HIGHFLYERS/#33 Vol.3 | Feb 7, 2019

好きなことを仕事にするのは、とても辛いことでもある。最終的に心の奥底にちょっと好きが残っているから続けてこられた

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

ベーシスト、KenKenさんのインタビュー3回目は、ミュージシャンとしての苦悩や辛かった時期のことを伺いました。幼い頃からベースと同じくらい夢中になったというゲームも音楽と同じような立ち位置で、雑誌「週刊ファミ通」に7年間連載を持っていました。音楽もゲームも、人より詳しくなると仕事に繋がること、そして好きなことを仕事にするのは楽しいだけではないことを語ってくださっています。ベーシストとして認められることに夢中で高みを目指して突っ走ってきたKenKenさんは、どういうことに直面してスランプを感じ、そこからどう抜け出したのでしょうか。とても深いお話を伺いました。そして最後に、音楽をやっていて嬉しかったという胸が熱くなるお話も語ってくださいました。
PROFILE

ベーシスト KenKen

カリスマ的な存在感と抜群のベースプレイ、音楽と向き合う姿勢が様々なアーティストに愛され、多くのミュージシャンからラブコールを受け続け音楽シーンで多岐にわたる活動を行う現代のベースヒーロー。ロックバンド・RIZEやDragon Ash、ムッシュかまやつ&山岸竜之介とのLIFES IS GROOVE、the dayなどのベーシストとして活躍する。8歳のときから本格的にベースを始め、数多くのバンドやサポートを行い、10代で2枚のソロアルバムをリリース。 スターリンからジャニーズまでジャンルや世代をまたぎ30をも超えるバンドに参加し、常に新しい自分を発見するチャレンジスピリットや、手が小さくても演奏できる様にとミニベースをリリース。プレイ動画を合わせた教則アプリなどの開発にも参加し、次世代のミュージシャンへ向けた活動も行なっている。 ゲーマーとしても才能を発揮し、兄 金子ノブアキと共にファミ通で7年もの間にわたりコラム連載を行った。 また、「下北沢南口商店街振興組合渉外事業部アイコンアーティスト」に就任し、地元”下北沢”の地域振興にも積極的に参加している。 他、東京都障害者スポーツ啓発プロジェクトなどを始めとし、CMや映画、アニメ、ゲームなど数々の音楽プロデュースやラジオ生放送番組のナビゲーターをレギュラーで務めるなど演奏家以外の活躍など新しい挑戦を常に続けている。

最も尊敬する人はムッシュかまやつ。音楽を最も愛し、理解していた素晴らしい人と一緒にステージに立てたことは一生の宝物

KenKenさんは、ゲーマーとしても業界から認められるほどで、2008年から週刊ファミ通にて連載も持たれていたそうですね。

そうなんです。学校に行ってなかった時間はベースとゲームしかしてなかったですから(笑)。やっぱり人より詳しいって仕事になるんですよね。昔、ファミ通さんから取材を受けた時に全力で知識とゲーム愛を語ったら、「編集部レベルで詳しい」ってなって、俺と同じくらいゲームをする兄と一緒に連載が決まりまして、それが7年続きました。

具体的にどういう種類のゲームなんですか?

僕が得意なのはRPG以外ですね。兄貴が得意なドラゴンクエストとかファイナルファンタジーみたいなのではなくて、アクションゲームのような自分で主人公となるキャラクターを動かして敵を倒すものです。でもコントローラーを直感的に動かす感じは、音楽にも凄く通じるところがありますね。

音楽もゲームも突き抜けているから仕事になって、そこには共通点があったんですね。

好きこそ物の上手なれじゃないですけど、結局ミュージシャンって免許がいるわけではないし、勝ち負けも正解もない。ただイケてるかどうかで勝負する世界なんです。今思うと、僕は自分でルールを作るような人間になりたかったのかもしれないね。だからゲームも凄く楽しんでやってるけど、何事も仕事になると辛くなっていく部分もある。

TOKYO GAME SHOW 2016に取材に行った時

好きなことを仕事にすると、楽しいだけじゃない。

最近は“楽しいことや好きなことで生きていく”みたいなキャッチコピーをよく見るけど、実はそれって凄く辛いことでもある。好きなことで生きていくってことは、好きなことが嫌いになるくらいまで追い詰められるものなのでね。でも結局最終的に心の奥底にちょっと好きっていうのが残ってるから続けられるものだと思うんです。でもそれを履き違えて、楽して生きていくと捉えてる若い子がすごく多いから、そういうことをどんどん提言してあげられたらと思いますね。

だから何か始めてもすぐやめちゃいますよね。

そう、辛いのは当然だからね。それこそ楽器だって上手い人ほど簡単そうに弾くけど、力を抜いて弾けるようになる筋肉って少しずつできてくるので、楽して続けているだけじゃできないです。だから好きなことを追求するのは素晴らしいことだけど、リスクもあるし、ダメだったら余計に傷つくしね。俺はなんとかここまで這い上がってこれたけど。

今まで音楽活動をしていてすごく辛かった時期はいつですか?

音楽をやり始めて、孤独だった最初の頃かな。やっぱりこの職業は理解してもらえないことが辛いんです。でも、友達ができてからはすごくいい人生だなと思ってますし、何かがこうグッと逆転する日が来るんでね。それまで弱みだったところが強みになるというか。そこに気づいてからは、辛さはなくなりました。まあ楽曲や製作の過程では、産みの苦しみは今もありますけどね。

それは音楽家を続けていく限りは永遠に繰り返されることですもんね。

なぜなら正解がないので、どこで区切りをつけるかも自分で決めないといけないし。かといって音楽は、妥協した時点で全部がダメになるような芸術なのでね。多分凄く時間がかかったと思うんだな、色々。でも自分で10年かけて手に入れたことを若い子に1ヶ月で教えてあげれば、その子は全然違うことで10年悩めるから、俺はそういうことをしてあげたい。まだ33歳ですけど、先輩のことよりも後輩のことしか考えてないかも。

KenKenさんは8歳から猛スピードでベースの頂点まで行ってしまったけど、もしかしたらそれって普通の人なら60歳くらいで辿り着く境地なのではないでしょうか。

どうなんですかね。まだまだ自分が成功したとは1ミリも思っていないし、僕より凄い人はいっぱいいると思ってますけど。それに音楽は上手いことが凄いってことではないのでね。

では、何が凄いことですか?

やっぱりオリジナリティーを持つことじゃないですか。全然自分にない発想だったりとか。よく考えると、一番辛かった時期は3、4年前にちょっとあったなぁ。結局音楽って一個極めたら10個わからなくなるようなものなんです。ここがゴールだと思って辿り着いたら、まだまだ果てしない山頂が見えて、どこまでやればいいんだろうって一回ちょっと折れそうになった時はあった。スランプだったのかもしれない。

スランプって、何か原因があったのですか?

それまで認められることばかり考えて生きてきて、ガキの頃から憧れていた「ベース・マガジン」の表紙を21歳で飾れて、一個のステータスに辿り着いた時、「やった!やっと認められた!」と思って一回満足しちゃったんですよね。でも多分そこからゆっくりとスランプみたいなのが始まってた。独学でやってきたからこそ当たる壁もあるんですよ。専門的な知識がないから、ちゃんと勉強してきた人たちの演奏や、自分にない発想がバンバン出てくる人を見た時に、「なんで俺がそれを考えられなかったんだ」と落ち込むんです。自分のことを「思ってたよりすごいヤツじゃないんじゃないか」と考えてしまう時期がありましたね。

KenKenさんがスランプになってしまうほど衝撃を与えた人は誰なのですか?

バンドで言うと、オーストラリアの「ハイエイタス・カイヨーテ(Hiatus Kaiyote)」。自分がどう逆立ちしても出てこないものを作ってるのを聴いた時に、やっぱりバコーンとへこんだなぁ。あとは誰だろうな。日本ではあまりいなかったかもしれないけど。スランプの時って何を見てもそう思っちゃうんですよね。でもそこからまた音楽が好きだっていうところに戻ってこれればいいだけの話だから。

そこに戻るためには何か方法があったんですか?

音楽から一回離れましたね。2017年は、約200本近くライブをして、10曲くらい他のアーティストに曲を提供したんですけど、ちょっと疲れちゃって、後半は音楽をやってても楽しくなくなっちゃったんです。それもあって京都に行ってゆっくりしようと思ったんですよね。そこから半年くらいほとんどベースを弾かなかった。離れたことで一回すげぇ下手になっちゃったりするんだけど、この職業は離れる勇気も絶対必要だと思う。

離れて見えたものや得たものはありますか?

人を尊敬する気持ちが強くなった気がします。楽器って弾けないところからどんどん弾けるようになっていくのが快感だし、今まで無我夢中で突っ走りまくってきたけど、30歳も過ぎておじさんになって、今は自分にないものを刺激にして、全然違う発想を持ってる人と一緒にやればいいじゃんっていう考え方になりました。

素晴らしいです。では、KenKenさんが最も尊敬する方は誰ですか?

ムッシュかまやつさん。あの人は音楽というものを最も愛し理解して、下の子たちの面倒をちゃんと見るし、とにかく愛し方が素晴らしかったです。ムッシュは、粋で優しくて誰も傷つけない、一番イケてる東京人な感じ。東京の人は冷たいってよく言うけど、それは本当の東京の人じゃなくて、東京に出て来た田舎の人が冷たいんじゃないかな。それに音楽って優しさですからね。どう人に優しくできるかというところだと思うから。

LIFE_IS_GROOVE。左からムッシュかまやつ、KenKen、竜之介

それに気づいたのはいつですか?

人にいっぱい優しくしてもらって、だんだん気づいていったんじゃないですか。 やっぱり覚えてることって辛いことも多いけど、優しくされたことの方が覚えてるし、自分が人にしてもらったことを人にしてあげたらいいと思うしね。あとはもともとコンプレックスの塊の少年で、人に傷つけられるとすぐへこむ子だったから、人を嫌な気持ちにさせないように考えて生きているようなところがあるんです。

幼い頃コンプレックスだったことが、今もどこかに残っているのですね。

全然あります。だから未だに自分なんてって思いながら生きてるところもあります。でもそれを塗り替えるくらい音楽が助けてくれたり、自分に自信を持たせてくれたんで、そこだけは一生変わらず裏切らないでいくんだろうなと思ってずっとやってます。

では、音楽活動をしてきて一番嬉しかったことは何ですか?

たくさんの仲間と出逢えたことです。どんだけ今まで仲間に助けられたことか。バンドメンバーとの間にはすごい絆が生まれるし、一緒に何かを作っていくって常識を超えるくらいの信頼関係がある。ムッシュみたいな素晴らしい人の晩年に一緒にいられたことや、ムッシュと竜之介と一緒に何かを残せたことが一番の幸せかもしれないですね。こればっかりは金で買えないですしね。

取材協力
PLUSTOKYO
東京都中央区銀座1丁目8-19 キラトリギンザ12F/RF
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https://plustyo.com/

Funk on Da Table - Japan Tour 2019
2/7(木) 東京 恵比寿リキッドルーム
https://www.funkondatable.com/

次回へ続く

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