IMPRESARIO KEYS
#11 | Jan 27, 2021

半生の出来事を視覚化し、モチベーション低下を克服。バレーボール選手としての使命を再確認したコーチング

Interview: Atsuko Tanaka / Text: Atsuko Tanaka & Yukie Hashimoto / 写真提供: パナソニックパンサーズ

「IMPRRESARIO KEYS(インプレサリオ・キーズ)」では、思い悩んだ時の突破の仕方や、人生を切り開くための方法を人間開発の技法「コーチング」を用いて紹介する。コーチングとは、心理学やカウンセリング理論に基づく対話による、クライアントの自発的な行動を促すコミュニケーション技法のことである。 第11回目に登場するのは、パナソニック・パンサーズに所属するプロバレーボール選手の久原翼。父や兄の影響で、小さな頃から自然にバレーの世界へ入っていった久原選手。小・中学時代は思うような成績を残せず、当時活躍していた兄と比べられ、バレーボールを辞めたいと思うほど嫌になった時期もあったと言う。一転、高校では全国大会に出場したり、全日本ユースの代表にも選手されるなど、目覚ましい活躍を遂げた。そして東海大学に入学後も、天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会にて勝利をおさめたり、バレーボール全日本男子のメンバーにも選出されたりと、着実に躍進し続ける。その後、2017年にパナソニックパンサーズに入団、日本代表としてもチームに貢献し、昨年6月にプロに転向した。そんな久原選手のコーチングに出会ったきっかけ、また、コーチングを通してどのような変化を遂げたのか、3つの事例を用いて解説していく。
PROFILE

プロバレーボール選手久原翼

1995年3月18日生まれ、兵庫県尼崎市出身。 父がバレーボールの指導者、兄2人がバレーボールをしていた影響で小学1年生からバレーボールを始める。 中学、高校で着実に実力をつけて大学バレーの強豪東海大学へ進学、1年生からレギュラーを獲得して大学4年でシニアの日本代表に初選出された。 2017年にパナソニックパンサーズへ入団してレギュラーを獲得、オフェンスだけでなくディフェンスの要としてチームの数々の優勝に貢献した。 2020年よりプロに転向してプレーをしている。

スポーツメンタルコーチ工藤舞

スポーツメーカー勤務、海外添乗員としてのチームマネジメント・メンタルマネジメントに興味を持ちフィールドフロー/チームフローでコーチングを学び2015年独立。2018-2020年パナソニックパンサーズで通訳を務めリーグ優勝を経験。「自分・チーム史上最高の一年にする」アスリートと共に身体感覚・ビジョン・信念など言語化・可視化することで再現性の向上、パフォーマンス発揮、ストレス軽減等をサポート。又、アスリートがコーチングを受けることで社会人基礎力(経済産業省)の習得やコーチングを使えるようになることを心掛けている。

【現状を細分化して、真の課題を明確にする】~言語化・見える化・細分化~

『課題の明確化と目標設定』

パナソニックパンサーズに入団後、様々な大会で活躍し大きな功績を残していたが、モチベーションが低下してしまい、悩んだ時期があった久原選手。所属チームで工藤コーチと出会い、メンタル面を強化しようとコーチングを始めることになった。

久原選手はどんな子供で、どんなことをして育ちましたか?

僕はバレー一家に育ち、父親も二人の兄もバレーボールをしていたので、僕も5、6歳の頃から試合を見に行ったり、練習会場にも毎日のように行っていました。なので体育館が遊び場みたいな感じで、知らず知らずのうちにクラブ(常光寺バレーボールスポーツ少年団)に入ってた感じで。性格はすごいおとなしく、目立ちたがりのタイプの兄たちと比べられたりすることもあって、それに対して嫌だなと思っていた記憶があります。

バレーボールを始めた頃

バレーボールを始めた当初はどんな感じだったんですか?

あまり記憶にないんです。一番古い記憶としてあるのは、当時セッターっていうトスを上げるポジションをやっていて、小学校3年生の時に、3つ上の兄とAクイックという攻撃を練習して1回目でうまいこといった時のことです。

中高時代はどんな学生生活を?

中学は地元の学校でバレー部に入ったんですけど、県大会に出たぐらいで良い成績を残せませんでした。対して兄は全国ベスト8まで行ったので、そこでも比べられたりして、バレーボールが嫌になって、本気で辞めたいと思ったこともあって。でも、中3の時に県選抜に選ばれて、兵庫県で一番強い高校に行かせてもらったんです。高1の時はベンチに入れずあまり活躍できなかったですけど、高2になる頃から身長が伸びたこともあり、試合や全国大会とかに出られるようになりました。全日本ユースの代表にも選んでもらったので、高校時代で自信がついたと思います。

高校3年生でキャプテンを務めた。インターハイに出場した時(最前列の一番左)

その頃の印象深いエピソードは何かありますか?

春高バレーという全国大会でベスト4以上に入るという目標を掲げていたんですけど、3年生の引退試合の前日に、原因不明の高熱を出して、試合は出たものの試合中の記憶が一切なかったことです。でも大会を通して、その時のパフォーマンスが一番良かった。試合中は熱でフワフワしてましたけど、あとから動画を見返して、ああこうだったなって。めちゃくちゃしんどそうな顔はしてましたけど(笑)。

その後東海大学に進学されましたが、いかがでしたか?久原選手にとって大きな試合や出来事などを教えてください。

当時の東海大学は、日本の大学バレー界でトップを争う大学で、僕にとっては入れるだけでもありがたいくらいの学校だったので、入学できると決まった時はすごく嬉しかったです。下級生の頃はプレー以外のところでも結構大変な部分が多かったですけど、同級生には本当に恵まれたので、すごく楽しい大学生活を送れたと思います。印象に残っている試合は、最後の4年生のインカレの決勝戦。決勝で初めて開催地の愛知県にメンバー全員揃って行くことができて、みんなでやるぞという想いを持って試合に挑みました。結局負けてしまいましたが、本当にそれまでの4年間の想いがすごく詰まった試合だったと思います。後輩の子達もすごい泣いてくれて、一生懸命やってきて良かったというか、報われたような気がしました。

大学4年生の時。キャプテンを務めた

その後、パナソニックパンサーズに入団されたんですね。

大学4年の時に内定が決まり、パナソニックに入社しました。それから社会人としてパナソニックパンサーズでバレーボールをやらせてもらっていましたが、入社して2年目の夏の頃、急にモチベーションがなくなってしまった時期がありました。練習も上手くいかず、コーチ陣にも怒られっぱなしの状態で、周りのメンバーに申し訳ないし、もうやらないほうがいいんじゃないかとまで思って。でもチームメイトはそんな僕を責めるでもなく、励まし支えてくれて、徐々にモチベーションは上がっていきました。その後、2018/19のシーズンの中盤ぐらいから、試合にスタメンで出させていただくことが増えていきました。最初はあまり上手くいかなかったですけど、最後のファイナルでは本当に落ち着いてプレーできましたし、チームに貢献できた実感もあるので、すごい良かったと思います。

2016年からは、日本代表にも選ばれました。

当たり前ですけど選手のレベルが本当に高くて、その中で自分はサーブレシーブの技術を向上させることを目標として決めました。もっと身長の高い選手やパワーのある選手がいる中で、ディフェンス面を向上させるという課題も見えました。

そして昨年の6月にプロ選手に転向されたそうですが、なぜプロとしてやっていこうと思ったのですか?

バレーボールを引退した将来を考えたのと、どうせなら本気でバレーボールに集中できる環境でやるのがベストだと思い、プロになることを決断しました。このチームはVリーグの中で日本代表経験者が最も多く、一番レベルの高いチームなので、入った当初は本当に圧倒されてしまって、練習も毎回緊張してましたね。

メンタルコーチングを始めたきっかけについてお伺いしたいですが、コーチングのことはもともと知っていましたか?

代表の合宿の時とかに、単発でメンタル講習会が開かれて受けたことはありましたけど、継続的にやったことはなかったです。2018/19年のシーズンに、通訳としてチームに参加した工藤さんにコーチングについて教えていただき、自分はあんまりメンタル面が強くないと思っていたので、いいきっかけになればいいかなと思ってお願いすることにしました。

抱えていた問題

■技術を向上したいが、何にどう取り組んだらいいのかが明確でない

2016年からバレーボール男子日本代表メンバーに選出され、日本代表での合宿に参加し、試合にも出場し始めた久原選手。日本トップクラスの選手達と切磋琢磨することにより、自分の武器は把握できたが、課題が明確でなかった。

久原選手:念願の日本代表に選ばれたものの、当時はまだ出場機会がほとんどありませんでした。そこで、自分の武器であるサーブレシーブの技術をさらに向上させることが、もっと試合に出場し、活躍していくための大きなポイントだと感じていました。しかし、「日本一のサーブレシーバーになる」という目標はあったもの、何にどう取り組んでいったらいいのか、課題が漠然としていたんです。

解決方法

■漠然していたものを言語化・具体化し、課題を明確にする

そこで取り組んだのが、パフォーマンスの言語化や具体化による現状把握と課題の明確化だった。

久原選手:それまでは「サーブレシーブが上手くいかない」と漠然とした捉え方をしていましたが、感覚的だった部分を言語化し、現状や課題を明確にしていきました。まず、「日本一のサーブレシーバーになる為の要素」を言語化していくと、ボールの来る方向やサーブの種類によって、要素が9つあることが分かりました。さらにその9つの要素を数値化した上で課題を明確にしていくと、同じサーブレシーブでも、要素によって得意不得意/反応の速さ/身体の使い方や感覚/意識やメンタルの状態/周りへの指示などが違い、取り組むべきことも違うことに気づけました。

目標達成チェック・チャート表で定期的に進捗確認し、表を元に深堀りしていった

得られた結果

■課題が明確になり、毎日の練習の目標を細かく設定しやすくなった

それまでは漠然と練習に取り組んでいたが、サーブレシーブの課題を具体化出来たことによって、毎日の練習での目標を細かく定めやすくなった。

久原選手:課題に対して毎日細かい目標を立てて取り組んでいけるようになり、サーブレシーブの得意・不得意もなくなっていきました。課題に対する目標設定が細かいからこそ、スキルが上達しているかも細かく確認出来ますし、練習へのモチベーションも高めやすくなります。サーブやアタックなど他の技術でもこの考え方を応用していますが、パフォーマンスも上がり、課題攻略のために意識すべきポイントが明確になっています。

コーチ補足

■細分化で、要素ごとの真の課題を明確にする

工藤コーチ:課題は、現状を把握し、未来の目標から逆算すると具体的になっていきます。まず久原選手の理想の「日本一のサーブレシーバー」とはどんな要素から構成されているのか細分化し、それぞれをスケーリング(数値化)しました。さらに要素ごとに、技術、身体感覚、メンタル、コミュニケーションなど、様々な視点で課題の細分化をしていきました。その際、例えば数値が6点ならば「6点出来ていること」を書き出します。課題に意識が向きがちですが、「出来ていること」にも意識を向けます。漠然とした自分の良さの可視化することは、自己効力感が上がり、より良い状態でアイデア出しや判断、そして決断をすることが出来るからです。次に「何が出来たら10点になるか」を書き出します。これらがこの要素の取り組むべき課題=「1点ずつ加点していける伸びしろ」になります。このように、ここまで細分化し真の課題を明確に出来ると、練習での細かな目標設定や進捗把握が出来るようになり、モチベーション高く取り組んでいけるのです。

次は、今までで一番視界が開けたコーチングについて

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