若い世代は、限界を作らずに何にでも果敢にチャレンジして欲しい。指導者はリスクを考えつつもサポートする勇気が必要
今まで、大変なことがたくさんあったと思いますが、振り返って最も辛かった時期はいつ頃ですか?
いつだろうなぁ、結構毎回しんどいですし、今も相当しんどいです(笑)。現役のときに怪我をしたり、調子が悪かったりする時の辛さと、勝ち続けなければならないプレッシャーと闘う辛さ、また、私は現役時代に母と兄を亡くしていますので、大切な人を失った辛さもあります。他にも仕事では人間関係的な難しさと向き合うなど、辛いことはもしかしたら普通の人よりも多いかもしれないですね。現時点でも、2020年に向けてしんどいことも多いですよ。正直、「早く2020年来てくれ」って思いますもん(笑)。
そうですよね、日本中からの期待を背負っているわけですし。そういった辛さをどう乗り越えているんですか?
現役のときから同じですが、いつも相当腹をくくってます。 覚悟を決めないとこの仕事はできないですね。トップレベルで闘い続けるために、覚悟は非常に重要だと思っているので、選手たちにも日頃から「自分の中に覚悟は決めているか?」と聞くようにしています。
「覚悟を決める」というのは、具体的にどういうことでしょうか?
先日、スピードスケート選手で平昌五輪金メダリストの小平奈緒さんが、「覚悟は持たなきゃダメ。どんなに苦しいことや辛いことがあっても、夢や目標を追いかけていけるのは自分の中に覚悟を持つからなんです」って仰ったんです。 その通りだなと思いました。指導者がいくら言ったからといって選手に覚悟が生まれるわけではないんですね。何をするにしても最終的には自分自身の問題だと思うんですよ。
覚悟は他人が決めるものではなく、“自分で持つ”もの、ですか。
柔道や他のスポーツの競技をやるにしても、仕事をするにも社長になるにも、会社で新たな事業をやるにも、全日本監督になるにも、その人生を自身がその道で歩んでいくというのは、結果はどうあれ私は「覚悟」しかないと思うんです。まずはそこでやると決める根本的な覚悟がなかったら、本当に辛いことや苦しいことを耐えることはできないし、人間はもともと弱い面もあるから、そこに陥った時はどうしても逃げようとしてしまうんですね。
覚悟を持つ感覚って、ご自身の中で何か腹に座る瞬間とかがあるんですか?
まずは自分自身を冷静に見つめるということですね。やはり自己マネージメントができないと、いろいろな分野で対応できないと思います。でも、その中でも迷いが生じることもあるので、その時は人に相談しています。
いろんな人に相談するのですか?
はい。例えば2012年の全日本監督を就任するにあたっての裏話をすると、就任決定までに5、6日間しか時間がなかったんです。すぐに決めなければならない状況だったので、恩師である佐藤先生、山下先生のほか、歴代の東海大柔道部監督である白瀬英春先生、中西英敏先生、上水研一朗先生、そして親や妻、友人にも相談した上で、最終的には自分自身で決めました。そういった方達の助言をいただきながら、「よし、やってやろう」とこの仕事をさせていただく覚悟を持ちました。
昨年、山下泰裕氏還暦祝いにて
一度決めたら、完結するまでは絶対にやめないのですね。
はい。私自身が何かをしでかさない限りは最後まで。勝負の世界って、蓋を開けてみないとわからないので、指導方法や確率的なことまで、いろいろ周りからも言われるんですけど、答えはないんですよね。だから、答えが見えない中で、腹をくくって情熱を持ってやり続けるしかないんです。
とても大変な日々を送っていらっしゃると思いますが、柔道から離れて息抜きをしたり、頭を切り替えたりする時間はありますか?
ありますよ。一番は家族と一緒に旅行に行ったり、ご飯を食べに行ったり。子供がまだ小さいので家で遊ぶことも私にとっての日常の息抜きになっています。 あとは、ちょっと暗いかもしれないですけど、読書は短時間で自分の世界に入っていけるので良い息抜きになりますね。
どういう本を読まれるのですか?
いろいろです。最近はスポーツビジネスの本もよく読みますし、歴史に関する本も大好きです。組織の人選とかにおいても、そういった本から学ぶこともあるので。
2012年に全日本男子監督に就任されてからは、今までにないユニークな試みをたくさんされているそうですね。
柔道と全く関係のないことをやることもあります。例えば、トレーニングの一環として陸上自衛隊に行ってパラシュートで降下し、恐怖を克服することと、チームビルディングが目的の訓練をしました。人間は、落ちたら怪我をするし、もしかしたら死ぬかもしれないと感じる十数メートルの高さに恐怖を感じるらしいんですね。そこから飛び降りることがどれだけ大変かという体験をさせて、最も緊張するオリンピックや世界選手権の一回戦の第一歩に踏み出す勇気を持たせ、そのプレッシャーに打ち克って欲しいと思ったんです。でも、高い所を怖いと思う選手は少なかったですね(笑)。
井上さんご自身は高所恐怖症なんですよね。
そう、怖がっていたのは僕だけです(笑)。地上80mの高さに吊るされる訓練も試みましたが、尋常じゃない怖さでした。楽しんでる選手もいましたけどね。それからこれはサプライズだったのですが、トレーニングの最後に自衛隊の方達全員が集まってくれて、旗を持ってみんなで歌を歌いながら私達を送り出してくれたのには感動しました。選手にはトレーニングを通して、日本代表として日の丸を背負って闘うんだという意識も持たせたかったので、その姿を見て「やるぞ!」という気持ちになってもらうことができました。
現役引退後、イギリス留学もされたそうですね。海外で衝撃を受けたことなどはありましたか?
一番は自分自身の無学さですね。英語もあまり喋れなかったですし、柔道に関しては全く違った内容の世界の指導法にも触れたし、文化も違えば食も違うし、とにかく自分はとても狭い世界にいたんだと思いました。一番恥ずかしかったのは、日本について質問されても答えられなかったことです。柔道の世界では注目されていましたし、日本では何不自由なく暮らしていましたけど、海外に出たら普通の人間で、世界ってこんなに広く深くいろんな部分があるんだということを気づかされましたね。2年の海外生活を通して、自分自身をもう一度冷静に見つめることができましたし、語学も柔道も指導法も世界の情勢も、もっと勉強しなきゃダメだなって思いました。
イギリス留学時、民族衣装「キルト」を着用しての記念写真
現在は選手達をモンゴルなど海外に長期で行かせていますが、それはご自身の海外生活の経験が大きいですか?
はい。私が海外生活で感じたもう一つの大切なことが“孤独”なんです。何もわからない土地でポツンと一人になって、「柔道を指導してください」「買い物に行ってきて下さい」「インターネットの契約してください」って、言葉も喋れないのにどうしたらいいんだっていう経験をして、孤独感をもの凄く感じたんですね。もちろん留学中にいろんな方達が支えてくれたので、人と人との繋がりが大事であることも改めて感じましたが、どんなに優しくしてもらっても、最終的には一人で決断し、切り拓かなければならない。海外生活はそういったタフさや、自分自身でやるという意識が芽生えるので、生徒たちにもそういう経験をさせたいと思っています。
そういった経験は、勝負に挑むためだけでなく、人格形成に大きく役立っているように感じます。
今の世の中はすごく便利ですし、社会的背景の変化によって教育のあり方も大きく変わってきています。その変化の中で、選手をどう育てていかなければならないかを常に考えるのが我々指導者であり、先生の役割だと思うんです。「最近の若者はひ弱でたくましくない」って口で言うのは簡単ですが、「じゃあ何をさせればいいのか」っていうところまで踏み込まない人達も多いと思うんです。もちろん海外遠征は、リスクを考慮に入れながら敢えてやらせていることです。何か起きたときには管理責任も問われますから、今の時代に非常に難しいことをしているのも凄く感じています。でも、そこまで踏み込んでサポートしてあげることが大切だと思っています。
だから監督としての井上さんに今の若い選手がついていくのですね。
今の若い世代は新しいものが好きだと思います。モチベーションに対して限界を作ったらそれまでだと思っているので、僕は何にでもチャレンジさせたいんです。「次はこうできるんじゃないの?こういうものがあるんじゃないの?」という形でいろんな知識や宿題を与えていきながら、彼らの可能性を伸ばしていくことを心がけていますし、彼らには恐れずにいろんなものにチャレンジして欲しいと思っています。
次回へ続く