HIGHFLYERS/#18 Vol.2 | Jul 21, 2016

医者を目指し医大付属高校へ、そして弁護士を目指し早稲田法学部へ。入学直後の鬱病からの復活のきっかけは音楽

Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Image Design: Kenzi Gong

作家/クリエイターのいとうせいこうさんインタビュー第2回目は、幼少期から学生時代のエピソードをたっぷりとお伝えします。ファーブルに憧れ昆虫博士になりたかった少年時代、医者になる目標を立てて進んだ理系進学校での落ちこぼれ文系中高生生活、そしてすでに早稲田大学在学中に頭角を現していたクリエイターとしての片鱗などを伺いました。
PROFILE

作家/クリエイター いとうせいこう

1961年、東京都生まれ。早稲田大学法学部卒業。 編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。 音楽活動においては日本にヒップホップカルチャーを広く知らしめ、日本語ラップの先駆者の一人である。 アルバム『建設的』(1986年)にてCDデビュー。 その後『MESS/AGE』(1989年)、アルバム『OLEDESM』(1992年)、『カザアナ』(2008年)などをリリース。 また他アーティストへの作詞提供曲として、やや『夜霧のハウスマヌカン』、大竹まこと『俺の背中に火をつけろ!』、ももいろクローバーZ『5 The POWER』など多数。 近年ではロロロへの加入や、レキシでの活動、DUBFORCEへの加入などがある。 著書に小説『ノーライフキング』エッセイ集『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)『想像ラジオ』(第35回野間文芸新人賞受賞)『存在しない小説』『鼻に挟み撃ち 他三編』『我々の恋愛』など。 執筆活動を続ける一方で、宮沢章夫、竹中直人、シティボーイズらと数多くの舞台をこなす。 みうらじゅんとは共作『見仏記』で新たな仏像の鑑賞を発信し、武道館を超満員にするほどの大人気イベント『ザ・スライドショー』をプロデュースする。 テレビのレギュラー出演に「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)「せいこうの歴史再考」(BS12)「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日)などがある。 「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。

清少納言やスティーヴィー・ワンダーとセッションできる国語や音楽が大好きな学生だった

東京都葛飾区で生まれ育ったそうですが、幼い頃はどういう子供だったのですか?

僕は異様に忘れっぽいのでそれがいつ頃の記憶かよく分からないんですけど、親が言うには、とにかく本を買ったらてこでも動かなくなって、横断歩道の途中でも座りこむから引っ張っていないと大変だったそうです。小学3年生までずっと担任だった角田先生というおばあさんの先生が凄く僕をかってくれていて、僕の書いた作文を教室によく貼り出してくれていたのは憶えています。作文を書くと人が褒めてくれるという快感原則みたいなものは、角田先生によってその時すでに植え付けられちゃったんですよね。

でも明らかに他の生徒と作文のレベルが違ったのでしょうね。

どうなんだろう。母親が取っておいた当時の作文を読んでみたけれど、まぁいかにも人を笑わせようとしていて、大人はこれで笑うだろう的なギャグがいやらしいんですよ。

学校では笑わせるタイプだったんですか?

それはもちろん。よく早生まれの人と「大変だったよね」って話すんだけど、僕3月生まれで体が小さかったから、口が上手くないと生きていけなかったんですよね。あとは、遊びのルールをよく考えていたと思う。例えば、馬乗りをして遊んでいても、そのうち馬乗りだけじゃ飽きてくるから、それプラスこういう要素を入れようって皆に話して、そのルールを加えて遊ぶ。そういうことは結構得意だったし、やってることはほとんど今と変わらないっていうね。

その頃、将来の夢はありましたか?

小学生の頃は昆虫博士になりたかったんです。ファーブルになりたくて、昆虫を採ってきては手先が不器用なのに汚い標本を作っていました。その後の進路が分からなくて悩んでいたんだけど、当時隣りに住んでいたいとこのお兄さんが医者を目指して東邦大学付属東邦高校に通っていて、自分の親は僕にどこに進んでもいいと言いながらも、「やっぱりいとこのけんちゃんは偉いね」みたいな感じがひしひしと伝わってくるわけね。それで、「あれ、俺も入った方が喜びそう」みたいになって(笑)。だけど医者になる気なんて一つもないから、今考えると哀れだと思うんだけど、山ときのこ採りが好きだったのを理由に「山に籠って、きのこから薬を作ってノーベル賞を受賞する」っていう案を編み出して、「だから、東邦大学付属中学を僕は受験する!」と自分の目標を定めました。それで受験して受かったんですよ。

中学時代はどのような学生でしたか?

入学後すぐに、数学も化学も物理も0点みたいな凄いことになっちゃって、一気に落ちこぼれて、理系の学校なのに唯一文化系の不良と天才しかいないようなクラスのたまり場に入れられて(笑)。だから、中高一貫でそこそこ進学校だったけど、僕は落ちこぼれた不良のいる反抗的な側の生徒だったんです。でも、先生には良い子だと思われてるから、仲間内で僕だけは職員室に入れるわけですよ。だから「俺たち本当にやってない」とか、「あの野球のボールが入っちゃったのは、たまたまホームラン打っちゃっただけなんだ」とか(笑)、彼らが先生に本当に言いたいことがある時に僕が代わりに職員室に行って、「高田のことですが、あれは違います」って弁護してるわけ(笑)。その頃から間に立つことが役割になりがちな、それが全然嫌じゃなかったんですよね。

理系教科は苦手でも、本を読んだり作文を書いたりすることは相変わらず得意だったのですか?

国語と英語は知らない人やもう死んでしまった人とコミュニケーションする手段だから分かるし、推測する気にもなる。「ここで主人公は何と思ったのか?」って大事なことだから考えるし、主人公が思っているなら気持ちを分かってあげたい。でも数学や物理は公式を覚えたところで、何の解決になるんだろうって、何で物を投げた放物線を計算して出さなきゃいけないのか意味が全く分からなかった。今は、抽象的な数学者達の本ならたまに読みますけどね。

中高時代から知らない人や死者とのコミュニケーションについてを考えていたのですか?

清少納言の書く文章が柔らかくて凄く好きだったんです。未だに不思議なんだけど、新しい教科書もらってパラパラっとめくると字面だけで「あ、清少納言!」て分かったんですね。「分かる、分かる!納言、分かるよ!」って、勝手に清少納言とコミュニケーションとってるわけですよ。大学の時も小林秀雄を読んで「この文体分かるよなぁ〜!この言いきりかっこいいな〜!」って物言いを自分で真似してました。読書ってセッションなんですよ。「ここでドストエフスキーのスタヴローギンは本当にそう考えたかね?」ってツッコミが面白いわけで、音楽にしても、スティーヴィー・ワンダー2枚組のレコードを擦りきれるほど聴いてスティーヴィーの真似をするんだけど、そのうち勝手に横のラインをセッションしてるつもりになってるわけよね。記録メディアはそういうことが出来るから偉大だと思うね。

高校時代からクリエイティブな発想をかなり自覚していながらも、大学は法学部に行かれたんですよね?

そう(笑)。それは、不良の代理で職員室に入ってモノ申している俺は使えるから、「法廷でべしゃりで人を救うって何て素晴らしいんだ!」って自分自身を思い込ませるという、中学受験のノーベル賞の時の発想と全く同じなんですよ。自分がやりたいことやりたいだけだから、実は進路なんかないわけ。でも先生は進路を決めろというので、苦手な数学や物理を受けずに済むところを選ぶと法学部になっちゃう。だけど、そんな選び方をしているなんて自分で認めたくないから、ちょっと翻って「先生、僕は弁護士になりたいです」って言うと先生は喜んでくれるわけですよ(笑)。結局、早稲田と中央を2つ受けて両方受かったけど、中高と応援団だったから早慶戦を見たいと思って早稲田にしました。

え?応援団だったんですか?

不良に借りたすごい長ラン着て、めちゃくちゃひ弱なのに「オッス!」とか言って副団長やってたし、大学受験がなかったら団長になってたんですから。それで入学して法学部のオリエンテーションに行ったら、一番最初に学部長が「最初の一年は7時間、二年になったら8時間司法試験まで毎日勉強して、とにかく毎日六法全書を覚えて、できれば4年間、少なくとも5-6年間で弁護士になるんだ」って話していて、「ばかじゃね〜の」って思って(笑)。大学入るまでに死ぬ気で勉強してきたのに、全然クリエイティブじゃないことをまだするのかって嫌になって、自分が何をしたらいいのか分からなくなって一気に燃え尽き症候群、今で言う鬱病ですよ。大学に入って最初の数ヶ月は、死ぬことしか考えてなかったです。

燃え尽き症候群で鬱状態になって、そこから抜け出せたきっかけなどはありましたか?

当時なぜか分からないけど、楽器屋でボンゴを買って(笑)、公園に行って一日中ポコポコ叩いては帰る生活をしていました。今考えると俺を救ったのはリズムだったんだよね。そんな時に、ピーター・ブルック国際劇団で活動している土取利行さんのライブに行ったんですよ。土取さんは、インド帰りのような長いひげ生やして、当時過激だった坂本龍一さんとセッションやるような演奏家だったんですが、ライブで突然ハーモニウムとホーミーが始まったんです。ビービビーっていう音を聴いて、「これ宇宙の音じゃん!宇宙船の音となんでそっくりなの?」って思って、「ドラミズム」っていうアルバムを買って帰って家で聴いてたの。「そうか!宇宙全体にはこういう音が響いていてそれが単に通過してるだけなんだ。生きてることに意味はないけども、だからといって死ぬ必要もない。自分もそれでいいんだ」って思ったら、涙がばぁ〜っと出てきて一時間くらい号泣して、それで鬱病が治っちゃったの。まあ面白い方がいいよなって、翌日からバンバン友達作ってさ(笑)。後々、土取さんにお会いする機会があって僕の命を救ってくれた話をしたら、「ああ、そう」って、本人は聞いても全然ポカーンとしてるんだよね。数年前に細野晴臣さんにもあの時に感じたことを話したら、「いとうくんは正しいね。それに、いとうくんはませてる。俺は大学の時、そんなこと分からなかったよ」って言ってたよ(笑)。

復活後は、楽しい大学生活を送られたのですね。

そうですね。「コンセプト」っていう言葉がまだ出回ってない大学生の時、「コンセプトだけ思いついて仕事になったら凄くいいのにな」と思っていたんです。それこそ服飾研究会と新聞研究会とパンク研究会の面白い奴らを教室に集めて次々発表させて、合間合間を自分が繋いでたんですよね。その頃一番面白かったイギリスのコメディーグループ、「モンティ・パイソン」について喋らせたらこいつだっていうのを連れて来て、「モンティ・パイソンについて喋れ!」ってやるわけよ。だから大学ですでに「せいこうフェス」やってたわけ(笑)。

取材協力:Black Terrace
〒153-0042
東京都目黒区青葉台3-1-12青葉台イーストビル4F
03-6416-3894
http://www.black-terrace.com/

次回へ続く

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いとうせいこう
「いとうせいこうフェス」
〜デビューアルバム『建設的』30周年祝賀会〜

祝! いとうせいこうデビュー30周年!
レジェンド的名盤『建設的』から30年を祝し、いとうせいこうと彼を取り巻く多彩すぎるジャンルのアーティストが集結する、音と笑いの2晩限りのお祭り騒ぎ!
『再建設的』収録曲熱演もあれば、「せいこう秘蔵ネタ」のひな壇トークも!
2日間=合計約9時間のノンストップ音楽バラエティショー!
来たれ若者と元若者! 伝説を目撃せよ! 踊れ! 笑え! 騒げ!

詳しくは特設サイトへ!
http://seikofes.jp
2016年9月30日[金]開場17:30 開演18:30 10月1日[土]開場15:30 開演16:30
会場:東京体育館[千駄ヶ谷]
来場者特典としてみうらじゅん考案の”引出物”付き

チケット先行受付
▪cubit club最速先行 http://www.cubeinc.co.jp
各1日券:10,000円
2日間通し券:18,000円(cubit club限定)
2日間通し券+いとうせいこうトリビュートアルバム『再建設的』セット販売:20,000円(cubit club限定/6月29日[水]昼12時までの受付)
* 全席指定/税込価格

プレイガイド先行
▪チケットぴあ http://t.pia.jp/
▪ローソンチケット http://l-tike.com/
▪e+ http://eplus.jp/
▪楽天チケット http://ticket.rakuten.co.jp/
各1日券:10,000円 *全席指定/税込価格

一般発売日:8月7日[日]
お問合せ:ディスクガレージ 050-5533-0888
企画・制作:キューブ

いとうせいこうトリビュートアルバム
『再建設的』発売決定!
いとうせいこう、大竹まことwithきたろう&斉木しげる、岡村靖幸、ゴンチチ、サイプレス上野とロベルト吉野、スチャダラパー、須永辰緒、高橋幸宏、田口トモロヲ、竹中直人&Sandii、真心ブラザーズ、ヤン富田、ユースケ・サンタマリアwith KERA&犬山イヌコ、RHYMESTER他多数参加! 詳細を刮目して待て!

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