HIGHFLYERS/#50 Vol.2 | Nov 11, 2021

なぜ?を考えて学んでいくと、自分自身が変化する。良い人との出逢いに恵まれ、自らの未熟さを痛感し続けたデビュー直後

Text: kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong / Photo Retouch: Koto Nagai / Photo Assistant: Shusei Sato

アーティストAIさんインタビュー2回目は、LAで生まれ鹿児島で育った幼少期のことから、単身渡米してアメリカで一人暮らしをしていた高校時代のこと、そして卒業後に日本でデビューするために帰国して活動を始めた頃のことを伺いました。中学生の時に出逢い、高校生で渡米して再び聴いたゴスペルに感動したAIさんは、ゴスペルクワイアのメンバーとして毎週教会へ練習に通うようになりました。その経験が今のアーティストの道へと続いています。高校時代に女性シンガーのグループを結成して活動、そのグループでのアメリカデビューを目前に日本に帰国した経緯や、その時考えていたこと、また帰国後のご自身の変化についてをたっぷり伺いました。
PROFILE

シンガー AI

アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれ。鹿児島県鹿児島市育ち。 ゴスペルクワイアーで鍛えた本格的な歌唱力、L.A名門アートスクールで学んだダンス・センス。完璧な英語、バイリンガルでラップもこなせるストリート感覚。アンダーグランドからオーバーグラウンドまで支持を得る唯一無二の存在、それがAI。 安室奈美恵やEXILE ATSUSHIなど国内トップアーティストはもとより、クリス・ブラウンやスヌープ・ドッグ、ザ・ジャクソンズ、チャカ・カーンなど国境を越えた数々のレジェンド・アーティストとのコラボレーションも多数。 これまで3度のNHK紅白歌合戦出場、第59回日本レコード大賞・優秀作品賞の受賞を果たす。 そして、2020年、次世代リーダーが集まる⻘年版ダボス会議「One Young World Japan」オフィシャルアーティストに就任し、「Not So Different」がテーマソングに決定。SDG’sメッセージソングとして、AIがいま最も伝えたい想いが込められた曲となっている。同曲のRemixには、最重要アーティストのAwichをフィーチャリングに迎え、音楽ファンのみならず話題となっている。 AIは音楽、人柄、その溢れ出る愛を通してアジアや世界の架け橋となっていく。

厳しくも愛情深い母に育てられた幼少期。高校時代はゴスペルクワイアとして活動し、卒業後は日本でチャレンジすることを決意

LAで生まれ、4歳から鹿児島で育ったそうですが、小さい頃はどんな子供でしたか?

小さい時は本当にやんちゃな感じでしたね。お猿さんのように木登りしたり、幅の狭い隙間を見つけたら必ず登ったりしていました。それに、小学校からの帰り道は毎日側転して帰ってました(笑)。うちの駐車場を抜けた所にタッチしてゴール。家に帰ったらカバンを下ろして、ソファーに手をかけて逆立ちしてテレビを観てました(笑)。

小さい頃、母と

まるで体操選手のようですね。

体操を習っていたので、やんちゃでした。でもバク転だけは完璧にできるようにならなかったので、いまだにいつかはできるようになりたいと思ってます。

他に何か印象に残っている出来事はありますか?

色々ありますね。ママが外国人で日本語を話せないっていうだけで、周りの人からはちょっと変わってると思われていました。当時の様子を知人に聞くと「AIちゃんは日本語喋れなかったよ」って言われます。小学校の時に、「この子喋れないから」ってよく言われてたのは自分でも覚えてます。

ご両親にはどのように育てられましたか?

ママは厳しくて優しい。お父さんは面白い。ママが 怒って「What are you doing!!??」とかって言うと、子供だったら一発で泣くくらい本当に怖かったし、その様子を周りで見ていた大人も泣き出すことがよくありました。 ある時、私が1ヶ月くらい入院したんですけど、その時もママが看護士さんと喧嘩して、「日本語ワカラナイ!!」ってすごいキレて大変でした。いろいろストレスだったんだと思いますけど、怒る時は全身全霊で怒るので、本当に敵わなかったです。手を出すことは一切なかったけど、それが逆に怖いんですよね。 やっぱ威力がすごい。私も子供に怒る時は、ちょっと似てるなと思うことがありますけど。でも、ママは怖かった反面、愛情も人一倍強かったですね。必ず愛情でなだめるので、悪さができない風にうまくやってる。本当に大女優です。

その感情の深さがAIさんの歌に良い影響を及ぼしているのかもしれないですね。

そうかもしれないですね。ただ優しいだけのお母さんだったら、私ももしかしたら、「チェイチェイチェイ〜」みたいな調子の良いだけの人になっていたかもしれない(笑)。どこか真面目で、どこか自分に厳しいところがありますね。

その後、中学生の頃にゴスペルとの運命の出会いがあったのですよね。

中学生くらいの時にロサンゼルスに行った時、 ママの友達がゴスペルの教会に連れて行ってくれたんです。その教会は、コンサートみたいな感じでノリが良くて楽しかった。その時はそれで終わったんですけど、高校生になって渡米して一人暮らしをしていた頃に、またそのおばちゃんが連れて行ってくれたら、歌詞がすごく自分に入ってきて涙が出てきたんです。私も成長して、良いことも悪いことも人生でいっぱい経験して、ちょっと大人になっていたのかもしれないです。

初めてゴスペルに心から感動した瞬間ですね。

幼い頃は、ゴスペルを歌いながら興奮して立ち上がったり飛び跳ねたりしている人たちの意味がわからなかったけど、なんかこういう気持ちなのかなっていうのがちょっとわかる気がして。それでいて歌がみんな上手くて最高だったから、「私もあそこで歌いたい」ってなるじゃないですか。すると、おばちゃんが牧師さんにメンバーに入れるか聞いてくれたんです。そしたら「Welcome(ようこそ)」って、それだけ言われました(笑)。その後にある女性のところに連れて行かれて、「Sing(歌って)」って言われて、突然だったから何を歌っていいかわからなくて、咄嗟にきらきら星を歌ったんですよ。そうしたら「あなたはアルトだね」って。それで次の火曜日から毎週通うようになりました。

毎週の練習はいかがでしたか?

楽しかったですよ。歌も「ジーザス!」とかじゃなくて、ノリの良い、ジャネット・ジャクソンのラブソングや、R ・ケリーの「I Believe I Can Fly」とかの一部の言葉をジーザスに変えて歌っていました。

それでどんどん歌にのめり込んでいったんですね。

そうですね。でも歌を仕事にできるんだって最初に思ったのは、中学校の終わりに出席した、いとこの結婚式がきっかけでした。当時、いとこは東京の芸能事務所で働いていたので、職場の人たちが東京から出席していて、その中で私が歌ったんです。そうしたら「歌をやらないですか?今度東京に来てください 」って誘われて。でも高校は渡米することが決まっていたので、また帰国したらみたいな感じで話が流れたんですけどね。

そんなことがあったのですね。アメリカでは、歌に特化した学校に行かれたんですよね?

最初は普通の高校に行って、途中で転校しました。申し込みの時期がずれていてシンガー科は締切っていたのですが、ダンス科の枠が3人だけ残っていて、たまたま入れました。そこから毎日ダンスの練習の日々でした。当時は、タップ、バレエ、モダン、アジアンアフリカンみたいなのをやって、中でもアフリカンはすごく得意でしたね。生の太鼓で踊るのがすごく楽しかったです。それからは、アジア人女性シンガーのグループで活動していました。卒業間近にBMGからオファーがあったので、アメリカでデビューしようと思っていたんですけど、たまたまママの知り合いが東京のレコード会社に私のテープを送っていて、同時期に日本のレコード会社の人もLAに来て、「日本で歌わないか?」ってスカウトされて。

アメリカと日本、両方のチャンスを前に日本を選んだのはなぜですか?

ひとつは、 グループ活動していた女の子達が、誰がリードを歌うかとかくだらないことで、よく揉めていたから。私は別に誰でもいいじゃんみたいな感じだったけど、喧嘩がおさまっても結局また揉めて、 私は揉めるのが嫌いなので、離れるいいきっかけかなって思ってました。でも、周りのみんなに絶対にアメリカで活動した方が良いって言われましたね。日本からアメリカのマーケットに来てもブレイクできないけど、逆はいくらでも行けるからって。

周りに日本からアメリカ進出は無理だと言われたのに、日本に帰国してデビューすることを決めたということですか?

当時から絶対無理って言われると、そんなことは絶対ないって言っちゃうタイプなんですよね。でも、日本に帰ってきて良かったと思ってます。まだすべてが自分の思うようにできているわけではないけど、こっちからアメリカ進出も全然ありだと思ってますから。夢は捨ててないんです。

でも、日本は環境も人も全く違うから、帰国後は苦労されたのではないですか?

そう、 また自分を作り直さないといけないとか、何が受け入れられるんだろう、みんなは何を求めているんだろうっていうのが探っても分からなくて、がっくりしてました。かっこつけるようなスタイルで出てきた自分が悪いんですけどね。ライブの時に誰も私の歌を聴いてなかったらマイク落としてステージ下りたり、「ダサイ、何でこんなの聴いてんの?」みたいなことを人に言ったりしたこともありました。でも「なぜ?」って考えるようになってから変わりました。「これを人が好きなのには、やっぱり何か理由があるんだな」、「何でこの曲は多くの人に聴かれてるんだろう」とか考えると、ちょっとずつ勉強になるというか、 理解できることが少しずつ増えていったんです。

その「なぜ?」を考えるようになったきっかけは何かあったんですか?

そうですね、当時はクラブでいろんな人とイベントに出ていたんですけど、自分が一番で、他の人たちのことは「こんな人何がいいの?」って思っていたので、周りからは面白い子だとは思うけど、何か嫌な印象を持たれていたと思うんです。だから、だいたい向こうも対抗心を持って私のことを見てたんですよ。でもある時、イベントで一緒になったお姉さんが、私のライブを観て、「AIちゃんすごい良かったよ」って言ってくれて。その言い方にすごく真実味があって、それを聞いた時に涙が出てきたんです。みんなに好かれていたお姉さんと自分との違いを痛感しました。 自分のことよりも他の人のいいところを見ることができて、それを褒められて、拍手できることに素晴らしいなって感動しちゃって。そういう人と出会っていくと、やっぱり自分も変わらざるを得なくなって。

日本でデビューした頃

良い出逢いがありましたね。

いい人に出会うと勝手に変えられちゃうというか。自分と同じような人とばかり会ってると、単に対抗して終わるんですけど、その上をいく余裕を持った、包み込んでくれる人に会うと、自分はまだまだだって恥ずかしくなって、そういう人みたいになりたいなって思うんです。今までそういう人にいっぱい出会いましたね。

衣装/5-knot (ファイブノット)
問い合わせ先: info@5-knotdesign.com

次回へ続く

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12/9UP

AI「アルデバラン」

作詞・作曲:森山直太朗、編曲:斎藤ネコ
デジタル配信中:https://lnk.to/AI_ald
ミュージックビデオ:https://youtu.be/8IOSztadymc
Special Site:https://sp.universal-music.co.jp/ai/aldebaran/

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