HIGHFLYERS/#57 Vol.3 | Feb 9, 2023

俳優になったのは、極めるのに一生涯かかるようなことを追求していきたかったから。芝居は追いかけてもいまだに掴めない。

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Retouch: Koto Nagai

岸谷五朗さんのインタビュー第3回目は、俳優についてをより深くお聞きするとともに、30年続けられているチャリティ活動「Act Against Anything」のことについても伺いました。チャリティが始まったきっかけとなった出来事や、今に至るまでの経緯、そして継続する上でとても大変だったことをお話しいただきました。また、俳優を続けている意味や醍醐味、最も辛いことと嬉しいこと、舞台を続けていくためにご自身が変化したことなど、率直にお答えいただきました。
PROFILE

俳優 岸谷五朗

1983 年、大学在学中に劇団 SET に入団し、舞台を中心に活動開始。93 年、崔洋一監督、鄭義信脚本の映画「月はどっちに出ている」で高い評価を受け数々の賞を受賞した。94 年、寺脇康文とともに演劇ユニット「地球ゴージャス」を結成し、すべての作品で演出を手掛けるほか、多くの作品で脚本も担当するなど、多彩な活躍を見せる。主な出演作に、地球ゴージャス二十五周年祝祭公演『星の大地に降る涙 THE MUSICAL』、映画「夜明けの街で」「まくをおろすな!」(23 年 1 月 20 日公開)、ドラマ WOWOW「野崎修平」シリーズ、「恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~」など。

ある少女の手紙に心動かされてスタートしたチャリティ活動「Act Against Anything」。継続することのしんどさも、喜びも味わった30年間

岸谷さんが長年続けられている、「Act Against Anything」の活動についてお聞きしたいです。

元々「Act Against AIDS」として始まったチャリティイベントで、始めて30年が経ちました。きっかけは、俺がTBS ラジオのパーソナリティをやっていた時に、HIV に感染した15歳の女の子からもらった一枚の手紙です。そこに書いてあったのは、一番辛いのは病気そのものではなく、この病気を明かすことで差別されることへの恐怖だと。当時は、 アメリカでいろんな有名人がバタバタと謎の死を遂げているって思われていて、HIV の正しい知識を持っている大人なんていなかったから、それこそ喋ったり手を繋いだりしたら感染するっていう誤解が蔓延していました。俺にとっても何よりも一番恐ろしかったのは差別で、もしもエイズが原因で差別が起きなかったらイベント自体もこんなに進んでいなかったと思う。つまり、ワクチンがないなら、エイズ自体を知ることがワクチンだっていう思いで始めました。それで最初、大学の先生と、HIV ポジティブのパトリックさんという外国の方を呼んで、日本青年館でシンポジウムをやったんですけど、一番伝えたかった若い世代が一人も来なかったんです。

なぜ来なかったんですか?

真面目な大学教授が語るエイズに興味がないから。それで、このやり方は違うって思っていた頃に、ちょうどうちの会社が「Act Against AIDS」を始めたので、俺も手を挙げて、桑田佳祐さんが武道館で、俺は代々木第一体育館でチャリティコンサートをやりました。みんな何のために来ているかわからなくていい、とにかく各アーティストの若いファンがいっぱい来て、その人たちに「これがチャリティなんですよ」ってことを伝えればいいって。彼らはただ楽しんで、何となくエイズのことを知って、家に帰った時には「今日、エイズのチャリティに行きました」ってなることがまず最初の一歩だと思って、エンターテインメントを利用して啓蒙・啓発を始めたんです。それを擦り込んでいけば、 そのうちHIV に興味を持ってもらえるのではないかと思って。

すごいです。30年にはそんな長い道のりがあったのですね。

第1回目から敢えてタイトルを楽しそうな「THE VARIETY」にしたけど、その作戦は大成功でした。ただ、続けることが本当に大変だった。始めた頃は、岸谷五朗って言っても、地球ゴージャスもまだ出来てないし、演劇を観てる人にしか知られてなくて 。そんな中で自分でいろいろブッキングして代々木第一体育館で1万人以上のお客さんを集めるのは、本当に大変なことでした。

「俺は俳優になるんだ」っていうのが降りてきてから、ずっと俳優の道を歩んでいるとおっしゃいましたが、「Act Against AIDS 」はまた俳優の活動ともちょっと違いますよね。1万人を集めるエネルギーって並大抵じゃないと思いますが、そこまで突き動かされたのは、やはりその女の子からの手紙ですか?

うん、それは本当に大きかったです。それに、ラジオのパーソナリティをしていた頃は、その手紙以外にもいろんなことが起きて。エイズのことを知らなきゃいけないんだよって俺がラジオで語りかけたのを聞いていた高校生が、家族でご飯を食べてる時に食卓でエイズの話をしようとしたら、「ご飯の時にそんな話やめなさい」って怒られたって。これはダメだと。ご飯の時だからこそ家族でエイズのことを話す時代にならないと、この病気には勝てない。そういう思いがどんどん俺の中で募っていったんです。もうひとつは、アーティストがチャリティをやることは恥ずかしいことじゃないんだって伝えたかった。30年前はわりとみんな避けたがっていたんだよね。なんかこれを乗り越えなきゃいけないっていうのも原動力になってたかな。

すごいですね、そのエネルギーが。

1、2年やるのはそのエネルギーと勢いで出来たんだけど、5年目、6年目、7年目とかになると本当に辛くなってきて。

続けるのにあたって何が一番辛かったですか。

まずはチャリティだからお金も全額寄付しないといけないと思って、そのための節約が一番辛かったです。初めはアーティストにお弁当も交通費もギャラも出さなかったから、唯一俺ができることは、終わった後出てくれたアーティスト達に感謝すること。ありがとうございますって心から言うために打ち上げを開くんだけど、打ち上げ費もそのお金から計上したくなかったから自分で支払っていて。当時人気だったTM NETWORK やX JAPAN とかに来てもらっていたから、その人たちの打ち上げ代を払うということは俺にとっては死活問題。みんなにありがとうを言いたいのに、その場所を提供するお金を払うこともキツい。そうすると毎年だんだん「その日が来ませんように」ってなってくるのよ(笑)。何年かは俺が打ち上げ費を出していたから、本当にキツかったなあ。

いやぁ、さすがかっこいいです。

そのうちにだんだん学び出して、リハーサルのバンドにせめてお弁当は出そうよ、交通費は出そうよってどんどん改善していった。例えば普段3万円で仕事をしてる人には1万円渡せるように頑張ろうよ、ってチャリティが変わっていって、2020年に「Act Against Anything」 という名前に変えました。昨年はパシフィコ横浜で久々に有観客でやって、すごく大変だったけど、やっぱりやる意味があったなと感じています。超満員で、チケットはソールドアウトだったし、配信も2000人以上あったから多分チャリティとして成立するんだよね。

素晴らしいです。ところで岸谷さんは、俳優と演出、脚本などで活躍されていますが、何が一番自分に向いていると思いますか?

俳優業は全く別物。脚本を書いたり演出することは一つの集合体になるような気がするけど、 役者は別かな。

何が特別に違うんですか?

高校生の時に舞台俳優になるって決めて、なぜ生涯一つの仕事をやりたかったかって言うと、極めるのに一生涯かかるような、ひとつのものを追求していきたかったんです。俺は子どもの頃から器用で、例えばコマを回せば割とすぐ出来る。初めてやるスポーツでも、みんなと同じタイミングで始めても、割と誰よりも早く出来る子どもだった。そうすると飽きて次のものに行く。バスケの次はテニス、その次は卓球…みたいな感じで、極める前にやめてしまう。でも芝居って、未だに始めて1年経ってないかなって思うぐらい難しいの。追っかけても追っかけても遠くに行って掴めない。だからまだ続けられるんだよ。そういう道を探したというか、そういう道に出会えた。

掴んだとか達成したって思うことはないんですか?

いつも掴めない。頑張った脱力感みたいなことはある。それが少し満足感に似てるかもしれないけど、芝居を克服したっていうのって本当になくて。だからずっと出来るというか、明日も努力出来るし、すぐ脚本を読むし。俺がすごいんじゃなくて、芝居という魅力がすごいから俺が成立しているんだと思います。

俳優として一番しんどいことは何ですか?

やってもやっても出来ないことかな。自分が満足することって本当にないんだろうなと思って。だから監督が満足してくれればそれを良しとして、次へ行くっていう。

じゃあずっと考えて、初日が来たら舞台に立つけど、またずっと考え続けてまだまだって今もずっと考えている感じですか?

毎日そう。明日こそって思いながら、毎日やっています。

逆に俳優をやっていて一番幸せな瞬間は何ですか?

俺にとっては仲間なんだよな。仲間、スタッフと「いい芝居になったね」って言える時が一番幸せかな。自分が果たして満足してるかって言うと満足してないんだけど、みんなの魂をお客さんに渡して、お客さんのリアクションが返ってきた時の喜びがあった後に、みんなと楽屋で「良かったな、今日」ってやってる瞬間が好きなのかな。

若い頃からずっと俳優をやられていて、俳優としての価値観が大きく変わった出来事はありますか?

もちろん進化はしてると思うんだよね。演劇作りも、地球ゴージャスのこともそうだし、作品に携わったら、クランクインからクランクアップまでの時には役者として人間として、1センチでも大きくなっていなきゃいけないなと。演劇の稽古に入って、初日を迎えて千穐楽までを通り過ぎた時にそうなれているかっていうのはいつも考えてることだから、その中で自然に努力して進化はしてると思うんだけど。マインドが変わったかって言うと、ここは変わったっていうのはないかな。でも、タバコはやめました。

なぜやめたんですか?

ずっとやりたかった新宿コマ劇場で地球ゴージャスの公演をやった時、 自分がプランしたステージを作って、演技してバク宙をやったんだけど、空中を飛んでる最中に「タバコやめよう」って思ったの。つまり、まだまだエンターテインメントをやりたい!ってすごく思った。当時42歳で、もうこれ以上肉体が若くなることはないし、どんなに努力しても20歳のジャンプ力はない。それでも何とかごまかしてアクロバットをしたり踊ったりしていくには、悪いものを排除する以外ないなと思った。その最初に浮かんだのがタバコ。空中でタバコやめようって思って着地した瞬間から1本も吸ってない。 1日3箱吸ってたタバコをやめて、しばらくしてタバコをやめた世界ってこんなに素晴らしいんだっていうことに気づきました。全然違うんです。

何が一番違いました?

言葉で表すのは難しいんだけど、世界が違うって感じるくらい違って。小さいことで言うと、まず時間ができる。こんなにタバコを吸う時間を作ってたんだって。それと研ぎ澄まされている感じもあった。あまりにも良い世界なので、寺脇さんにもお願いしてやめてもらいました。タバコやめろって言うんじゃなくて、お願いだからやめてみてくれない?って、すごい良い世界があるからって。何回かめげてたけど今はやめてタバコは大嫌い。すごく感謝されています(笑)。それが前と一番違うところかな。この間は映画で吸う役だったけど、 役づくりしないと吸えないから結構しんどかったです。

次回へ続く

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『歌うシャイロック』

作・演出 鄭義信
出演 岸谷五朗 / 中村ゆり / 岡田義徳 / 和田正人 / 渡部豪太 / 小川菜摘 / 駒木根隆介 / 福井晶一 / マギー / 真琴つばさ
制作協力 (株)レプロエンタテインメント
企画・製作 松竹株式会社
京都公演 南座
2023年2月9日(木)~2月21日(火)
福岡公演 博多座
2023年2月25日(土)~2月27日(月)
東京公演 サンシャイン劇場
2023年3月16日(木)~3月26日(日)
公式HP http://shylock-stage.com/

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