ピンチはチャンス。失敗を恐れることはないが、常に最悪な状況を想定して準備することも大切
井上さんには4人のお子さんがいらっしゃいますが、子育てにおいて大切にしていることはありますか?
基本はのびのびやらせていますが、私が仕事でほとんど家にいられないので、子育ては妻の考えを尊重しています。僕の中では、ダメなものはダメ、いいものはいいと白黒はっきりしている部分がありますので、そういうことは日頃から率直に子供達に話しをしていますね。
お子さん達は、柔道をやっているのですか?
やっています。自分から興味を持ってやりたいと言い始めたんで、のびのびとやっているようです。でもこれからどうなっていくかはわかりませんね。柔道の世界って、早熟な選手達がオリンピックや世界で活躍したケースってあまりないんですよ。小学校の時にチャンピオンになって、オリンピックや世界選手権で優勝するっていう僕のようなケースは稀なんです。
早熟な選手が大成しないのには何か原因があるのですか?
子供の時に詰め込み過ぎて、柔道をやらせすぎたために、モチベーションの低下という現象が起きているのだと思います。僕が意識しているのは“過度”という言葉。過度に練習をさせたり、過度にプレッシャーを与えたり、過度に何かをやらせたりするとどこかに比重がくるので、好きでやる分には全然いいと思うんですけど、私は何事も過度にならないように意識しながら接しています。
子供をトップレベルのスポーツ選手に成長させたい場合は、やはりセンスや才能も重要なのでしょうか。
それはわかりません。センスがあって教えられたことをすぐに身につけて実践できる器用な人は、身体能力は確かに高いのですが、試合で結果を出すまで辿り着かないことが多いです。なぜなら、その後に技術を磨いていく努力をし続けなければならないからです。逆に飛び抜けたセンスがなくても努力する能力があれば、時間はかかっても確実に結果に繋がります。子供には色々な特徴があるので、指導者がいかにそれを見出して伸ばしてあげられるかが重要になってくると思います。
ビジネスにおいても教育においても、指導者として一流を目指す人にアドバイスをするなら何と言いますか?
私が大事にしている言葉は、「情熱」と「創意」と「誠意」の3本柱です。“意”という言葉でまとめるなら、情熱は「熱意」ですね。「何事もとことんまでやってやろう」「絶対にチャンピオンになるんだ」「このシステムを完成させるんだ」「これを世界に広めるんだ」という情熱・熱意がなければ辛い時や苦しい時に乗り越えられませんし、「もういいや」とか、「まあこれぐらいでいいだろう」で終わってしまう気がするんですね。私は現役時代も指導者になっても、目指すは究極の世界だという気持ちで何事にも取り組んでいます。
創意と誠意はどういうことでしょうか。
創意は、様々なものを乗り越えるには、考えたり工夫したり想像したりする力が必要だということです。感覚的なものって柔道でも非常に大事なんですけど、それには限界があるような気がしますし、特に壁に当たった時、そこに論理性や根拠を考える力があるからこそ様々なことを乗り越えられると思っています。 また誠意は、人間力なくしては何事も成し遂げられないと私は信じてます。人々の協力だとか、人との繋がり、そのためには相手に優しくしたり思いやりを持ったり感謝したり、もっと言うならば挨拶ができたり、しっかりとコミュニケーションを取れたりする力が必要だと思います。
それでは、井上さんにとってチャンスとは何かと聞かれたら何と答えますか?
なんだろうなぁ。難しい質問ですけど、チャンスには2つの考え方がある気がします。まずは、人生でそんなに多く巡ってくるわけではない貴重なチャンスを活かすためには、常日頃いろんな準備をしておかないといけないということ。それには、最悪な状況を常に想定した準備が大切になってきます。良い状態の時は問題ないので、逆に嫌なことに出くわした時にどう対処するのか、ここに成功するか否かのギリギリの鍵がある気がしますね。そこを活かしていけるように日々努力をし、準備をすることがチャンスに繋がるというのが一点です。
もう一点は、どのような考え方でしょうか。
「ピンチはチャンス」という考え方です。これまで数多くの失敗や挫折を繰り返してきた自分の人生を振り返ると、経験しないとわからない世界っていっぱいあるんですね。ですから壁が立ちはだかったら、逃げずに乗り越えていく道を選ぶことにチャンスがあるんじゃないかと思います。人間に失敗はつきものですし、失敗を恐れる必要はありません。失敗した後に何をするかということの方がもっと大切です。
では、井上さんにとって成功とはなんですか?
「喜び」ですよね。だって我々の世界なんて、それこそ練習の過程においても日々失敗や挫折を繰り返している時間がほとんどで、成功なんてごく一瞬のことなわけですから。それでも私は常に究極を求めていきたいなと思います。私自身のことだけでなく、家族や東海大学での成功とは何かもいろいろありますが、今は全日本柔道男子監督として、「2020年、全選手が目標にしている金メダルを獲得すること」。これが私にとっての一番の成功なんじゃないかなと思っています。
成功のために心がけていることはありますか?
勝つことが全てになってはいけないということは常に肝に命じています。恩師の山田先生によく言われていることでありますが、「勝つことが全てになってしまったら、人生の金メダルは取れないよ」と。金メダルを勝ち取ったら、その次はその立場の人間としてどう生きていくかということが大事ですし、逆に言えば自分の人生をどう豊かに、幸せにしていくかというところを考えていくべきかと思います。柔道での成功、監督としての身近な目標、そして人生において成功者であるために、これからも努力し続けていかなければならないと思っています。
長い柔道の歴史の中で、井上さんはどんな役割を任されていると思いますか?
自分自身の評価とか周りの期待がどんなものかというのはよくわからないし、難しいですね。でも一つ言えることは、全日本の監督として、東京オリンピックが終わった時に、周りの皆さんから「よくやった、柔道界のためによく尽くしてくれた」と言ってもらえる存在になりたいと思っています。そして、柔道会が明るい未来へと一歩足を進めることができたと言ってもらえるような形で終えたいと思います。今はもう現役時代の技がすごかったよねって言われるより、監督として頑張ってるねって言われる方が正直嬉しいんですよ。
井上さんが世界の動きに対して思っていることがあれば教えてください。
今の世の中は、グローバル的な要素と反グローバル的な要素と両方あると思うんですよね。いろんな考え方はあると思いますが、アメリカのように母国を大事にするという考えはヨーロッパでも起こりつつありますけど、そうなった時に歪みが生じたらどうなってしまうんだろうと。我々は常に自分自身を高めていきながら相手と闘い、勝つことで自分が成長し、そうすることによって相手もまた闘おうと努力し成長していきます。そういう精神はこれからも必要だと思うのですが、それと同様に自分だけではなく相手と共に栄えていけるような環境づくりをしていくという意識はとても必要な気がするんですよね。
そういう意識を持った世界にするために、井上さんができることはどういうことだと思いますか?
柔道の創始者である嘉納治五郎先生の言葉で、「精力善用自他共栄」というものがあります。各々の立場で各々の役割の中で全力で生きていきながら社会に貢献していくこと、自分だけでなく他とともに栄えあっていく心という意味なのですが、その精神というものを我々が持ち続けなければいけないと思っています。我々は相手を蹴落としてまで勝たなきゃいけない世界にいますが、自分の意識の根本には「いかに自分を高めていくか」に勝敗があるという考えがあります。そして、その心を世界中の皆が持った時にはまた違う世界が生まれてくるんではないかなと思うんです。なので、是非とも世界中の皆さんに「柔道をやりましょう」と言いたいですね(笑)。