HIGHFLYERS/#58 Vol.3 | Mar 30, 2023

好奇心に駆られ、会社を辞めて2年かけて世界中を旅して食べ歩く。コペンハーゲンでの食体験は自分の思考を変えてくれた

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

浜田さんインタビュー3回目は、世界中を旅して食べ廻ることについて、当時の体験を振り返ってお話していただきました。仕事をキッパリ辞めて、世界を旅することを決めて、2年間かけて食べ歩いたなかで、浜田さんにとって魅力的だった国はどこだったのでしょうか。また、最も印象的だったレストランについて、そのレストランが素晴らしい理由と世界に与えた影響、さらに日本のレストランについて感じていることや、今後のレストラン業界の傾向についても語っていただきました。
PROFILE

フーディ 浜田岳文

1974年兵庫県宝塚市生まれ。米国・イェール大学卒業(政治学専攻)。 大学在学中、学生寮の不味い食事から逃れるため、ニューヨークを中心に食べ歩きを開始。卒業後、本格的に美食を追求するためフランス・パリに留学。 外資系投資銀行と投資ファンドにてM&A・資金調達業務とプライベート・エクイティ投資に約10年間携わった後、約2年間の世界一周の旅へ。帰国後、資産管理会社(ファミリー・オフィス)社長を経て株式会社アクセス・オール・エリアを設立、代表取締役に就任。 南極から北朝鮮まで、世界約125カ国・地域を踏破。一年の5ヶ月を海外、5ヶ月を東京、2ヶ月を地方で食べ歩く。 2017年度「世界のベストレストラン50」全50軒を踏破。 2018年度・2019年度・2020年度・2021年度「OAD Top Restaurants(OAD世界のトップレストラン)」のレビュアーランキングで4年連続第1位にランクイン。 国内のみならず、世界の様々なジャンルのトップシェフと交流を持ち、インターネットや雑誌など国内外のメディアで食や旅に関する情報を発信中。 グルメサイト「食べログ」ではグルメ著名人、グルメキュレーションサービス「テリヤキ」ではキュレーターとして、世界の美味しい店を紹介している。 株式会社アクセス・オール・エリアの代表としては、エンタテインメントや食の領域で数社のアドバイザーを務めつつ、食関連スタートアップへの出資も行っている。

世界のレストランは小型化の傾向。大規模レストランにしかできないことがあるので、多様性が狭まっていく危惧もある

世界を旅しようと思ったきっかけは?

もともと旅好きだったんで、仕事しながらも、年に1、2回はまとまった休みを取って海外に行っていたのですが、ある時行きたいところを全部リストアップしたら、このペースでは回りきれないことに気付いたんです。僕はやりたいことを全部やりきったら、変な話、のたれ死んでもいいかなって思うくらい、昔から後悔をしない人生を歩みたいと思っているので、まずやりたいことをやろうと思って、金融業界を離れて旅に出ました。最初は9ヶ月ぐらいで帰る予定だったんですけど、実際に行ってみたら行きたいところが増えてどんどん長くなっちゃって、結局2年ぐらいずっと世界を旅していました。

2年かけて世界を旅した頃。左上から時計回りに、レバノン、南極、マリ、エジプト

一切仕事しないで 旅をずっとしていたんですか? 帰国後にやることのビジョンもなく行かれた?

はい、私はロジカルな人間なので、周りからしたら何か計画があってやってるんだろうと思われてたみたいですが、その後の人生のビジョンは全くなかったですね。あとは使い切れないくらいお金があるに違いないとかセミリタイアだとか言われることも多かったですが、貯金をどんどん切り崩しながらの旅だったので、精神的に辛かったです。本当の事情を知ってる友人からは心配されましたけど、そこは好奇心が勝っちゃったんです。知りたいという欲求に突き動かされて、欲求が暴走してロジックを超えてしまった。

2年間で一番衝撃的だった国はありますか?

その時に一番時間をかけて旅したのが南米だったんですね。ブラジルだけで4週間ぐらい、全部で南米に3、4ヶ月はいたかな。治安の悪い所ももちろんありますけど、やっぱりそれぞれの国によって文化が違って凄く面白かったですね。そういう意味ではアフリカも国や場所によって全然違って、北はアラブ系の人が住んでて、サハラ砂漠より南だとアフリカ系の人が住んでてみたいに全く文化が違いますし、実際に行ってみて気づくことがありました。南米とかアフリカって日本から遠いからつい一つのイメージで捉えがちだけど、全然均質じゃないんですよね。すごく広いから考えてみたら当たり前なんですけど、多様性を実感できました。

南米にて。左上から時計回りに、アルゼンチン、ボリビア、ボリビア、ブラジル

大変な体験もされたのではないですか?

しんどかった思い出は、モロッコからケニアに行く時にロストバゲージして、そのまま荷物が出てこなかったこと。サファリに申し込んでいたんで、ケニアの田舎に直行して、服を買おうにも買えなくて着替えがないまま一週間過ごしました。毎日サファリに行って帰ってくると全裸になって洗濯して、翌朝生乾きの服を着て行く。その生活を一週間続けたのは一番つらかった。当時はネットも繋がらないから航空会社とのやり取りもままならないし、結局見つからなくて世界一周用の荷物と全財産が全部なくなったんで、結構キツかったですね。

では、今までを振り返ってみてご自身の人生を大きく変えた人の出会いを教えてください。

やはり、中学生の時にスキューバダイビングのショップで会ったお兄ちゃん的存在の方ですね。自分で能動的に考えて動くこと、例えばダイビングに行きたかったら、運転できる人間を誘って、レンタカーから自分で全部段取りしてやれば行けるってことを教えてもらったりとか、外に目を向けるきっかけになったということで、一番影響があったと思いますね。

自分の思考が変わった食体験はありますか?

僕が一番好きなレストランの一つがコペンハーゲンにある「Noma(ノーマ)」なんですけど、レストランとしてちょっと異色というか、今の北欧が食で注目されるようになったきっかけのお店だと思うんですね。15年前なら、レストランに行くために北欧に行く人なんてほぼいなかったのに、特にコペンハーゲンはNomaの影響を受けた店がどんどん出来て、世界の美食の中心地のひとつになった。そこでNomaが果たした役割ってすごく大きいと思う。

Nomaを訪れた時。レネ・レゼピ氏と(左上)、レストランの店内やガーデン、キッチン

具体的にはどのようなことでしょうか?

彼らの料理の特徴としては一つはフォレイジング、つまり野にあるものを採取してきて、野生の天然のものをいただくこと。もう一つはファーメンテーション、発酵。そして保存。北欧は元々冬の間に新鮮な野菜が取れなかったので、発酵文化が進んでいましたが、廃れつつあったのを復活させて価値を再定義したのがNomaのレネ・レゼピなんです。なぜ価値の再定義なのかと言うと、野にあるものを摘んで食べるのは貧しいからやっていたことで、貧しくなくなってきたらそれらをスーパーなどで買うようになったり、発酵も同じで、発酵なんて誰もしなくなっていたけれど、レネはそれらのスティグマやレッテルを、「我々の食の伝統なんだ」ってポジティブな価値に変えたんです。レネ自身マケドニアの血を引いていて幼少期住んでいたこともあるそうで、ある意味アウトサイダーの視点も持ってるからこそ、この伝統いいじゃんって言える立場だったと思います。

素晴らしいですね。

そういった価値観が、ニューノルディックキュイジーヌマニフェストとして一つの形にまとめられ、2004年に発表されました。ニューノルディックが何よりも素晴らしいのは、普遍性なんです。Nomaの提示したものはあくまで方法論で、野にあるものを採取するのも発酵も、どこの土地でも応用できる。だから世界中のレストランがその方法論を実践することができた。南米やオーストラリアなど、もともとガストロノミーが弱かったところでその方法論が支持されて、一気にファインダイニングが花開いたと言えると思いますね。北欧には今や素晴らしいレストランがたくさんあって、その多くはマニフェストを厳密にフォローしているわけではありません。Noma自身もそこからすでに前に進んでいて独自の進化を遂げていますが、ここ20年で世界の料理界に与えた影響が一番大きいレストランであることは間違いないと思います。

日本のレストランについてはどんなことを感じますか?

今特にレストランがどんどん小型化してるんですよね。日本に限らずこれも世界の潮流で、いわゆるグランメゾン的な店がサステナブルじゃなくなってきてると思います。スタッフを何人も雇うリスクを考えたら、ワンオペで出来る店の方がやり易いじゃないですか。席数も減らして、それなりに高級食材を使って単価が取れれば、自分やパートナーだけが生きていくには十分稼げるから、そっちがどんどん主流になってるし、今後ますますそうなっていくのではと思っています。

そういう傾向は、食文化にどういう影響を及ぼすと思いますか?

小規模のお店が成り立つこと自体はすごいいいことだと思ってます。でも、ヨーロッパやアメリカではワンオペで1日お客さんが4人、6人一組のみみたいなお店ってほとんど無いんですよね。例えばフランスとかだとそもそもソムリエが必要だし、シェフとソムリエと、お皿を洗う人もいるから3人いるよねってなっちゃうので、そうすると5席とか6席じゃ成り立たない。なので、最低規模の考え方が違うというか。

なるほど。

日本は本当に一人で、例えば1,000万とか2,000万もあればお店を開けちゃうんですよ。香港やパリでそれができるかと言ったら可能性はほぼ無いです。お金を持ってるスポンサーが資金を出すのが当たり前で、自分でやる場合、自己資金が5,000万円あっても最低限の店すらオープンできないこともある。日本ってやっぱりレストランをやる上でのハードルが低い。だからこそ世界で一番競争の激しいマーケットになってると言えますし、本来だったらお店ができなかったかもしれない人たちにもチャンスがありますよね。これはすごくいいことだと思うんですけど、それだけになってしまうとまたそれはそれで問題というか。つまり、ある程度大規模のお店でしかできないことってあると思うんです。特に労働集約的な料理はなかなかできないので、ワンオペでしかもそれを経済的に成り立たせようと思うと、どうしても料理が似てきてしまう。結果的に多様性が狭まってしまわないかなという危惧はありますね。

それでは、OAD (Opinionated About Dining) についてお聞きしたいです。海外ではどのような存在なのでしょうか?

OADは世界中を旅しているフーディたちが投票して、その投票結果をまとめたレストランランキングです。完全にノンプロフィットなんで、ミシュランみたいに積極的にマーケティングしているわけじゃないですけど、ヨーロッパのレストラン業界では知名度がありますね。レストランの評価を数値でつけて、コメントを書いて登録する感じです。僕が始めたのは多分6、7年前とかですかね。僕が1位になっているのはあくまでその副産物としてのレビュアーのランキングです。大事なのはレストランの方なので。

浜田さんは海外の秘境にあるレストランなどに多く行かれ、レビュアー世界ランキング1位になっていますが、海外に頻繁に行かれるのはしんどくないですか?

旅は疲れますね。時差ボケに弱くて、抜けきるのに一週間くらいかかるので、ボケたまま次の旅に突入することもあります。昨日も(取材時)タイから帰ってきて、体中がバキバキになってます。そもそもスマホの地図アプリがないと生きていけないくらい方向音痴だし、飛行機の機内やホテルに色んなものを忘れるし、旅に向いてないんですよ。でも、やっぱり行きたいっていう好奇心が勝っちゃうんですよね。

数えきれないくらい学生の時から行っているのに、まだ好奇心が勝るっていうのは、行くと毎回新しい発見があるんですか?

そうですね、やっぱりありますし、旅してる時が一番生きてるって感じるんですよね。コロナ禍でもPCR検査を受けながら海外には行ってたんですが、それでも例年の半分以下だったんで、半年ぶりぐらいにパリに行った時は空港に着いた時に涙が出ました。異文化というか、違う場所に自分が立っていると、すごく生きてるって感じられるし、逆に東京にずっといると自分が淀んでいて、水が流れてない感じがします。

2020年夏、半年ぶりの海外旅行でパリを訪れた時

次回へ続く

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