HIGHFLYERS/#57 Vol.2 | Jan 26, 2023

「地球ゴージャス」はいつも俺の隣にいて、俳優生活を肩組んで一緒に登ってくれている存在。いつまでも無限の可能性にチャレンジしたい

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Retouch: Koto Nagai

俳優の岸谷五朗さんインタビュー2回目は、幼い頃のことから俳優になると決心するまで、そして劇団SET時代を経て、寺脇康文さんと地球ゴージャスを結成した当時のことをお聞きしました。小学校の頃からお母様に連れて行ってもらい、劇団四季のミュージカルなどを観ていた岸谷さんは、それらの経験が、ある時線で繋がって、突然役者になる道が開かれました。その当時の様子や、その後に起こしたアクション、そこでの出会いから「地球ゴージャス」を結成するに至ったこと、そして今の若い役者たちへ感じていることや、これから役者になりたい人へのアドバイスを伺いました。
PROFILE

俳優 岸谷五朗

1983 年、大学在学中に劇団 SET に入団し、舞台を中心に活動開始。93 年、崔洋一監督、鄭義信脚本の映画「月はどっちに出ている」で高い評価を受け数々の賞を受賞した。94 年、寺脇康文とともに演劇ユニット「地球ゴージャス」を結成し、すべての作品で演出を手掛けるほか、多くの作品で脚本も担当するなど、多彩な活躍を見せる。主な出演作に、地球ゴージャス二十五周年祝祭公演『星の大地に降る涙 THE MUSICAL』、映画「夜明けの街で」「まくをおろすな!」(23 年 1 月 20 日公開)、ドラマ WOWOW「野崎修平」シリーズ、「恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~」など。

幼い頃に観た劇場の記憶が線で繋がった瞬間、「俺は舞台俳優になるんだ」という言葉が降りてきた。それからは芝居だけに没頭してきた

幼い頃はどんな子どもでしたか?

幼い頃は小学校の先生に、通信簿に「明朗活発活動家」って書かれていました。いつも元気に外で遊んで、運動神経もたいそう良かったので。

リーダー的存在な感じでしたか?

かもしれないですね。ずっとリレーの選手でした。

ご両親にはどのように育てられましたか?

母とは今も一緒に住んでいますが、とにかく至福の愛で、愛して愛して、褒めて褒めて育ててくれました。

小さい頃になりたかったものはありますか?

「正義の味方」って作文に書いてありました。ウルトラマンとか既存のキャラクターではなくて、オリジナルの何かを想像していたのかな。

中学、高校の頃はどのような生活を送ってきましたか?

明朗活発活動家の小学生が中学に上がり、少し大人になったんで遊ぶ時間が増えて、日が落ちても外で元気に遊んでました。でも、自分は小学校の時と同じ明朗活発活動家の気持ちで遊んでいるのに、同じことを中学生になってやっていると、まわりからは「あの子、不良ね」って言われるようになって。夜遅くまで遊んでいると世間は不良って呼ぶんだなって、勉強になりました。

そこから俳優に興味を持ち始めたのはいつ頃ですか?

小学校、中学、高校と母がよく演劇に連れて行ってくれました。しかもそれが本当に素晴らしい作品ばかりで。特に、小学校の時に初めて観た「冒険者たち」という芝居は、ノロイという悪役が山のてっぺんに出た時に、いわゆる演劇的に言うと、音楽、SE、照明、役者全てがひとつになる瞬間があって、「なんてかっこいいんだろう」と感じたのを覚えています。それから中学生になって、「ジーザス・クライスト・スーパースター」という、鹿賀丈史さんと市村正親さんが主演の舞台を観て、アンドリュー・ロイド・ウェバーに初めて出会い、「なんてすごいんだろう」って後頭部を殴られたような衝撃を受けました。オリジナル演出で、あれはナンバーワンだと思いますね。ジーザスはレプリカがないので、世界のジーザスは全部違うんですよ。そうして小学生の頃からたまに芝居を観ていました。

プロになろうと思ったのは?

高校を卒業する時に自分が何をして生きていくかって自問自答して、一生辞めない一つの仕事を追求したいって思ったんですね。すると、その時まで点と点だった演劇が突然ブーンと線で結ばれて、「そうだ、俺は俳優になるんだった」って降りてきたんですよ。役者になってみよう、とか、挑戦してみよう、じゃなくて、「俺は舞台俳優になるんだった、忘れてた」っていう感じだったんです。降りてきてそこに気付いた瞬間から、もう今です。ずっと目もくれず演劇をやってきました。

降りてきて、まずどういうアクションを起こしたんですか?

降りてきちゃったものですから、大学に行って学生演劇をやるつもりは全然なくて、プロにならなきゃと思って、焦ってオーディションを受けようとして、作品を一本も観たことがないのに、SET(劇団スーパー・エキセントリック・シアター)のオーディションを受けたんですよ。その時に「 作品は一本も観てません。でもプロのところで演劇をやりたくて来ました」って、正直に目の前に並んでいた幹部の人たちに言って合格しました。当時はSETがすごい上り調子の時で、100人以上受けてたった3人しか受からないのに、そこにまだ19歳の素人の俺を入れてくれたのは感謝ですね。三宅裕司さんがいて、その横に「なんで稽古場の管理人さんが席に座っているんだろう」って思ったら小倉久寛さんだった(笑)。当時はまだ小倉さんが世の中に出ていなかった頃ですから、演劇って面白い役者がいるなって思ってました。

3人の中に選ばれた時のことを、幹部の三宅さんや小倉さんは何か言っていました?

喜びの表現、悲しみの表現、憎しみの表現とかって順にやるんですけど、全部同じだったって言われました。表現が出来てないって。セリフを読む時は、俺はすごくやってるつもりなんですけど、世界一の棒読みだったらしいです。ただその後、何か自由に自分を表現するのに、フリーで踊って動いてくれって言われた時に動いたら、全員目を見張ったらしいです。すさまじいリズム感だったって。素人なんで芝居は当然できないって判断だったんでしょうけど、そのあたりを買ってもらって入れていただいたんじゃないですかね、分からないですけど。そこから10年在籍しました。

10年在籍した劇団を辞めるきっかけですが、決め手はなにかあったのですか?

劇団で10年やってきて、岸谷五朗プロデュース公演とか、だんだん自分の芝居を作らせてもらうようになってきていたので、30代からは自分の芝居を作らなきゃダメだなって思って。仲間と作る芝居の結束力とか、劇団の素晴らしい部分はその10年で学んだので、今度はひとつの作品ごとに、プロデュース公演をしていこうって思っていました。それがのちに「地球ゴージャス」という形になって寺脇康文と二人で始まるのですが。それまでと大きく違うのは、劇団員に割り当てることがメインだった脚本に書かれた役を、プロデュース公演である「地球ゴージャス」では、俺と寺脇以外は、その役に合う人を世界中から選んでいいんだよっていう考え方に変えたことですね。例えば外国人の役があれば、本当の外国人をキャスティングすればいいわけですよね。そういう考え方に変えることで、演劇の無限の可能性を探そうっていうふうに思っていたんです。それで劇団を円満退団して、地球ゴージャスという企画ユニットを作った。でもあの当時、そんなユニットなかったんですよね。今でも二人の演劇ユニットってあまりないと思うけど。

地球ゴージャスはご自身にとってどういう存在で、ご自身の人生にどんな影響を与えていますか?

俺の俳優生活を肩組んで一緒に登ってくれてるのが地球ゴージャス。時々ご褒美で映画があったりドラマがあったり、全然違う世界へ招待してもらっています。そこでも色々楽しかったり、苦しかったりの芝居作りや映像作りがあって、また肩組んで地球ゴージャスっていう舞台と一緒に上がっていく、そんな感じかな。このユニットを作ったから、日生劇場やコマ劇場に出るという夢も叶えることが出来たし、地球ゴージャスでこれからも演劇的チャレンジをいつまでもしていきたいと思っています。悪いものはどんどん改善していき、良いものはどんどん取り入れて、俺自身もっといい作品を書いていき、もっといい演出をしていきたいって思う。だからそのために毎年ニューヨークに行ってブロードウェイを20本ぐらい観て来たし、面白いワークショップがあったらちょっと顔出すみたいなことはずっとやってきたかな。

いいですね。長く舞台をやられてきた岸谷さんから見て、今の若い俳優さんに何か共通して感じることってありますか?

我々先輩としては、いい役者になってもらいたいし、後輩に伝えたいことっていっぱいあるんだけど、コロナ禍になってから会話ができなくなってしまって。ご飯や飲みに連れていけないし、そろそろいいかなと思ってもせいぜい2、3人とかで、その機会は昔に比べたら全然なくなりました。今の若い俳優さんを見て感じることは、みんなすごく綺麗かな。俺たちの頃みたいな這いつくばって演技してる劇団世代と違う。いい意味で美しくなったけど泥くささがなくなってるのかもしれないと感じることはあります。

美しいというのは、役者のそういう部分を見せたい作品が多いってことですか?

芝居の種類も変わって来てるんだと思います。例えばミュージカルブームみたいなことって、演技よりまずは美声、みたいな。藝大を出て声楽家で声が良ければミュージカルスターになれるみたいな感じが昨今あるのかな。それは悪いことだとは思わないけど、芝居が優先されなくなってきた風潮は感じます。先に自分の武器でスターになって、後から芝居の勉強をしていくんだと思うし、実際に今、とってもいい役者が多いとは思います。

これから俳優になりたいという人には、どんなアドバイスをしますか?

昔TBSでドラマを撮っていた時に、朝、楽屋に入ったら、「弟子にしてください!」って土下座してきたやつがいたけど、 今はそういう昔ながらのやつもいなくなりましたね(笑)。俳優になるのに許可書もなければ免許証もないし、「俳優になるって決めた瞬間から、もうあなたは俳優ですよ」ってことだけど。 20代の頃、ブロードウェイでレッスンを受けた時に、カフェでウェイトレスに「何しに来たの?」って聞かれて、「俺、まだ全然活躍してないけど日本で役者なんだ」って言ったら、その子が何のてらいもなく、「私、女優よ」ってものすごいプライドを持って言ってきた。「いや、君はウェイトレスだよね」って思ったけど、それはバイトで、本業はブロードウェイ女優なのって。それ、大事だなぁと思ったけれど、彼女は職業俳優ではないよね。 僕は、職業俳優にならないといけないよっていうアドバイスをします。職業俳優になるってことは、俳優として稼いだお金で生活して、家族やスタッフを幸せにすることだから。

次回へ続く

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『歌うシャイロック』

作・演出 鄭義信
出演 岸谷五朗 / 中村ゆり / 岡田義徳 / 和田正人 / 渡部豪太 / 小川菜摘 / 駒木根隆介 / 福井晶一 / マギー / 真琴つばさ
制作協力 (株)レプロエンタテインメント
企画・製作 松竹株式会社
京都公演 南座
2023年2月9日(木)~2月21日(火)
福岡公演 博多座
2023年2月25日(土)~2月27日(月)
東京公演 サンシャイン劇場
2023年3月16日(木)~3月26日(日)
公式HP http://shylock-stage.com/

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