ON COME UP
# | Feb 9, 2021

靴磨きチャンピオンがあと3年で引退を決めている理由。新たな“道”を切り拓く先駆者の、目の前に待ち受ける数々の挑戦

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

今回登場するのは、靴磨き職人の長谷川裕也さん。母子家庭に育ち、学生時代はスケボーや麻雀に夢中になった長谷川さんは、高校卒業後、数々の仕事に就いたのち、ある時路上で靴磨きをすることを思いつきます。アパレルメーカーに入社後も、休日には路上で靴磨きを継続し、22歳の時に独立。2年後の2008年に自身の店「Brift H(ブリフトアッシュ)」を青山にオープンしました。そして2017年にはロンドンで初開催された靴磨き職人の世界大会で見事優勝して世界チャンピオンに。 靴磨き職人としての今までにない斬新でユニークな活躍は、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも取り上げられるなど注目を集め、著書の靴磨きハウツー本『靴磨きの本』は12刷されるほどの人気に。最近、より技術にフォーカスした続編「続・靴磨きの本」も出版されました。今年は海外出店も決まっているという長谷川さんに、幼い頃のことから学生時代のこと、 独立した頃から青山にお店を持つまでのこと、そしてチャンスと成功についてや、これから実現したいことなどを伺いました。
PROFILE

靴磨き職人長谷川裕也

1984年千葉県生まれ。20歳の時に無一文状態から脱却するために東京駅丸の内の路上で靴磨きをはじめる。その後、日本初の靴磨き専門サイト「靴磨き.com」を立ち上げ、2008年南青山に世界一ラグジュアリーな靴磨き専門店を作るべくBrift HをOPEN。世界中から高級靴愛好家が集まる店へとなる。 2017年ロンドンで開催された初の靴磨き世界大会で優勝し初代王者へ。2020年3月にはNHKプロフェッショナル仕事の流儀にも出演。「世界の足元に革命を!」をモットーに靴磨き業界のトップランナーとして靴磨き文化の発展と発信を続ける。著書に「続 靴磨きの本」亜紀書房、「自分が変わる靴磨きの習慣」ポプラ社など。

長谷川裕也

―小さい頃は、どんな子供でしたか?

僕が小学校1年生の時に両親が離婚して、そこから母親に育てられたんですけど、母親はずっと夜の仕事していたので、ほとんど家にいなかったんですね。なので自由奔放に育てられましたが、反抗期もなく、不良になるわけでもなく、結構良い子だったと思います。でも、夜尿症で小学校5年生ぐらいまでよくお漏らししていたんで、かなりコンプレックスの塊だったんです。その一方で、自分のことは天才だとも思っていて、自分の名前を書く時は必ず「天才 長谷川裕也」って書いていました。だから、クラスの中ではちょっと変わっている、裏で人気者みたいなサブカル的なポジションでしたね。

 

―その頃、夢中になったことはありますか?

今もやっていますが、クワガタ採りが好きでした。先日、講演を頼まれて訪れた母校の小学校で久々に卒業アルバムを見たら、将来の夢に、「世界中を旅しながら釣りをする釣り人」って書いていたんです。今も釣り好きだし、色々な国に行って仕事しているし、当時からあまり変わらないのかもしれません。

 

―中学、高校時代はどんなことをやられてたんですか?

中学生の時は帰宅部で、友達とゲームするぐらいの普通な感じでした。高校を卒業したら就職するって決めてたんですが、就職に有利な高校に行くには偏差値が足らなかったので、中2の後半ぐらいからめっちゃ勉強し始めました。そしたら頭がどんどん良くなって、偏差値が上がっていくのが楽しくなって、それでちょっと人生が変わった気がします。 商業高校に入学してからは、簿記の資格を持っていたら就職が有利だと知って、初代簿記部の部長になって簿記に夢中になりました。あとは、スケボーと麻雀ばかりしていました。卒業までの毎日、学校では簿記の勉強をして、放課後はスケボーと麻雀をして過ごしました。簿記は経営者になった今、すごく役に立っています。

 

―麻雀とスケボーって両極端な気がしますが、夢中になった共通の何かがあるんですか?

どっちも個人競技ですよね。麻雀は全然極めてるわけじゃないので偉そうなことは言えないんですけど、目に見えないツキの流れみたいなのがモロに体感できるゲームだとは思います。もちろんゲーム性が面白いのもありましたけど、これは人生の縮図なんだろうなと思ってやっていました。人生ダメな時は本当に何をやってもダメだし、いい時はどんな悪い状況でも良くなっていくという、そのツキの流れを面白く感じていました。

 

―麻雀を知ったことで、今活かされていることはありますか?

もし今に結びつけられることがあるとするならば、僕が好きだった金子正輝さんというプロ雀士の「牌流定石」っていう理論です。金子さんは自分が本当にやりたい手を作るというよりは、入ってくる牌の流れに身を任せるっていう牌流定石の人。つまり、自分で道を切り開くようなことはしつつも、やっぱりそのタイミングで出会うことや人によって今が成り立っているという考え方です。なので、僕もいただいたお話や出会った人のことは、今の自分に必要だから来てるんだろうなっていう観点で受け止めて仕事はしていますね。

 

—とても素晴らしい理論ですね。スケボーはいかがですか?

スケボーは、路上で靴磨きをしていたことにも繋がるし、駅前とかパチンコ屋の駐車場とかで怒られながらやってたんで、 そういうちょっとアウトローなところとか、難しいトリックをキメていくこととか、パンクとかヒップホップとか落書きとかカルチャー的な部分も含めて、今のベースになってると思います。

 

ー高校卒業後はどのような進路を辿りましたか?

日頃の行いが悪かったのか希望の就職先には行けず、卒業後は地元の製鉄所に就職しました。月給11万4000円、確か高校で一番月給の安い求人だったんですよ。仕方なく働いていましたが、当時工場で働いてる大人達はやる気のない人ばかりで、パチンコ、スロット、女の子、車にしかお金はかけないみたいな感じでした。でも、そんな中に1人だけかっこいいサーファーみたいな人がいたんです。ちょっと偉そうで怖そうな人なんですけど、たまたまその人の休憩中の姿を見たら、なんか勉強してるんですよ。製鉄所で勉強してる人なんてまずいないから不思議に思って「何やってるんですか?」って聞いたら、日大経済学部の通信で勉強してるって言うんです。元々ニュージーランドとオーストラリアに1年ずつワーホリで行きながらサーフィンをやっていたので、英語は話せるから、あとは学を身につけて、この英語を活かす貿易会社を作るんだって。

 

—それはまた貴重な出会いでしたね。

18歳の僕からすると製鉄所にそんなこんなかっこいい人がいたのかと思って、ワーホリなんて制度も知らなかったんで、「ワーホリって何だ?」って思って聞いてみたら、働きながら海外に1年行ける制度があることを教えてくれて。僕は、就職してからもスケボーをずっとやってたし、英語や海外も興味があったんで、スケボー修行にオーストラリアに行こうと思って。その日の夜勤明けに、そのまま朝7時ぐらいに木更津駅のNOVAに行って、英語を勉強しようと思って開店を待ちました。すぐにNOVAに入会して、そこからほぼ毎日英会話学校に通いました。

 

—長谷川さんのとっさの行動力もすごいですね。

当時住んでいた寮から通い続けて2、3ヶ月くらい経った時に、たまたま実家に帰って求人広告を見たら、英会話を学びながら働けるっていう英会話学校の求人が出ていて、しかも週給14万からって書いてあったんです。月給11万4000円の生活をしている僕からしたら、週給14万でしかも英語を勉強できる最高の環境はないと思って、早速面接を受けに行ってすぐに転職しました。でも、結局蓋を開けてみたら、固定給があるわけではなく英会話教材のフルコミッション制の営業だったんです。そこから1年半ぐらいはフルコミッションで英会話教材の販売と、英会話の入会の勧誘をしました。

 

—過酷なお仕事をされてましたね。

19歳で会社最年少のチームを持つ役職にもなって、結構出世はしたんですけど、スランプに陥っちゃって、全然休みなく働いているのに3ヶ月ぐらい無収入の状態が続いて、体も壊し始めました。そんな時にたまたま実家に帰ると、ちょうど母親が帰ってきて、初めて真剣な話をしたんです。「あなたならもっとすごいことができるから、会社に上手く使われてるだけの仕事はもう辞めなさい」みたいなことを本気で言われて。かなり心配かけていたんだなってその時初めて気がついたんです。そんなに母親を心配させてまでやる仕事じゃないなと思ったんで、翌日会社に辞めますって言いました。

 

—その後、どうやって靴磨きにたどり着くのですか?

引っ越しとか、倉庫の作業とか、日雇いのバイトをしながら次の仕事を探してる時に、無一文みたいになっちゃったんです。その時、手元に2000円ぐらいあったんで、これで何しようかなって思った時に、パイプ椅子を置いて10分500円の肩揉み屋をやるのを最初に思いつきました。でもその後すぐに、路上だったら靴磨きもできるなと思って。なんかピンと来たんですよね。それで100円ショップで道具を買い揃えて靴磨きを始めました。

 

―まず100円ショップで道具を買って路上で靴磨きしようってアイディアが、パッと浮かぶのがユニークですね。

英会話学校の仕事の時、路上でキャンペーンをやって、ハガキを配ってアンケートに答えてもらうのをしてたんですよ。路上にいるとミュージシャンをはじめ、いろんな人がいるのを日頃から見ていたので、発想として自然だったのかもしれないですね。

 

―それで、すぐお金になったんですか?

初日は一人だとちょっと怖かったんで、友達を誘って二人で東京駅に集合して、丸1日朝8時から夜10時ぐらいまで、場所を転々としながらやったのですが、二人で7000円稼げたんですよ。当時引っ越しのアルバイトで日給7000円ぐらいだったので、自分の思いつきで500円投資したもので、日雇いのアルバイト分稼げたっていうのが感動的で、そこからこれはきたなと思って。

 

路上で靴磨きを始めた頃。東京駅付近

―ピンときたのですね。それから靴磨きで食べていけるようになるまでは、アパレルショップの店員としても働いていたそうですね。

そうですね。僕はファッションが昔から好きだったので、固定給の仕事をもらうんだったら洋服に関する仕事が良かったんです。そこで、いろんな求人に送って受かったセオリー(Theory)で働き、休みの日は路上で靴磨きをしていました。1年間は東京駅で磨いてましたが、40年とか50年続けていてお客さんもたくさんついているベテラン職人さんの中に混じって僕がゲリラ的に行っても、お客さんは全然増えませんでした。そこで、 2年目からは品川駅に場所を移して、固定客を作るために毎週水曜日と決めて出店しました。そのほかに、「靴磨き.com」っていう屋号を作って、名刺を作って、来たお客さんにはメールでお礼をするようにしました。最初から23歳で会社を作ると決めていたので、セオリーの面接の時も「社長になるための準備期間に固定給をもらう仕事として、洋服屋で働きたい」と話していました。

 

―2006年に独立するまで、技術はどうやって磨きました?

当時僕が始めた2004年はYouTubeもないですし、インターネットで靴磨きって検索しても全然出てこないような時代でした。だから、まず技を盗むためにお客さんとして路上でやってる職人さんに磨いてもらいに行って技を盗みました。その後は百貨店で靴クリーム会社がデモンストレーションをやっているところに通いました。そこで、例えば「雨に濡れると革がボコボコになるんですけど、あれって何でですか」とか、「どうやって直すんですか」とか色々聞いたり、神保町の古本屋さんで昔のファッション雑誌のバックナンバーを探して、靴特集とかのちょっとした記事から靴磨きのやり方を得たりしていましたね。

 

—ということは、ほぼ独学なのですね。

それでも分からないことは、墨田区にある都立皮革技術センターっていう革の研究センターみたいなのがありまして、そこで3か月ぐらいの無料の講習会を受けて勉強しながら、授業後に革の専門家に色々教えてもらったりとかしました。でも知識だけだと形にはできないので、友人の古着のバイヤーにお願いして安く中古の革靴をいっぱい買ってきてもらって、革靴を焼いたりお湯で煮てみたり、電子レンジでチンしたり削ったりして、靴とか革って何をしたらどうなるんだろうみたいなことを手探りでやってましたね。

 

―千葉さん( 以前HIGHFLYERSでインタビューした靴磨き職人の千葉尊)のところにも行かれたそうですね。

当時僕は職場が有楽町だったので、休憩中によく見に行ってたんですよ。千葉さんのやり方は、本当に特殊で唯一分からなかったんですよね。それで1日だけ弟子入りして横にずっといさせてもらって、靴磨きのあれこれを聞きました。千葉さんの秘密のクリームがあるんですけど、それを確か1個2000円くらいで売ってくれて、それを使って一時路上で靴磨きもやってましたね。

 

―2008年にBrift H(ブリフトアッシュ)をオープンされますが、カウンターでお客様とコミュニケーションを取りながら靴磨きをするスタイルは、路上でやっていたものとは全く異なりますけど、そのスタイルにはどうやって辿り着きましたか?

品川駅の路上で磨いていた時代に、アパレルブランドのブランディングをやってる方がお客さんとして来たんです。その人は僕を見て第一声、「かっこ悪いね」っ言ったんですよ。そんなちっちゃい椅子に座って靴を磨いてるのはかっこ悪いから、立って靴磨きなよって。それからは、バーテンダーが酒を作るみたいに、パフォーマンスも含めてスーツを着て、お客さんの目の前で靴を磨くのを取り入れて、百貨店のイベントでもそれをやってました。そういうのが受け入れられていったのもあって、店を出すとなった時、自然とそのカウンタースタイルの形になりました。

 

青山に店を出した初期の頃

―価格は路上より高額ですが、どうやって決めたんですか?

当時路上では500円、靴磨き.comというホームページでの宅配磨きや出張磨きは1000円に設定していました。店での価格をどうするか悩んでいた時、たまたまお客さんの紹介で、当時23、4歳の IT社長とご飯を食べる機会があったんです。その方は、仕事を依頼するとかしないとか関係なしで会うだけで10万円もらってるらしく、「安くやるのは絶対ダメですよ」みたいなことを言われたんですよ。その時に「靴磨きで1万もらうんだったらどういう靴磨きをするんですか?」って聞かれて。当時路上で500円でやってたんで、20足分を1回でもらうってどうしたらいいんだろうって思ったんですね。そしたら、「どうしたらいいんだろうって考えますよね?それが大事なんですよ」ってその人に言われて、なるほどって。

 

—また、タイミング良くすごい言葉に出会いましたね。

当時国内で一番高いのがホテルオークラにいる井上源太郎さんの1200円、千葉スペシャルで多分500円とか700円の時代。日本だけでなく世界的にも、靴磨きの専門店みたいなこういうスタイルはほぼなかったんで、相場もなかったんですよね。かと言って高くしても来てもらえないと思って、1500円、3500円、6000円って3つのコースを設定しました。日本人は真ん中好きだから、ゴールドの3500円コースが増えるだろうと思ったんですけど、­やってみたらほぼみんなシルバーの1500円コースの依頼でした。結局シルバーコースでも一足3、40分かけてめちゃくちゃ綺麗にするっていういいコースだったんで、ゴールド、プラチナまで頼む必要がないんですよね。3、40分かけて1500円て全然儲からないですし、人を雇って青山店の家賃を払ってたので大変な時期もありましたが、ありがたいことにパンクするくらいどんどん仕事は増えていって。実際パンクしながら儲からない状態が3年ぐらい続いて、そこから2400円にあげて、今は4000円でやっていて、僕は1足6000円もらってます。パンクし始めたら値段を上げるっていう戦法で今までやってきたんです。

 

―面白いです。ところで、靴磨きにも世界大会があるんですね。

2017年が初開催だったんですけど、世界中から3、40人くらいエントリーして、動画とか写真とかでロンドンの審査員たちが選考して、そこから選ばれた3人がロンドンで決勝戦に出ます。僕はそこで優勝しました。

 

2007年に靴磨きの世界大会に出場し、優勝した

―世界と日本との靴磨きの違いはありました?

結論から言って日本が圧倒的に上手なんですよ。大会で磨く道具や靴は選べなくて、布だけは自分のものを使えるんですけど、テクニック的な部分はやっぱり日本人はすごく器用だと思いますね。

 

―では、靴と長く付き合っていくために、普段私たちができることをアドバイスしてください。

革って日々ちょっとずつ乾燥して固くなって最後は割れるっていうのが絶対的な運命なんで、靴を長持ちさせるには、保湿、保革が一番重要。定期的に栄養補給をして革を柔らかい状態に保てば、10年どころか、20年、30年と履けます。そのために靴磨きがあるんです。

 

―シューケアグッズもオリジナルのクリームやブラシなどがあり、長谷川さんは研究開発にも年数をかけていらっしゃるようですが、特にこだわりのおすすめはありますか?

基本的にレザーケアはスキンケアと同じっていう考えなんで、クリームはオーガニックの化粧品会社で作ってもらってるんです。表面を綺麗にするよりは、コラーゲン繊維の塊である革にしっかり浸透させて、その革を柔らかく保つことを大事にしています。

 

Brift Hオリジナルのクリームやブラシ

―靴磨き職人でもあり経営者でもありますが、靴磨き職人を続ける上で大変なことは?

靴磨き職人としては、お客さんの靴を本気で綺麗にして、それに対して喜んでいただけることの繰り返しなんで、楽しいし、大変さは正直何もないですね。 ただ商売って続けることが一番大変で、ただ単に靴を磨いていればいいっていうことではない。今コロナでリモートになって、革靴を履いて仕事に出かける機会も減ってますし、そもそも革靴離れ、スーツ離れがすごい深刻なので、まずは革靴を履く機会が減らないようにしなければと。大袈裟なんですけど、改めて男をカッコ良くっていうか、もっと川上に行って、ちゃんとドレスアップして出かけることの素晴らしさまで伝えていかないと、ただ単に靴磨きだけを発信していてもダメだと思っています。

 

―長谷川さんにとって靴磨きの魅力とは?

一番の魅力は、やっぱり育てる楽しみですかね。新しいものを買い続けるって疲れますし、トレンドもありますけど、 「この靴を一生履くぞ」って、頑張って履いて・磨いてをやってると、靴がどんどん成長していくんですよ。うちに通ってくれるお客さんも、例えば新品を磨きに来て、そこから2年、3年、5年、10年って経って、自分たちも歳をとりながら、「この靴かっこ良くなってきましたね」みたいな会話をしてる時はやっぱり一番楽しいですかね。

 

―一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感した出来事はありますか?

22歳の時に会社を辞めて靴磨き一本に決めて路上に出た頃、なんかフワフワしていて、本当に靴磨きでいいのかなみたいな気持ちがまだあったんですね。それで自分探しじゃないですけど、バイクで靴磨きの旅に出ようと思って、三輪バイクで靴磨き道具を積んで1ヶ月ぐらいかけて日本を半周したんです。旅しながらいろんなところで靴磨きの露店を開いたんですけど、広島を走ってる時に、ふと空を見上げたらすごい綺麗な星空だった。それを見た時に、「俺の人生は靴磨きだ」って思ったんですよ。それがまず最初にちゃんとスイッチがオンした時です。不思議なのですが、そのあとすぐに百貨店の VIP パーティーでの靴磨きの仕事が決まりました。自分の心にスイッチ入ると、何かの力によって周りが動いて人生が変わるという経験をしましたね。

 

バイクで靴磨きの旅に出た時、京都にて

―憧れている人や尊敬する人は誰ですか?

色んな人がいますけど、 ブルーハーツとかビートルズを尊敬しています。僕はブルーハーツみたいな靴磨き職人になりたくて。音楽って、一気にテンションが上がったり、元気になったり、涙が出たり、一瞬聴いただけで心が変わったりするじゃないですか。靴磨きも、綺麗な靴を履いた瞬間歩き方が変わったり、気持ちが前向きになったりする魔法みたいなところがあるんですよ。おこがましいですが、靴磨きを通してちょっとでも世の中を良くできたらいいなって本気で思っているんです。あとはビジネス的なことで言うと、糸井重里さんみたいな人とか、虎屋とか、老舗なのに常に良く変わり続ける、伝統を良く変えていく会社は尊敬しています。

 

―普段はどんな音楽を聴いてるんですか?

パンクばっかりですね。ラモーンズを聴いてる時に、靴磨きの歌を作りたいなと思って、去年The Shinnersっていうバンドを作って、2曲作詞しました。

 

―休日の過ごし方は?

オフは子供と遊んでます。それから最近久々にサーフィンを再開しました。

 

―では、長谷川さんにとってチャンスとはどういうことだと思いますか?

チャンスは与えられるものじゃなくて、自分で作れるものじゃないかなと思ってます。人生で数回しか来ないものや、1年に1回訪れるチャンスもあると思うんですけど、日々転がってるものもあると思うんです。最近、自分が好きでずっと聴いていた川田十夢さんのラジオ番組に出演できたんですが、それもたまたま外でミーティングしてた時に目の前を歩いていた知り合いに話しかけたところから始まったことです。遡っていくときっかけは本当に小さなことだったりするし、その種がどういう花とか実をつけるかって本当に読めない。だから僕は常に動き回って人に会います。あとは何年かに1回のでっかいチャンスは絶対に逃さないです。

 

―長谷川さんにとって成功とはなんですか?

シンプルに、自分がやりたいことを達成することだと思います。10年前に思い浮かべていた未来が叶えられた時は、一個成功体験ができたと思うわけですよね。やっぱり一個一個自分がやりたいことを叶えていくのが、シンプルだけど成功だと思いますし、人生の最期に、「俺の人生は成功だった」って言えるようになるかどうかは、これからの自分の働きによると思うんで、それを常に挑戦し続けていきたいですね。

 

―今、長谷川さんの目の前にある挑戦ってなんですか?

色々いっぱいやりたいことがあるんですけど、今年海外に初めて出店するんでそれが目下今1番の挑戦ですかね。そして僕の人生最大の挑戦は、靴磨きを芸術の世界に持っていくことと、“道”を作ることです。茶道とか弓道とか武道とか色々あるように、靴磨きも「靴磨き道」っていう道にできないかを考えているし、どれだけ文化レベルの高いものにしていくかは、人生かけてやることだと思っています。

 

―最後に、3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?

3年後は40歳。今37歳で、靴磨き職人としてお客様の目の前で靴磨きをしていますが、40歳で靴磨き職人は引退して、違う形で靴磨きの価値を高めることを目標にしています。プレイヤーとしてお客さんの目の前で接客して喜んでいただくことは、自分には何の苦労もなくできちゃうことなんですけど、次は別の形で靴磨きを盛り上げたいので、後身を育てて自分がいない店をどう成り立たせるかもそうですし、40歳までの3年間をどう使うか、今焦りながらやってる感じですね。5年後、10年後はあんまり見えないですね。かっこいい大人にはなっていたいなって思います。

 

 

Yuya Hasegawa Information

読・靴磨きの本

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