HF/#11 Vol.1 | Feb 5, 2015

日常的に人が使うものを作り続ける

shino

Text: Miwa Tei / Photo: Atsuko Tanaka / Cover Design: Kenzi Gong

想像力と好奇心で人生を創造する人を追い続けるHIGHFLYERS。Vol.10は、チェコでオリジナルのチョーカーを作り続けるshinoさんの登場です。一度見たら忘れられないインパクト。身に付けることで装いが引きたち、人に贈りたくなる1点もののチョーカー。その自由な配色に多くの人が魅せられ、shinoさんのチョーカーの輪は和となり、環となって広がっています。人を笑顔にするチョーカーを作り続けるshinoさんに、もの作りとともに紡いできた豊かな人生のストーリーを伺いました。
PROFILE
shino

チョーカーデザイナーshino

1961年生まれ。80年よりガラスに携わり、米国ピルチャック・グラス・スクールで学ぶ。その後、友人等と工房ARTHOLICを設立。美麻ワークショップ、GLASSWORK誌を経て92年よりチェコ在住。長らく制作を中断していたが、95年スロバキアでのシンポジウムをきっかけに再び活動を開始する。現在は主にビーズによるジュエリーを制作。
https://www.facebook.com/shinos.cz

日常的に人が使うものを作り続ける

 「そのビーズチョーカー、どこで手に入るの?」shinoさんの作品を身につけていると、必ずといってよいほど訊かれます。無地の服にも柄の服にもマッチして季節を選ばない。毎日のようにフル愛用しています。

私が作るチョーカーは、人に身につけて頂いて初めて完成すると思っているので、すごく嬉しいですね。皆さんご自分に一番似合うものを選んで下さる。チョーカーどうしをつなげてロングスタイルにしたり、軽く結いたりすることで、また違った印象になるんですよ。

 意表をつく配色のアイディアはどこから?

色の組み合わせに限界はないから。それと設計図のようなものもありません。あるのは頭の中にある完成形のイメージ。その配色にあわせて、ボリュームを確かめながら手を動かしていくんです。いくつかの定番はありますが、それ以外はひとつも同じものはありません。

 オンライン上での販売は行わず、購入できるのは年に2回開催される展示会でのみ。shinoさんのfacebook(www.facebook.com/shinos.cz)で、新情報をつぶさにチェックしている私です。絶対に見逃せない!の一心で。

有難うございます(笑)。通販はもとより、諸々オファーを頂くこともあるのですが、自分のスタイルはこれから先も変わらないですね。一度の展示会のために用意するチョーカーは約300本。これが限界です。それでも数を用意するのは選んでもらいたいから。チョーカーはサイズがないようであるんです。それと、首につけてみると想像以上に印象が変わる。いつも言うんですけど、つけてみないとホントにわからない。だから実際につけて自分に一番しっくりくるのを自身で選んでもらいたい、その思いが強いんです。

 昨年11月には、東京・目黒区にある大橋歩さんの素敵なギャラリー「IO GRAPHIC SHOP and GALLERY」で『shinoさんのチョーカー展』が開催されました。大勢のお客様がshinoさんと会話をしながら、楽しそうに試し付けする様子が印象的でした。

チェコでの私の日常はというと、それはもうず~っと自宅兼アトリエに引きこもってひとりで制作しているわけです。在宅ワーカーの中には「こんな天気のいい日に一歩も外に出ないなんて」と罪悪感を持つ人もいるけれど、私は根っからのおうち大好き人間なので、ひきこもりの制作も苦ではない。とはいえ、ひとりで地道な作業を繰り返していると、客観性が保てなくなってしまうんですよ。「果たして本当に喜んでもらえるのだろうか」と不安に苛まれるのね。ここ何年間かは日本では年に2回のペースで展示会をさせてもらっているけれど、毎回心配でしょうがない。だからこそ、展示会で直接お客様の反応に接するのはなによりも大切。「また作ってもいいんだな」そう思える瞬間です。同時に、完成形を見届けたいという思いもあります。そのチョーカーがどんな風に胸元を飾るのか、完成形をこの目で確認したいんです。その両方から翌年の気力をもらっているようなものです。

Photo by Mariko Tanaka

 特に心に残っている、お客様からの言葉とは?

「リウマチで指がきかないんだけど、これなら自分で付けられてお洒落できるわ」と話して下さった女性が印象的でした。あぁ、お洒落って人に頼ってするもんじゃないんだな、それじゃ楽しくないんだなって、ハッとしました。また、視力を失った方が付き添いの方からチョーカーの色を教えてもらいながら触れ、次の年も展示会に足を運び購入して下さったと聞いた時も、本当に嬉しくて胸が熱くなりました。

 新作に触れる機会が待ち遠しいです。既に決まっていらっしゃる展示会は?

今年は、神戸(MORIS)と名古屋(gallery feel art zero)で個展をさせて頂きます。もちろん両方ともチョーカーがメインですが、名古屋はちょっと違う展開を考えているところです。詳細はfacbook上で随時Upしていきます。

 shinoさんのチョーカーの輪は和となり、さらに環になって豊かに広がっているのですね。

30代半ばからチョーカーを作り始め、ひょんなきっかけで初めての個展を開いたのは40歳の時でした。今はこんな風に、自分の作ったものを待っている方がいてくれる。個展も毎年続けていられることは、大きな喜びであり、私の中では驚きでもあるんです。本当に、人生は何が起こるかわからないなって。

 オリジナルの表現を見い出したのは年齢を重ねてから。すごく勇気づけられるとともに、心の背筋が伸びる思いです。

40代からの遅いデビューなんですよ。そういえば随分前に、有名な手相観の方に「貴女は大器晩成で、46歳でブレイクします」って言われたことがありました。私をよく知る友人たちからは「え、それ以上壊れるのか?」なんて言われたけど(笑)。「派手な手相だけど下積みは長い」とも言われました。実をいうと私は、“生”に対してあまり執着が無かったんです。長生きしたいなんて全く思ってなかった。でも、40代からこうも素晴らしい出逢いが重なると、生きてるといいことあるなって素直に思えた。今は40代も卒業し、次の世代の途中ですけど(笑)、まだまだ素敵な出会いが続いてるので、人生捨てたもんじゃないですね。

 40代からのブレイクのスケールが、shinoさんの場合突き抜けている感が。チョーカーは一昨年、チェコのプラハ国立工芸美術博物館に収蔵されることが決まりました。

美術館側からオファーがあった時、実はすごく悩みました。もちろん光栄なことであり、感謝しています。でも、私は美術館に収蔵されることより、誰かが身につけてくれることの方が俄然嬉しいんですね。でも違うアングルで考えると、美術館に収蔵されるということは、私の作品を購入した方にとって資産価値が高まることでもある。ならばとお受けしました。それと今回良かったと思ったのは、美術品としてではなく、装飾品部門で選んだいただけたこと。私が作りたいものは特別なものではなく、日常の中で身に付けて使ってもらいたいものだから。

Permanent collection, Museum of Decorative Arts in Prague

 作品がパーマネントコレクションになることは、アーティストにとってステイタスであるように映りますが、shinoさんの場合には当てはまらなかったのですね。

なんかね、私は“残るもの”を作りたいんじゃないんだなって。もちろん使い捨てという意味じゃないですよ。ずっと好きで好きでしょうがないバンドのムーンライダーズの曲に「戦争になっても、持って逃げられないものが好き」という歌詞があるんですけど、まさにその心境。私は、戦争になった時は一番に捨てて行きなさいと言い切れるものを作りたいんだなって。社会的価値観に全く興味がないのね。ダイヤモンドよりもガラス玉。世の中的には価値がないけど、誰かにとっては宝物。そいういうものが作れたらすごく嬉しい。あ、でもそれ以前に、私自身はアーティストだと思ったことは一度もないんですよ。私、自分の職業は製造業だと思っています。

 その自己評価の理由は、一体全体何故でしょう?

ひとつは、アーティストはなにか表現したいことがあってものを作る、それが私の定義なんです。でも私には表現したいことはありません。日常的に使うものを作っているだけ。それともう一つ、日本では名刺にアーティストと印字すれば、今日から誰でもアーティストになれちゃう(笑)。でも、長く共産主義が続いた歴史的背景とその名残があるチェコという国では、そんなことはまずあり得ないわけです。共産主義というのは、つまりは自分が好きなことはやれないということ。芸術の面でいえば、日本でいう芸大のような学校がプラハには5つあるんですが、毎年一学科の新入生はわずか2、3名。芸術を学べる学生は、難関を潜り抜けることを許された超エリートなわけです。さらに卒業制作は国家試験制。チェコでは、アーティストとは国家に認められた特別な人という認識なんです。ここからは昔話ですが、私がチェコに住み始めた23年前は、自由に趣味で好きなものを作って売ることなんて、到底許される国ではなかったんですね。かつては税制は職業別にカテゴライズされていて、自由業なんてありえなかった。そのような国で長く暮らすうち「あぁそうか、アーティストというのは天職で、なるべく人がなるもんなんだ」ということがわかったんです。身に染みるように悟ったと言えばいいかな。

 チェコという国のリアルな一面を垣間見たような……。

うん。でも、政治も文化だと私は思っているので。それに、野球が心底好きでしかたがないという人が、全員プロの選手になれるわけではないでしょう。ものづくりも、純粋に好きだから、ひたすら楽しいからその道でやっていけるかというと、現実は全然違う。私は精神論者ではまったくないんだけど(笑)、そういうシンプルな事実がストンと腑に落ちたのは、チェコという国で暮らしたことが大きいのかも。

 shinoさんは、この先もずっとチェコに?

わかりません。チェコに住む日本人は、チェコに対する思い入れが非常に強い方が多いんですが、私、そういうの全くないんで(笑)。単純に、チョーカーに使うチェコのガラスビーズはとても質がよく、仕入のことを考えるとここに居るのは便利なのね。かといって、日本に帰国する自分というのも想像できなくて。日本から離れて人とも距離を置いたことで楽になれたというのは、自分の中ですごく大きかったから。

 人との“距離感”は、考えさせられることが多い部分です。

難しいですよね。私、外国人から「You have a memory like an elephant.」って言われるんですよ。「象みたいに記憶がいい」という意味。さすがに歳とともに怪しくなってきたけれど、記憶力だけはいいの(笑)。どのお客様がどんなチョーカーを買って下さったかを細かく覚えているのはいいことなんですけど、嫌だったことや傷ついた経験も絶対に忘れない。というのも、同じ間違いを繰り返すのが嫌だから。でも、異国に住んで距離があると、一言一句忘れないタイプの私でも、人からの言葉や周囲の情報が耳に入ってきても、適当に聞き流せるというのかな。この距離感が私にはすごく大切なのね。

1
 
2
 
3
 

ARCHIVES