HIGHFLYERS/#64 Vol.1 | May 9, 2025

ライブという“生きた場所”で育まれた音楽が、いまメジャーの舞台へ。15年の軌跡と、新曲「美しき人」に込めた想い

Text: Atsuko Tanaka / Photo: Atsuko Tanaka & Shusei Sato / Photo Retouch: Koto Nagai

情熱あふれる歌声と魂に火を灯すサウンドで、聴く者の心を揺さぶるT字路s。ブルース、ソウル、フォークを縦横無尽に行き来しながら、自分たちの音を追い求めてきました。ライブで歌うことが生きる理由とするその音楽観、今なお深まる音楽への熱量とは、また、結成15周年を迎えメジャーデビューした経緯や、新曲「美しき人」へ込めた想いなどを語っていただきました。
PROFILE

アーティスト T字路s

2010年5月に結成。 伊東妙子(Gt,Vo) 篠田智仁(Ba)によるギターヴォーカル、ベースのデュオ。 2017年 初のオリジナルアルバム『T字路s』、2019年 2ndアルバム『PIT VIPER BLUES』、結成10周年を迎えた 2020年、3rdアルバム『BRAND NEW CARAVAN』をリリース。 2021年リードトラック「夜明けの唄」がWOWOW開局30周年記念「連続ドラマW トッカイ ~不良債権特別回収部~」の主題歌に起用される。 2022年 カヴァーアルバム『COVER JUNGLE1』『COVER JUNGLE2』をリリース。セルフカヴァーの収録曲「これさえあれば」は、T字路sが劇伴を手掛けた映画 『メタモルフォーゼの縁側』で主演の芦田愛菜と宮本信子が主題歌として 歌唱し話題に。同アルバムを引っ提げて行った全国ツアーはソールドアウトが続出、同年開催されたフジロックフェスティバル等数々のイベントにも出演し各地で好評を得る。 2023年は、初のベストアルバム『THE BEST OF T字路s』、The Street Slidersのトリビュート作品、NHKラジオ深夜便の テーマ、NHKみんなのうた、日本テレビドラマ「だが、情熱はある」の劇伴と精力的にリリース。 2025年4月にソニーミュージック‧エピックレコードジャパンからメジャーデビュー。 二人が織りなす音楽はブルースやフォーク、ロックンロールを飲み込みつつ、ジャンルの壁を超えるものであり、 人生における激情や悲喜交交を人間臭く表現した楽曲たちがファンの心を鷲掴みにしている。

 

―小さい頃は、どんな子どもでしたか?

伊東:私は神奈川県横須賀市の電気屋の娘で、3人兄弟の末っ子でございまして、とてもおとなしい子でした。姉と兄がすごくやんちゃで、2人が取っ組み合いをしている部屋の隅で、じっと黙ってお絵描きをしていたと聞いております。

篠田:僕は多摩センターの団地で生まれまして、小学校の時に世田谷に引っ越して、どちらかというと活発な子だったと思います。外で遊ぶのが好きなタイプでした。

 

幼少期の伊東

 

―ご両親はどんな方で、どんな育てられ方をしましたか?

伊東:恐らくですけど親自身がわりと必死に生きていた感じで、子どもにああしろこうしろっていうよりは、好きにさせてくれて、人に迷惑をかけなきゃ何をやってもいいというような、あまり厳しくはなかったですね。

篠田:小学生の時に母親と弟との暮らしになりまして、おふくろからうるさく言われることはあまりなかったです。おふくろは音楽が好きで、いろいろな音楽を聴いていたんで、その影響で僕も聴いてましたね。ラジオを聞いたり、カセットテープに録音したりしてました。

 

中高時代はどんな学生生活を送っていたんですか?夢中になったことなどはありましたか?

伊東:中学生の半ばぐらいまでは、引き続きおとなしく、本や漫画を読んだりするような子だったんですけど、中2の頃に「イカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)」を見て、人生が変わってバンドに夢中になりました。私が住んでいたのが横須賀の片田舎だったので、すべての鬱憤を拭い去ってドアを開けてもらったような感じでしたね。

 

それで自分もバンドを始めようってなったんですか?

伊東:それはもうちょっと先ですね。中学生の時はいろんなバンドを聞く感じで、高校で軽音部に入って、ギターを買って、いろんな曲をコピーしたりしてちょっと歌ったりもしました。その頃ロカビリーが好きになったんですけど、難しすぎて弾けなかったので、コニー・フランシスとか、チャビー・チェッカーとか、オールディーズの曲などをやったりしてました。

 

 

―篠田さんはどうでしたか?

篠田:中学の時は野球もやってましたが、同じくちょうどバンドブームだったので、中2ぐらいで幼なじみとバンド(COOL WISE MAN)を始めました。本当はドラムをやりたかったんですけど、じゃんけんで負けて、しょうがなくベースをやった感じで。最初はラフィンノーズ、そのうちピストルズやクラッシュとかをやるようになって、その影響でレゲエやスカが好きになって。高校は行かず、バイトをしながらずっとバンドをやってました。

 

―じゃあ早いうちからミュージシャンになろうと思っていたんですか?

篠田:いや、ミュージシャンになるとかメジャーを目指すとかは全くなく、バンドが楽しくて、気がついたらマニアックな音楽ばっかりやるようになってた感じです。ホーンとかを入れたいから、幼なじみにあれこれ買えとか言って、みんなで公園で練習したりして。18、9歳の頃からライブをやるようになりました。

 

―伊東さんは、高校卒業後はどうされたんですか?

伊東:大学に進学して、バンドサークルに入りました。部室がスタジオになっていたので何個もバンドをやって。その頃に今の歌唱スタイルの原型みたいのをやり始めて、オリジナル曲を作って歌ったりして。ライブハウスに出演するようになったのは20歳ぐらいの時ですかね。

 

左:篠田氏。COOL WISE MANのライブ 右:伊東氏。大学でバンド活動していた頃

 

―音楽でやっていきたいという思いはその頃からありました?

伊東:篠田さんと同じ感覚で、音楽は大好きだから続けるけど、音楽で食えるとは思ってなかったです。なので音楽ができるように、仕事は別にする。そんな感じでずっと生きてきまして、10年前くらいに「あれ、いつの間にか食えるようになったな」という感じですね。

 

―じゃあ大学を卒業した後は就職されたんですか?

伊東:就職活動はせず、募集していたのを見つけて家族経営の小さな会社に入り、建築特許の事務をやっておりました。そこに25年勤めまして1年前に退職しました。それも自己都合ではなく、会社を畳まれるということで。

 

―タイミングがちょうど合ったのですね。ちなみにお二人が出会うまでは、伊東さんはいくつかのバンドをやっていらしたんですよね。

伊東:そうですね。自分が作詞作曲して歌うバンドとしては、ロックンロールバンドをずっとやってました。ロカビリーからサイコビリーが好きになったけれど、あんなに早くギターを弾けなくて、ルーツを感じるようなロックをやりました。

 

―篠田さんは学生時代からやってたバンドをずっと続けて?

篠田:はい、ライブは7、8年前までよくやっていて、今はちょっと活動が止まっちゃってるんですが、解散はしてないです。

 

―お二人はどうやって出会ったんですか?

伊東:ロックバンドとは別に、ギターだけ弾くスカバンドもやっていたんですけど、そのバンドが篠田さんのバンドと対バンをよくしていたんです。ある時、そのロックバンドが解散することになり、理由が結構ショッキングだったので、もうバンドはいいやと思って弾き語りを始めたものの、思った以上にしょぼかったというか、音数が少なくてさみしくて。それで篠田さんに何曲かベースを弾いてくれないかと声をかけて、T字路sの原型ができ、結構いい感じだったので正式にやることになりました。

 

 

―初めて会った時のお互いの印象は覚えてます

伊東:うーん、ヘラヘラしてると思ったかな(笑)。あ、言葉は悪いですね。いつも優しげな笑顔でいらっしゃるので、ニコニコしてるなぁって思いました。音楽の方は問答無用のリズム体、すごい重みがあって、雰囲気も抜群。素晴らしいベーシストだと思っておりました。

篠田:最初はギターの人っていう印象だったんです。パンクバンドで、女の子でやんちゃな感じでやってんなっていう感じの印象でしたかね。でもある時、ロックバンドのCDを聴かせてもらって、すげえみたいな。

伊東:「これ、たえちゃんが歌ってるの?」って何度も聞かれましたね。

 

―普通にお話ししているだけだったら、あの歌声は想像できないですもんね。それでじゃあ一緒にやってみようと活動が始まって、その後はずっとライブをしてっていう感じですか?

伊東:そうですね。最初の頃は、都内のバーとか飲み屋の片隅でやることがほとんどだっと思います。

篠田:でも、すぐに全国津々浦々を回るようになりましたね。始めてすぐにいろんなつながりができて、うちにも来てくれみたいな感じになって。でも断らずに全部受けていたら、どんどん増えて、全部受けきれないみたいになっていきました。

 

結成初期の頃。自主制作1st CD「T字路s」のカバー(左)とアー写(右) Photo: ERI SHIBATA

 

―先ほど音楽で食べていけるようになったのが10年前とおっしゃってましたけど、軌道に乗ってきたと感じ始めたのはいつぐらいだったんですか?

伊東:結成した翌年にはフジロックに出られたりして、とてもラッキーでしたけど、いろんな出会いが全部つながっている感じですかね。ちょうど7年前ぐらいにデパートの西武・そごうのキャンペーンをやって。

篠田:僕たちは大阪の西成の立ち飲み屋さんでよくライブをやってたんですけど、ある時西武・そごうのお偉いさんがたまたま見に来ていて、大抜てきされたというか。その辺りから食えるようになったのかな。でも食えると言っても、バーとかで本数をいっぱいやれば、バイトするよりはいいかみたいな感覚ですよ。

伊東:飲み屋回りをしてると、だいたいそこのマスターがレジからパッと、取っ払いしてくれて。

篠田:今でもそうなんですけど、肉体労働っていうか取っ払いでやって。そのために物販を作ったりして、月にこれくらいライブをやれば生活できるかみたいな感じになっていった。

伊東:旅芸人という感じです。軌道に乗ったというよりは、営業入ったって感じですかね。

 

―そういうお二人が歩んできた道というか、魂みたいなものが歌から感じ取れますよね。

篠田:二人ともお金に無頓着っていうか、生活できればいいかみたいな感じなんで、金持ちになってやろうみたいなのは全くなく、結構楽しかったよね。

伊東:楽しいですよ。楽しいっていうか、生きがいっていうか、それ以外に生きる理由はないぐらい。やっぱり目の前で聞いてもらって、反応が返ってくる。目に見える反応や耳で聞こえる反応もありますけど、熱気というか波動というか、響いてるなって分かる感じ。それが嬉しくて、こっちも全力で投げ返すと、また返ってきて。それは何にも変えがたい喜びだと思っています。

 

今までで特に印象深いお客さんの反応は何かありますか?

篠田:やっぱり西成ですかね。毎年西成でワンマンをやっていたんですけど、最初の方は西成の労働者の人たちが見に来て、投げ銭でやって、その波動がすごくて地響きみたいな盛り上がり方をするんですよ。だけど、僕たちの知名度が上がるにつれて、全国のファンの方たちが西成で見るのが名物みたいになってしまって、最初の頃から来てくれていた人たちが店に入れなくなっちゃったんです。それはそれでちょっと違うなっていうので一旦やめたんですけど、その最初の頃の熱気はすごかったよね。

伊東:ライブが終わった後、「これがしたかったんだよな」って宿で泣けてくるくらい。

篠田:西成の人たちって、楽しいと持ってるお金を全部入れちゃうんですよね。

伊東:「明日の昼飯代を入れておいたから」とか言ってくれるから、「いや、明日の昼飯食べてよ」って返したりして。

篠田:自分たちの中にもある、“その日を生ききる”っていうのは結構僕らの原点かもしれないですね。

 

西成でのライブ Photo by hiro

 

―素晴らしいですね。そんなお二人が結成15周年を迎えてメジャーデビューということで、考えてもいなかったけれどいろんなご縁が重なってそうなったと伺っていますが、その辺のことを教えてください。

篠田:僕らはいろんな曲のカバーもしているんですけど、ストリートスライダースの「のら犬にさえなれない」って曲を初期からずっとやっていて。ストリートスライダースがデビューしたのがエピックソニーで、トリビュートアルバムに参加しませんか?と声をかけていただいたのが最初のご縁で、そこからいろいろ繋がってという感じですね。

 

―それでオファーを受けたわけですね。最初はどう思われましたか?

伊東:びっくりですよね。そもそもそういう声がかかる音楽だと思ってなかったので。でも、たくさんの人に聞いていただいて、心に響くのが一番嬉しいことなので、メジャーデビューすればその可能性が広がるじゃないですか。だから、びっくりの次には是非やりたいという気持ちでしたね。

篠田:二人とも結構いい年ですから、まさかこの年でメジャーに行くとは思ってなかったです。僕が担当者だったとしても、若い子の方に可能性を感じると思うし。だけど逆に、年齢的にはベテランになっている人たちでもできるんだぞっていうか、中年の星みたいになれたらいいなとは思いますね。僕らよりも上の人たちでバリバリやってるかっこいい人たちはたくさんいるわけですから、そういう人たちにとっても、もしかしたら希望になれるかもしれない。

伊東:音楽だけじゃなく他のことでも、何かをやってる人にとって、人生って面白いよねと思ってもらえたら。

篠田:あと、この15年は僕らにとっては必要だったというか、それも自分たちらしいかなと思っていて。結成当初の足元が固まってない時にメジャーに行っても、多分ダメだったと思うんですよ。でも15年やって自分たちの根っこが固まった今だったら、メジャーに行っても何かできるんじゃないかって。

伊東:自分たちらしさを失わうことはないだろうっていう自信はありますね。

 

―メジャーデビューシングル「美しき人」も聞かせていただきました。いつもなんですけど、T字路sさんの歌を聞くと鳥肌が立ちます。「美しき人」はどんな気持ちを込めて作られたんですか?

伊東:汗や泥にまみれて、全力で生きる人への讃歌です。T字路sのテーマは、15年変わらず、「全力で生きる人への讃歌」なんです。スマートじゃなくても、もがきながら泥や汗にまみれながら、顔を上げて進もうとする人がかっこいいなと思うし、自分もそうありたいなと思っているので。メジャーデビューシングルということで、そのテーマで行きたい気持ちがあったので、ド直球で作ってみました。

 

 

全力で生きてる人たちには多分グッと来ますよね。

篠田:ネット社会のネガティブな、冷笑文化みたいなことに対してのアンチテーゼというか、泥臭く生きてる人のほうが美しいんだっていうメッセージですかね。

 

ツアーは去年の10月から続いていますよね。メジャーデビューの発表はその中でしたんですか?

伊東:そうですね、30本ぐらいやったうちの真ん中辺り、私の地元横須賀でやった時に発表しました。反響は意外とありました。

 

―意外と、というのは?

伊東:親にメジャーデビューすることを伝えた時、「メジャーって何?今までと何が違うの?」って言われて。音楽に関わってる人だと、メジャーデビューがどういうことなのか言わずとも分かるじゃないですか。だけど音楽と関わりがない人にとっては何が違うのかが分からないようで、地元でやると音楽ファンだけじゃなく、いろんな方が来てくださるので、ポカンとされるんじゃないかと思ったら、意外とおーって盛り上がってくれました。生まれ育った町で発表できて感慨深かったです。

 

「ダブルサイダーツアー」横須賀公演 Photo by hiro

 

―では話は少し変わって、これまで活動を続けてきた中でいろんなことがあったと思いますが、一番辛かった時期や出来事と、それをどのようにして乗り越えたかをお聞きしたいです。

伊東:たくさんあると言えばありますね。その時はもう音楽をやめたいぐらいしんどかったとしても、それでも続けて、結果これで良かったというふうにしていくしかないからそうして、それがあったから今があると思っています。例えばずっと一緒にやってきたロックバンドのメンバーが脱退して解散することになった時とか、スタッフとの別れとか。離れる時は辛いけれど、それによってまた新しい出会いがあって、今日までやってこれたということですから、そう考えると全て人との関わりなんですかね。

篠田:昔いたスタッフとの別れとか、病気で体が辛いとかはもちろんあるけど、音楽をやめたいと思ったことは今まで一度もなくて。それよりもやりがいとか、いい音楽を作りたい、いいライブをしたい気持ちの方が圧倒的に強いので、今があるのかなっていう気がします。でも、この先例えば身内に何かあったりとかしたら、今日のライブどうしようとかってなるとは思うんですけど、二人とも何があってもステージに立つタイプだから、多分辛いのは乗り越えちゃう人種なんじゃないかな。

 

―逆に、一番嬉しかったことは?

伊東:T字路sを始める前は、ドラムがいるスリーピースバンドで、ドラムに負けないように声を張り上げていたんですけれど、T字路sになってからは、自分の歌や表現がまだまだ広がる可能性を感じられたので、それはすごく嬉しかったです。

篠田:T字路sを結成した最初の頃は、ドラムとかもいないバンドだし、俺らは気に入ってるけど人はどう思うんだろう?みたいなところから始まって、ツアーで飲み屋を回って、どんどん人が増えていって、フェスに出られたりして、それっていいと思ってくれる人がいるからなんだろうって実感できた時が嬉しかったです。

 

―では、T字路sさんの音楽のスタイルを一言で表すとしたら?

伊東:命。

篠田:本能。

 

 

ご自身の価値観に変化や気づきを与えてくれた出会いや言葉は?

伊東:イカ天。その日から人生が変わって、今日に続いてるから。あとは篠田さんとの出会い、その二つですかね。

篠田:僕は、じゃんけんで負けてベースをやることになったことですかね。最初は全然面白くない楽器だなと思っていたんですけど、今思うと他の楽器だったら多分飽きてやめてたんだろうなと思うし。

 

―いつ頃から面白みを感じるようになったんですか?

篠田:始めて2年ぐらいしてからですかね。最初はラフィンノーズとかパンク系から入って、ストリートスライダーズが好きになったんですけど、ストリートスライダーズのベースが全然弾けなくて。ちょっとブラックミュージックみたいな要素が入ってるから、それまでのリズムと全く違って、このドライブ感は何なんだ?みたいなことに気づいて、改めて音楽を聴いてみると、ベースって結構大事なんだって思って面白くなっていきました。

 

―では、憧れたり、尊敬する方はいますか?

篠田:僕は小さい頃から、今でもですけどムツゴロウさん。動物王国を作っちゃうところとか、ギャンブラーだったりたばこ好きのところとか、文章もうまいし、ムツゴロウさんの本も好きですね。

伊東:お姉ちゃんかな。6歳上なんですけど、小学校の時からいろんな曲を聴かせてくれて、私がバンド好きになったらホコ天に連れていってくれたり、上京したあとは、毎月食べ物をいっぱい詰めた箱を送ってくれました。今も毎回ライブのチケットを買って来てくれます。お仕事を頑張って、家族の面倒をものすごく見てくれているし、とても大きな存在ですね。お姉ちゃんがいなかったら私は音楽を続けてこれなかったかもしれないし、ここまで音楽に傾倒しなかったかもしれない。姉は音楽の人ではないですが、私を導いてくれたというか、支えてくれた一番の恩人な気がします。

 

 

―お二人の理想の人間像は?

伊東:死ぬまで答えが分からないから、その日まで理想を追い求めるというか、挑戦し続けたいと思っています。そう思うと、今は理想の人間像を生きているかもしれないですね。挑戦と言っても自分の中の小さな挑戦ですけど、繰り返し続けていきたいです。

篠田:大きく言うと、ただ自然とともに生きてる人というか、春になると芽が出てるなとか、そういうことに気付けるような人になりたい。今はそういう生活にちょっと近いところはあるんですけど、やっぱりライブが続くと街から街への移動が多いので、家に帰ってきた時は自然の中にいたいと、最近は特に思いますね。

 

―では、T字路sさんのようなアーティストを目指す若者にアドバイスをするとしたらどのような言葉をかけますか?

伊東:音楽に飽きなかったから今まで続けてこられたので、続けることですかね。周りは子どもができて家庭を持ってとか、お仕事が大変などの理由で音楽をやめていくんだけれど、私たちは20歳のまま今日につながっちゃったような感じなので、ある意味脳天気なんですかね。楽天的に、やりたいからやるというだけで続けてきた。なので、アドバイスするとしたら「そのままの君でいていい」という感じかな。

篠田:単純に、諦めないこと。上手くなくてもミュージシャンとして生きる道はあるけれど、上手いに越したことはないと思います。

 

上手くなるにはやっぱり練習ですか?

篠田:しかないと思いますね。僕らはそこができなかった人間で、ミュージシャンの中では全然うまくない方ですけど、若い子に言うのであれば練習しとけよってことですかね。あと、音楽を始めてライブに出るようになると、野球と一緒で皆さん評論家みたいなところがあって、いろんな意見を言われるんです。でも、それを聞きすぎると大事なものを見失うような気がするし、結局最後は自分の本心みたいなものしか残らないから、そこを大事にした方がいいと思います。頑固さみたいなのも大切なんじゃないですかね。

 

では、T字路sさんにとってチャンスとは何ですか?

篠田:アホみたいな答えですけど、チャンスはピンチ、ピンチはチャンス。チャンスだと思って自分を見失ってしまうとピンチになってしまったり、逆にピンチだと思っても意外と道が開けるチャンスになったことが結構あるので。だから今チャンスかもと思ったら結構疑うというか、そんなうまい話はないだろうみたいな、わざと冷静になるようにしたいと思ってます。

伊東:難しいですね。気の持ちようかな。自分のコンディションというか精神状態が良ければ何でもチャンスにできるけど、逆も然りなので、自分のコンディションを整えるようにしておくこと。例えば、メジャーで音楽をできるようになって、多くの人に聞いてもらう機会が増える。それって最高のチャンスじゃないですか。だけど、そこで下手こいたら最大の逆チャンスになってしまう。だから、チャンスをものにするもしないも、自分のコンディション次第なのかなと。

 

成功とは何ですか

伊東:心の充実じゃないですか。例えば大スターになってスタジアムでライブしたって、心がむなしかったら成功とは言えないはずだから。生きたえる瞬間まで分からないけれど、だからこそ自分のやりたいことを日々積み重ねていく、そしてそれを聞いてくれる人がいて、心に響いてくれたら大成功かなと思います。

篠田:人からどう見られているかとかは全く関係ないし、地位がどうとかじゃなくて、自分が作り上げたルールの中で生きていければ成功と言えるんじゃないかなと思います。音楽でもそうですけど、たとえメジャーに行ったとしても、ここは絶対に外したくないとか、この線だけは守りたいとか、その中で生きていければ成功。もちろん負けたって思う時もあるとは思いますけど、その時はまた絶対に取り戻すという感じで続けられたらと思います。

 

 

―最後に、まだ実現していないことで今後挑戦してみたい夢や野望はありますか?

伊東:派手なことは言えないですけど、やっぱりいい曲を作って、いいライブをして、たくさんの人の心に響いてもらえたら嬉しいです。それを目指して、日々やっていくだけですね。その先に憧れの会場でやるとか、ものすごいヒット曲が生まれたとか、ご褒美のようなことがあったら嬉しいですけど、それは積み重ねの先にしかないと思うので、地道にやっていきたいと思います。

篠田:音楽としては、ヒット曲を出したり、ライブ会場を大きくしていきたい想いはあります。でも最終的には、たまにライブをやりながら、牧場とかで馬と一緒に生活するみたいな、アメリカのカントリー歌手のような生活ができたらいいですね。今はまだがむしゃらに動いていたいから、70ぐらいになった時かな。

 

 

メジャーデビューシングル「美しき人 / マイ・ウェイ」2025年4月9日(水) リリース

結成15周年にしてメジャーデビュー!    T字路から世界へ、15年の軌跡と新たな挑戦が交差するメジャーデビューシングル!

 2010年結成、ブルース、フォーク、ロックなどの要素を融合し、ジャンルの枠を超えた独⾃のスタイルで⽀持を集めインディーで活動を続けてきたT字路s。

そんなT字路sのメジャーデビューシングル「美しき⼈」は、未来へ歩み続けるすべての⼈々に寄り添い、⼼を揺さぶる楽曲。佐橋佳幸のプロデュースのもと、トップミュージシャンとのバンドレコーディングに挑戦し、新たな表現へと踏み出し完成した作品となっている。

もう⼀曲には、T字路sのもう⼀つの魅⼒であるカヴァー曲を収録。

フランク•シナトラの名曲で、布施明の⽇本語バージョンでも有名な『マイ•ウェイ』をカヴァー。

https://www.tjiros-utsukushikihito-myway.com/

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