HIGHFLYERS/#39 Vol.3 | Feb 6, 2020

為末大と意気投合し、Xiborgを起業。チームメンバーのパラアスリートと一緒に研究を重ね、競技用義足「Genesis」を開発

Interview, Text & Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

義足エンジニア・遠藤謙さん3回目のインタビューは、株式会社Xiborgを起業してから、現在に至るまで、苦労したことや学んだことなどをお聞きしました。MITを卒業後、帰国された遠藤さんのやりたいことに理解を示してくれる人は少なかったそうです。そんな中、元陸上選手の為末大さんと出会い、意気投合して競技用義足の開発を手がける会社を起業することに。まずはパラアスリートを含めたチーム作りに専念し、メンバーからの意見を取り入れ、義足を開発。その義足を着用した佐藤圭太選手とジャリッド・ウォレス選手が、世界大会でアジアと日本の新記録を出すという快挙を果たしました。そこに至るまで最も大変だった時期や、支えにしている言葉、尊敬する人についてなどをお伺いしました。
PROFILE

義足エンジニア遠藤謙

應義塾大学修士課程修了後、渡米。マサチューセッツ工科大学メディアラボバイオメカトロニクスグループにて博士取得。現在、ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員。ロボット技術を用いた身体能力の拡張に関する研究や途上国向けの義肢開発に携わる。2014年には、競技用義足開発をはじめ、すべての人に動く喜びを与えるための事業として株式会社Xiborgを起業し、代表取締役に就任。2012年、MITが出版する科学雑誌Technology Reviewが選ぶ35才以下のイノベータ35人(TR35)に選出された。また、2014年にはダボス会議ヤンググローバルリーダーズに選出。

批判、否定を乗り越え、少数精鋭で尖ったものを創り出すという自分に合ったやり方に転向したら、状況が好転

2014年に自身の会社を起業をされましたが、今もソニーコンピューターサイエンス研究員としての研究も続けられているのですね。

今のところは、基礎研究から応用、実証まで一貫してできるようなところにやりがいを感じています。研究者に比べたら研究に費やす時間は少ないかもしれないですが、研究も面白いのでやりたいですし、それが社会に対してどういう風に影響を与えるかまで見届けたいと思ってます。まあ、自分は何かと聞かれたらエンジニアと答えていますが。

会社を一緒に立ち上げた為末さんとの出会いは、遠藤さんにとってとても大きな意味があると思いますが、どんな出会いだったのかを教えてください。

日本に帰国してからいろんな人に会ったんですけれども、僕は実績も知名度もなかったので、僕がやりたいことを無謀と思う人が多く、なかなか共感してくれる人に出会えなかったんです。そんな中、共通の知り合いが為末と引き合わせてくれて、彼は僕の考えを面白いと言ってくれ、話しているうちに、走ることに対しての考え方が似ていることがわかりました。

起業した頃。左から為末大、遠藤、杉原行里(現在は株式会社RDS代表取締役社長)

そして会社を作って、まず、どんなことに着手していったのですか?

義足を作っても、それを履いてくれるアスリートがいないと意味がないんですが、うちの会社は選手のスポンサーをするほど大きくないので、義足を選手に提供する代わりに、必ずそれを履いてもらえるように、アスリートをチームに入れることを考えました。

現在チームには佐藤圭太選手、池田樹生選手、春田純選手の他に、2015年、2016 年の全米選手権チャンピオンのジャリッド・ウォレス(Jarryd Wallace)選手もいらっしゃいますね。ウォレス選手とはいつどのように出会って、どうして一緒にやることになったのですか?

彼が日本のレースに参加しに来日していた時に、フェイスブックでコンタクトを取ったんです。パラリンピックは、日本では盛り上がっているけれども、世界ではスポーツとして認識されているかと言えば、まだまだだと思うし、全米チャンピオンの彼でも、日本の選手に比べると恵まれてない状況にいると思います。彼は、以前は新しい義足を試す時は自分のお金で購入していたし、既存の義足に対して不満も持っていたようなので、僕が一緒にやろうと提案したのは彼にとってもメリットがあったと思います。

左から、遠藤、ジャリッド・ウォレス選手、池田樹生選手

その後、2016年に第一号製品として発売した義足「 Genesis(ジェネシス)」をリオパラリンピックで佐藤圭太選手が使用し、アジアと日本の新記録を、400mリレーでも日本新記録を出して銅メダルを獲得されました。その時は、遠藤さんはどんなお気持ちでしたか?

安心した気持ちが大きかったですね。義足をパラリンピックで使うのにレギュレーションがあるのですが、それに引っかからないかとずっと心配してたんです。あとは、佐藤選手が義足をジェネシスに変えた上で、以前の記録を上回れるかというのも不安の種でした。本番で記録を出すのって相当に難しいんですけど、佐藤選手はピーキングを活かせたんだと思います。

そして、その翌年にロンドンで開催された世界パラ陸上競技選手権大会では、佐藤選手は400mリレーで銅メダルを、ウォレス選手は200メートルで金メダル、100メートルで銅メダルを獲得されました。リオオリンピックからこの大会までの間に、義足の調整やアップデートをし続けていたのですか?

はい。形は同じなんですけれども、ジャリッド選手の義足は中の繊維を変えて、彼仕様のものを作りました。大会では、本番に弱い彼が銅メダルを取れたので安心しました。ですが、ベストタイムは出せていなかったので、まだ若干の不安はあります。

それでは、今までを振り返って最も大変だった時期を教えてください。

やはり創業当時じゃないですかね。今でも大変ですし、義足を作る上でテクニカルな問題は日常的にあるけれど、それは楽しんでやれることなので。一番大変なのは経営というか、自分が社長になって、他の人たちとコミュニケーションを取らないといけなかった時は、ものすごくストレスを感じていました。スポーツ関連とか医療系とかのコミュニティはものすごく排他的な文化があって、僕みたいな実績がない人が競技用義足をやりたいということに、いじめではないけどものすごい文句を言われたんです。

そういう時はとても辛いと思いますが、遠藤さんはそういった状況をバネに頑張るタイプですか?

当時はそれをやらないと次に進めないと思っていたので結構辛かったですが、今はそういった付き合いをほぼなくしました。僕みたいなタイプは、多くの人を巻き込んでやるようなやり方ではなく、少数精鋭でわかってくれる人とだけやればいいし、作ったものがそんなに大きく広がらなくてもいいから、尖ったものを創り出そうって、無理するのをやめたんです。そうしたら物事が上手くいくようになりました。

では、人生の指針となっている言葉や教訓などはありますか?

教訓というほど常に思っているわけではないですけど、最近思い出したのは、大学時代に、ある先生に「遠藤くんはOut of Controlだからね(手に負えない)」と言われたことですかね。直接言われたわけではないので、先生がどう思ってそう言ったのか本当のところはわかりませんが、きっと僕は他の人と同じことをやっても多分上手くいかないだろう、という意味だったのではないかと思います。僕は、他の義足メーカーさんや義足技師さんと協力するような形で物事を進めていくスタンダードなやり方は、多分できないだろうと思います。

それは、自分が信じてやりたいと思うことを曲げたくないということですか?

僕が誰とでも上手く付き合える人だったら、いろんな人を上手く巻き込んで、物事を自分の思う方向に進めていくことができるのかもしれないけど、僕はロジカルな考え方を優先して物事を進めていくほうがやりやすいんです。

では、憧れの人や尊敬する人はいますか?

やっぱりヒュー・ハー教授です。義足をやっている以上、彼には勝てないですね。第一人者というか、前例を作った人には、後から何をやったって全てその人に呑み込まれてしまう。

ヒュー・ハー教授と、実験の様子

今でも教授とコンタクトは取りますか?

はい。去年僕がボストンに行った時に、ボストンから2時間くらいのところにある彼の別荘に会いに行きました。まだ先生はやってますけど、ワイナリーを買ってワインを作るんだって、もうセカンドライフのステージに入ってましたね。

次回へ続く

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