IMPRESARIO KEYS
#2 | Apr 26, 2017

7度の世界タイトル獲得に導いたコーチング [ラート世界チャンピオン・高橋靖彦]

Text: Ryosuke Takai / Photo: Atsuko Tanaka

「IMPRRESARIO KEYS(インプレサリオ・キーズ)」では、思い悩んだときの突破の方法や、人生を切り開くための方法を人間開発の技法「コーチング」を用いて紹介する。コーチングとは、心理学やカウンセリング理論に基づく対話による手法で、クライアントの自発的な行動を促すコミュニケーション技法のことである。

第二回目にご登場頂くのは、ラート世界チャンピオンの高橋靖彦選手。ラートとはドイツ発祥のスポーツで、人の体よりもひと回り大きな車輪のような器具を用いて、様々な体操を行う競技である。高橋選手は大学1年まで野球一筋の人生だったが、怪我をして野球を辞めることに。その代わり、それまで一番苦手だった体操を選択。そこでラートを本格的にやり始めて練習を重ね、様々な大会に出場するも、なかなか思うように結果を出せなかったという。ところが、2012年にコーチングを取り入れて以来、翌年には日本人で初めて世界選手権の総合部門での金メダル獲得という快挙を果たし、その後も国内大会、世界大会ともに劇的な戦績を残し続けている。その裏にはどのような秘密があったのか、高橋選手のコーチングを務めた小田桐コーチの解説を含めて紹介していく。
PROFILE

ラート競技・世界チャンピオン高橋靖彦

1985年秋田県角館町生まれ。2005年、筑波大学入学。1年時まで野球一筋だったが、怪我によって競技続行を断念。2年時から体操部に入り、ラートに出会う。2008年全日本インカレで初優勝。卒業後、大手企業に勤務するも退職し、世界大会でのタイトル獲得と、体操の指導者を目指すため、筑波大学大学院に進学。13年世界選手権で日本人初の個人総合優勝を達成。14年世界チームカップでは、主力として日本チームの初優勝に貢献。15年世界選手権では男子個人総合2連覇を果たし、種目別跳躍、直転も合わせ3冠達成。16年世界選手権では種目別直転で優勝。全日本選手権では個人総合5連覇中。ラート競技以外にも、世界体操祭や、日本体操祭をはじめとした、体操演技発表の場への出場経験も多数。また、普及活動の一環として、全国各地でのラート体験会及びデモンストレーション、地域の体操教室で幅広い年代を対象に指導を積極的に行っている。 高橋靖彦オフィシャルウエブサイト

メンタルコーチ小田桐翔大

1985年青森県生まれ。2005年、筑波大学体育専門学群に入学。高校までは野球一筋だったが、新たな挑戦をすべく、初心者で体育会バスケットボール部に入部し、全国ベスト8を経験。大学卒業後、(株)JTB法人東京に入社し、法人営業、国内・海外添乗員を4年間担務。優秀営業成績賞を受賞。2013年1月にメンタルコーチとして独立。ソチ五輪リュージュ日本代表金山英勢選手、ラート競技世界チャンピオン高橋靖彦選手のメンタルコーチや日本郵便株式会社の企業研修などに携わる。2016年3月に法人化し、株式会社FLYHIGHを設立。東京を拠点にメンタルコーチ・ファシリテーターとして活動中。 小田桐翔大オフィシャルウエブサイト

【イメージメイキングで現状との差を把握する】~描いた未来像から逆算して今やるべきことを明確にする方法~

『「メンタルが弱いから勝てない」という概念はなくなった』

大学卒業後、一度就職するも「ラートを極めて世界でトップを狙ってみたい」という気持ちを抑え切ることができず、2010年に意を決し、会社を辞めてラートの世界に飛び込んだ高橋靖彦選手。ところが、試合ではいつもギリギリのところで納得のいくパフォーマンスを発揮できず優勝まで届かなかった。そんな時、大学の同級生でメンタルコーチをしている小田桐コーチからコーチングを試してみないかと勧められる。すると、コーチングを取り入れたことが実を結び、2013年の世界選手権で日本人初の個人総合優勝。そして、全日本選手権では個人総合5連覇を果たしている。コーチングを通して、今までどんなことを行ってきたのだろうか。

高橋選手はどんな少年でしたか?

小学生の時は背が小さくて、活発でやんちゃな少年でした。学校ではいつもワイワイやっているグループの中にいて、 当時からスポーツが大好きで、休み時間はキックベースやサッカーをして遊んでいましたね。10歳のときに野球のスポーツ少年団に入ったのですが、その頃の将来の夢はプロ野球選手になることでした。中学生になって甲子園を意識し始め、高校でも野球漬けの日々を送っていました。

高校生の頃

どんな経緯でラートに出会ったのですか?

大学受験に全部落ちてしまい、浪人生活は親元を離れて一人で過ごしたいと両親に頼んで、秋田から仙台に引っ越しました。部活か勉強くらいしか選択肢がなかった小さな世界から飛び出し、他県から集まった同年代の仲間達と交流できたのは刺激的で、彼らから多くのことを学びましたね。そんなある日、雨上がりに受験種目のひとつだったサッカーの練習をしていたら運悪く滑って足首を脱臼複雑骨折。受験勉強はベッドの中でした。人生で一番のどん底状態と言っても過言ではないほど大変でしたが、なんとか筑波大学・体育専門学群に合格。しかし、1年目から古傷が痛み野球が続けられる状況ではなくなり、長年続けてきた野球を引退しなければならなくなったんです。それで2年生の時に、新しいことに挑戦しようと、それまで一番苦手だった体操を見学しに行ってみたら皆すごく楽しそうにやっていて、いいなと思って。最初にラートを見たときはびっくりしたし、やってみたら怖かったけどすごく面白かったです。

コーチングはどのようなきっかけで受けることになったのですか?

世界一を目指したものの、2011年の日本選手権が総合2位、世界選手権が総合4位と、あと一歩というところで十分な力を発揮できず、もどかしい思いを抱えていました。その時に僕が選手として活動していることを知っていた大学の同級生だった小田桐メンタルコーチから連絡があり、コーチングを受けてみないかと誘われたんです。彼は当時、一流企業で営業の仕事をしながらコーチングのスクールに通っていて、いずれ、そこで学んだことを使って、アスリートをサポートする仕事で独立したいと考えていたそうです。

抱えていた問題

『本番で自分の力を発揮できず、優勝できない』

世界トップを目指すために就職したばかりの会社を辞めた高橋選手。ラートを本格的に始めた2010年、すぐに望んだ通りの成績を残すことは出来なかった。それから2年間ほど同様な状況が続き、なかなか全日本選手権ですら優勝できずにもがいていた。

高橋選手:十分な練習をしていたつもりでしたが試合中につまらないミスを繰り返してしまい、自分の力を最大限発揮することができませんでした。当時を振り返ると、本番になるとドキドキして「勝てるかな~、どうなるかな~」と、結果ばかり気にしていたと思います。自分のメンタルが弱いことも勝てない原因の一つだと思っていました。

2011年世界選手権の斜転で落下してしまった時

解決方法

『完璧な本番の演技をイメージして、優勝するための練習内容を明確にする』

全日本選手権で優勝したい。その目標を達成するためにしたことは、やみくもにフィジカルや技術的な練習を重ねるのではなく、まずはイメージの仕方にあったという。

高橋選手:自分が完璧に演技をしているイメージをしました。試合本番をただイメージするのではなく、主観的な自分の目線と外側にいる観客からの目線の二つの視点から、成功している演技を客観視するんです。実際に演技している時に近い姿勢や、表情、呼吸を意識して五感を使って行いました。コーチに「体の感覚はどう?」と聞かれれば、「温まっている感じ」と答えるなどして、一つひとつの動きに自分の意識や身体がどう反応しているかを感じて、実際の演技と何がどう違うのか比較しました。そして、得点を上げるために必要な練習内容を徹底的に細かく抽出し、大会までのスケジュールを逆算してメニューを作りました。

スカイプで小田桐コーチとコーチングのセッション

得られた結果

『日本選手権と世界大会で初優勝!その時、“明確性”の重要さに気づいた』

コーチングの中でイメージの重要性に気付き、その差を埋めたことにより、全日本選手権で初優勝することができ、翌年の世界選手権では日本人初の優勝という快挙を成し遂げた。高橋選手はこの時、あることに気が付いたという。

高橋選手:世界1位の表彰台に立って気付いたことがありました。それは、自分がやるべき課題をこなして、しっかりと準備をすれば、イメージ通りの演技ができて結果がついてくるということです。目標に対して必要な練習をして、準備してきたか次第で結果は決まるんですね。その時の精神状態は、とても安定していたうえ、高いレベルの演技をすることができました。この時以来、「メンタルが弱いから勝てない」という概念は自分の中からなくなりました。

コーチ補足

『イメージメイキングで未来を描き、今やるべきことを明確にする』

小田桐コーチ:高橋選手が全日本選手権で優勝したいという目標に対して行ったコーチングは、3つのステップで行いました。まず、現状を聞き、次に理想の演技のイメージメイキングをし、最後に理想の演技に近づくためのアクションプランを設定。イメージメイキングの際には、 VAK(*注1)の3つのポイントを中心に、五感を使いながら理想の演技をイメージしました。また、抽象的なものに点数をつけることで現状を把握するためのスケーリングという手法も使っています。理想の演技を100点とすると、現状は何点かを考えてもらい、その点数を上げるために具体的にやるべきことを考えました。本番からスケジュールを逆算して練習の内容を決めていくことで、今やるべきことが見えてきます。
注1: NLP用語で、Visual(視覚)、Auditory(聴覚)、Kinesthetic(身体感覚)の略称)

次は、今までで一番視界が開けたコーチングについて

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