40 Vol.2 | Mar 19, 2020

11歳で格闘ゲームにハマる。363日ゲームセンターに通った8年間を経て、22歳でゲームの世界から一切離れることを決意

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

梅原大吾さんインタビュー2回目は幼い頃のことから、ゲームにハマったきっかけ、また一度やめてから復活するまでの道のりを伺いました。共働きの両親のもと、姉の影響を大きく受けて過ごした幼少期を過ごした梅原さんは、11歳の時に格闘ゲームに出会います。そして14、5歳になると、格闘ゲーム界ではすでに日本のトップクラスに。そこから約8年間は363日ゲームセンターに行くほどのめり込みましたが、あることをきっかけに、ゲームの世界からはすっかり離れることになりました。そしてその5年後、復活を果たすことになるのですが、そのきっかけは何だったのでしょうか。また、ゲームを職業にできなかった時代、生活のためにしていたことや、その時の経験で人生に生かされていることなど、プロになる前の梅原さんのお話をたくさん伺いました。
PROFILE

プロゲーマー梅原大吾

日本初プロゲーマー。15歳で日本を制し、17歳で世界チャンピオンのタイトルを獲得。以来、格闘ゲーム界のカリスマとして、22年間にわたり世界の頂点に立ち続ける。 2010年4月、米国企業とプロ契約を締結、日本初のプロゲーマーとなる。同8月「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネスブックに認定される。2016年、さらに2つの認定を受け、3つのギネス記録を持つ。 米国大手ゲームサイト「Kotaku.com」が、「奇跡の逆転劇」として知られる2004年の『Evolution Championship Series』※ における伝説の一戦を「プロゲーム史上最も記憶に残る名場面」第1位に選んだほか、2016年にはESPN.comが「格闘ゲーム界のマイケル・ジョーダン」と称するなど、世界のゲーム界ではウメハラの名を知らぬものはいない。 2019年4月には『Newsweek Japan』誌により「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれる。 現在、レッドブル、HyperX、Twitchのグローバル企業3社のスポンサード・アスリートとして世界で活躍する。 ※通称 EVO -- 世界最大の格闘ゲーム大会

CONTENTS

勝つために大切なのは理論だけど、人生の大きな決断は感情重視。 理性の一般論と自分の思う正しさは異なることに気づいた

幼い頃はどんな子供でしたか?また、ご両親にはどのように育てられましたか?

青森で生まれ育ったんですけど、小さい頃は体が大きくて 力も強かった。運動もできたんで、ちょっとガキ大将みたいな感じでした。とにかく先生の言うことを聞かない子供で、学校の行事を真面目にやるようなタイプではなかったですね。両親は医療関係の仕事をしていました。父親は勉強をやりたくなかったらやらなくていいっていう方針でしたが、「何かやりたいことを見つけて追求しろ、その何かは自分で決めろ」っていう教えでした。でもなかなかそれは見つからなくって、ぼやぼやしたまま子供時代を過ごすんですけど。

子供の頃 / Cooperstown Entertainment, LLC

7歳上のお姉様がいらっしゃるそうですが、かなり影響を受けたそうですね。

大きな影響は2つあります。一つは僕がゲームをやるきっかけで、姉がファミコンを買おうって言い出したこと。それで最初のファミコンが手に入りました。もう一つは、姉は才能があったので、自分とは生まれつき持ってるものが違うんだっていうのをはっきり思い知らされました。 こういう人たちには勝てないから、今後悔しい思いをしない為にも、何か自分が進むべき道を決めたら絶対に努力しなきゃいけないっていうのを、子供の頃に決意させられました。

初めてやったゲームは、覚えてますか?

スーパーマリオブラザーズ。5、6歳の頃、楽しくて毎日やっていたと思います。でも僕はゲームが上手くなるまで時間かかるんで、全然クリアできなかったし、格闘ゲームのように異常な熱意を持っていたわけではなく、 友達と他のことをして遊んだり、漫画を読んだりとか好きなことがあったんで、ゲームは一番好きな趣味だけど、どうしてもこれじゃなきゃダメってほどではなかった気がします。

他に将来の夢はありました?

全くなかったけど、ぼんやりと生き方がかっこいいなって思ってたことが3つあって、一つ目が人を笑わせる人。二つ目が肉体的に強い人。もう一つは研究で大きな成果を残している学者。漠然とそういう仕事に憧れてた感じでしたね。要するに、父親が言っていたのは、「やる=誰にも負けないようになれ」ってことなんで、学校で友達を笑わせていて、人を笑わせるっていうのもすごく楽しそうとか、格闘技とかで誰にも負けないとかも誇らしいことだろうとか、そういう感じでしたね。

13歳の頃。父と / Cooperstown Entertainment, LLC

それからはどのような学生時代を送りましたか?

小学校5年の時に格闘ゲームが発売されて、それ以降はいかにしてゲームをやるかっていう生活になっていくんですよ。それまではクラスのリーダーみたいな感じだったんですけど、 ゲームセンターに行きだしてからは共通の話題がどんどんなくなって、友達との距離もどんどん空いてしまって。中学2年の頃は、学校に行ってもほとんど存在感のない、空気みたいな感じでした。だからほとんど学生時代は思い出がないですね。

その頃は将来設計みたいなことはしてなかったんですか?

親も学校の先生や友達から、「みんな受験だけど、ゲームばっかりやってどうするつもりなの?」って言われても返す言葉がないほど、取り憑かれたようにゲームをやっちゃってました。今この歳になってわかったのは、自分は物事を判断する時に理性じゃなくて感性で判断しちゃう。だから、普通は、将来のことを考えたら嫌でも勉強しようって考えるけど、僕の場合は、“勉強はつまらないし楽しくないけど、ゲームは楽しいからやる”って、その時楽しいことや気持ちいいことを優先するんですよ。

ご自身の感覚を優先するんですね。

例えば“賞金が高いから頑張る”っていうのは、理性的な考え方だと思うんですけど、僕は賞金が高くても興味がなければやらないんです。だから子供の時からずっと、よっぽど追い詰められない限りは感情で判断しちゃってます。

でも勝つためには理性や理論は必ず使いますよね。

そうなんですよ。実は論理的に物事を組み立てるのは苦手じゃない、むしろ得意なんですね。だけど、好きじゃないんですよ。得意だけど好きじゃないというか、気持ち良くないんですね。「これ絶対に負けらんないぞ」っていう時はそういうモードに入るし、むしろ感情ゼロ。格闘ゲームの世界では自分よりも綿密に理論を作ってくる人にまだ出会ったことはないくらい得意なんですよ。好きじゃないし気持ち良くはないけど、効率の悪いことをやってたら勝てないんで、理論は絶対に大事ですね。

でも人生の大きな決断をする時は、理論は関係ないんですね。

関係ないです。理性の判断って一般論だと思うんですよ。理屈や理性による正しさって、自分にとって正しくない。ただお金がいっぱいもらえるって理性で判断すると正しいんだけど、それで自分の人生が良くなると思ってないし、自分にとっては正しいことでもなんでもないんで、そういう意味では自分なりの損得の判断は働いてるけど、一般の人とは選択が違うと思うんです。人生の決断は、感覚で決めます。

では、格闘ゲームに出会った時は、感覚に響いたのですね。

そうですね。当時、今と違ってゲームセンターにあるゲームは、家庭のものより映像や音のスペックが高かったんですね。だからお金を払う価値があった。11歳の頃それを見た時、「すごいな、ゲームセンターってこんな面白そうなゲームが出てるんだ」って。当時は僕だけでなく、ゲームの新しさがブームになるほど盛り上がったんです。でも、15、6歳くらいからは、コミュニティの方に価値を感じるようになっていきましたね。学校ではみんなに合わせるのが凄く息苦しかったけど、ゲームセンターにいる人たちは、ゲームが好きっていう共通の部分を持っていたし、それぞれがそれぞれの好きなものや嫌いなものをはっきり言う人たちだったんで、「ここすげぇ居心地いいな」って思ってのめり込んでいったっていうのはありますね。

ゲームセンターに通っていた頃。仲間たちと / Cooperstown Entertainment, LLC

そこに本当に分かりあえる人たちがいたんですね。そこからしばらくそういう生活を、アルバイトをしながら続けていたんですか?

バイトは色々やりました。 ゲームセンターに行き始めて、学校に居場所がなくなることで、人と接することが苦手になっちゃったんですよ。なので 最初は団子を詰めたり、ポストにチラシを入れたりとか、人とコミュニケーションを取らなくていいアルバイトばっかり選んでましたね。でも一生こんなのばかりやってるわけにいかないと思って、 22歳の時にゲームをやめようと思うまでは、リハビリも兼ねて飲食店で接客業をしていました。

22歳の時にゲームをやめようと思ったきっかけとは?

大学4年生の年なんですね、22歳って。バイト先に同じ歳が他に3人いて、結構楽しくアルバイトしてたんだけど、2月、3月くらいになって、就職で全員辞めていくわけですよね。その時に、彼らとは一生仲間という感覚だったけど、俺だけは将来がないって思って。ゲームでなんとか人生が変わらないかなあって思いは薄々あったけど、14、5歳から格闘ゲーム界では日本でトップの扱いだったのに、7、8年経っても何も変わらなかった。そこで、自分が生きていくために一生できる職を見つけたいと思ったんですね。ただ、資格も職歴もコネも経験も何もないから、一から何かをやるのは難しい。だけど、少しでも自分に向いていそうな 勝負の世界だったら何とかなるんじゃないかと目をつけたのが麻雀でした。

麻雀は3年やったそうですね。いかがでしたか?

もちろん麻雀界のトップではないですけど、 2年半から3年かけて、これだけ勝てれば成果を出したって言っていいだろうってところまでは行ったつもりですね。でも負けて精神的に追いつめられていく人を目の前で見続けていたら、この世界でやっていくのは無理だなと思って、26歳くらいの時にやめました。それで、今度は介護の仕事に就いたんです。両親が医療関係に従事していたこともあって、介護は結構身近に感じられた仕事だったし、26歳で経験も資格もなくても受け入れてくれる場所でした。

介護の仕事はいかがでしたか?

楽しかったです。 感謝されてお金をもらえるって素晴らしいなって思えたし、やりがいもあった。かなり精神的にも癒やされましたね。プロゲーマーになるまで、1年半ぐらい続けました。

介護と麻雀をやっていた時はゲームはやらなかったんですか?

介護の時は途中からやることになりましたけど(理由は後述)、麻雀の時は全くやらなかったです。本当に好きなことに対しては、スイッチの切り替えが極端ですね。ゲームをやめる前は12月31日と1月1日以外、363日ゲーセンに行く生活を8年くらい続けましたが、「よしやめるぞ」と決めたら行くことはなかったです。 好きなこととか自分が打ち込むぞって思ってることは、やるかやらないか、0か100かみたいな、どちらかなんです。

その後、再びゲームの世界に復活したきっかけは?

介護の仕事を始めて1年くらいたった27歳の時に「ストリートファイター」の新作、IVが10年ぶりくらいに出るということで、以前の仲間にしつこく誘われたんです。あまりにもしつこいから、「じゃあ一回だけね」って言ってやったら、自分でも驚くほど単純に楽しかった。ノウハウが活きていたというのと、使うゲームの道具が同じなんで、レバーとボタンが自由自在に操作できて、とにかくすごく勝てたんです。麻雀は修行時代が長かったし、介護の世界では仕事ができないし、 ゲームを離れてからの5年間は、自分がいかに不器用で劣っているのかって思い知らされる日々の連続でした。でも、久しぶりにゲームセンターで気持ちよく勝ち続けた時に、「ああそっか、得意なことあったな」って思い出したんですよね。それで、また昔みたいにのめり込まなければ、せっかく得意なんだしやってもいいかなって、気軽に遊ぼうと思ったんです。

取材協力:タイトーステーション 新宿南口ゲームワールド店
住所:東京都新宿区新宿3-35-8
電話:03-3226-0395
https://www.taito.co.jp/gc/store/00001459

次回へ続く

「一度勝つこと」と「勝ち続けること」は違う。勝ち続けるために必要なのは、ピンチの時に発想を豊かにするための土台作り

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