【目的を認識する】〜意識を変え、ゴールに一歩近づく方法〜
2016年に振興チームに移籍した武藤英紀選手。モータースポーツはドライバーの個人競技であるように思われがちだが、エンジニア、メカニックも含めたチームの戦いである。エンジニアでありながらコーチングを取得した園田氏が武藤選手に声をかけたことがきっかけで、二人三脚の日々が始まる。レーシング界にコーチングを導入したことで、どのような結果を招いたのだろうか。
武藤選手はどんな少年でしたか?
知らない人の家に勝手に行っちゃうような子供だったと母から聞いてます。いろんな人の家でご飯までごちそうになったりしていたそうです(笑)。当時まだ幼稚園生だった僕は、自分の家がどこか分からないので、電話のやりとりをして親に迎えに来てもらって。今思えば下町ならではの出来事ですね。うろ覚えなのですが、プラスチックのバットを持って誰かのインターホンの前に立っている自分の姿が記憶にあります。手が届かないからきっとそれでインターホンを押していたんでしょうね。変な子ですよね(笑)。
モータースポーツに出会ったきっかけはなんですか?
小1から野球クラブに入って、当時はプロ野球選手になりたいと思っていました。ある日、父が遊園地に連れて行ってくれて、その時初めてゴーカートに乗ったんです。運転する父の隣で、僕は飾りのハンドルを操作していたのですがそれがすごい楽しくて。早速翌週末にサーキット場に連れて行ってもらいました。子供でも120㎞ぐらい出せるので、母親は猛反対。しかし、僕はどうしてもやりたかった。その時たまたま来ていたカートチームの方に父親が話してくれて、ヘルメットを買ってやらせてもらったのを覚えてます。カート用の競技免許は12歳にならないと取れないので、それまでの2年間はカートをレンタルして走っていました。ある時、カート場の人に「君、けっこう速いからレースに出てみたら?」と言われ、出場したら優勝しちゃって。
小さい頃、父親と乗った初めてのゴーカート(左)、アマチュアのレースで初優勝した時(右)
その後、プロのレーシングドライバーになろうと覚悟したのはいつ頃ですか?
当時チームにいたスポンサーと父親が援助してくれて、中学を卒業した翌日にイギリスへ渡りました。現地のチームに入り、2年半どっぷり練習に励んでいました。帰国後、プロになりたかったけど、当時育成カテゴリーのレースに出るのに1年間で1000万円かかると知って。当然そんなお金はなかったですが、3回払いまではできると聞いて、なんとか頼み込んで初回の500万円をおじいちゃんに借りました。「もう今後レースでお金を持ち出すことはしません」と借用書を書かされましたが、これでダメだったらキッパリ諦める覚悟で。
そして、見事にプロ契約を結ばれます。マカオでの偶然の出会いがきっかけだったそうですね。
はい。育成カテゴリーのレースに参戦したシーズン終わりに翌年マカオグランプリレースに出場することを想定して、自腹を切って前座レースに出場しました。そうしたら予選で1位になり、ポールポジション(*)を取ったんです。その時マカオグランプリレースに参戦していた自動車メーカーの関係者が、たまたま僕の走りをモニターで見ていたらしいんですよ。後でピットに挨拶に行ったら「お前、ちょっと来い!」と言われ、ドキドキしながら近寄ると「さっき山側を走ってたの、お前だろ?来年からうちのチームで乗れ」と言われたんです。帰国してすぐにその自動車メーカーの本社に行き、話をしに行きました。その翌年はマカオで声をかけてもらったチームではなく、再度育成カテゴリーに参戦したのですが、メーカーのサポートを受けられ、通常ではありえない異例の契約の流れでした。
*自動車レースの決勝戦でスタート位置の先頭のこと
コーチングはどの様にして受けることになったのですか?
コーチングは、僕が2015年に所属したチームを自動車メーカーのエンジニアとしてサポートしてくれて一緒にやってきた園田さんからの提案でした。2015年に僕がなかなか結果を出せないのを園田さんはずっと見ていて、それがマインド/メンタルにも原因があるのではないかと思ったそうです。そこで2016年に僕の所属チーム(エンジニアやメカニックなどを含めたレースのチーム)が変わるのを機に、彼が学び始めたコーチングを受けてみないかと提案がありました。コーチングのことはよく知らなかったし、正直、園田さんじゃなかったら耳を傾けていなかったと思います。
抱えていた問題
■予選で思うような結果が出せない
2014年から毎年違うチームへの移籍が続いていた武藤選手。モータースポーツはドライバーの個人競技ではなくメカニックやエンジニアも含むチームプレーでもあるので、環境が変わることでなかなか戦績が伸びずに悩んでいたと語る。
武藤選手:2015年はいつも予選の結果が思わしくありませんでした。その都度、原因が自分にあるのではないかとネガティブになって自分を追い込んでいたのは事実です。例えばクラッシュしてしまった時やタイムが出せなかった時に、チームに対して申し訳ないと罪悪感を感じていて、どのように改善すればいいか一人で悩んでいました。
解決方法
■本来の目的はたった一つ“勝つ”それだけ。そのためにできることは何か?
ある日のコーチングセッションで、武藤選手は根底にある「勝ちたい」という思いを実感し、勝つ=1位になるためにはどうすればいいか?を考え始めた。コーチングもできるエンジニアという唯一の存在である園田氏からのサポートが、少しずつ武藤選手自身の考え、行動に影響を与え始めていった。
武藤選手:最も信頼しているエンジニアの園田さんがコーチング技法を用いたコミュニケーションをしてくれたおかげで、自分だけで勝てない原因を探しては完結させることをしなくなりました。まず最初に、チームメイトに対する関わり方を変えていきました。また、タイムが伸び悩んでいる時は、それまでのデータを見ながらエンジニアやメカニックの人たちと一緒に原因を見つけ、改善する作業に取り掛かるようになりました。園田コーチと話して、目的が「最終的には勝ちたい」というたった一つに切り替わった途端、そのために必要なことにフォーカスするようになり、自然に自分の考えや行動が変わっていくのを痛感しました。
チームメイトたちと問題について語る様子
得られた結果
■ポールポジション獲得!
2016年8月27日に行われたSUPER GT第6戦 第45回インターナショナルSUZUKA1000Kmの予選で、見事ポールポジションを獲得。武藤選手と園田コーチの取り組みが実を結び、武藤選手の大きな自信にもつながった。
武藤選手:コーチングを始めてから半年後に行われた予選で、ポールポジションを取ることができました。エンジニアとドライバーの感覚を物理的、メンタル的に意見を擦り合わせていくという協力作業から、1位という結果を出せてとても嬉しかったです。それによって、チームとも一体感が生まれました。最初に園田さんから「武藤英紀は勝てるドライバーだと俺は本気で信じている」と言ってもらえたことは救いでしたし、大きな自信にもなりましたね。メンタルケアの大切さにも初めて気づきました。
SUPER GT第6戦 第45回インターナショナルSUZUKA1000Km
コーチ補足
■目的にフォーカスすると意識が変わり、達成に1歩近づく
園田コーチ:武藤選手と一緒に向かうべき方向性を一点に合わせ、それが「最終的に勝つ」ことだったので、そのためにできることは何かを一緒に考えました。モータースポーツは、車という非常に精密で複雑な道具を使うので、とても特殊なスポーツと言えます。でも、車のメンテナンスやドライブするのは結局は人。その上で「勝つ」ためには、ドライバーだけでなく、エンジニアやメカニックとの信頼関係がかなり重要になります。まず武藤選手の意識を変えてもらうために、「どうしたいか?どうなりたいか?」というアドラー心理学で言われる『目的論』を意識し発言してもらうようなコミュニケーションを取りました。そしてドライバーにしか感じとれない感覚を細かく説明してもらい、それをエンジニアが見る物理的な世界と擦り合わせることにより、さらに信頼関係が増すようサポートを徹底しました。また、チーム全体の雰囲気がだんだんと良くなっているのを感じていましたが、半年後の鈴鹿レースで1位を取った時は、全員の意識が1段アップしたように思いました。
次は、今までで一番視界が開けたコーチングについて