IMPRESARIO KEYS
#18 | Sep 4, 2024

挫折から一度ボクシングを離れた後、意識と行動を劇的に見直し、人生の目標を何度も明確化。日本と東洋チャンピオンのタイトルを掴んだ道程

Interview & Text: Atsuko Tanaka & Yukie Hashimoto

「IMPRRESARIO KEYS(インプレサリオ・キーズ)」第17回目のゲストは、プロボクサーの宇津木秀さん。中2の時にボクシングを始め、花咲徳栄と平成国際大学でボクシング中心の日々を送るも、思うような成績を残せずボクシングから一旦距離を置く。その後、あるプロボクサーの試合を観たことをきっかけに復帰することを決意し、2018年にプロボクサーとしてデビューして見事TKO勝ちを掴んだ。そして、2022年に第63代日本ライト級チャンピオン、今年の7月に第49代東洋太平洋ライト級チャンピオンとなる。
PROFILE

プロボクサー宇津木秀

プロボクサー現在の戦績15戦14勝(12KO)1敗。 小学2年から6年まで少年野球、中2の夏から沼田ボクシングジムに入会しボクシングを始め、花咲徳栄高校のボクシング部に所属して選抜大会準優勝。インターハイ3位、平成国際大学に進学し2年間キャプテンを務め、最後の全日本選手権で3位の戦績。大学卒業後ボクシングを引退し、一年後プロボクサーになるため全日本社会人選手権に出場し優勝。ワタナベ ボクシングジムでプロデビュー。第63代日本ライト級チャンピオン、OPBF東洋太平洋ライト級チャンピオン。

スポーツメンタルコーチ柘植晴永

一般社団法人フィールド・フロー共同代表 メンタルコーチ。常識に捉われず人の可能性は無限大だということを軸に一人ひとりの個性を大切にしながら人生全体を応援。思考・感情・身体の繋がりを探求するワークや 視覚、聴覚、体感覚等、感覚に働きかけるセッションでサポート。自分を深く探求するワークショップ等も開催。子どもからトップアスリート、選手や指導者、保護者含め幅広く関わりながら、保護者や指導者がもっと楽しく子どもたちと関われるコミュニケーションツールとしてコーチングを広く知ってもらう為の活動なども行なっている。

【ありたい未来をイメージし、自分のやるべき取組みを見える化】~ゴールの地点から振り返って逆算する~

プロデビュー以来、15戦中14勝という好成績をおさめている宇津木秀選手。なぜメンタルコーチングを受けてみることになったのか、またコーチングを活用してどのような変化を遂げていったのか、3つの事例を用いて話していただいた。

埼玉県所沢の出身だそうですが、子どもの頃はどんな子で、どんなことが好きでしたか?

仮面ライダーやウルトラマンとかのヒーロー系が好きで、よく真似をして友達とヒーローごっこをしてました。性格は負けず嫌いなところはありつつも、すごく怖がりで泣き虫。3人兄弟の一番下で甘えん坊でもあったので、どうしようもない子でした(笑)。

子どもの頃

スポーツはやられていたんですか?

小学2年生ぐらいから少年野球をやり始めたんですけど、小6の最後の大会で肘を壊してしまい、引退する形で辞めました。中学ではバレーボールを始めたものの、団体競技は向いてないと思って、父親の影響で中2の夏からボクシングを始めました。それで東京の清瀬にある元世界チャンピオンの沼田義明さんのボクシングジムに通い始めたんです。ボクシングをやれば喧嘩が強くなるし、入りとしてはそんなに怖い思いはなかったけど、実際にやってみるとやっぱり難しいものなんだと感じました。

高校は花咲徳栄に進学されますが、それはボクシングの関係で選んだんですか?

花咲徳栄に行ってる方が4人ほどジムにいて、花咲徳栄と平成国際大学でボクシングを教えている木庭先生という方がジムに来た時に、うちの道場に練習に来なさいと誘っていただきました。僕は元々は高校には行かずにプロになりたいと思ってたんですけど、そういう出会いがあったので行けるのであれば行きたいと思って、その後推薦をいただいて行くことになったんです。

高校ではボクシング中心の生活ですか?

ボクシングしかしてないんじゃないかってぐらい、ほぼ中心でしたね。通学に2時間ぐらいかかるんで、本当に通えるのかっていろんな方に言われましたけど、ちゃんと通えて、自分でも人は変われるんだなって実感しました。

ボクシングが楽しかったから通えたんですかね?

楽しかったのもありますけど、僕は母がいなくて、親父とおばあちゃんに育ててもらって、中学でちょっとした不良やって迷惑かけたのに、わざわざ高校に行ってまでボクシングをやらせてもらっていたんで、ボクシングで結果を残して恩返ししなきゃいけないと思って続けられたんじゃないかと思います。

試合にも出ていたんですか?

1年生から出させてもらってました。でも、やっと県大会で優勝できて関東大会で1回戦負けみたいな、ずっとそんな感じだったので正直向いてないんじゃないかと思ってました。でも2年生の最後の選抜からようやく結果が出るようになりました。

平成国際大学ではキャプテンを務められたんですよね。

キャプテンは3年生から2年間やらせてもらいましたけど、本当にきつかったですね。監督から言われる言葉もそうですし、選手たちを引っ張っていかなきゃいけないのに、いい言葉が出てこなくてうまくいかなかったりで、よく泣いて帰ったりとかもしてました。相談する相手もいなかったし、早く辞めたいとばかり思っていて。それで4年生の最後の試合で、全日本のボクシングの全国大会に出て、勝てばオリンピックの日本代表に選ばれるという試合だったんですけど、負けて、これでもうボクシングを辞めようって引退したんです。

大学生の頃

そうだったんですね。

辞めた後はすごくすっきりして、鍛えるのが好きだったからボディビルダーになろうと思って父親と筋トレをしたり、あとは今も応援していただいてる方なんですけど、鈴木建設というところで働かせてもらってました。そうしたらある時、木庭先生から花咲徳栄と平成国際のボクシング部のコーチをやってくれないかと言われて。忙しかったし本当は嫌だったんですけど、後輩に教えるんだったらいいかと思ってやらさせてもらうことにしました。

その後ご自身が復活しようと思ったのは何かきっかけがあったんですか?

2017年の夏に村田諒太さんがハッサン・ヌダム・ヌジカムとやった試合を観たことですね。プロの試合を肌身で感じて、ものすごく鳥肌が立って、負けても勝ってもお客さんがこれだけ喜んでくれるってすごいなって感動して。僕も元々はプロボクサーを目指してボクシングを始めたのに、それを味わずに辞めてしまって、後悔するよりはもう一度やってみる価値があるんじゃないかと思ったんです。同じ年の12月に全日本の社会人の試合があったので、それに出て優勝できたらプロテストを受けようと思って、ワタナベボクシングジムに入って練習を重ねて、試合で優勝できたのでそれを機にプロボクサーになろうと思いました。

そのプロデビュー戦で3回TKO勝ちされたんですよね。いきなりすごい結果を出しましたね。

相手の選手があんまり強くなかったこともありましたけど、勝てる自信はありました。でも2戦目は苦しんだ試合だったので、プロの洗礼を受けた感じはありましたね。少し自分の中でなめてた部分があって絶対勝てるだろうって思っていたら、6ラウンド目に喰らって、ダウンはなかったもののギリギリ判定で勝てた感じだったんで。

他にも印象的な試合はありましたか?

4戦目で8ラウンドTKOの試合があって、長いラウンドで自分の技術が出せなかった納得のいかない試合だったという思いが残ってます。体力的にこの階級じゃ今後無理だと思って、それを機にフェザー級からライト級に変えました。

先日のタイトルマッチもTKO勝ちされていましたね。

僕は自分にパンチ力があるとは思ってないんで、パンチに自信はないんですけど、例えば顔で言うと、あご先とかの効かせるポイントに当てに行くのは結構得意で、そこは多分誰よりも特化してるんじゃないかなと思います。

そこが勝因につながっているんですね。でもそんなに勝ち続けていらっしゃる方が、なぜコーチングを始めようと思ったんですか?

自分はメンタル面が弱くて、昔からいろんな方に流されやすいし、決めたことがブレちゃったり、試合前どれだけ練習しても不安になったり、パンチをもらってむかついちゃったりとか、感情がすごく動く人間なので、技術どうこうより、メンタルがグラグラになったらこの先勝てないんじゃないかと思ったんです。それで、同じジムの谷口選手がメンタルトレーニングをやってると聞いて、僕も柘植コーチにお願いすることなりました。

抱えていた問題

■メンタルが流されやすく自分の気持ちに波がある

2021年7月に中村龍選手戦を控えていた宇津木選手。以前から、試合前にいつも不安になってしまう自分を感じており、メンタルを強くし、練習でも試合でも強い自分になりたいという思いを強く持っていた。

宇津木選手: 「試合をやる度に決めたことがブレてしまったり、練習していたのに不安になってしまうなど、メンタル的に流されやすく、自分の気持ちに波があるのを感じていて。試合前の緊張も含め、自分のメンタルのコントロールができなかったので、そこを直したいと感じていました」

解決方法

■現在からの積み上げではなく、試合が終了した時点から振り返って逆算してみる

床に現在から2カ月後の試合までの時間軸(タイムライン)を置き、この期間に何に取り組むか、どう過ごすとその先の未来へ繋がるのかを考えることにした。その際、柘植コーチの提案で、現在から考えていくのではなく、「試合が終わった時点から振り返って、ここまでの道のりを考える」という形で行った。その方が、「この練習をやればいいんだ」と判断したり、「この動きをするからいいんじゃないの」と自分にアドバイスすることができ、気持ちがとても楽になった。

宇津木選手: 「今から試合まで何をやるのかを積み上げで考えていくと、「これをしなきゃいけないんだな、どうしよう」とか不安を感じることが多かったんです。でも、2ヶ月後の試合の時点から、ここまでの道のりを振り返って見てみると、過去を見ているような感覚になって、落ち着いて見ることができ、自分の中から「これをやろう、あれをやろう」というのがすごく湧き出てきました。また、現在の時点の自分に戻って、そこから試合の方を改めて見てみると、いい意味で緊張してきたりして、時間軸上をいろんな形で歩くことで様々な大切な感覚を味わうことが出来ました」

試合までのタイムラインを引いて、それまでの期間に何に取り組み、どう過ごしたら、その先の未来へ繋がるのかを考えた

得られた結果

■どんなことが起きても気持ちの波なく挑むことができ、3-0で見事判定勝ち

2カ月間の取組みを明確化出来たことで、試合の3、4日前に膝に水が溜まるというアクシデントがあっても落ち着いて試合に挑むことが出来た。また、「これだけやってきたから俺はもう負けないでしょ」と自信を持ち、8ラウンド3-0の判定勝ちを収めることに成功した。

宇津木選手:「1ラウンド目にダウンを取られて、一瞬意識が飛んで膝づいたのですが、その膝が痛すぎたおかげで目が覚めた感じで(笑)。ダウンを取られたのでやばいなと思いながらも、「これはこれでプラスじゃん」と気持ちはすごく強くいられたんです。ここは折れたくないし負けたくないという想いで強くいられたので、ギリギリ判定で勝つことが出来ました。これを乗り越えて、すごく成長できたという思いがあります」

コーチ補足

■未来をイメージし、取り組みを明確にすることで、自然と不安が解消されることも

柘植コーチ: 「感情の波や不安が課題ということでしたが、まずは試合までの2か月間をどう過ごすのが自身のありたい未来へ繋がるかを明確にしていきました。宇津木選手の未来を描いてもらい、この試合で勝った時をありありと想像してもらうと、宇津木選手のエネルギー感がぐっとどっしりした感じに変わりました。そして、2ヶ月後の試合の時点から振り返り、ここまでの取組みをイメージしてみると、「ここはこうだな」などとつぶやきながら、湧き出るように2カ月間の取組みが明確になっていきました。それでもまだ不安感が残るようであれば、別途不安について扱おうと思っていたところ、宇津木選手は2カ月間の取組み内容にすっかり腑に落ちたようで、自信に溢れていました。このように、自分のすべき事が明確になると、自然と不安が解消されていくことが多くあるのです」

次は、今までで一番視界が開けたコーチングについて

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