HIGHFLYERS/#35 Vol.2 | May 23, 2019

僕のダンスは闘いから始まった。「10年続けてなんぼ」という母の言葉を糧に、21歳でダンサー人生がスタート

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

森山開次さんインタビュー2回目は、幼い頃のことからプロとしてソロダンス公演に立つまでを伺いました。森山さんは、想像することが大好きだった幼少期を経て、スポーツが大好きな少年時代を送ります。小学校から高校生の間に経験したスポーツは、サッカー、器械体操、バレーボールと幅広く、スポーツで培ったことは今でもダンスに役立っているそうです。その後、21歳の時に大学を中退して舞台の世界に飛び込み、音楽座の研究生としてあらゆるジャンルのダンスに触れることになります。音楽座解散後、劇団「ステップス」を経て、コンテンポラリーダンスという全く異なるジャンルへ向かうことになった森山さんの、ターニングポイントやキーパーソンとの出会い、覚悟を決めたお母様の言葉の理由などを伺いました。
PROFILE

ダンサー/振付家 森山開次

1973年神奈川県生まれ。21歳でダンスを始める。05年ソロ作品『KATANA』で「驚異のダンサー」(ニューヨークタイムズ紙)と評され、07年ヴェネチアビエンナーレ招聘。12年新国立劇場ダンス公演『曼荼羅の宇宙』にて芸術選奨文部科学大臣新人賞・江口隆哉賞・松山バレエ団顕彰奨励賞受賞。13年文化庁文化交流史。18年『不思議の国のアリス』全国17都市ツアー、19年『ドン・ジョヴァンニ』にてオペラ初演出など、現代のダンスシーンを牽引するアーティストの一人である。新作『NINJA』5/31~6/9(新国立劇場小劇場)以降、全国7都市で上演予定。

想像して遊ぶことが大好きだった幼少時代。サッカーで培った身体の使い方や柔軟な適応能力は、今ダンスに生かされている

幼い頃はどのような子供でしたか?

子供の頃を振り返ると、シャイで内向的な部分と、すごくオープンでわんぱくな部分が両方共存していた気がします。その頃の僕は、音を立てて歩くのが好きであり嫌いだったので(笑)、爪先立ちで音を立てないように忍び足で歩いて、いつの間にか誰かの後ろにいる、みたいな遊びをしていたのを憶えています。

ご両親からはどのように育てられたか覚えてますか?

僕の主観でわかりやすく説明するなら、父と母は対極だった気がします。 母はおおらかで人付き合いが得意で、歌が好きな感情表現豊かな人。父は緻密な作業を要する設計技師だったんですけど、お金を稼いで社会の中でしっかりと生きることを全うしようとする、頑固で無口で真面目なイメージがありました。すでに母は他界してしまい父だけが生きているのですが、今の父は 孫を連れて行けば見たことのない表情を見せるし、設計技師になる前はデザイナーを目指していたという過去も話すし、僕の中で子供の頃に感じた父像とは変わってきましたね。

小さい頃に夢中になったことはありますか?

小学校低学年の頃は空想魔だったかな。みんなそうだと思うけど、いろんなことを想像するのが好きでした。退屈な時に、想像上の小人みたいなものを勝手に作って、その小人をいろんなところで遊ばせていましたね。自分の中でいろんなキャラクターを作って、現実社会に降臨させた気分で遊ぶのが好きでした。

子供の頃から工作も好きだった。現在も小規模な舞台装置は森山がつくっている

部活など、スポーツはやっていました?

スポーツが好きで、たくさん体を動かしていました。小学校の時はサッカーと器械体操、中学でバレーボール、高校で再びサッカーをやったのかな。運動神経が特別良かったかどうかはわからないけど、体力はその頃についたと思います。

オリンピックに憧れ体操教室に通った少年時代。左が森山、右がお兄さん

だから今も長時間踊り続けられるんですね。

マゾなんですね(笑)。ダンスを始めたのは実は20歳を過ぎてからなんですけど、身体に対する意識や使い方は、スポーツの経験がたくさん役に立っています。例えばサッカーで、ボールの動きに合わせて身体をどう動かすかのような反射神経や、その瞬間をキャッチしていかに柔軟に反応して動くかを訓練したことは、ダンスにとても生かされているので、昔から踊っていたようなものかなぁとも思います。

なるほど。ダンスに興味を持ったのは21歳だそうですが、きっかけは?

大学生の時に初めて観た舞台が、音楽座のミュージカルの「マドモアゼル・モーツァルト」でした。大学は国際関係学部にいたのですが、志高い学生も多くいる中で、当時の僕は将来に迷って葛藤していました。 自分を表現したい気持ちはあったものの、その方法もわからないし、自分自身をオープンにできなかったんです。そんな時に学校の演劇鑑賞会以来の舞台を観て、色々感じて、「そっか」って何かが腑に落ちた。そして、直後にあった音楽座のオーディションを受けたところ、合格してしまい、そのまま大学を中退して、何もかも投げ打ってこの世界に飛び込んじゃったんですよね。当時の僕は大した決断だとは思わなかったけど、今思えば僕の人生にとって大きなターニングポイントになったし、周りは心配しましたね。

ミュージカルに出演していた頃(写真右:左端が森山)

いきなりそこからレッスンを始めたんですか?

そうです。踊り、芝居、歌と、僕にとっては生まれて初めてのびっくりするような体験ばかりでした。ダンスひとつとってもクラシックバレエやジャズダンス、タップダンスなどを同時に学ぶ恵まれた環境だったので、「ジャンルによってこんなに違うんだ」とか、「クラシックバレエはなんで基本がガニ股なんだろう」とか考えていくうちに自分の身体と深く向き合い始めて、「なんでこれが美しいの?」「なんでこれが振付けなの?」って、あらゆることに疑問を抱くようになりました。

始めてすぐにそこに疑問を抱くって、やっぱりちょっと普通のダンサーと違いますね。

そうかもしれない。まあ習ったジャンルがひとつじゃなかったから余計そうだったかもしれませんね。でも、周りは怖かったと思います。だって 髪の毛ツンツン立てて、眉毛剃ってオーディションにも行っていましたから(笑)。特にミュージカルは、にこやかな方が良かったと思うんですけど、足にテーピングぐるぐる巻いて睨みつけるようにしてオーディション受けてましたね。合格した後に、「人を殴りそうな目をしてた」って言われました。

(笑)。しかし、音楽座の作品や雰囲気からしたら、森山さんの今の姿は、想像できない次元ではないでしょうか。

そう、間違えちゃったと思って(笑)。僕、自分が表現したいことがあったわけではないのに、舞台を何も知らないまま飛び込んじゃって、感覚的にちょっと違うジャンルだなって思いました。

それはどのくらい経ってから気づいたんですか?

結構すぐでしたね。でも覚悟を決めて飛び込んだ手前すぐ辞めるわけにもいかないし、母親に「10年続けてなんぼだよ」って言われたことも大きかったです。僕、子供時代にサッカー選手になりたかったんですけど、家の事情で辞めざるを得なかったんです。母親はずっとそのことが心残りだったみたいで、 路頭に迷っている僕を見て、「今度こそは」という母なりの覚悟みたいなものがあったんでしょうね。それを知っていた僕も、とにかく劇団の中で勝ち残らなければいけないと思っていました。だから僕のダンスは闘いがスタートなんです。

ソロ活動初期の頃。今は亡きお母様と

ダンスは闘いですか。

いろんなことを表現したいとか、気持ちいいとか、楽しいとかそういう感覚はだいぶ後になってからのことです。とにかくまずは身体を柔らかくして、そこからはとことん練習して限界まで自分を痛めつけて、ライバルより高く、華麗に、カッコ良くみたいなところを目指していましたし、最終的には生活のためにダンサーとして稼がなければならないと思っていました。周りから見たら、「あの人は何と闘ってるんだろう」っていうくらい怖かったと思います。

音楽座にはどのくらい在籍していたんですか?

入団して2年経った頃、劇団が解散してしまったんです。それで、若いメンバーと一緒にSteps(ステップス)という劇団の立ち上げに参加し、ミュージカル公演を4年くらい続けました。その後、ダンスだけで表現することを決め、そこから割とすぐにコンテンポラリーダンスのソロ作品をやらせていただく機会を持てましたね。

当時、ソロダンスはほんの一握りのダンサーしかやってなかったと思うんですが、ソロに移ったきっかけとなる出会いや出来事はあったのですか?

ミュージカルで 疑問に思ったことを自分なりに表現として広げていったら、どんどん面白くなっていって、自分で創作したい欲が出てきました。当時はまだコンテンポラリーダンスはあまり盛んではなかったけど、周りに創作したがっているダンサーはたくさんいたんです。その中で振付家の香瑠鼓(かおるこ)さんと出会い、一時期は彼女の作品に出たり、共同演出をさせてもらったりしました。その後、ある一般の方に出会って、「プロデュースするからソロをやってみない?」って背中を押していただいたんです。一人ではソロ公演をやろうと思ってもできなかったので、その方との出会いはとても大きかったと思います。

最初にソロの舞台に立った時のことは覚えてます?

その頃のことは鮮明に、どの瞬間も覚えています。すごい充実感はありましたけど、今思うとよくぞハッタリかましたなぁって思います。 ソロをやりたくても場所がないのか、勇気がないのかわからないけれど、ダンスが上手な人は周りにたくさんいてもソロ公演をする環境ってほとんどなかった。なので、今思えば、あの環境でよくぞ自分で一歩踏み込んだなって思います。でも、後になってダンスの歴史を辿ってみたら、日本社会の中で闘ってきたダンサーがいることを知って、先輩方がいたから今の自分があるんだとも思うようになりました。

次回へ続く

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森山開次「NINJA」

ー子どもと楽しむダンス公演-
大人も子どもも楽しめるダンス作品です。世代を超えて様々なお客様の感性を刺激する作品創りに定評のある森山開次さんならではの舞台にご期待ください。

公演日程
  • 2019年5月31日(金)19:00
  • 2019年6月1日(土)14:00
  • 2019年6月2日(日)12:00
  • 2019年6月5日(水)19:00
  • 2019年6月7日(金)19:00
  • 2019年6月8日(土)14:00
  • 2019年6月9日(日)12:00
  • 2019年6月9日(日)16:00

会場:新国立劇場小劇場
詳細は新国立劇場HPにて
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/ninja/

以降、全国7都市ツアー
  • 2019年6月15日(土)14:00 福島・いわき芸術文化交流館アリオス 
  • 2019年6月22日(土)15:00岩手・北上市文化交流センター
  • 2019年6月29日(土)13:00/17:00、30日(日)14:00 茨城・水戸芸術館
  • 2019年7月6日(土)14:00滋賀・びわ湖ホール
  • 2019年7月9日(火)18:30鳥取・鳥取市民会館
  • 2019年7月13日(土)14:00 福岡・北九州芸術劇場
  • 2019年7月20日(土)18:00、21日(日)13:00 長野・まつもと市民芸術館

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