば、ショーの後に誰かが「素晴らしかったよ」って言ってくれたら、「いえ、まだまだです。もっと練習します」と答えるところ。あとは、日本人はシャイなところもあるけれど、一般的にフレンドリーなところも似ていると思います。

 

—マーティさんが音楽をやる上で、とても大切にしていることはありますか?

ファンクでもブルースでもロックでもジャズでもインプロでも、僕にとってとても重要なのは、グルーヴをちゃんと感じてその瞬間にその場にいるかどうか。これは、聴いて感じることはできても、見ることはできないからとても難しい話なんだけど、プレイヤー同士がお互いにグルーヴを感じて、今どこにいるかっていうのを自覚していることがとても大事だし、そうやって演奏するのはものすごく楽しいです。でも実はなかなかそういう人に出会うことは少ないです。だから、演奏を聴いた瞬間に、自分のグルーヴが他の人のグルーヴとどのようにフィットするかを意識することが最も重要だと思います。

 

 

—とても興味深いお話です。

駿とは、一昨年は105回、 昨年は85回一緒に演奏したんですけど、いつもグルーヴを感じながら演奏できるから、ミュージシャンの友人としてもとても信頼しています。駿がこっちの方向に行こうとしたら、自分がそれを即座に気づいて、そこに着いていくのか、それとも今にとどまるのかを選ぶ。それをお互いが感じながら演奏していくのはとても楽しいですね。つまり、正確に時を刻むメトロノームとはまた違う次元の、タイムに対する概念が僕にとってはとても重要です。

 

—日本の音楽シーンをどう見ていますか?

日本の音楽シーンは素晴らしいです。それが私がまだ日本にいる理由です。創造的で独創的な音楽をやっている素晴らしいミュージシャンがたくさんいると思うし、アメリカのジャズともイギリスのジャズとも違うけれど、日本のジャズは今、世界から注目を集めているし、みんな新しい道を開拓する意欲がすごいと思います。アーティスト達はいろいろ試したり、挑戦したりして、 実験的なサウンドにとても興味を持っています。

 

—日本で一番好きな場所はどこですか?

飛騨高山、札幌、名古屋。飛騨高山は、美しい景色に、美しい人々、美しい街、最高の雰囲気。そして、熱気あふれる飛騨高山ジャズフェスティバルがある。私がプレイした中で最高のフェスティバルの1つです。あと札幌も。

 

—では、日本語と英語で、あなたのお気に入りの言葉は何ですか?

日本語は「しょうがない」、「なるようになる」が好き。英語は「She’ll be right」。ことわざで、「心配ないよ、大丈夫」という意味。なんでSheなのかはわからないけど、そう言うんです。「She’ll be right, mate」って最後にmateを付けるととてもオーストラリアらしくなります。

 

 

—日本文化の好きなところを教えてください

音楽仲間とのコミュニティ感覚が好きです。周りの人たちはいつも本当に僕を歓迎してくれ、受け入れてくれます。悪い雰囲気を感じることはあまりありません。あとは、食文化が本当に好きです。日本に来て5年くらいは、お茶漬が大好きだった。今は、スープカレー。それと鍋もコーヒーも大好き。日本人は料理にしてもコーヒーにしてもとことん追求するから、本当に美味しいものや素晴らしいものができるんだと思います。

 

—でもそれがやり過ぎのところはないですか?

たまにある(笑)。

 

—日本人が変わらなければいけないことはあるでしょうか?

もう少し自信を持つことだと思います。音楽コミュニティが特にそういうわけではないけど、僕自身はアメリカとあまり比べないようにしています。日本には美しい音楽文化と素晴らしいミュージシャンがいるから、他国と比較する必要はないと思う。あとは、男性と女性に平等な機会を与えることは、本当に重要だと思います。そのほうがずっと良いし、世界をより良くすると思います。オーストラリアもその点で非常に遅かったと思いますが、今は良くなってきています。それから、日本から離れて、他の国に住んで違う経験をするのはとても大切なことだとも思っています。でも重要なのは、日本以外のところでインスピレーションを受けたものを持って、ちゃんと日本に帰ってくること。だって、日本は素晴らしいから。だから僕はここに住んでいるんです。日本は世界でも最高の国の一つだと思う。でも、時々国を離れると、視野が広がります。もちろん贅沢なことだとはわかっていますし、多くの人は、仕事のスケジュールやお金の事情でそうすることができません。だけど、もし可能ならば外国に住んでみるのは良いことだと思います。

 

 

—今も日本で続けているオーストラリア流の文化や習慣のようなものはありますか?

オーストラリア風のバーベキューは今もやるし、朝食には毎朝ベジマイトトーストを一枚食べています。

 

—日本や世界で起きていることで気になることはありますか?

ジャニーズや伊藤詩織さんなどの性的な事件などが、どんどん明るみに出て社会問題になっているのは非常に興味深いです。それに限らず、今まで極秘にされ、タブーとされてきたことが、どんどん表に出てきているように感じます。それらの社会問題を今後日本がどのように対処するかは気になります。あとは、ガザやウクライナ、そして世界中で起こっている恐ろしい出来事は、止める必要があると思いますが、そのための最善の方法が私にはわかりません。 ロシアがウクライナでやっていること、そこで起きていることは、とてもひどいし悲しいことだと思います。

 

—これから実現したいことはありますか?

ひとつは、日本のバンド仲間全員と一緒にヨーロッパやオーストラリアにツアーに行きたいです。とにかく周りのコミュニティ全員をオーストラリアに連れて行きたい。オーストラリアで彼らといい時間を共有できたら楽しいだろうし、最高ですね。

 

—では最後に、マーティさんにとって成功とは何ですか?

考えも変化していくので、今思う成功の話になってしまいますが、僕にとっての成功とは、音楽を作ることと、快適な生活を送るのに十分なお金があることです。でもそのお金は多すぎず、友達と遊んだり、音楽を作り、おいしいものを食べたり、おいしいコーヒーを飲んだりするのに十分な時間があること、それが最高だと思います。欲を言えば、家族にもっと会って一緒の時間を過ごすことができれば、かなり理想通りです。仕事と生活のバランスは大切な気がします。

 

マーティ・ホロベック Information