HIGHFLYERS/#36 Vol.2 | Jul 18, 2019

14歳の時、英国ロックのギターを聴いて電流が走った。独学でギターに明け暮れ高崎から上京。氷室京介に誘われてBOØWYを結成

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Photo Retouch: Koto Nagai / Cover Design: Kenzi Gong

布袋寅泰さんインタビュー第2回目は、幼い頃のことから、BOØWY として活動した時代までのお話を伺いました。群馬県高崎市で生まれ育った布袋さんは、幼い頃からピアノを習い、音楽に触れていましたが、14歳の時にブリティッシュロックのギターの音色に衝撃を受け、ギタリストとしての道を歩み始めます。中学時代からコピーバンドを結成し、高校になると数々のコンテストに出場し注目を浴びました。そしてほどなくして上京、19歳の時についにBOØWYとしてプロデビューを果たします。ここでお話しするまでもなく、伝説的バンドBOØWYの活動や名曲の数々は、解散から数十年経ってもいまだ色褪せずに多くの人の心に焼き付いています。布袋さんが、14歳でギターに出会った時のこと、高崎での音楽活動や氷室京介さんに最初に会った時の印象、上京してBOØWYを結成し、活動していた当時のことを伺いました。
PROFILE

ミュージシャン布袋寅泰

日本を代表するギタリスト。 日本のロックシーンへ大きな影響を与えた伝説的ロックバンドBOØWYのギタリストとして活躍し、1988年にアルバム『 GUITARHYTHM』でソロデビューを果たす。 プロデューサー、作詞・作曲家としても才能を高く評価されており、クエンティン・タランティーノ監督からのオファーにより、「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY(新・仁義なき戦いのテーマ)」 が映画『KILL BILL』のテーマ曲となり世界的にも大きな評価を受け、今も尚、世界で愛されている。 2012年よりイギリスへ移住し、4度のロンドン公演を成功させる。2014年にはThe Rolling Stonesと東京ドームで共演を果たし、 2015年海外レーベルSpinefarm Recordsと契約。その年の10月にインターナショナルアルバム「Strangers」がUK、ヨーロッパで CDリリースされ、全世界へ向け配信リリースもされた。 2018年も国内外問わず、精力的な音楽活動を行い。10月にはベルギー、フランス、スイス、イタリア、イギリス5カ国でのヨーロッ パ・ツアーを開催し、海外のオーディエンスの心を掴み、11月から12月30日にかけて全19公演の国内ホールツアー『HOTEI Live In Japan 2018 ~ TONIGHT I'M YOURS TOUR ~supported by ひかりTV』を開催。このツアーはニュー・アルバムのリリースに合わせたものではなかったにも関わらず、各地でソールド・アウトが相次いだ。 そして、2019年5月29日に「ギタリズム」シリーズ最新作となる『GUITARHYTHM Ⅵ』が発売した。アルバムリリース後には全24公演からなる「HOTEI Live In Japan 2019 〜GUITARHYTHM Ⅵ TOUR〜」がスタートしており、今年も精力的な活動が続いている。

BOØWY は、4人の個性と若いエネルギーがぶつかり合って起きた奇跡。自分達を信じ、オリジナリティを追求し続けたことが成功へと繋がった

幼い頃のことをお聞きしたいのですが、お父様やお母様はどのような方でしたか?

父はとても厳しい威厳のある人でしたね。仕事で家にいないことも多く、たまに帰ってくると 「寅泰君、勉強はしっかりしていますか?」って言うようなタイプ。ダンディでいつもスーツを着ていて、書斎には葉巻と地球儀があって、まるでジェームズ・ボンドみたいな父でしたね。一方、母は正反対で、とても朗らかでいつもホッホッホ、ハッハッハと笑っていて、ちょっとおっちょこちょいでユーモラスな人でした。僕はどちらかと言うと母に似てると思います。父と母は僕が高校の初めの頃に離婚してしまったので、父の記憶はそこまでで、それからは母との思い出の方が多いですね。

今でも憶えている、布袋さんを形作ったような幼い頃の出来事はありますか?

ピアノが好きで習っていたのですが、僕のピアノの音を聴いてウットリする母親の顔が見たくて一生懸命練習してました。でもある時先生に、「いつまで練習するんですか?」って聞いたら「死ぬまでだよ」って言われて挫折して。そのあとギターに出会う前に、エレクトーンを習ったんですよ。左足でベース、左手でコード、右手でメロディを弾くっていうアンサンブルの基本のようなエレクトーンは、ひょっとしたら僕の音楽的原点になったかもしれないですね。

エレクトーンを弾いていた時期もあったのですね。ギターに出会ったのは、中学生の時ですよね。

エレキギターを始めたのは、14歳の時です。よくある話ですけど、ロックを聴いた時に、「なんなんだ、これは!?」って電流が走ったんです。ギターの音を言葉で表現すると、ピアノの“ド”や“ソ”のようなものではなくて、“ギャーン”とか“ジャーン”とかじゃないですか。弾き方にルールがあって基礎が大事なピアノと違って、エレキギターは自由な音がしたし、そういう風を浴びるような、文字通りビリビリ電流が走るようなショックを受けました。僕が影響を受けたのは、T・レックスや、レッド・ツェッペリンとかデヴィッド・ボウイなど、すごく宇宙的でノージェンダーでアバンギャルドで、美意識のある70年代のブリティッシュロックのアーティスト達です。それで中学の時は、学校の仲間といろんなバンドのコピーをやってましたね。

その後は優秀な高校に入学して、学校ではかなりの異端児だったそうですね。

まあ品のある、素晴らしい学校でしたけど、僕はもうロックに目覚めていたので、頭の中はずっとロック。スポーツもそこそこできて、勉強もやればできる子だったんですけど、やればできるからやらなかったんです(笑)。当時は寝ても覚めてもギターでした。今みたいにYouTubeや教則本やビデオもなかったし、レコードは針を落としたら最後まで聴かないといけなくて、リピートもできないわけだから、とにかくスピーカーの前に座って、一音一音探しながらコピーして、一曲弾けたつもりになるのが嬉しくてね。

じゃあギターはほぼ独学ですか?

そうですよ。独学で自分の音を探せるのが、ギターやロックの自由なところですよね。むしろギターは人と違った音を出すことの方が大事だから。再現芸術じゃないからね。

世の中のギタリストの方達は、皆さん人と違った音を出そうとするものなのですか?

僕はギタリスの中でもちょっと異端かもしれないけど、根本はそうだと思います。

布袋さんが高校まで生活なさっていた群馬県高崎市はバンドの聖地だったそうですね。

たまたまね。ギターが花形の時代で、ディープ・パープルとかレッド・ツェッペリンとか面白いハードロックバンドが活躍していた頃だったから。それに、ギターを弾くとバンドを組みたくなるじゃないですか。そうすると、大概田舎で大きい部屋を持ってるやつはドラムセットを買わされて、そこが練習場になる。僕は、当時デヴィッド・ボウイのコピーバンドをやっていましたが、もう一つ高崎で人気があったのが、のちにバンドを一緒に組むことになる氷室京介のバンド「デスペナルティ」だったんです。この2つのバンドは、全く違うスタイルで人気を二分していました。高崎という小さな街で、仲間が集まってはワイワイと騒いだ楽しい時代でしたね。

氷室さんに初めて会った時の印象は憶えていますか?

うん、歌が凄く上手い人だなって。とにかくどこのコンテストでも、ベストボーカリスト賞は彼が総なめでしたからね。

存在としてもやっぱり光るものがありましたか?

そうですね、男っぽくて不良っぽい、ちょっと怖い存在でしたけども。彼のバンドはどっちかって言うと、リーゼントに革ジャンスタイルのロックンロールをやっていて、僕らは長髪でお化粧もしていて、ブリティッシュなロックでした。

衣装も凄かったそうですね。

いや、最近の若い人たちに比べれば大したことないですよ。ただ、僕はアートもファッションも好きだったので、衣装もヘアメイクも全部僕がやってましたから、ちょっとしたプロデューサー的な感覚はその時から持っていたのかもしれませんね。だから、ベストギタリスト賞っていうのは獲ったことないけど、ミュージシャンとしては自慢にならないような、ベストアイデア賞とかベストコンセプト賞っていうのはいつももらってました。

そういうことをやりながら、自然にプロになろうという気持ちになっていったんですか?

当時、あの田舎でプロになる手段は、デモテープをレコード会社に送るか、コンテストで優勝するかのどちらかしかなかったんです。そこで、僕らはいくつかコンテストにトライしたんですね。すると、あるコンテストの審査員から「君達なかなか筋がいいから東京に行って頑張ってみれば」って言われて、そんな一言を信じて、僕は高校をドロップアウト(中退)して、文字通りギターを背負って上京したんです。

上京した当時はまだBOØWYは結成されてなかったですよね?

はい、上京した時のバンドはヒムロックとは全然違うバンドでした。その後に、彼(氷室)が運命を作ってくれたんです。ある日、六本木に呼び出されて、「一緒にバンドをやらないか」って言われて。それで18歳の終わりに結成して、ラッキーにも19歳の時、BOØWYとしてレコードデビューが決まりました。がしかし、当時はそのレコードが売れず、何をやってもうまく行かずで。まあ今となれば、それが悔しさとなってさらにバンドが結束して、のちの成功に繋がったので良かったんですけどね。実際BOØWYの活動自体は6、7年と短い期間でした。

BOØWYとして初めは鳴かず飛ばずでも、最後は10分で東京ドームのチケットが売れてしまうような伝説的バンドになりましたが、その最中は、凄いことが起きてるという実感はご自身でも感じていたんですか?

生意気な言い方だけど、そうなると確信してやってましたから。ただそう思ってても伝わらないとダメなので、そのためには良い作品を作って良いライブをやるしかない。僕たちはライブから全てを学び取って作品が完成していった、失敗が成功を呼んだ一番の例ですよね。失敗をすればそれだけの気づきがあって、人の心に届くような音楽を作るために工夫するし、実験もする。そして何よりも、ティーンエイジャーから20代前半という一番まっすぐな時期にいい仲間に出会えたことが僕の人生を変えてくれたと思います。

次回へ続く

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布袋寅泰『GUITARHYTHM Ⅵ』発売中

UNIVERSAL MUSIC STORE限定販売:完全数量限定盤 GUITARHYTHM Ⅵ BOXセット
【CD+GUITARHYTHM Ⅵグッズセット】PDCV-1034 10,000円(税抜)
LIVE Blu-ray付 初回生産限定盤 【CD+BD】TYCT-69141 8,900円(税抜)
LIVE DVD付 初回生産限定盤 【CD+2DVD】TYCT-69142 8,400円(税抜)
通常盤 【CD】 TYCT-60138 3,000円(税抜)

  1. Welcome 2 G VI
  2. Middle Of The End
  3. Doubt
  4. Shape Of Pain
  5. Black Goggles
  6. Give It To The Universe (feat. MAN WITH A MISSION)
  7. Calling You, Calling Me
  8. Thanks a Lot
  9. Clone (feat. Cornelius)
  10. Secret Garden
  11. Freedom In The Dark
  12. 202X
  13. Tracker
【HOTEI Live In Japan 2019 〜GUITARHYTHM Ⅵ TOUR〜】
  • 7月18日(木) 長崎 長崎ブリックホール
  • 7月21日(日) 島根 島根県芸術文化センター「グラントワ」
  • 7月27日(土) 青森 弘前市民会館
  • 7月28日(日) 岩手 北上市文化交流センター さくらホール
  • 8月3日(土) 香川 サンポートホール高松
  • 8月4日(日) 京都 ロームシアター京都 メインホール
  • 8月10日(土) 福島 いわき芸術文化交流館 アリオス
  • 8月11日(日) 山形 やまぎんホール(山形県県民会館)
  • 8月18日(日) 静岡 焼津文化会館
  • 8月23日(金) 埼玉 大宮ソニックシティ
  • 8月24日(土) 愛知 日本特殊陶業市民会館 フォレストホール
  • 8月29日(木) 神奈川 神奈川県民ホール

前売り/全席指定 8,000円(税込)
※3歳未満入場不可(3歳以上有料)
※お子様の会場における安全責任は、同行保護者に負っていただきます。

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