HIGHFLYERS/#29 Vol.2 | May 24, 2018

ジャズばかり聴いていた幼少期とユーミン一色の青春時代。ユーミンの曲がまだ見ぬ東京のキラキラした世界を見せてくれた

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Image Design: Kenzi Gong / Retouch: Koto Nagai

今井美樹さんインタビュー第2回目は、幼少期からデビューするまでのことを伺いました。宮崎県に生まれ育った今井さんは、音楽好きの両親の影響で日常にジャズ音楽が溢れる環境で育ち、そこで歌手としての音楽センスを自然と身につけました。ウエストサイドストーリーに憧れて歌い踊っていた小学校時代を経て、中学では陸上部へ。高校時代にはインターハイにも出場しています。また、ユーミン(松任谷由実)さんの大ファンだった彼女は、ユーミンさんの音楽を聴きながら憧れの都会を想像し、高校卒業後はスチュワーデスになるための専門学校に行くのに上京。知人に頼まれてモデルのアルバイトを始めたことから表舞台へ進み、そして女優を経て歌手デビューしました。偶然の積み重ねでユニークな道を辿ることになった当時のことをたくさん語ってくださいました。
PROFILE

歌手/女優今井美樹

1986年、シングル「黄昏のモノローグ」で歌手デビュー。CM・ドラマ・映画等、活動の幅を広げながら、「PIECE OF MY WISH」「PRIDE」等、数々の大ヒット曲を発表。等身大の歌詞と透明感溢れる歌声で、男女問わず幅広い層に支持される。2015年には歌手デビュー30周年を記念したオールタイム・ベストアルバム『Premium Ivory』をリリース。そして、今年2018年6月には昨年精力的に制作に取り組んだ通算20枚目となるオリジナルアルバム『Sky』をリリースする。

ダンサーを夢見た小学生時代を経て、高校では陸上部でインターハイ出場。ステュワーデスの専門学校へ行くために上京

宮崎県で生まれ育ったそうですが、幼い頃はどのような子供でしたか?

地元は田舎の小さい町です。私は一人っ子なのですが、父と母は個性的で、発想が他の親とは違うなって思っていました。実家は、家電専門の電気屋を祖父から継いだらしいのですが、どこかのタイミングからオーディオ専門店になったんです。戦後、アメリカの文化がどんどん入ってきた時代に、父はラジオのチューニングをFEN(現AFN)に合わせて聴いていた世代で、ジャズや映画など、いわゆるアメリカの芳醇なエンターテイメントにすごく影響されていたんでしょうね。そういう父の新しもの好きを母も一緒に楽しんでいたようです。私に歳の近い姉妹がいたら日本の歌謡曲を聴いていたかもしれませんが、一人っ子だったので、父が聴く音楽、メインはジャズで他にボサノバ、ブルースやソウルなどを聴いて育ちました。

小さい頃になりたかった職業はありますか?

ミュージカルダンサー(笑)。うちは電気屋なので、ラッキーなことに早いうちからお店にビデオデッキがあり、当時はテレビの映画番組で放送された「ウエストサイドストーリー」や「雨に唄えば」、「絹の靴下」などのMGMのミュージカル映画は必ず父が録画して観せてくれました 。特にウエストサイドストーリーは、テープが伸びてしまうくらい何度も観ましたし、近所の小さな映画館で上映されたときには母が連れて行ってくれました。映画の中にはいつも良い音楽とかっこいいダンスがあったので、観るたびに私はミュージカルダンサーになりたいって思っていたんです。

家ではよく踊っていたのですか?

小学校6年生までは、モダンバレエを習っていました。基本のバーレッスンをするときに流れるのはクラシックでしたけど、 今思えば、Creamの「Sunshine of Your Love」やSantanaの「Black Masic Woman」などもかかっていました。若い先生だったから。時代ですね(笑)。中学生になって部活が始まったら忙しくなってバレエはやめてしまいました。

中学からは陸上部で活躍され、高校ではインターハイにも出場されたと伺いました。

まあ「かけっこ」は速かったですね。小学校の時は男の子には負けないと思っていました(笑)。地元の中学は学校ごとに陸上部があるわけではなかったので、地区ごとに速い子達が集められて試合に出ていました。高校で陸上部に入り、中学時代に試合で一緒に走っていた他校の選手とも同じチームとなって、そのチームでインターハイまでいけました。

学生時代は明るいリーダー的な存在でしたか?

いえ、全然リーダーじゃないですよ。前に出るタイプではなかったし、背も大きい方だったから、集団写真でも一番後ろの端に並んでました。目立たないところにスッといるタイプ(笑)。

幼少期の出来事で今も憶えていることはありますか?

小学校6年のときにユーミンの「あの日にかえりたい」をテレビで聴いて、「なんてかっこいい曲なんだ」って衝撃を受けたのを憶えています。それからお小遣いを貯めてはアルバムをちょっとずつ買っていました。人の前でピアノを弾きたいとか歌いたいと思ったことは全然なかったですけど、ピアノはやっていたので、趣味として部活から帰ってくるとユーミンの大好きな曲をピアノで弾いてました。

ユーミンさんが今井さんに与えた影響はとても大きいのですね。

私の青春はユーミン一色でした。雑誌など入ってくる情報が限られているあの時代で、まだ子供だったのでなおさら手に入るものが少なかったから、ユーミンの音楽を聴いて、大人になることや、都会とか外国に想いを馳せていました。いつもユーミンの曲からまだ見ぬキラキラした世界を眺めていて、思春期に誰もが思うような、とにかく早くこの小さい町を出たいと思っていましたね。それに、父の影響で幼少の頃から本当の音楽をたくさん聴いていたから、耳も心もいい音楽を知っていたし、自分なりに上等な気持ちを持ってユーミンをリスペクトしていたと思います。

高校卒業後は、スチュワーデスになりたくて専門学校に行ったそうですね。

はい、小学1年生の頃に「アテンションプリーズ」というスチュワーデスを目指す女性が主人公のドラマがあったんです。国際線がたくさん飛ぶようになった時代でしたから、晴れてスチュワーデスになって活躍する映像がたくさん出てきて、機内で着物に着替えてカクテルを作る様子とかを見ては、もの凄くかっこいいと思って。母にも「女の人もこれからは絶対に手に職を持っておいた方がいい」と小さい頃から言われていましたが、「外国に行けるし、いいな!」っていうフワフワとした軽い気持ちもあって、専門学校に入学したんです。

それがきっかけで上京なさって、そこからファッション誌のモデルになっていくわけですよね。

その学校には大学生や社会人もいて、航空会社の試験に合格した人たちは途中でやめていくので、半年ごとに更新できるシステムでした。でも女性だけの環境であったことや、スチュワーデスの試験に合格するための細かいマニュアルや規則も含め勉強しているうちに、「私、これがしたいことなのかな?」と疑問に思ってきて、結局1年終わって更新するのをやめたんです。でも学校をやめたら東京にいる理由がなくなってしまうので、どうしようと思ったときに、人が足りないからと知り合いのカメラマンに頼まれてアルバイトでモデルをしました。とりあえず人数が足りなかったみたいで(笑)。そんなことがいくつか重なり、なんとなく仕事をするようになったんです。きっかけはたまたまでしたが、そのカメラマンに 「ちゃんとプロダクションに入った方がいいよ」と言われて、マネージメント会社の方を紹介されて。偶然が重なってそうなったんですよ。

モデルを目指している人にとっては夢のようなお話ですね。

でも、私は自分の意志でスタートしたわけではかったので、それが一番のコンプレックスでした。みんなは「歌を歌いたい」、「役者になりたい」って自分から夢を掴んでいくのに、私は歌手デビューしたときもそうですけど、入口がいつもたまたまだったので、最初から私は彼らに追いつけないと思っていました。

歌手になったのもその流れからだったのですか?

その知人のカメラマンを通して紹介された女性が私をマネージメントしてくださることになったんです。もうすでに雑誌のモデルの仕事はしていましたが、彼女に「あなたは写真より動いた方がいいわね 」と言われ、そこからは少しずつテレビの仕事をするようになりました。その後、他から音楽の話が来るようになり、彼女が私が音楽好きでピアノも大好きなことを話してくれて、すぐにデモテープを録ることになったんです。別に最初から私を歌手にしようと計画していたというわけではなく、何がチャンスになるかわからないので、私を世に出すための一つの手段と考えていたのでしょうけどね。それでデモテープを録っていく中で歌手デビューが決まってしまったんです。

それはかなり凄まじい展開ですね。

私にとって音楽は凄く大事なフィールドだから下手に足を踏み入れたくなかったので、もの凄い衝撃でした。でも私が話を聞いたときは、すでに曲(「黄昏のモノローグ」)も歌詞も、それがドラマの主題歌になることも決まっていて、歌わせる人を探していたらしいんです。そんな流れの中にポンと入れられてしまいましたが、それを覆す勇気も立ち止まる時間もなかった。

私は「野生の風」(1987年)でベストテンに出られた時の今井さんの存在が衝撃的で今も心に残っているんです。凄く軽やかで、当時の他の歌手とタイプが全然違ったので。

その曲では、「もうすぐベストテン」という新人にスポットライトを当てたコーナーに一回だけ出演したことがあります。その当時は私の周りにいたスタイリストなどのスタッフは“ザ・芸能界”の人ではなく、コマーシャル関係の人たちが多かったので、作り上げる視点が違ったのかもしれません。だから私はその“芸能界”の一人にならず、良くも悪くも他の方達に混ざらなかったんですよね。でもそうやって何十年経っても観た人の記憶に残っているなんて、当時のスタッフも喜んでくれると思います。

そうやって他と混ざらないところが今井さんの魅力の一つではないでしょうか。

混ざろうと思っても混ざれないんでしょうけど(笑)。混ざれたらもっと器用に違う人生を生きてこられたかもしれないですね。結構いろんなことをやらされましたよ(笑)。でも自分らしくないと上手に振舞えなかったから、結果的に自分色の道しか歩いてこられなかったです。“どんなに頑張ってもみんなに追いつかない”っていうコンプレックスはいつもあったし、“これが自分の道です”ってどこかで胸を張らないといけないと思っていた時期も正直ありましたけど、30年も自分の道を歩いているとそれなりの道になってくるんですね。そういう風にずっと歩かせてくれた今までのスタッフみんなには本当に感謝しています。

次回へ続く

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~PRIDEから20年。これはあなたのCDです。~

20枚目のオリジナルアルバム『Sky』
舘ひろし・黒木瞳W主演 映画『終わった人』主題歌「あなたはあなたのままでいい」収録

2018年6月6日(水)発売 3,000円(税抜)TYCT-60116

初回限定封入特典:今井美樹 CONCERT TOUR 2018 "Sky" チケット先行特別受付封入
受付期間:2018/6/6(水)12:00~6/19(火)23:00

アルバム予約及び「あなたはあなたのままでいい」先行配信はこちらから
https://umj.lnk.to/im_sky

Produced by 亀田誠治, 今井美樹
Mixed by Adrian Bushby
Mastered by Tim Young at Metropolis Mastering Studios, London

全国ツアー開催決定!『今井美樹 CONCERT TOUR 2018 "Sky"』

  • 8月16日(木) 埼玉・サンシティ越谷市民ホール
  • 8月17日(金) 神奈川・神奈川県民ホール
  • 8月19日(日) 愛知・日本特殊陶業市民会館 フォレストホール
  • 8月24日(金) 福島・けんしん郡山文化センター(郡山市民文化センター) 大ホール
  • 8月25日(土) 山形・シェルターなんようホール(南陽市文化会館) 大ホール
  • 8月31日(金) 宮崎・日向市文化交流センター 大ホール
  • 9月2日(日) 鹿児島・鹿児島市民文化ホール 第一
  • 9月9日(日) 石川・本多の森ホール
  • 9月14日(金) 広島・JMSアステールプラザ 大ホール
  • 9月15日(土) 兵庫・たつの市総合文化会館 赤とんぼ文化ホール 大ホール
  • 9月17日(月/祝) 香川・サンポートホール高松
  • 9月21日(金) 福岡・福岡市民会館
  • 9月24日(月/休) 島根・島根県芸術文化センター「グラントワ」 大ホール
  • 9月28日(金) 三重・三重県文化会館 大ホール
  • 9月30日(日) 山梨・コラニー文化ホール
  • 10月4日(木) 東京・東京国際フォーラム ホールA
  • 10月8日(月/祝) 新潟・新潟テルサ
  • 10月12日(金) 大阪・フェスティバルホール
  • 10月13日(土) 大阪・フェスティバルホール

チケット料金 前売り/全席指定 ¥7,500(税込)
今井美樹 Concert information: http://www.imai-miki.net/

映画『終わった人』公開情報

2018年6月9日ロードショー

監督:中田秀夫
出演:舘ひろし、黒木瞳、広末涼子、臼田あさ美、今井翼、田口トモロヲ、笹野高史
原作:内館牧子「終わった人」(講談社刊)
配給:東映
(c) 2018「終わった人」製作委員会

映画『終わった人』オフィシャル http://www.owattahito.jp/

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