「狂う」ことは「舞う」こと。能に出会った時にそれまでの悶々とした気持ちが腑に落ちた
ダンサー生活を振り返って、ターニングポイントとなった公演や出会いは覚えていますか?
先生も恩師もたくさんいるので、本当にひとつひとつがターニングポイントですけど、その中でも大きいのはやっぱり能との出会いかな。能に出会うまで僕は、ただの暴れん坊ダンサーだった。理由もわからないけど、とにかく自分の身体が壊れるまで踊ってやろうと思っていたし、その先に待っているものが破滅でもいいくらいの刹那的な気持ちで漠然とした何かを追っていたんです。衝動なのか、どこかに風穴が空いているような虚しさから来るのか、得体の知れない何かと闘って踊っている感覚がすごく強くて。でも能の方達と出会った時に、そういう自分がちょっと腑に落ちたんです。能からそのヒントをもらったことが大きかったですね。
左:2009年以来数多く参加している佐渡薪能にて初めて上演した「KOMACHI」(C)Tadaaki Omori /右:初めて能をモチーフに創作したダンス作品「弱法師」。写真は2009年の再演版(新国立劇場)(C) Mitsunori Shitara
具体的にはどういうことでしょう?
「狂う」という言葉を使うんですけど、能で「狂う」とは、「舞う」ことであり、「演じる」ことだと学んだんです。人前に立って何かをするということ自体がある意味「狂う」ことであって、単に我を忘れて狂うのではなく、狂って魅せる、という意気込み、心意気、心の持ちようだっていう話を聞いて、自分の中でストンと腑に落ちました。それ以前は、表現したいことはたくさんあるし、漠然と何かを追ってはいるけれど、一体自分は何を表現したいんだろうって悶々と悩むことがよくあったのですが、そこに納得がいったら、まだはっきり掴めていないながらも、課題が逆に広がった感じがしたんです。
2005年には、「KATANA」を海外で発表されましたね。
元々は「KATANA」のモチーフ自体は、香瑠鼓(かおるこ)さんと作品を創作している過程で浮かんだものなんです。それをソロ作品として、刀を自分でどのように解釈して演じようかと考えていた時、一度小作品としてニューヨークで発表させてもらう機会に恵まれました。当時ニューヨークタイムズでは素晴らしい評価をいただきましたが、実はまだ規模も凄く小さく時間も短い作品でした。つまり僕の中では未完成だったので、その後日本で、「KATANA」をより規模の大きい1時間ほどのソロダンスとして完成させました。
完成までを振り返っていかがですか?
自分の身体を刀に例えた作品なのですが、 あまりにデカいテーマを選びすぎちゃって、「こんなとてつもないこと表現できるわけないじゃん」という思いに一時期は陥りました(笑)。「今まで武士道で生きてきてないのに武士道かざしてんじゃねぇよ」って、自分に突っ込むわけですよ。その場で作品を観た人たちは、僕が刀をどうやって表現するのか期待していたかもしれないし、自分にとっては大きな作品なので、10年後、20年後、30年後も踊り続けていった時に何が残るのかというところまで考えました。「KATANA」はいろんなことに一番ぶち当たった作品かな。
「KATANA」(2006年日本初演、スパイラルホール)Photo: Maiko Miyagawa
いつも様々なことを考えながら作品作りをされていると思いますが、今までダンスを辞めようと思ったことはありますか?
辞めようと思ったことはないけれど、辞める時が来るかもしれないとは思っています。僕は人生踊りが全てとも思っていないので、自分がいつの間にか踊りに出会ってここまでやってきたように、また違うものに出会えたらそれはそれで楽しいと思う。自分がダンスをより楽しむためにもあまり決めつけずにいきたいですね。こんなことは安易に言えない立場ですが、いつでも辞めていいよと思っている反面、死ぬまで踊りたいっていう逆の気持ちもある。でも結局のところ、自分がマゾで、一度決めたら否が応でも突っ走ってしまいそうだから、自分を諭すように「辞めてもいいよ」って言ってるところがあるかもしれないけど(笑)。
森山さんがダンスを始めた頃と今を比べると、世の中の情報のスピードが速くなるなどライフスタイルは大きく変化したと思いますが、 ダンスもそういう時代の変化に影響を受けていると感じることはありますか?
大分変わったと思います。いろんな情報がキャッチしやすいから、面白いカンパニーの作品やダンサーの映像が、スマホの小さな画面ですぐに観られる便利な時代になりましたよね。僕も観ますし、自分でも映像を出していますが、便利になったからこそ、観る側の皆さんが、映像で編集された面白いシーンのダイジェスト版で満足して欲しくないっていう願いはあります。つまり今、劇場に足を運ぶことの価値をどう生み出せるかということが、全てのアーティストに大きく問われていますね。いい作品を作るのはもちろん大切ですけど、演劇とかダンスとか芸術的なもの全ては、お祭りごとじゃないけど、その土地でそこに足を運んで共有する時間が貴重なのかなって思っています。
劇場で観ることと、画面を通して感じることはまた違いますしね。
でも、時代が変化したことで、芸術やライブをわざわざ観にいくことの価値がより明確になったとも言えるし、例えば、VOCALOID(ボーカロイド)※などのAIと様々なことができるようになったからといって、シンガーがいらなくなったわけじゃないですよね。だから、進化していくことをデメリットには捉えてないです。
※VOCALOID:ヤマハが開発した音声合成技術、及びその応用製品の総称。メロディーと歌詞を入力することでサンプリングされた人の声を元にした歌声を合成することができる
AIと言えば、森山さんは2017年にヤマハ株式会社が開発した人工知能搭載の「ダンス認識ピアノ演奏システム」を通して、踊ることでピアノを演奏するという新しい音楽表現に挑戦されました。
あの試みも、AIとのコラボレーションではあるけれど、実際に取り組んでみると、新しいことに挑戦しようと一生懸命裏でパソコンを操作している人の手があることに気付かされました。全てAIに任せて人間は何もしていないわけじゃなく、AIを活用しながら人間の重要性をどう感じるかとか、周りの気持ちをどう察するかとか、予知することで何か起きる前に行動するといったことをコンピューターに覚えさせていたのは、むしろダイレクトに人と人とが関わり合っているんだと僕は感じました。今回「NINJA」の映像を担当したムーチョ(村松)くんにしても、デジタルアーティストの真鍋大度さんにしても、ものすごくテクノロジーが進んでいるように見えることでも、結局活かそうとしているのも、動かしているのも人であって、実際の肉体とかけ離れたものかと言うと、実はそんなことないんですよ。
では、情報社会によって、ダンスの作品が出来るまでのスピードは速くなったと感じます?
どうでしょう。確かに舞台芸術を作る中で、日本の現状の課題は、作品に費やす時間が短いというのはありますよね。日本のダンス公演は、演劇に比べ観客人口が少ないため公演期間が短く、上演回数が限られるから予算面や稽古場環境もろもろ鑑みても、海外のカンパニーのようには新作の稽古にもあまり時間をかけられない。でも、ある程度は時間をかけなきゃ満足のいく作品は完成しないので、発酵食品の国の日本人としては、熟されるまでじっくり待つというか、ひとつのことをじっくり育んでいく時間は必要だと思いますね。
やはりダンスは身体ありきですから、他のスピードやサイクルとは少し違いそうですね。
結局僕のやっていることは時間がかかるものなんだなって思います。ダンスはすごく原始的というか、人間の身体が何かの動作をしているという点では、時代のスピードに比例して身体も進化するわけではないので、昔も今も創作にかかる時間はさほど変わらないと思います。真鍋さんのようなスピードの速いジャンルの人達とはやっていることのタイム差はあるけれど、彼のように、ダンサーの身体を面白がってくれて、デジタルアートに取り入れているのは、その辺をよく理解してるからだとも思いますね。
次回へ続く
森山開次「NINJA」
ー子どもと楽しむダンス公演-
大人も子どもも楽しめるダンス作品です。世代を超えて様々なお客様の感性を刺激する作品創りに定評のある森山開次さんならではの舞台にご期待ください。
- 公演日程
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- 2019年5月31日(金)19:00
- 2019年6月1日(土)14:00
- 2019年6月2日(日)12:00
- 2019年6月5日(水)19:00
- 2019年6月7日(金)19:00
- 2019年6月8日(土)14:00
- 2019年6月9日(日)12:00
- 2019年6月9日(日)16:00
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会場:新国立劇場小劇場
詳細は新国立劇場HPにて
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/ninja/ - 以降、全国7都市ツアー
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- 2019年6月15日(土)14:00 福島・いわき芸術文化交流館アリオス
- 2019年6月22日(土)15:00岩手・北上市文化交流センター
- 2019年6月29日(土)13:00/17:00、30日(日)14:00 茨城・水戸芸術館
- 2019年7月6日(土)14:00滋賀・びわ湖ホール
- 2019年7月9日(火)18:30鳥取・鳥取市民会館
- 2019年7月13日(土)14:00 福岡・北九州芸術劇場
- 2019年7月20日(土)18:00、21日(日)13:00 長野・まつもと市民芸術館